本を買ってそのまま本立てで眠っているというケースはこれまでも経験しているが、今回は十年前に購入したジェレ
ミー・リフキン著の『水素エコノミーエネルギー・ウェブの時代』を発見した。そのまま処分するのも何だと思いペ
ージを広げる。本の紹介には「エネルギー源を所有する者が世界を制するという世界構造は、人類史における常識だ
った。その結果、都市一極集中型経済、国家間の貧富の格差、地球温暖化など、現代社会にはさまざまな問題が山積
している。化石燃料の枯渇を目前にした今、人類は新たな世界経済システムを創造する「好機」を迎えている。文明
評論家リフキンは、世界中が平等に供給・消費できる水素エネルギー・ウェブ(HEW)の構築を提唱する。石油に頼りす
ぎた現代人の必読書」とある。ただし、このブログでも紹介したように『オールソーラ(水素)システム』構想に何
ら影響されていない。諄いが、購入動機もいまとなっては記憶にない。それでは感想文も書こうか思い読み出したが
この本の「第五章 スラム教という波乱の要素」が興味を惹いた意外は出版から十年も経っていることもあり触手が
伸びずにいた。
その間に、この本に関する情報をネットで下調べしていたら、 十年前に、松岡正剛の千夜千冊(第824話)として紹
介していくれていて、この本を俯瞰する、あるいは理解の一助とするにはおあつらい向きとないているので、あんち
ょこに引用掲載する。曰く「われわれは石油に関して3つの間違った前提の上に胡座をかいて暮らしている。第1に
石油は無尽蔵ではないにしても、かなり埋蔵されていると思っている。第2にその石油は将来もきっと安価に手に入
ると思っている。第3に化石燃料が地球環境に与える害は無視できるほどに小さいと思っている。この前提があやし
いのだ。石油はひょっとすると20年後にはなくなる危険があり、その所有国の大半の政局が不安定で、化石燃料が
もたらす二酸化炭素濃度はかなりの危害をわれわれに及ぼしているということになってきた。そこで新たに浮上して
きたのが水素エネルギーの活用である。思いかえせば、1874年にジュール・ヴェルヌ著『神秘の島』で、孤島に流さ
れた技師がこんなセリフを言う場面を書いていた。「水が燃料になる日は必ずくるよ。電気分解すればいい。水こそ
は未来の石炭なんだ」。水から取り出す水素ならたしかに無尽蔵である。127年後、ロイヤル・ダッチ・シェルのフィ
ル・ワッツ会長が「われわれは炭化水素の時代にピリオドを打つための準備をしつつある」と宣言をすることになる。
ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破された3週間後のことだった。化石燃料、石炭、天然ガスからの脱出の
予告であった。本書はジェレミー・リフキン得意の文明批評を兼ねた未来予告篇になっている。主人公は水素。それ
も水素エネルギー。その水素エネエネルギー。その水素エネルギーの活用を「水素エネルギー・ウェブ」(HEW構
想)にして、みんなで使ってみようじゃないかという提言だ」と。
曰く、「一時代前のアルヴィン・トフラーに似て、リフキンの書き方は歴史の証拠を並べ立てながら、それを前へ前
へと押し上げて、そのままその一角を突破して、その破れ目の先に未来図を描いていくというやりかただ。そのやり
かたで『エントロピーの法則』(祥伝社)を核弾頭に、『エイジ・オブ・アクセス』『ハイテク・センチュリー』(
集英社)、『地球意識革命』『大失業時代』(WBSブリタニカ)など、いささかアクの強い大袈裟な話をまとめて
はベストセラーにしてきたのだが、いまひとつ切れ味を欠いてきた。それが水素エネルギーと出会ってからは、やっ
と足が地についてきた。本書の中身のすべてが肯(かえ)んじられるものではないが、これなら読んでみる価値があ
る」と沢山の本を読破してきた松岡が自信たっぷりに語る。曰く、「このところ、科学者たちは「脱炭素化」に躍起
になっている。これは、燃料中の水素原子に対する炭素の割合を減らすことをいう。人類が薪や木片を燃やすことか
ら燃料への第一歩を踏み出したとすれば、その薪こそが炭素の割合が一番高いものだった。それが石炭、石油、天然
ガスと進むうちに、しだいに炭素含有量を減らしてきた。これが「脱炭素化」だ。一説では、一次エネルギーの単位
量当たりの炭素排出量も140年前から毎年0.3パーセントずつほど減少してきたという。けれども使用量がどんどん急
増しているために、全体の二酸化炭素の排出はあいかわらずふえるばかりになっている。そこで「脱炭素化」を加速
する必要が出てきたわけだった。そして、その「脱炭素化」の向く先はあきらかに水素なのである。水素は宇宙で最
も豊富にある元素であって、宇宙質量の約75パーセントを占めている。構成分子数でいうなら、ほとんど9割を水
素が占める。それなら水素をこそ新たなエネルギー源にしたら、いいのではないか。そういう意見が各領域から噴き
出てきた。すでに気球やツェッペリン飛行船で水素は燃料として使われていた。そもそも水素は炭素原子をひとつも
含まない。それだけではなく水素は軽い。しかも地表の7割は水か有機体の形をとった水素に満ちている」と。
ともかく“原料”としてはこれ以上のものはない。しかし、水素にはひとつの特別な属性がある。それは水素はほと
んどどこにもある一方、自然界に単独で存在することがない。水や化石燃料や生物とともに、ある。この水素をなん
らかの方法で抽出しなければ、水素は使えない。このコストが大変なのである。歴史をふりかえってみると、いっさ
いのエネルギー源は「重」から「軽」に、固体燃料から液体燃料へ、さらに気体燃料へ向かって“進化”してきたと
いう方向をもっている。これをエネルギーが軽量化あるいは無形化に向かっているというのだが、それはまた経済の
無形化とも軌を重ねてきたわけで、エネルギーをどこからどのように取り出すかが、結局は世界経済の根幹なのであ
る。それゆえに、もし水素を活用できる形でうまく取り出せるなら、これはエネルギー革命と経済革命を同時におこ
せる可能性があるということになる。ここまではホラ話ではない。事実、アイスランドは1999年になって、世界で初
めて「水素エコノミー国家」をめざすという長期計画を発表した。リフキンはこれでピンときた。一方においては水
素重点開発計画を進め、他方においては「エネルギー・ウェブ」というボトムアップのネットワーク・エネルギー供
給システムを用意していけば、そこにまったく新しいエネルギー経済社会が生まれてくるのではないかと考えたのだ。
が、ここからが難しい話なのである。いまのところ水素の製造の半分近くは、天然ガスを材料にした水蒸気改質法に
よる抽出に頼っている。触媒を充填した反応器の中で天然ガスから水素原子を剥ぎ取るという方法だ。これでは天然
ガスよりコストがかかる。もうひとつの問題は、この方法でも炭酸ガスが排気する。しかも天然ガスこそは2020年を
ピークにして、その埋蔵量が減少するらしい。それならば急いで水素の製造を急がなければならないのだが、その水
素をつくるのに天然ガスを用いているようでは、ミイラ取りがミイラになって、どうにもしょうがない。かくてひと
つの突破口として一斉に研究されはじめたのが、「水の電気分解」なのである。まさにジュール・ヴェルヌのシナリ
オに戻ってきてしまったのだ。
さらには、「現在は水素年間製造量のまだ4パーセントを供給している程度で、しかもコストは水蒸気改質法よりも
いまのところは5倍がかかる。ただし、このコストの大半は電気量である。したがって今日の電気の販売価格ではと
てもまにあわないのだが、もし「電気の市場」に大きな変革がおき、そこへもってきて発電システムに自然利用を含
めた大幅な変更が加わるなら、この電力コストは変わる可能性もある。燃料電池や分散型電源(DG)の可能性もあ
る。もうひとつの工夫は電気の価格そのものを変えてしまうことで、うまく“ピークカット”ができる料金体系がで
きてくれば、それを産業に利用するコストも変わってこないともかぎらない。いずれにしても、実は水素エネルギー
革命はまだまだ先のことである」と語る、いや、書いているが「しかしリフキンは待てないらしい。水素と燃料電池
と分散型電源とが、デジタル化された信号をもつ電気と結ばれて、それがかつて国防省型のホスト型アーパネットが
崩れてインターネットの“お化け”を生んだように、“水素電気情報ネットワーク”とでもいうようなものがそのう
ち出現してくるかもしれないというほうに、賭けている。これはわかりやすくいうなら、ウェブから電気がつくれる
という話なのである。ウェブの情報がしだいに安価に無料になっていくように、ひょっとして水素エネルギーを分散
的に送りこんだハイパーウェブは、その原料である水素のコストや電気のコストそのものを支え始めるのではないか
という楽観なのだ。リフキンの提言がおもしろいかどうかは、評価が分かれよう。しかしぼくは思い出すのだが、か
つて20世紀が始まったときは、空中の大気そのものを各国各企業が取り合って、それを市場化してしまったために、
われわれはいまなお"電波不動産"たちのルールに縛られ、“電子通行”をするたびにけっこうなコストを支払わされ
てきたわけなのである。そのうえ、そのためのエージェントが世界中に莫大な数できて、そんな連中のために、すべ
てのメディアの怪物のような経済力と発言力もってしまったのである」と感想を述べている。それだけではなく、ブッ
シュがイラクを叩き潰すためには、その上空航空権を“買う”ことがいまなお戦争の第一歩にさえなっている。20世
紀は大気をそのように市場購買型に使ってしまったのだ。水素エネルギー時代がいつ来るかどうかは判然とはしない
にしても、もしも、そのような事態が近づいているというなら、またぞろ水や水素の“不動産”や“通行権”を各国
が“買う”ようになってしまってからでは、すべてが遅くなってしまうともいえるのだ。それからでは、もはやネッ
トワーク経済もボランタリー経済も、まったく出現できることはなくなるだろう。水素エネルギー問題とは、実はそ
ういう問題をこそ暗示する。
しかし、書き加えるとするなら通信技術、あるいは、電磁波から水素が生み出される、産出されるという表現は、比
喩ならわかるとしても誤解を与える。もっとも、電子レンジのマイクロ・ウェイブのようにメタンハイドレートに照
射し、燃料電池でガス化したメタンと酸素を反応させ電気として取り出しは可能だ。従って、ここでいう“水素電気
情報ネットワーク”とは、わたし(たち)が提案する『オールソーラ(水素)システム』の方が、半導体製造技術・
電気通信技術・新表面加工技術などを踏まえており、技術課題やコスト逓減方法、システム構築方法など詳細して総
合的に実現できる。もっとも、水素(hydrogen)とするのではなく、陽子(proton)とするなら問題にならないが、
これとて煩瑣な類にすぎない。
さて、第五章の「イスラム教という波乱の要素」ではイスラムと旧エネルギ-つまり石油産出に関して考察を述べて
いる。イスラム教が近未来あるいは未来に与える影響を述べている。曰く、「イスラム教徒の若い世代はしだいに、
石油を「おおいなる平等化装置」、つまり宗教上・地政学上の武器と考えるうになってきている。石油をイスラム教
徒のものにして神に仕える道具に変えれば、再びイスラムの時代がくるかもしれないというわけだ。サウジアラビア
のファハド国王はこのことを、70年代から80年代初頭にかけてのオイルショックの余波のなかで感じ、同輩イスラム
教徒たちに「神につぐよりどころは石油だ」と語った。イスラム教は若い世代のあいだで復興が著しく、それととも
に石油はイスラム世界の影響を受け、政治の道具にされつつある。これが、キリスト教と西洋を相手に千五百年にわ
たって繰り広げられてきた対決の歴史の、最新の章なのだ。歴史のなかでイスラム世界は、勝者にも敗者にも、支配
者にも被支配者にもなった。しかし二十世紀の大半は、西洋の列強の手にかかって、敗北と屈辱の思いだけを味わっ
てきた。そんな大勢のイスラム教徒にとって、地球で最後に残る埋蔵石油を支配する時代の到来は、借りを返す好機
なのだ。世界的イスラム国家を国際社会に押しつけ、イスラム教偏向のグローバル化を画策している若い世代の原理
主義者たちが、サウジアラビアなど湾岸の産油国を牛耳るようになるというのは、西側諸国やエネルギー企業、イス
ラム教という波乱の要素国際ビジネス社会、そして消費者にとっては、考えただけでぞっとする話だ。
ムハンマドの描いたビジョン
「現在のイスラム原理主義の復興は、西側の人間があまり知らない、複雑な歴史物語の一部だ。中東やその他の地域
で、なぜこれほど多くの若いイスラム教徒が、貧しい者も富める者も、無学の者も教育を受けた者も、共通の基盤を
見いだしているのか、その理由を知る必要がある。その共通基盤を、彼らは「信仰の復活」とよぶが、西側諸国では
それは世界を危険な政治的対立に追い込むものと見なされがちだ。イスラム教徒の視点からイスラムの歴史を理解す
れば、今後10年間で世界の石油生産もイスラム世界の若い世代の反逆もピークに達したとき、何か起こりそうかを知
る手がかりがつかめる。イスラム教はユダヤ教をルーツとし、預言者アブラハムに端を発する一神教の大きな流れに
属する点でキリスト教と同じだが、ひとつ根本的なちがいがある。現世の歴史に信者が果たす役割の捉え方だ。キリ
スト教徒にとって、来世での永遠の救済に比べれば、現世の暮らしなど取るに足らない。キリスト教は、最初から来
世信仰なのだ。聖アウグスティヌスら初期キリスト教会の指導者もはっきり述べているとおり、現世はそれほど重要
なものではなく、現世で過ごす時間は、キリストの再臨というよき知らせを広めつつ来世に備えることに費やすべき
なのだ。キリスト教徒は、この地上で神の管財人になることによって、神の国の到来に立ち会うべきなのだが、その
一方で、歴史の日常的な事柄は、「権威者や君主」に任されるべきだと考えられていた。「カエサルのものはカエサ
ルに」という言葉は、キリスト教の重要なスローガンになった。人間をはじめとするあらゆる被造物が真に堕落した
のなら、つまり、エデンの園で神の恩寵を失ったせいで原罪を負わされているのなら、救済は来世にしか期待できな
い」とキリスト教の特徴を述べる。イスラム教は、異なる考え方から生まれているとして、曰く「始祖である預言者
ムハンマドは、人間の歴史のなかに神の存在を求め、歴史こそ、人間が神との関係において生きるための重要な舞台
だと考えた。これは、初期の信者に現世を離れさせ、中世の修道会を組織させたキリスト教の観念とはまったく異な
る考え方だった。預言者ムハンマドは、紀元570年に生まれ、当時メッカの町で栄えていたクライシュ族の一員として
成長した。中年に達したころ彼は、繁栄がもたらした新たな富が、自分の部族、とくに指導者たちに与える影響に頭
を悩ませるようになった。多くの部族民が金もうけにうつつを抜かし、周りを犠牲にすることもしばしばだった。慈
悲の心が失われ、自分の財産を部族の弱者に分け与えるのをいとうようになり、それまでなかった亀裂が生じていた。
そのせいで、部族を長いあいだ団結させてきた社会組織そのものが弱体化し、崩壊する恐れが出てきた。神はムハン
マドの苦悩を聞き、610年の断食月の第十七夜に彼のもとに現れた。ムハンマドは、深遠な霊に包み込まれるのを感じ
て、眠りから覚めた。そして、新しいアラビアの聖典の最初の言葉が彼の口からあふれでた。その後数年間、ムハン
マドは何度も神の霊に接する体験をし、そのたびにコーフンの新しい節が浮かんだ。彼はその言葉を、最初は近親に、
続いて友人たちに、やがて近隣や遠方の見知らぬ人たちにも教えるようになった」と。
さらに、イスラム教の特徴はコーラン(朗唱)は、何よりもまず、この世における実生活の手引きだ。信者たちに、
公正で思いやりのある社会を築くよう求めている。それは、弱い者を助け、貧しい者に施しをし、人びとがみな、ほ
かの人間に対する愛と敬意をもって生きる社会だ。ユダヤ教やキリスト教など、ほかのおもだった一神教も、経済的・
社会的正義を説き、黄金律〔訳注‥「人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にしなさい」という教え〕を実践
する徳をほめたたえ、社会の競争の場で日常的に駆け引きの繰り広げられる、入り乱れた世界でも、自分の信念を実
践することを強調し、あらゆる信者の使命は、自分の信心を反映する社会を築き、過去の過ちを正すことで、神の国
と現世とは、同一化として体験させ、敬虔な生き方とは、思いやりのある社会で正しく生きることにあると指摘する。
また、普遍的「ウンマ」(共同体)とは、目標に向かって、信者たちがどういう行動をするべきか、コーランは非常
に具体的な教えを説き、イスラム教徒はみな、自分の収入の一部を貧しい者に与えることを義務づけられ、ラマダー
ンの聖日には、自分の胃袋を満たすに十分な食べ物や飲み物がない人たちの痛みと苦しみを追体験として、信者は断
食をすると解説する。ムハンマドの死後一世紀もたたぬうちに、イスラム教は西はピレネー山脈から東はヒマラヤ山
脈まで広がり、さまざまな民族を新たな普遍的同胞として結びつけ、広大な新帝国を築きあげた。その影響は、千三
百年たった今もなお残っている。首尾よく征服に征服を重ねたことで、神の意思が実現されているという意識がいっ
そう強まり、イスラム教徒はみな、神の超越性の一部を体験することができた。人間の世界と神の世界を別のものと
は考えない。真のイスラム教徒は、聖俗が渾然一体となった世界に生きており、その日常生活は、ウンマつまり普遍
的同胞社会を築くことに捧げられている。ウンマは神の意思を反映するものであり、だからこそ超越性のしるしとな
り、キリスト教世界では、地上の生活と永遠の命を別の領域に分けることで条件が整い、宗教とは無縁の独立国家が
出現しえたし、信仰が私的なものとなりえたが、イスラム教はそう区別せず、イスラム世界では政治と神学は緊密に
結びついている、と指摘する。
イスラム化
さらに、ジェレミー・リフキンは言う、現代のイスラム原理主義の精神的創始者は、エジプトのサイイド・クトゥブ
だ。ムスリム同胞団の若い活動家だったクトゥブは、世俗の影響を受けて信仰の精神的真髄を失うことなくイスラム
世界のコンテクストに、西洋の民主制を取り入れる方法を見つけたいと考えていた。だが、同胞団での活動のために
ナセルによって投獄されてから考えを変えた。「同胞」がエジプト警察による残忍な拷問と殺害の犠牲になるのを目
のあたりにしたクトゥブは、イスラム教と世俗社会の基本原理とは両立しないと思うようになった。クトゥブは、獄
中で書いた『道しるべ』の中で、ナセルや当時のアラブ諸国の指導者ほぼ全員を、「ジャーヒリーヤ」だと非難して
いる。もともとこの言葉は、イスラム教以前、つまりイスラム教徒が「無知の時代」と見なす時代のアラビアを指し
て使われていた。「信仰の敵」という意味で、神の意思に従うことを拒む野蛮人の勢力を表す。アラブの指導者たち
をジャーヒリーヤと非難するのは、政治的な爆弾発言だった。アラブ世界の指導者は西洋の有害な影響に冒され、信
者たちをイスラム教から転向させようとする政策を積極的に推進している-クトゥブはそう言っていたも同然だ。さ
らに、真のイスラム教徒はそのような政治体制を打倒する義務がある、とクトゥブは主張した。彼の言葉は、イスラ
ム世界内部の支配者に対する挑戦状にも等しかった。そのメッセージは徐々に中東全土に波及していった。こうして
イスラム原理主義が誕生した。現代のイスラム原理主義にはさまざまな系統が見られるが、どの派閥も固守する基本
的な考え方がいくつかある。
第一に、イスラム世界が衰退している理由は、人民と統治者がムハンマドとコーランの教えを放棄したことにあると
いう考え方。
第二に、信仰が弱まったため、西洋の有害な影響、とくに物質主義や世俗主義、民族主義、そして堕落した生活習慣
が、イスラム教徒の生活に入り込み、イスラム世界全体に根を下ろした、という考え方。
第三に、この問題の解決策は、イスラム世界の再イスラム化である、という考え方。再イスラム化とは、まず何より
も、シャリーア(イスラム法)を再度確立し、イスラム教の伝統的な行動規範を厳守し、西洋の影響、とくに退廃的
な生活様式と文化的価値観を、社会から一掃することだ。ただし、西洋のテクノロジーと商業形式の一部は、イスラ
ム化すれば存統させてもかまわない。第四に、社会の再イスラム化を実現するには、イスラム教が再び政治にかかわ
る必要がある、という考え方。
若いイスラム原理主義者たちは今日、「イスラム教こそが解決策」と唱える。イスラム化が信者たちに新しい道を開
くかもしれないことを、それとなく感じさせたのは、一九七三年のアラブ・イスラエル戦争が最初だった。その七年
前、イスラム教徒たちは、最新の軍備に望みを託し、「地、海、空」を合否葉に戦いに出たが、惨敗した。七三年、
合言葉はテクノロジーから信仰へと変わった。兵士たちは口ぐちに「神は偉大なり」と叫んだ。よみがえった信仰が、
戦場でよい結果を生んだように思えた。少なくとも、若い原理主義者たちの多くが、この戦争をそう捉えるようにな
った、と。
三日後の十月十九日、ニクソン大統領が、イスラエルに22億ドルの軍事援助を中しでたことを発表し、中東の指導
者たちを激怒させた。その日のうちにリビアはアメリカヘの石油の輸出を全面的に禁止すると宣言した。サウジアラ
ビアその他の産油国も、すぐそれにならった。石油禁輸によって、アメリカヘの石油の出荷が中止されたのに加え、
生産量も制限された。年末までに、一目当たりの石油産出量は四四〇万バレル減少していた。世界市場ではすでに石
油の供給量が不足していたところに、生産量がほぽ九パーセントも落ち込んだため、石油会社も消費者も、われ先に
と石油を奪いあった。世界全体が、中東の石油にどれほど依存しているかに気づきはじめると同時に、パニックが起
こる。世界市場で石油価格は急騰しする。皮肉なことに、石油ブームのせいで、西洋の現代文化が中東に流れ込むの
も加速された。西洋の影響と誘惑に囲まれた世界で、イスラム教徒であることの意味は何なのか、その疑問への答え
が必要だった。石油を支配することで外国に強い影響をおよぽせるようになったわけだが、内政面でも、それまで以
上の強権を振るうようになる。石油に対する圧倒的な影響力を新たに獲得することで、中東は西洋の商業支配から解
放されたが、何百万というアラブ人が独裁政権から自由になることはなかった。多くの若者は、自分たちが求めてい
るものを、イスラム復興と新しい原理主義に見いだした。それ以後、彼らは中東と世界の再イスラム化を目指すこと
になったと言う。
石油を政治の道具に
であれば、保守勢力が権力を維持するのと、新進の闘士が政権を勝ち取るのとの現実的なちがいは、ただひとつ。中
東諸国の政府が、その新しい支配的地位を厳密に商業利益のみを追求するのに利用するか、あるいは政治的な配慮で
石油の流れに影響を与えるか、そのちがいのみだろう。純粋に功利的な考え方をすれば、たとえ価格が劇的に上昇し
ても、石油の流れをとどこおらせないことが完全に道理にはかなっている。産油国はそれでもっと潤うからだ。しか
し一方で、原理主義政権が、少なくとも短期的に石油のパイプの栓を閉めて、世界を人質に、さまざまな政治的譲歩
を求める決断を下すという事態も、想像できないことではない。2002年4月8日、イラクのサダム・フセイン大統領
がやろうとしたのが、まさにこれだった。「パレスチナの領土」にイスラエルが侵攻したことに抗議して、三十日間、
石油の輸出を全面的に凍結する、と発表したのだ。イラクはアメリカにとって六番めに大きな石油供給国で、アメリ
カは石油輸入量の九パーセントをイラクに依存している。イラクは一日当たり合計二百万バーレルを輸出しており、
これは世界市場における全石油取引量の四ハーセントにあたる。フセイン大統領の発表に先立ち、OPEC第二の産
油国イランの外務大臣カマル・ハラジが、もしほかのアラブの産油国がイラクに同調するのなら、イランも石油の輸
出禁止に協力する、と発表した。リビアも、ほかのアラブ諸国が同調するなら、石油輸出禁止を支持する意思を表明
している。
そんなことをしても、石油収入が減りやっていけないアラブの産油国がダメージを受けるだけだと指摘する。そして、
湾岸諸国の多くは、政府の歳入の三分の二以上が石油による収入なのだ。今のところ、イスラエルとアメリカに圧力
をかけるために、アラブの産油国が石油の供給量を削減する「可能性は非常に低い」というのが、一般的な見方だ。
とはいえ、事態が急変し甚大な影響が出ることもありうる。当面は、ロシアやノルウェー、カナダ、メキシコなど、
非OPEC産油国が生産量を上げて石油の流れを維持することはできるが、OPECの石油が一部でも世界市場から
引きあげられれば、石油価格は1バレル五〇ドル以上まで急騰するかもしれない。もしそんなことになったら、それ
をきっかけに世界経済は深刻な景気後退に陥るだろう。石油禁輸の脅威はともかく、世界の石油生産がピークを過ぎ
たら、石油価格の上昇は必至であり、中東の産油国が、経済的にも政治的にもその恩恵に浴するだろう。アメリカの
ような産業大国から湾岸の産油国へ膨大な富が移行する。アメリカは外国の石油に大きく依存しているため、年間一
千億ドルの資金が流出することもありうる。これは、すでに大赤字のアメリカの貿易収支を、さらに悪化させるはず
だ。湾岸諸国にしてみれば、この新たな状況によって、2010年までに年間収入が1600億ドル増えることになる。それ
ほど莫大な富を、それほど短期間に築いたとしたら、アラブの文化だけでなく、中東地域の政治にも大きな影響かお
よぶはずだ。他の地域からペルシャ湾岸へと一方的に富が流入すれば、イスラム教国家と西側諸国との地政学的緊張
はさらに高まり、両陣営のあいだには、もっとあからさまな衝突が起こり、争いは長く続くだろう」と、このように
結ぶ。
※ 政治哲学な共同幻想の歴史的進化的側面からいえば、イスラムは、宗教→法→国家における半国家段階の宗教で
ある。
今夜はこの辺で切り上げて、特筆することがあれば、後日また掲載してみる、なければ、その時点でこの本は処分す
る。あれば処分する日がそれより後ろになるだけだ。