【ホームでソイスコーンを】
野菜・穀物パウダーも再三掲載してきたが、 ソイス・パウダーでの製麺(『大豆麺から量子ドッ
トまで』)も波及しているが、パナソニック株式会社は、糖質約60%オフの「ソイスコーンコー
ス」、油脂ゼロの「ごはんフランスパンコース」を新たに搭載したホームベーカリーを発売(9
月10日)していることを知った。同じく、『ホームベーカリーでブルスケッタ』のブログ掲載が
昨年の10月26日で、これが11月6日だからずいぶんと早い)。ところで、パナソニックのホーム
ページでは、「昨今、糖質やカロリーなどを減らした新ジャンルのビールの販売が伸びるなど、
社会全体の健康意識は高く、糖質制限への興味が高まっています。加えて、当社調査によると、
本格的な食パンに加えて、ホームベーカリーでヘルシーなパンも焼きたいというニーズがあるこ
とがわかったとか。本製品は、ヘルシーメニューへのニーズに対応しきな粉/大豆粉を使った「
ソイスコーンコース」を新搭載。小麦粉に比べて低糖質で食物繊維を多く含む食材であるきな粉
や大豆粉を使うことで、従来から搭載している「クイックブレッドコース」のレシピに対して、
糖質約60%オフと食物繊維約6倍を実現しました。さらに、冷やごはんを使ったもちもち食感が
好評の「ごはんパンコース」に、新たに材料に油脂と乳製品を使わない「ごはんフランスパンコ
ース」を追加しました。皮がサクサク、中はもちもち食感のごはんフランスパンが作れます。」
と紹介されている。その薬効というか食効はここで掲載するまでないが、「ねり工程」でのパン
羽根の動きを工夫することで、小麦粉よりも混ざりにくいきな粉や大豆粉でも、短時間で均一な
練り上げを実現。きな粉を使ったソイスコーンはしっかりと食べ応えがあり、大豆粉を使ったソ
イスコーンはふっくらとして素朴な大豆の味わいがあり、それぞれ異なる味わいを好みに応じて
楽しめるという。
JP 2013-111435 A 2013.6.10
【符号の説明】
1 動製パン機 11 原動軸 50 混練モータ 51 混練モータの出力軸 56 クラッチ 60 粉砕モー
タ 61 粉砕モータの出力軸 73 クラッチ用ソレノイド 80 パン容器 82 ブレード回転軸 92 粉
砕ブレー ド 101 混練ブレード 120 制御装置(制御手段)
大豆の高付加価値化は、家庭でソイスコーンがつくれるだけではないらしい。豆乳も家庭でつく
れるという。さらに、電子レンジで圧力鍋を使い、豆乳簡単につくれるという。前者は極めてメ
カニニカルな機械っだが後者は乾燥大豆煮込み濾過すれば豆乳がつくれる。後は、ホーム大豆製
麺機(器)の開発だけだ。ホーム製麺機(器)は、そば粉、米粉、ジャガイモ粉、こんにゃく芋
粉などの応用展開が考えられるから、これも高付加価値化できそうだ。
【日本経済は世界の希望(3)】
ここでは、クルーグマンが「失われた20年」が人的的な作為(あるいは無作為)により引き起
こされた理由について解説されているので、時間の都合と紙面の字枠の都合上、原文を掲載のみ
として明日以降に、第1章の考察をまとめ記載することとする。
日本の経済不振は自らが蒔いた種
日本では「失われた二十年」という言葉がよく使われる。しかし実際のところ、それは恐
慌にみえない、というのが面白いところだ。日本の「不況」を分析するとき、その本質は何
かという点について、とても慎重に考えなければいけない。
プロローグで述べたように、日本には少子高齢化の問題がある。それはすなわち労働力人
口の減少だが、たとえば一人当たりのGDP(国内総生産)の推移をみてみると、思ったよ
りも日本経済は悪くはないことがわかる。
たしかにバブル崩壊後、一九九〇年代の初頭から、日本経済は長いあいだスランプを経験
してきた。二〇〇〇年代後半には少しだけ明るさが戻ったが、二〇〇八年のりIマン・ショ
ックによって、再びスランプヘ突人することになった。
とはいえ繰り返すが、他のG7諸国に比べれば、日本経済の落ち込みは、それほど悲観す
べきものではない。私にいわせれば「失われた二十年」とは、日本人が「あまりお金を使わ
なかった」時期のことだ。「不況だ!」とみなが騒ぐ一方で、個人金融資産は増加し、企業
の内部留保も積み上がった。
しかし、同時に日本人は、この国の経済はよくならない、デフレから脱却できない、とい
う凝り固まった感情を抱くようになった。だからこそ、自らの国に対して十分な投資をしよ
うという気になれなかったのだ。
一九九八年。バブルが崩壊してから十年近く経った日本経済の問題を、私は「復活だあっ
!」という論文で分析した。
当時、日本で主流だったのは、いわゆる銀行の不良債権問題が不振を招いている、という
議論だった。銀行の体力が低下し、融資に対して過剰なほど慎重になり、中小企業への貸し
渋りや貸し剥がしが起こっている現状を打開できれば、日本経済は復活する、といわれてい
た。しかし、私はそうした見方に懐疑的だった。
「復活だあっ!」の核心を述べるなら、日本の経済不振は自らが蒔いた種、ということで
ある。そこで、私は日本がいわゆる「流動性の罠」に陥っていると述べた。
「流動性の罠」が発動する条件
「流動性の罠」。別名「ゼロ・ローワーバウンド」ともいわれるが、なかなかミステリアス
な響きの言葉である。それは、中央銀行が金利をゼロにまで下げても金融政策として十分で
はない、という状況だ。
通常なら、金利を低くすればお金が借りやすくなり、民間投資が増える。しかしあまりに
それが低くなりすぎてしまうと、投資資金の需要に対する供給の弾力性が無限大になってし
まう。
そうしたなかで中央銀行がお金の供給をいくら増やしても、投資意欲を刺激することはで
きない。
そこで中央銀行が非伝統的な経済政策、すなわちインフレ期待を高め、実質金利をマイナ
スにすれば、「流動性の罠」から脱却できる。インフレ目標やマイナス金利の導入に現実昧
がないというなら、期待インフレ率を高めるため、減税などの財政政策と、ゼロ金利などの
金融緩和を組み合わせた政策を打ち出すことが有効だII。
簡潔に要約するなら、そのポイントは以上のようなことだった。
そもそも、そうした「流動性の罠」が発動する条件とは何だろうか。いかなる状況を「流
動性の罠」と呼ぶかははっきりしているが、「流動性の罠」が引き起こされる原因は、それ
ほど理解されているわけではない。
かつて私は「流動性の罠」に陥ってしまうのは、いま日本が直面している少子高齢化のよ
うな、望ましくない事態が原因だ、と考えていた。
しかし、いまでは「オーバーリーチ(民間企業が無理に事業拡大を行なおうとして借金過
剰 になること)」が原因であるようにもみえる。日本ではバブル時代に企業の借金が急増
し、不動産の供給過剰も起きた。バブルが弾けたあと、こうした要素によって金利が非常に
低い状態のときにも、経済は落ち込んだ状態に留め置かれた。
同じようにアメリカでもサブプライム・ローンによって家計の借金が急増し、住宅の過剰
建築が発生した。だからこそ、その後の低金利政策でも経済はなかなか回復しなかったのだ。
戦後最長の景気回復期でもデフレ脱却に失敗
「オーバーリーチ」とプロローグで言及した「人びとの期待を変えることが、どれほど難
しいか」という問題。この二つが「復活だあっy」を書いた当時から、私の考え方として変
化したところだ。
そうした「期待」をどのように持続させるか。デフレからの脱却において、このことが決
定的に重要である。
二〇〇二年から二〇〇八年にかけて、日本は戦後最長といわれる景気回復期を経験するこ
とになった。それにもかかわらず、残念なことにデフレからの脱却はうまくいかなかった。
当時の日銀が二〇〇一年三月から量的緩和政策を実施したことは、先に述べたとおりだ。
これによってみごとにインフレ率を1パーセントにでも上げられたなら、日銀は大いに喜
び、人びとは日銀を称えたことだろう。
しかし現実には、そうした事態を生じさせる追加対策を日銀はとろうとしなかった。たし
かに経済は数年にわたって回復を続けたが、目下の状況を唱矢として、前進しようという気
持ちがなかったのだろう。
経済が回復してデフレから脱却しそうにみえたとき、「いまこそマネタリーベースを増や
しつづけ、みなを驚かせるときだ!」という意識がなかったどころか、日銀はデフレを終わ
らせるため、いかなるリスクもとるつもりがなかった。実際に彼らは経済がようやく立ち直
りかけた途端に手を引いた。だからデフレは続いたのである。
なぜ日銀はバランスシートの拡大を嫌ったのだろうか。バブル時代が頭をよぎって「羞に
懲りて檜を吹いた」のか。市場は当時と同じことが起こるのではないか、と心配したのかも
しれない。しかし、それほど恐れることはなかっただろう。過去は過去のこと、と割り切る
ことも大切だ。
ある歴史を持ち出して、それを根拠に語ることには慎重でなければならない。アベノミク
スに反対する識者たちは行動を起こさないことの言い訳として、議論をつくりあげているだ
けだ。
リーマン・ショック時の政策対応はただしかったか
二〇〇八年にりIマン・ショックが起こったとき、日銀はほとんどバランスシートを拡大
しなかった。それを批判する人、もっと拡張的な政策を打ち出すべきだった、という人がい
る。日銀を擁護する人たちは、当時の日銀のバランスシートは十分に拡張的で、それ以上広
げる余地がなかった、という。
現実はどうだったのだろうか。実際には、中央銀行が金融商品を買おうと思えばいつでも
買える。ただ、買うべきかどうかははっきりしていなかった。
アメリカではFRBが危機の初期において、CP(コマーシャルペーパ士や住宅ローン担
保証券、政府関連機関債などを買い入れたり、各種資産担保証券(自動車ローン、中小企業
向けローン債権などを担保とする証券)を担保として融資を行なったりするなど、流動性が
極端に低下した特定の信用市場に対し、直接的に資金を供給した。
つまりはその市場が崩壊してしまったため、介入せざるをえなかったのだ。そうした緊急
性を、FRB議長であるベン・バーナンキの「信用緩和」はもっていた。
逆に、日本の状況はそれほどひどくはなかった。住宅バブルもなかったし、アメリカのよ
うなサブプライム・ローン問題も存在しなかった。金融システムも、危機にさらされていた
わけではなかった。さらには日本の場合、すでに政策金利がゼロだった、という事実を忘れ
てはならない。
FRBはたしかにアグレッシブな政策を打ち出したが、そうしたアメリカと日本の差異に
ついて、政策上の意見の根本的な違いによるもの、といえるかどうかはわからない。もし何
かの金融商品を買いたければ、日本市場には日本国債が大量に出回っている。しかしその一
方で、日本の公的債務はすでにGDPの二倍もある、という現実を忘れるべきではないだろ
ヨーロッパはどのような行動をとったのだろうか。ECBのバランスシートはリーマン・シ
ョックのあと、流動性供給のために急膨張したが、その後、少しずつ減少傾向にあった。
二〇一一年十二月になってからLTRO(長期資金供給オペレーション)プログラムによ
って一兆ユーロを銀行に貸し付けたが、それはヨーロッパの抱えるソブリン危機(公的債務
危機)に対応しただけ、ともいえる。そしてもちろん、日本にそうした危機は存在しなかっ
た。
もちろん、だからといって私は、日本は何も行動しなくてよい、といいたいわけではない。
もっとも重要なポイントは、それまでの長きにわたって日本は「罠」にはまっていたという
ことだ。だからこそ、行動を起こすべきなのである。
※ 流動の罠
経済が「流動性の罠に陥った状態」とは、簡単に言えば、名目金利がこれ以上下がらない下限に
到達してしまった状態のことである。この状態においては、マネーサプライの増加は、定義上こ
れ以上の金利の低下をもたらすことができなくなり、単に貨幣需要の増加に吸収されてしまうだ
けであるため、金融政策の有効性は完全に失われてしまう。ゼロ金利状態とはまさしくそのよう
な状態のことであり、理論的には金融政策は無効であり、財政政策のみが有効である。もし経済
が流動性の罠の状態に陥ってしまった時に、国債の発行残高の問題などから財政政策が発動でき
ないとなると、経済を不況から回復させる有効な政策手段は理論的にはなくなってしまう。
【ドライブ・マイ・カー】
これまで女性が運転する車に何度も乗ったが、家福の目からすれば、彼女たちの運転ぶり
はおおむね二種類に分けられた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらか
だ。後者の方が前者よりI我々はそのことに感謝するべきなのだろう-ずっと多かった。一
般的に言えば、女性ドライバーたちは男性よりも丁寧な、慎重な運転をする。もちろん丁寧
で慎重な運転に苦情を申し立てる筋合いはない。それでもその運転ぶりは時として、周囲のド
ライバーを苛立たせるかもしれない。
その一方で「乱暴な側」に属する女性ドライバーの多くは、「自分の運転は上手だ」と信
じているように見える。彼女たちは多くの場合、慎重に過ぎる女性ドライバーたちを馬鹿に
し、自分たちがそうではないことを誇らしく思っている。しかし彼女たちが大胆に車線変更
をするとき、まわりの何人かのドライバーがため息をつきながら、あるいはあまり褒められ
ない言葉を口にしながら、ブレーキ・ペダルをいくぶん強めに踏んでいることには、あまり
気がついていないようだった。
もちろんどちらの側にも属さないものもいる。乱暴すぎもせず、慎重すぎもしない、ごく
普通の運転をする女性たちだ。その中にはかなり運転の達者な女性たちもいた。しかしそん
な場合でも家福は、彼女たちからなぜか常に緊張の気配を感じ取ることになった。何がどう
と具体的に指摘はできないのだが、助手席に座っていると、そういう「円滑ではない」空気
が伝わってきて、どうも落ち着かなくなってしまう。いやに喉が渇いたり、あるいは沈黙を
埋めるために、しなくてもいいつまらない話を始めたりする。
もちろん男の中にも運転の上手なものもいれば、そうでないものもいる。しかし彼らの運
転は多くの場合、そういう緊張を感じさせない。とくに彼らがリラックスしているというわ
けではない。
たぶん実際、緊張もしているのだろう。しかし彼らはどうやらその緊張感と自分のあり方
とを自然に-おそらくは無意識的にー分離させることができるみたいだ。運転に神経を使い
つつ、その一方でごく通常のレベルで会話をし、行動をとる。それはそれ、こちらはこちら
という具合に。そのような違いがどこから生じるのか、家福にはわからない。
彼が男性と女性を区別して考えることは、日常的なレベルでは多くない。男女の能力差を
感じることもほとんどない。家福は職業柄、男女ほぼ同数の相手と仕事をするし、女性と仕
事をしているときの方がむしろ落ち着けるくらいだ。彼女たちはおおむね細部に注意深く、
また耳がよい。
しかし車の運転に限って言えば、彼は女性が運転する車に乗ると、隣でハンドルを握って
いるのが女性であるという事実を常に意識させられた。しかしそのような意見を誰かに語っ
たことはない。それは人前で口にするには不適切な話題であるように思えたからだ。
村上春樹 『ドライブ・マイ・カー』
文藝春秋 2013年12月号掲載中
昨日は、松原の“ジュブリルタ”で気に入ったパン買い、ランチをとり(トマトと近江牛のコ
コット)、その足で『旧彦根藩松原下屋敷庭園』を見学したが、バイオリズムは下降線で急性の気管
支炎に罹ったのか、終日思考停止状態、今朝も本調子でなく、切れのない作業を続けていた。明日は回
復しているのか甚だ心許ない。