極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

デジタル革命と震災

2011年04月12日 | デジタル革命渦論

【高度映像技術の衝撃】

 昨日で1か月が経過した震災。それぞれの被災地から、写メール
セル動画、ビデオカメラ映像、あるいは、テレビ放送用カメラか
らの放送されてくる画像の質量に圧倒され、おもわず涙するある
いは気分が悪くなったりもする。これど『デジタル革命』(≠「
IT革命」)。電荷結合素子 (CCD: Charge Coupled Device)技術
の進展がプロ並みの映像が簡単な操作で発信することができる時
代を再確認。この速度で行くとプロ用の機材もパームトップ化す
る時代も秒読みだろ(レンズ系のデジタル化が課題となる)これ
を薄型大画面液テレビで見ているのだから、臨場感満点。映像と
音響インパクトの深層に与える大きさは幾ばくぞと考える。


MacBook1984 Apple's Macintosh Commercial


彼女が「3・11の2・4・6よ」という。「だから覚えやすい
のよ」と付け足す。この間当初考えたことと大きく違ったという
ことを考えてみると上記の映像音響配信技術と情報量の凄さがそ
の1つ。ブログをはじめて2年になるが震災関連情報の検索技術
と習得力、つまり腕が上がったかなぁという思いと、眼精疲労に
よる誤字脱字率が大幅にアップしたことが2点目だ。これと関連
するのだが、前職では外国語の翻訳は他人まかせが多かったが、
グーグル翻訳に依存するようになった(機械の翻訳はへたくそだ
が)。そこで、もう一度英語理解力を鍛えようとおもったことと
それでは、自作短歌を日本語から英語と中国語に翻訳することを
課せたことだった(酷いものだが、数を重ねていけばなんとかな
ると)。

4月12日(火)9:46(日本経済新聞)
福島第1原発事故、最悪のレベルに 保安院検討

4月11日(月)19:59(日本経済新聞)
1か月内に「計画避難」を 原発20キロ圏外5市町村政府呼びかけ


それと未曾有の災害にしては、政治力が不足しすぎだという思い
が具体的に顕れてきていることだ。このとき大切なのが、頭の切
り替えで固定概念を捨て、慎重に考え心のためを大きくしながら
果敢に、大胆に行動するということだと思う。慎重さが足りない
というのは、余震・群発地震・連動地震(これは発生確率90%の
東海・中南海沖地震)と二次災害(例:福島原発)への備えであ
り、具体的には統一地方選挙だった。地方公務員(消防・教師・
市町村・警察)の労働が復旧・復興に振り向けられなかった(半
年後に実施するとかの遅延措置が正しい。東京都知事の石原慎太
郎のオリンピック誘致発言のアホらしさ)。



さらに、福島原発事故。今日のニュースではレベル7の最大級を
検討中だ。東日本の原発は、すべてボロボロ状態に入りつつある
のでは、あるいはそれを超える段階にあるのではと思わせる情報
だ。東電任せでなく日本政府は対策本部を設置し、世界中のバッ
クアップを背景に全国の関連公務員・医療・科学技術・産業組織
の動員即応体制(例えば、報道官として谷亮子を登用)を再構築
することだ。それ以外後は、想定内でありその分頼りなさとなる。



※ 防災グッズには、ラジオ・乾電池・コンパス(方位計)は欠
  かせない。





04月11日(月)日経コンストラクション
東京電力は4月9日、放射能漏れが続く福島第一原子力発電所の
事故原因である津波について、浸水高さは 14~15mで原子炉建屋
の敷地のほぼ全域が浸水していたとの調査結果を発表した。
一方、南に10kmほど離れた福島第二原発は取水ポンプなどがある
海側の敷地が浸水したものの、第一原発より2m高い法面は越えず
原子炉建屋の敷地に遡上しなかったいう


福島第一原発の場合、想定していた津波の高さは5.7mだった。取
水ポンプがある海側の敷地の高さは4mと、想定する津波高さより
低いものの、前面に防波堤を設置したり浸水してもポンプが稼働
したりするように対策を講じていた。ところが、津波は福島第一
原発の海側敷地だけでなく、原子炉建屋がある高さ10mの陸側敷地
にまで浸入。敷地のほぼ全域が浸水した。最終的な遡上高さは約
14.5mだった。

福島第二原発は想定していた津波高さ5.2mに対して、第一原発と
同様に海側の敷地高さは4mと低かったが、
原子炉建屋の敷地の高
さは12m
あった。海側の敷地では浸水高さが6.5~7mと完全に浸水
したものの、津波は背後の法面を越えず、原子炉建屋の敷地へは
浸入しなかった。ただ、1号機の原子炉建屋がある南側敷地側面で
は、海から直接浸入した影響で14~15mの浸水高さがあった。



※ また、本の読み遅れが発生。今日中に読み終えなければ。
※ 余震の影響か、愛犬のシェルが昨日の午前中から、時折、目
    を覚まし吠える。今日も余震報道後に吠
えている(14:35)。



  いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、
  涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ
  海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったり
  と静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあ
  るきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いっ
  たい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の
  破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはな
  にか。

   わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化され
  るであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーショ
  ンのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外
  をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている
  非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個とし
  て異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひ
  との誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平
  らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたし
  はそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。か
  んがえなくてはならない。

                        辺見 庸『震災緊急特別寄稿』


※ 2011年3月16日水曜 北日本新聞朝刊(抜粋)




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