極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ペリオスチンと魏志倭人伝

2012年06月13日 | 環境工学システム論






【免疫応答機構が解明】

生体を外敵から守る免疫応答は、まずウイルスや花粉などの異物が抗原提示細胞に取り込まれ→抗原として
T細胞に提示されスタート→抗原を認識したT細胞が活性化し、情報伝達物質を放出し、がん細胞やウイル
ス感染細胞を殺し→抗体産生を促し、より特異的で高度な免疫応答を長期に引き起こす→抗原認識時にT細
胞は抗原提示細胞と接着→その接着面にT細胞受容体を中心に、細胞内のシグナル伝達分子が同心円状に並
ぶ(この構造は「免疫シナプス」と呼ばれる(下図))→免疫シナプスの中にT細胞受容体とリン酸基を付
加→酵素キナーゼやタンパク同士の結合に必要なアダプターなどのシグナル伝達分子から構成される分子の
集合体「ミクロクラスター」をユニットとしてT細胞活性化の開始と維持を行うという(「2012年5月28日
独立行政法人 科学技術振興機構)。 


さらに、佐賀大学医学部の出原賢治教授のグループは、11日、アトピー性皮膚炎が慢性化する原因は、アレ
ルギーのもとになる物質(抗原)によって生じるタンパク質「ペリオスチン」だと解明したと発表。ペリオ
スチンの影響で炎症を引き起こすタンパク質(炎症性メディエーター)が増殖するため、その作用を抑制す
る物質を見つければ新薬開発につながると期待されていた
。アトピー性皮膚炎は、皮膚のバリアー機能の遺
伝的な障害と、ダニなどのアレルゲンが体内に侵入して引き起こすアレルギー性炎症とが組み合わさって生
じると考えられているが、以前より、アレルギー性炎症の原因となるアレルゲンと接触しないようにしても、
炎症が持続してしまうことが臨床的に知られていた。しかし、そのような仕組みがどのように機能している
のか全く不明だった。

     

 

  

そこで、現在のアトピー性皮膚炎に対する治療法が、炎症を抑えるステロイドや免疫抑制剤の軟膏や皮膚の
バリアーを保護する保湿剤が中心だが、これらはコントロールが不充分で炎症を繰り返す場合はステロイド
や免疫抑制剤の内服が必要となり副作用の問題がある。ペリオスチンを標的とした治療薬を開発すれば、大
きな副作用なしに治療を進めることができ、今回の研究結果より、仮に炎症を抑制しても、ペリオスチンが
いったん沈着すればそこから炎症が継続するため、ペリオスチンを標的とした治療薬は、ステロイドや免疫
抑制剤の内服が無効な患者に対して有効と考えられている。期待して良いのかな?

 

【魏志倭人伝異論】

宅急便が届く。早速開墾すると「豊盃 純米吟醸 華思い」が入っている。この三浦酒造が蔵を構える厳寒の
地、弘前市は青森県の西南部に位置し、東に八甲田連峰、西に津軽の霊峰岩木山を有し、南に世界自然遺産
の白神山地が連なる自然に恵まれている。創業は昭和初期。年間生産量4百石という家族中心の小さな蔵、
岩木山・赤倉山系の伏流水と契約栽培された良質の酒造好適米を用いて、造り手の顔がみえる丁寧な小仕込
みにこだわり
、味のふくらみ、柔らかくて温かみのある旨みを特徴とした優しい香味。豊盃の由来は、昔、
津軽藩祖為信公が戦場で兵士の士気を鼓舞するために唄った歌「ホウハイ」節のユ-モアと勝利にあやかっ
て命名されたとか。全国でも三浦酒造だけが契約栽培するこだわりの「豊盃米」をはじめ、青森を代表する
酒造好適米「華吹雪米」「華想い」から、代表的な品種である「山田錦」「亀の尾」等、良質な契約栽培米
を中心に自家製精米丁寧に醸すと公式ホームページで紹介されている。

帰ってきた彼女に「なぜ買ったの?」と理由をたずねる。美味しそうだったからというが、彼女は下戸。そ
れまでして気を遣うのかと折り返すと「人生は短し、一期一会よ」との返事だ。「酒に向かえばまさに歌う
べし/人生幾ばくぞ」といいつつ、テーブルのショットグラスに注ぎ、1,2盃飲み干す。
 

   対酒当歌  さけにむかえばまさにうたうべし
   人生幾何  じんせいいくばくぞ
   譬如朝露  たとえばあさつゆのごとし
   去日苦多  さりしひはくるしみおおし

   慨当以慷  がいしてはまさにもってこうすべし
   憂思難忘  ゆうしわすれがたし
   何以解憂  なにをもってうれいをとかん
   惟有杜康  たださけあるのみ



西晋の位置

曹操の歌か。そんなことを思っていたら、魏志倭人伝→邪馬台国→弥生時代と古墳時代の間の空白に、思い
めぐらし
ていたらつい最近、「BS歴史館「古代史最大のミステリー 邪馬台国の魔力に迫る」をたまたまみ
ていたことを思い出す。それによれば、邪馬台国の所在位置は、『三国志』の「魏書」に記されているとこ
ろから、対立していた「蜀」「呉」を包囲する戦略から邪馬台国までの行程が決められたのではと問題提起
されていたことが印象的に残っていたが、しばらく、そんな風にして酒を楽しみながら、『三国志演義』(
関羽 vs.黄忠
)の再放送を観ていた。


※一昨年、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で邪馬台国の女王・卑弥呼の王宮ともいわれる巨大な建物群が発
掘された。
纒向は、東西2キロ/南北1.5キロの巨大遺跡。弥生時代末期の3世紀、突如建設された日本
列島の中心都市だっ
たことが明らかになり、邪馬台国の最有力候補地とされている。去年夏、古代史最大の
論争に決着をつけるべく建物
群の周辺で更なる発掘が行われた。特に期待されたのが王宮跡のすぐわきで見
つかった長さ4メートルの穴。王宮内
で使用された貴重品を納めた“聖なる井戸”と推定されており、邪馬
台国の決定的証拠になる中国の魏王から卑弥呼
への贈り物を封じた印(封泥)や、魏との外交木簡が探され
た。発掘現場からはここにあった国が諸国の連合国家であ
ったことを示す土器、人為的に破壊された銅鐸、
そして2千個を超える多数の桃の種などが出土した。これらは何を
意味する物なのか。「倭国大乱」と呼ば
れる内戦に直面した王たちが、新たな大王を「共立」したという王権誕生の謎、
そして弥生時代の古い宗教
を捨て、新たな国家統合のシンボルとなる宗教を創始したことが判明してきた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする