ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

I am from

2021-02-28 15:10:14 | ワークショップの報告


久々に演劇ワークショップに参加した。
おもしろかったので、忘れないうちに書いておきたい。

演劇関係者3人が主宰。
この3人は、ニューヨークでの演劇ワークショップで出会ったらしい。
オンラインおためし演劇ワークショップということで、参加者がお互いファシリテーターになってお試しをしようということらしい。
3人のうちのひとり、プレイバックシアターリーダー研修同期のみーさーことみさほさんに誘われて参加。

全体の流れも良く、いろいろ面白かったが、とりわけ3人がニューヨークで体験した「I am from」というワーク。

自分はどこから来たのか。何からできているのか。

思い出の食べ物。
好きだった遊び、その時だれと。
お気に入りの隠れ家。
勇気をもらった言葉。
怒られたときよく言われた言葉。
家族の中で尊敬する人。
生まれた町。
好きだったお菓子、甘いもの。
好きだったおもちゃ。
お気に入りの服や靴。

あといくつか質問があったように思うけれど忘れました。
これらについてまずは自分一人で書いていく。
これを3人グループの中で披露する。
単語だけでもいいし、少し説明をくわえてもいい。
そののち、みんなの中で希望者が披露する。

私について、実際に私がそのとき書いたもの、みなさんに披露したものとは異なるやり方で、
ここに書いてみる。

Ver. 1
*****
 I am from
    作:ふうみん
I am from 母の作った豚バラ肉の肉じゃが。
  甘くねっとりした幸せの味。
I am from 物置小屋と塀の間の暗くて狭いが暑い夏に良く風の通る空間。
  ひとり本を読んでいた。
I am from 「勝手に判断するな。ちゃんと訊け」。
  自分で判断して失敗するたびに。
I am from 「死ぬわけじゃなし」。
  やろうと思うことができない、でも。
I am from ブランコと滑り台のある小さな公園。
  ある日1円玉を拾って近くの駄菓子屋で塩せんべいを買って食べた幸せとうしろめたさ。
I am from 社会の行方を見据えて生きた父。
  生きているうちにもっと話を聴きたかった。
*****

こんなふうにするとアートって感じ。
でも「I am from」という英語じゃ日本人としてイマイチぴんとこないという話しも出て考えた。

Ver. 2
*****
 私のかけら
    作:ふうみん
それは 豚バラ肉の肉じゃが
 母が作った、私には作れない味
それは 拾った1円玉
 塩せんべいを買って食べた幸せとうしろめたさ
それは 絵本『ちいさいおうち』
 おもしろくなかったけれどおとなになって好きになった
それは 暑い夏に良く風の通る物置小屋と塀の間の暗くて狭いが空間
 ひとり本を読んだ
それは 「勝手に判断するな」と叱られた言葉
 考えずに動いて失敗する
それは 「死ぬわけじゃなし」という励ましの言葉
 生きていくのが楽になった
それは 社会をみつめて生きる父
 もっと話したかった
そんな記憶のかけらと私
*****

どうでしょう。
詩になりました。

Ver. 3
*****
 記憶のかけら
    作:ふうみん
それは 母のつくった豚バラ肉の肉じゃが 
 熱々のアップルパイ 手作りの服 くつしたの継ぎはぎ
それは 小さな公園
 小さなブランコ 小さな滑り台 1円玉 塩せんべい
それは あとで好きになった絵本
 ちいさいおうち はなのすきなうし どうぶつ会議
それは 夏の昼間の読書タイム
 物置小屋と塀の間 暗く狭く 涼しい風
それは ことば
 「勝手に判断するな」「死ぬわけじゃなし」
それは 父
 正義 公正 自立
そんな記憶のかけらと私
*****

こちらのほうが世界が広がる感じで一番好きかな。
まだ説明調が気になるけれど。
もうちょっとブラッシュアップしたら、どこかに投稿できそうな気がする。

他の人のを聴いて、2行か3行ぐらいの返歌をつくるのもおもしろいかも。
いろいろ記憶と発想が広がる。
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はじめての布絵本

2021-02-23 14:08:31 | 子どもと学ぶ


初めて布絵本をつくりました。
孫のKちゃん1歳半のプレゼントです。

テーマは太陽のめぐみ。
上写真左が表紙。


中はこれです。

豆のファスナーを開くと、お豆さんが3つ入っています。

豆のさやがひとつ、はっぱがふたつ、おまめがみっつ。

お花はボタンでとめてあるので、はずせます。

お花とボタンの一対一対応。

裏表紙は果物の木です(一番上の写真右)。
ボタンが10個。
とおまで数えられるようになるのはいつかな?
それまで大事にしてくれるかしら。
気に入ってくれると良いのだけれど。

ネット情報をヒントに型紙から自分でつくりました。
針に糸を通すのが大変。
構想は別として制作に4日間。
あとは背を閉じればできあがり。

つくるのは楽しい。
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差別意識

2021-02-18 08:13:06 | 日記・エッセイ・コラム
忘れないように書いておきたい。

今回、女性差別発言で森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任した。

私は、差別発言をしてしまうということ自体は、誰でも大いにあることだと思う。
それが差別だという認識が十分でなかったということだ。
これまでの環境の中で学ぶ機会がないということはありえる。
彼ほどの地位であれば周りの人も教えてくれない。
現に問題の発言があったとき、周囲のだれも問題にせず、笑いでごまかした。

問題は、それが問題とされたときの態度だ。
彼は「私には差別の意図はなかった」という。
その認識の甘さだ。
差別の意図がないなら、同じことをまた繰り返し、数多くの女性の
あるいはマイノリティーの傷口を広げるだろう。

誰でも差別意識はあるのだ。
差別されている人は敏感だが、
差別する側は鈍感だ。
彼は自分が差別発言をしたと言われたことに、真摯に向き合うべきだった。
そうであったなら、謝罪することで許されたかもしれない。

そして今、橋本聖子氏が次期会長候補として挙げられている。
女性問題で前会長が失敗したから、今度は女性で?
女性であれば、差別発言をしないとでも?
彼女は、スポーツ界のヒエラルキーにどっぷり染まって育ったように思われる。
そうでなければ、ハラスメントの問題を起こしたりしないだろう。
彼女は、あの事件を契機に真摯に反省しただろうか。
当時の発言からは、そうは思えない。

ようするに、森氏と同じ穴のムジナに思える。
こういう人しか日本の代表として選出できないとしたら、
この国は人権軽視という病がかなり重症だ。

頭髪の色や形が強制されることに象徴される
教育がこういったことを許す土壌になっているように思える。
怒りを通り越して、悲しい。
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ころがスイッチ その2

2021-02-16 13:05:27 | 子どもと学ぶ


Oちゃんとまたもやころがスイッチ。
コースをつくっていると、姉のAちゃんの友達Yちゃんとその妹Sちゃんも一緒にやりだす。

最後に球が飛び出して、溝を転がって、ゴールの丸い容器の中に入るようにしたいのだが、
飛び出した球がなかなかうまく溝に落ちてくれない。
溝の位置をあれこれ動かしてみてやっと成功!
4人で歓声をあげて手を叩く。
それから順に何度も試して、試すたびに成功して、歓声をあげる。

YちゃんとSちゃんのママが迎えに来て
「遊んでいただいてありがとうございます」と丁寧に頭を下げられたが
こちらは「遊んであげた」という気はまるでなく
「一緒に遊んで楽しかった」という感覚。

これが親と祖父母の違いかな?
自分が親の時は、一緒に遊んであげるゆとりがあまりなかった。
中学校へ行くようになると、一緒に遊んではくれないだろうな。
今を楽しんでおこう。
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人は人の上に人をつくり、人の下に人をつくりたがるようだ の続き

2021-02-05 08:02:18 | お仕事



先日は「ヒエラルキーがつくられつつある」と書いたけれど、
よくよく考えるに、聞こえていないということに私自身があまり気づいていなかったのかもしれない。

私は注意欠如の傾向がある。
物事に集中してると、音や声が入って来なくなる。
これは生まれつきというか、小学校のころから担任に「情緒不安定」「注意不足」などと注意欠如の傾向を指摘されてきた。
今に始まったことではない。

けれどそれに加えて、聴覚情報処理障害の傾向がでてきたらしい。
飲み会で、周りが騒がしいと相手が何を言っているか分からないということを自覚するようになったのは10年ぐらい前か?
そのころから学生たちとの飲み会がだんだん苦痛になってきていた。
5~6人ぐらいならまだ良いけれど、それ以上でワイワイ飲むのは今は好きではない。

掃除機をかけているとき、水をだして食器を洗っているとき、誰かが何かを言っても音は聞こえても内容が分からない。

今の仕事では、オーブンが横にあって絶えずブーンと音を立てている。
卵を巻くときは集中しているということ、横で音が絶えないということ。
これらによって、私へのことばを私が受け止めなくなっている。

要するに一種の障害なわけで、そうは思わないで端で見ている人にとっては「変な人」に見えるのだろう。
ヒエラルキーをつくらないためにも、これは理解してもらう必要がありそうだ。

それにしても、年をとると体は変化していくなあ。
他人に言われないと本人に自覚が無い。
他人に言われても本人に自覚が無いと、言われないことを言われた気になって、腹が立つ。
年をとると、そういうこともあるんだ。
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