ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

「一人称で話す」ということ

2022-12-08 17:02:52 | お仕事
子どもが保育園で虐待をうけたり、障害者や老人が施設で虐待されたり。
福祉という、人が人として尊重されなければならない現場で真逆のことが起こっている。

社会や家庭の中は、上下関係や競争関係があたりまえにあって、そのことが人間の優劣を生み出し、対等なコミュニケーションを妨げる。
福祉関係者といえどもそこから逃れることはできない。

先日、自立生活支援員の研修会で社協の重要なポジションにいる人のお話があった。
その中で、「支援される人に、『あなたはダメだ』というような言い方をしないで。『私はこう思う』というように一人称で話すとソフトに聞こえる」ということを言われた。

「ソフトに聞こえる」ために一人称で話すのか?
私は次のように思っている。

あなたはあなたで私は私。
あなたのことを私が決められない。
私のことをあなたに決めてほしくない。
あなたのことを私が決めるわけではないから、私を主語に自分の思いを語る。
あなたはそれを参考にしてもいいし、自分とは関係ないことと思ってもいい。
一人称で話すというのは、そういうことだと思っている。

かくいう私もいつもそういう態度でいられるかというと、
頭に血がのぼったりすると容赦なく相手を非難したりする。相手を主語に。

また、支援員として関わっているある専門員さんは、担当する障害者について「させる」「させない」という言葉をよく使う。
これは「私が〇〇さんに~させる」だから主語は私だが、相手を管理的に見ていると感じる。
教員もありがち。生徒に対して「~させる」をよく使う。

他人のことは言えない。
自分も他人も、いつも人として尊重するということを忘れないでいたいと思う。
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