【小泉純一郎 私に語った「脱原発宣言」】
朝、いつものようにマイピーシーを立ち上げていると、いつものように「特別秘密保護法案って、本当に必要なの」
「自民党の中で再稼働させようと議員たちが小泉元首相の発言に反発しているっていうじゃない、どう思う?!」
と質問するが、脇腹が痛み、精神的にも鬱陶しい状態だったので、いい加減な返答をしたため、小さな口論劇が幕開
けとなり、国家秘密情報の紊乱を防ぎ内閣の管理強化を図るためのも、切っ掛けは米国からの軍事的秘密事項の遵守
要請があり、中国、韓国との領土や北朝鮮の拉致、原発、行政改革などの問題が切迫しているためだろうがバタバタ
して法整備する必要はないという風に、また後者は、既得権益を守るために騒いでいるだけだから気にするは必要な
いんだという風に答えていたように思う(これは正確じゃないかな?)。そこで外出ついでに「文藝春秋」の12月号
を買って、山田孝男毎日新聞専門編集委員の「小泉純一郎 私に語った『脱原発宣言』」を読んでみて発言の背景の再
確認する。
「私だったらやっちゃうよ」
八月二十三日、夜、国会に近い赤坂の料理店。指定時刻に滑り込むと元首相は既に到着していた。
Q:でどうでした?
「オンカロ見た後でね、一緒に行った人たちが『どう感じたか』って聞くから、こう言ったんだよ。フィンランドは
国民の支持を得てこういう選択をしたと。原発を維持していく場合、国民の支持がなきゃできないと」 「そこで日
本の原発政策の選択だけど、オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、十人いて三人が賛成すれ
ば、二人は反対で、後の五人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」
Q;同行の原発メーカーの方々にそうおっしゃったんですね?
「うん。そしたら、『あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか?』って言うんだよ。
で、こう言ったー」「今、オレが現役に戻って態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』っていう線
でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。いや、ますますそ
の自信が深まったよって……。そしたら、みんな笑っちゃってサ……」
Q:三割、二割、五割の判断を分けるものは何ですかね?
「(言下に)感性だよ」
Q:オンカロの評価は?
十万年だよ。・・・三百年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。責任持てない。そもそも日本に
は捨て場所がない」
(十万年は、使用済み燃料に含まれる放射性物質が減衰し、無害になるまでの時間だ。フィンランド政府はその段階
まで保管するものの、とりあえず三百年後に見直すと言っている)
Q:現状では、今すぐ原発ゼロは暴論という声が優勢ですが。
「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。三年様子を見るって言うけど、
三年後はもっとゼロ論者が多くなってると思うね。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。原発
ゼロしかないよ」
「今すぐゼロにしたって廃炉に五十年、六十年かかる。とにかく方針出さなきゃ転換できないじゃないか。(今す
ぐゼロか、将来ゼロかは)そこが違うんだよ。私だったら、ただちに結論を出して(説得)交渉を始めるね。やっち
ゃうよ」
Q:講演で「原発ゼロしかない」とおっしゃってるんですね?
「そうだよ」
Q: 月にどれくらいですか。
「三、四回に絞ってるんだ。……講演する時ね、原発ゼロって言うと、みんなシーンとすんだよな(笑)。原発を維
持しろって言っても、ああはいかないだろうね」
Q: 昔は原発推進でしたね?
「そりゃそうだよ、当時は政治家もみんな信じてたんだよ。原発はクリーンで安いって。3・11で変わったんだよ。
クリーンだ? コスト安い? とんでもねえ、アレ、全部ウソだって分かってきたんだよ。(原発は安全で安上が
りなエネルギーと強調する)電事連(電気事業連合会)の資料、ありゃ何だよ。あんなもの、信じる人(いまや)ほ
とんどいないよ」
撤退が一番難しい
Q:再稼働も反対ですか?
「安全なもの(原発)は動かせって言うけど、それだってゴミ(使用済み核燃料)が出るんだよ。それ、どうしてわ
かんねえかな。そもそも野田(佳彦)総理の(事故)収束宣言が間違いだった。あの時もオレ、講演で批判したんだ
よ。だいたい、あの水(放射能汚染水)何だよ、あれ」
Q:潜在的核武装能力を失うと国の独立が脅かされませんか?
「それでいいじゃない。もともと核戦争なんかできねえんだから。核武装なんか脅しにならないって」
Q:経済大国の転換は難しい。
「戦は殿(しんがり。退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)が一番難しいんだよ。撤退が」「昭和の戦争だって、
満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』って経済界は言
うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃない
か」
Q:財界は乗らないでしょう。
「いや、中にはいるよ。日本は原発ゼロにできるっていう人はいる」
Q:自民党はどうです?
「半々だよ。半々だからやりやすいんだよ。決めればそっちへ行くよ」
Q:日本だけでなく、原発を組み込んだ世界の産官軍複合体が相手。目眩がするような挑戦ですね。
「でかいよ。大きいよ。歴史の大転換だよ。政治家にとって難しい問題だけどね、勇気もいるけれども、やりがいが
あるし、夢がある」「日本は世界をリードできる。必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大
震災---。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を日本がつくりゃいい。やり遂げれば世界の手本にな
る。『日本を見てみろ』ってことになるよ。ヨーロッパはドイツ、アジアは日本が引っ張ったらいい。原発ゼロでも
経済成長できるところを見せるんだよ」
十万年前は石器時代
以上が、私が聞いた「小泉原発ゼロ発言」の要点である。九月以降、報道されたいくつかの講演で元首相自ら強調し
ていることだが、「原発ゼロしかない」と確信した最大の理由は、いわゆるバックエンド問題だった。原発から出る
猛毒の放射性廃棄物を安全に処分する方法はない。原子力は利用の最終局面(バックエンド)に巨大かつ深刻な矛盾
を抱える。原発社会は「トイレなきマンション」なのだ。核のゴミの制御不能を強調する元首相の「十万年だよ。…
…みんな死んでるよ」について補足しておこう。地球の十万年前といえば石器時代である。これから先、三百年どこ
ろか百年先の地球さえ想像を絶するというのに、現在の技術で十万年も持ちこたえる構造物が造れるのか。そもそも
十万年の耐久性を夢想すること自体、ナンセンスではないのか。
「オンカロ」のあるフィンランドの地層は過去十数億年にわたって安定しているそうだが、日本は世界屈指の地震
国である。列島至る所、過去の地殻変動に伴う断層、摺曲、隆起の跡が認められる。しかも原発の規模(日本は五十
四基、フィンランドは稼働中が四基、他に建設・計画中が各一基)が違う。
日本政府も使用済み核燃料の地層処分(地下施設に埋設管理)を目指しているが、十年を超える公募にもかかわら
ず、処分用地の応募はゼロ。少なくとも日本では無理だ---。「十万年だよ」という小泉ワンフレーズの背景には
それだけの含みがある。
小泉のフィンランド訪問は、実はこれが三度目だった。最初は陣笠代議士時代。二度目は首相在任中、それも退任
直前の、最後の外遊だ。
二〇〇六年九月九日の毎日新聞夕刊に、「ヘルシンキを訪れた小泉首相が、作曲家シベリウスの旧宅へ足を仲ばし
た」という囲み記事が載っている。小泉のクラシック音楽好きは誰も知るところだ。「……『フィンランド人よりも
シベリウスをよく知っている』。(案内役の)バンハネン(フィンランド)首相にほめられて『私もそう思う』とに
んまり」
このエピソードが頭の片隅にあったので、私は面会に先立ち、毎日新聞本社近くの千代田区立図書館でシベリウス
の交響曲のCDを借りた。一番と七番の組み合わせである。前夜、新聞の切り抜きをしながらこれを聴いた。事実上
のインタビューに備えて気合いを入れたつもりだった。
当日、「シベリウスの交響曲、聴いてきましたよ」と打ち明けると、こんな問答になった。小泉「ふーん、何番聴
いたの?」/私「一番と七番」/小泉「二番がいいんだよォ。ま、一番もいいけどね」。この「二番がいいんだよオ
……」の節回しが独特。身をよじり、「にっぶぁんがっーんだよォー」と振り絞るような声で、本命を外した(『?)
私を慰めてくれた。
フィンランドという国は日本の九割ほどの国土面積に対し、総人口は東京都の四割ほど、五百四十万人である。全
土に大小合わせ、じつに四万ヵ所もの核シェルター(退避壕)がある。ヨーロッパの北東のはずれ、ロシアと国境を
接し、核戦争、核爆発のリアリティーを全国民が共有している。
三度目の訪問の小泉元首相は、改めて核シェルターを見学した。シェルターには十数人収容のミニサイズもあれば、
一万人収容のスタジアム級もある。大きな施設は、ふだんはサッカー場などとして利用されている-小泉はそんな
見聞も披露した。
本気で「最後の御奉公」
元首相は大震災で「原発ゼロ」に目覚めた。それは分かるが、政界から退いた隠者が、なぜ、震災の二年半後にカ
ミングアウトしたのか。
巷の詮索の筆頭は「脱原発新党立ち上げ=野党再編狙い」説だが、それはあるまい。「脱原発」が旗印の野党再編
ごっこは、昨年暮れの衆院選で終わっている。滋賀県知事を推戴した新党は有権者をつかめなかった。
小泉自身、こう言っている。「私は政治家は引退した慶大名誉教授(今年一月、八十六歳で死去)は、元首の大学
時代の恩師であり、行財政改革の指南役でもあった。その加藤の遺著は「日本再生最終勧告/原発即時ゼロで未来を
拓く」(二〇一三年、ビジネス社)である。この話題が出た時、元首相は冗談めかしてこう語った。
「加藤さんは最後に『原発ゼロ』って言ったんだよ。私が郵政民営化が必要だと思ったのは、加藤寛の本を読んだ
からだもん……」
とはいえ、派手に露出すれば安倍政権と正面衝突して混乱必至。だから垣根越しのチラ見せ(=非公開の講演会で
発信)だ。それでいて逆風が強いと見れば前へ出る。そういう手の込んだ駆け引きが続いている。
政・官・財界の敬意
政府・自民党の主流は当惑している。笑ってゴマかしているに近い。元首相へのあからさまな批判は控え、「理想と
現実は違う」という論法で受け流してみせるが、苦しい。「原発はトイレなきマンションだ」という小泉の正攻法に
対し、「そのうちナントカなるでしょう」という以上のことを言い得ていない。
一方、自民党でも、電力会社や原発立地自治体、原発関連産業に縛られない議員の間では、過去の経緯にとらわれ
ず、原発政策を一から勉強しようという動きが広がっている。八月から九月にかけ、党資源・エネルギー戦略調査会
の小委員会が、「使用済み核燃料の最終処分法がまとまるまで原発新設は見送る」という提言を公表しかけたが、調
査会や政調幹部によって換骨奪胎されるという騒ぎもあった。
私の「最後の御奉公」説には傍証がある。首相退陣後の二〇〇七年、小泉は民間シンクタンク「国際公共政策研究
センター」の顧問に迎えられ、いまもその職にある。就任挨拶で、こう言った。
「まだ果たし得ていない私なりのテーマがいくつかある。日本の役に立つ形で何か出せれば、そういう役割もある
のかな……」
当時は大震災前であり、元首相は原発に関心がなかった。いまや「原発ゼロ」こそ「果たし得ていない私なりのテ
ーマ」の中心になった。「国際公共政策研究センター」の会長は、奥田碩・元経団連会長(元トヨタ自動車社長)で
ある。奥田は小泉政権下で「経済財政諮問会議」の中核メンバーだった。奥田の音頭でキャノン、新日鉄(=当時、
現在は新日鉄住金)、トヨタ自動車、東京電力という歴代経団連会長企業、さらに副会長企業が資金を出し、このシ
ンクタンクはできた。実態は経済界主流が小泉のためにつくった組織である。
小泉は日本経済と自民党政権が奈落の底へ落ちかけた二〇〇一年に首相になった。思いがけず人気が出た。選挙と
人事を巧みに操り、五年半にわたって永田町と霞が関を治めた。構造改革の英雄か、格差拡大の元凶か。評価は分か
れるが、強力、鮮烈な発信力、果断、非凡な突破力に対する政・官・財界の敬意は今なお深い。
毎週、新聞コラムを書いて六年になるが、「小泉純一郎の『原発ゼロ』」ほど反響のあったものはなかった。新聞
の読者はもとより、雑誌、テレビ、書籍編集者から多くのお便り、問い合わせをいただいた。元首相の発信が民心を
とらえ、力強い底流を生み出していると考えるゆえんである。
(文中敬称略)
このインタビューを読んでみて、違和感あるいは異論はない。寧ろ、今手がけているわたし(たち)のプロジェクト
の背中を押されている格好になっていると言った方が正しいだろう。