極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ヒカルとダイゴ

2012年06月25日 | 環境工学システム論

 




【環日本海諸国図】

先日の続き、山中温泉へ出かけたのだが、富山県が1994年に建設省(国土地理院長)に承認された
「環日本海諸国図」の存在をネットで知る。この「環日本海」には因縁がある。というのも1989年
に富山県高岡市に新工場建設構想が持ち上がりかけたころ進出するならということで「環太平洋構
想」の向こうをはり「環日本海構想」の独自構想を思いついたためだった。下図のように滋賀(敦
賀)-高岡(新湊)-富山-新潟を拠点としてウラジオストク-大連-釜山-青島-上海を拠点と
して貿易圏を形成しようというもので敦賀-滋賀(多賀)-伊勢に縦貫道路を建設し東西幹線とク
ロスさせようというものだった。1989年というのは大きな節目にあり、国内的には、不動産バブル、
新工場建設ラッシュで、国外では、韓国は慶尚南道、中国は煙台のプラント建設商談があり、政治
的には、チェルノブイリ事故-天安門事件-ベルリンの壁崩壊など激動の年でもある(音楽的には
チャゲ&飛鳥の『Love song』が印象的に残照)。



尚、原発建設が加速されていくのだが、当時の記憶には深刻な事変として受けとめった記憶がない
のは、たぶん好況感と仕事が忙しいことと重なり、1993年にはじまる六ヶ所村の核燃料再処理工場
の2010年の本格稼働の予定の最中(2001年4月20日 通水試験開始
)にあったのが主な理由なのだ
が、現在未完成で2012年10月の2年延長期間中にある。

   love song 1989

   mozart virus day 2001

  CHAGE&ASKA TREE Digest

【続・ヌードル革命】 

照明とヌードル革命』で、コンニャク粉、大豆ペプチド、穀物グルテンでの製麺を提案したもの
の、粘りとい
う観点から、オクラが良いのじゃないかと思いつく(下表参照)。オクラの特徴はな
んといってもペクチン食
物繊維のねばりと、糖タンパクのムチンねばりが魅力で、ビタミンKが豊
富だ。そのオクラパウダーは、「オクラ粉体及びその製造方法並びに補助食品の製造方法」(特開
2006-61167)などで市場に出回っている。突然の思いつきではあるが、現在の食品科学レベルは、
薬学と匹敵するレベルにありその様な認識にたてば「医食同源」を戦略的鍵語として高額医療費の
抑制策として有効だと腑に落おとせる。


※オクラのネバネバの成分はペクチンという食物繊維と、糖タンパク質のムチンですがペクチン
(Pectin) とは植物の細胞壁や中葉に含まれる複合多糖類で、ガラクツロン酸(Galacturonic acid)
が α-1,4-結合したポリガラクツロン酸が主成分である。ガラクツロン酸のカルボキシル基がメチ
ルエステル(methyl ester)化されたものをペクチン、メチルエステル化されていないものをペク
チン酸(Pectic acid) と呼ぶ。天然ではガラクツロン酸の一部にメチル化が見られ、人工的に脱エ
ステル化することによってペクチン酸が得られる。ガラクツロン酸の他にいくつかの多様な糖を含
むことが知られる。分子量は50,000~360,000で、特に植物の葉、茎、果実に含まれる。アンリ・
ブラコノーによって1825年に初めて単離された。EDTA、クエン酸、シュウ酸などのキレート剤と共
に加熱することで可溶化され抽出される。ムチン (mucin) は動物の上皮細胞などから分泌される
粘液の主成分として考えられてきた粘性物質である。粘素と訳されることもある。植物にも含まれ
るほか、一部の菌類も分泌する。実際には分子量100万~1000万の、糖を多量に含む糖タンパク質
(粘液糖タンパク質)の混合物であり、細胞の保護や潤滑物質としての役割を担っている。

【メンタリズム?メンタリスト?】 

ダイゴという芸人(エンタテナー)が一寸したフィーバーだ。スプーンを念力で曲げたり、目隠し
状態でテスターの選択したものを当ててしまうというもので、マジックとすれば別に変わったもの
ではないのだが、彼自身「メンタリスト」と名乗っている。メンタリズム(.mentalism)とは、

心論(materialism)であり、認識の対象は認識する人の心以外には存在しないという考え方だという
のだが、そういえば、そのことの存在を信じ切っていたていた高校の教師(故人)いたことを思い
だしたが、ここではそのエピソードには触れないが、また別の意味で、心理[精神]主義、つまり
内観による心理過程を重視する心理学研究の立場-
心理主義(psychologism)があり、これは、価
値、真理、妥当性などの抽象概念を何らかの心理的作用として把握しようとする学問態度を意味す
るという。これは、特定の思想というより、功利主義、唯物論、科学主義などのように形而上学的
思弁的議論を好まない思想に広く見られる方法論のひとつであると説明されるものだ。哲学上の心
理主義はフッサールなどが「論理・認識論的な考慮を払わず心理学的なものを重視しすぎる」と批
判的に用いたことに始まるという。

このことを徹底した考えとして、唯心論(Spiritualism)があり、これは人間・社会において、心、
もしくはその働きこそ至上の要因とし、存在論における立場の一つだ。その反対が、唯物論になる
のだが、認識論上の立場の一つである観念論としばしば混同しやすく、たとえば、仏教の唯識論と
似ているが最終的な点で異なる。つまり、
唯物論に対し理想主義とされ、心やその働きはあくまで
も物質に還元されない独特な性質を持つとする。物質的存在がその存在を容認されるのは意識によ
るものであり、意識が存在を決定づける(=唯心論で)。これら思想は、古代のプロティノスに起
源をもち、中世ではアウグスティヌスに見られ、近世ではライプニッツ、ヘーゲル、ショーペンハ
ウアーなどが継承展開してきた。これらはキリスト教とともに西洋を支えてきた理想的な哲学思想
だったが、ヘーゲルは一方で唯物弁証法、また一方で実存哲学を自らの否定反抗としたた、観念論
や理想主義だとする批判を生む。また、東洋、特に仏教にも華厳経に唯心(三界唯一心)が説かれ
唯識論が生れているが、仏教ではその識(心の作用)も仮のもので夢幻の存在であるとして否定す
るため、唯心論と唯識論は最終的に異なるとされる。

しかし、ここまで書いてみて、メンタリスト・ダイゴなるものがその極意を会得しテレビに登場し
てきたとは、素人眼でみて到底思えないと懐疑し、それをわかった上で「演芸」を楽しんでいるの
だと了解する。不思議だ?!しかし、現場にいけばそのトリックを検証できるはずだと思い楽しん
でいるのだと。スプーンが曲がってみえるのは、大半以上観客の錯視を利用しているのだ、あるい
は、見えないように別のものとすり替えているのだと




【ヒカル、原発問題に言及】



宇多田ヒカルがツイッターで原発問題に「メルトダウンよりは大停電の方がまだいい」(J-CAST
ニュース 6月24日(日)17時42分配信)発言したことがネットで流れている。ツイッターで「原発に
は反対ですか?」と質問され「賛成か反対かっつったら反対だけど、反対活動をすることはないと
思う。代替エネルギーの開発にはすごく興味があります。将来自分が住む家は自家発電とかでがん
ばってみたいな」「うん、でも大停電かメルトダウンかだったら私は大停電の方がまだいいや」と
ツイートしたと発言したとのこと。非常に素直な意見だとの印象だ。やはり、コロンビア大学に飛
び級入りしたほどの感性資質の持ち主だろうと。


 

わたし自身はささやいとことはないが、ささやいてみても反響がないだろうが、わたしならすべてのこの件で
質問されたなら、たちどころろまで行かないケースがあるだろうが、充分な見解や資料提示できるだとう思っ
ている。つまり、わたし(たち)のささやきは、イコール「最先端な事柄」だろう自負している(誤字脱字はご容
赦ねがうとして)。日本の人間力をもってして「不慮の停電」など起こさないだろうと誇大妄想する(ただし、守
旧派組織ではそれは起こりうるであろうが)。 

 

コメント
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