ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

教育環境ってなんだろう―沖縄研修

2015-06-27 21:25:51 | 研究会報告

階段の踊り場を写真コーナーにしました。

今日は、今年度の沖縄研修の最初の学習会。
立ち上げ隊に立候補した5名がそれぞれの持ち味を生かして運営していました。
そして、4人の実行委員が決まりました。
毎年、自ら実行委員に名乗り出てくれることに驚きと感動を覚えます。
「実行委員をすることで自らが成長した」という、もと実行委員たちの言葉が響いたのでしょう。

1週間前の土曜日、成蹊小学校の100周年記念公開授業と獲得型教育研究会例会に参加しました。

公開授業では、林先生のこみち科の授業を見せていただきました。
林先生の言葉。「4月5月にしっかりアクセル踏んで体をつかって活動すると学習がとてもやりやすくなるんです。最初からブレーキばかりだといつまでたってもクラスがうまくいかないんですね」

これは、小学校だけの話ではありません。ドラマ的な活動を体験することで学ぶ土壌が耕されるというのは、結局のところ、大学でも同じだと思いました。

獲得研例会では、立命館大学の教職沖縄研修を報告させてもらいました。
4回生のTくん、卒業生のOくんも、沖縄研修を語るために参加してくれました。

Oくんはおもしろい人で、沖縄大好き。在学中、私が沖縄にいたと知って、研究室を訪ねてきました。「沖縄で何かボランティアみたいなことをしたい」というので、知り合いの藤井さんのいる末吉公園内の環境施設「森の家みんみん」と、伝をたどって那覇市の中学校を紹介しました。翌年第一回沖縄研修の募集をしたときに、「自分たちにさせてほしい」と名乗り出てくれたのですが、実はボランティアに行ったときに、「あなたは誰?」「何をしたいの?」と周りの人に度々訊かれたことが、自分は何をしたいのか真剣に考えるきっかけになったとのこと。そのことが、学部やキャンパスをこえて交流したいという沖縄研修に繋がったようです。
そのときのO君もふくめた実行委員と熱い4回生が、今日に続く沖縄研修の土台をつくったのです。

Tくんは、彼自身も自覚しているし、周わりで見ていてもはっきり分かるほど、沖縄研修を通して変わりました。ちょうど変わる準備をしていたときに、沖縄研修があったということでしょうか。「沖縄研修の前とあとでは、世界が違って見える」「何か知っても、まだその先に何かがあると考えるようになった」「最初は自分が変わるのにこの研修を利用しようと思った」「一度目を経験して、遣り残したことがある思って二度目に参加した」「まだここで学ぶこと、やれることがあると思っているから三度目も参加するつもり」

沖縄研修には、そう思わせるものがある。Tくんのような学生がいる間は、この研修は続くでしょう。

彼らの学びを支えるために、教員の役割は?
サドベリースクールのように、「何もしない、信じて見守る」ことか。
ただ一参加者として参加すればよいのか。

今日の帰り道、同じく学習会に参加していたH先生と立ち話。
「失敗させないように、もっとよくなるようにと手出ししすぎると、かえって良くないよね。」
それはそう。

けれど、何もしないで見ているだけなのか。
「信じて見守ることが一番」と肝に銘じつつ、求められれば話を聴くこと。
ここぞというときには、問いを発すること。
そしてやはり、介入しすぎないこと。

そんなふうにうまくやれるかどうか分かりません。
少なくとも、自然体でそれができるほど、人間ができていない。
悩みつつ、今年も関わります。


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西宮サドベリースクール―教育環境ってなんだろう

2015-06-25 09:56:27 | 日記・エッセイ・コラム

階段を上がりきったコーナーに、庭の花を飾ってみました。台は夫の日曜大工。


一般社団法人コアプラスの企画で、西宮サドベリースクールにお邪魔しました。
子どもたちがしたいことをするという学校の理念にとても惹かれます。
結局のところ、学びたいという気がないのに教えても、身につかない。
やりたいことをやりきる中で学びたいことを見つけていくことができれば、これほどすばらしいことはありません。

本来、そうやって学びは成立してきたと思うのです。「なぜだか知りたい!」「どういうことなのか考えたい!」と。

沖縄サドベリースクールもお邪魔しましたが、サドベリースクールでいつももやもやするのは、スタッフのあり方と教育環境について。

「スタッフは何もしない。見守るだけ」と言われる。果たして本当だろうか。

最初のサドベリー校であるサドベリー・バレーのことを書いた『世界一素敵な学校』を読んだとき、そこにはすばらしい教育環境があると思いました。

豊かな自然、居心地の良い家、本のたくさんある図書室、調理場といった物理的環境。

教育理念。

教育システム。時間割なし、テストなしなど従来の教育システムにあるものがないこと が強調されがちですが、子どもたちが学校運営にかかわる仕組みや困ったことを解決するミーティングや司法委員会など、普通の学校にはないシステムがあります。

それに加えて、やはりスタッフの存在は大きいと思うのです。

従来の教師のような役目ではないでしょう。しかし、このスクールがスクールであるための必要不可欠な存在だと思います。単に、運営のことではなく、子どもたちへの影響という意味で。

それが何なのか、私は知りたいです。でも、西宮サドベリースクールでも沖縄サドベリースクールでもスタッフへの質問の答えは「スタッフは何もしない。見守るだけ」「子どもたちと対等な存在」でした。

「スタッフは何もしない。見守るだけ」「子どもたちと対等な存在」というのは間違いないとしても、その中で果たしている役割はあまりにも多岐に渡るので、スタッフ自身にも自覚されていないのでしょうか。1日お邪魔したぐらいでは見えてこないと思うのですが、とても興味深いです。
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信じられない出来事

2015-06-18 20:07:20 | 日記・エッセイ・コラム
今、教育実習真っ盛り。
毎週、実習校訪問で忙しい。

先日、岐阜のまだ先まで出張。
かなり疲れて、帰りの電車はほとんど居眠り。

米原で最後の乗換えをしてふとポケットに手をやると「切符がない!」
やってしまった!
どこかで落とした。
ポケットなんかに入れるんじゃなかった。

駅に着いて、改札口で「切符を落としました」
というと、「どこから乗られましたか?」
「○○駅から」
「ああ、それなら岐阜駅から落し物の連絡がありました」
って、そのまま通してくれました。

もう一度払う覚悟はできていたのに。
○○駅からここまで切符を買う人がほとんどいないのでしょうね。
岐阜駅で拾ってくれた人もありがたい。

それにしても、こんなことってあるんですね。

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道に迷って

2015-06-04 18:04:59 | 日記・エッセイ・コラム



先日、教育実習の学校訪問。

門から入ったものの、来客入り口が分からなくてウロウロ。
生徒さんに教えてもらって、無事、校舎に入れました。

帰り道、どうやら道を間違ったらしく、駅に着きません。
「こっちの方向に違いない」と思うほうへ行くと、別の中学校の裏に出てしまいました。

裏門の前に生徒がふたり。目が合ったら「こんにちわ」と声をかけてくれたので、
「○○駅に行きたいけれど、こっちであってる?」と尋ねると
「そっちは△▼駅ですよ。でも■□駅のほうが近い」
「えっ? それはどう行くの」
「反対方向へまっすぐ歩くと右にコンビニがあって、右へ行くと■□の建物が見えて」

ありがとうと言ってしばらく歩いていると、一人が自転車で追いかけてきました。
なんと、駅の近くまで案内してくれたのです。

無事、帰り着くことができました。こんな優しい生徒さんもいるのですね。

どうやら学校を出るとき、来たときとは別の門から出てしまったらしいのですが、周りの景色が変わり映えしなかったので、気がつかなかったのです。
困ったものです。

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