逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
物思ふと すぐる月日も しらぬまに 今年はけふに はてぬとかきく
結び置きし 袂だに見ぬ 花すすき 枯るともかれじ 君し解かずは
権中納言敦忠 『拾遺集』『新古今集』
昨日の夕食に例の「豚肉の我が家風」(『アリスタとフェンネルシード』)がだされた。時間がな
いと言うことで、電気製品の「オーブントースター」で煙がむんむんする中速攻調理したものだ。
感想?表面が堅いねぇ。でも、美味しかったよと、食べ終えた食器を台所に持って行き彼女に言っ
たが、水を加え蒸し焼きにできればよかったのにと、この一言が癇に障りったのか、時間がなかた
だけよとの返事。それじゃ、薄切りにして、ノンオイル(ノンフライ)オーブンで調理すればよい
かもね。と、言ったのがいけなかったのか、時間がなかっただけなのよと、同じ言葉が返ってきた。
少なめの「レンジでチンする唐揚げ粉」(『泥鰌と神の粒子』)とローズマリー、セージ、ニンニ
クをみじん切り、フェンネルシードを潰し塩とコショウを混ぜミックスハーブと豚肉の薄切りをポ
リ袋に入れ揉みほぐし、廉価なノンフライオーブン(あるいは、高価なレンジオーブン)で焼けば
短時間で調理できるはず。ただし、カットはないのでロースト感は失われるから難しいね。
米国のアップル社のフレキシブルな移動体情報表示タッチパネルへの太陽電池統合技術に熱心に取
り組んでいる。2014年5月20日(火)、米国特許庁は、iPhoneなどの透明なマルチタッチスクリー
ンに太陽電池パネルを統合被覆する特許修正を付与した。まず、2月にアップル社から公表された
タッチセンシング構成にソーラー電池を組み込み統合し特許範囲を広げたものである。つまり、モ
バイルデバイスが太陽光発電を利用する未来に向かうための一歩で、この特許は、従来のタッチパ
ネル表示装置とソーラーパネルの配列を一体化する技術-可撓性のあるディスプレイモジュールと
太陽光発電装置が一つになり、ダウンサイジングでき、デバイスのさらなる小型化という要請にも
対応可能だが、タッチを感取する面が表示装置でもあるとはなっていなかった(ただ、タッチ面と
ソーラー面の同一を記述している)ので用途が限定されるというのが修正理由である。今回の特許
では、ソーラーセルがタッチセンサの部位兼ディスプレイの部位から顔をのぞかせる構成となるた
め、太陽光を通すための技術が鍵となる。それ以外に、発電効率が低いという問題と、ソーラーセ
ルを最表面に配置する設計の余地もありそうだ。いすれにしてもアップル社の新規技術の提案には
将来の薄膜デバイスに大きな変化をもたらす可能性があり注目だ。 昨夜の『環境品質展開とは何か』
の「発電・遮光・発光する農ポリ」の目指すところと一致する、速いこと開発実現してしまうことだと考えている
ことをさらに確認しておこう。
イントロもいよいよ『独立器官』の佳境の幕開けにさしかかる。僕と渡会医師の間に何かが芽生え
ようとしている。
僕と渡会医師とはうちの近くにあるジムで知り合った。彼はいつも週末の午前中にスカッシ
ュ・ラケットを抱えてそこにやってきて、そのうちに僕とも何ゲームか打ち合うようになった。
彼は礼儀正しく、体力もあり、勝負へのこだわりもほどほどだったから、気楽にプレイを楽し
むにはちょうど良い相手だった。僕の方が少し年上だったが、年代もほぽ同じだったし(これ
はしばらく前に起こった話だ)、スカッシュの腕も同じ程度だった。二人で汗だくになってボ
ールの追い駆けっこをし、近くのビアホールに行って一緒に生ビールを飲んだ。育ちが良く、
高い専門教育を受け、生まれてから金銭的な苦労をほとんどしたことがない人間の多くがそう
であるように、渡会医師は基本的には自分のことしか考えていなかった。にもかかわらず彼は、
前にも述べたように、楽しく興味深く会話ができる相手だった。
僕がものを書く仕事をしていることを知って、渡会は世間話ばかりではなく、少しずつ個人
的な打ち明け話をするようになった。セラピストや宗教家と同じように、ものを書く人間も人
の打ち明け話を聞く正当な権利を(あるいは責務を)有していると、彼は考えていたのかもし
れない。彼ばかりではなく、僕はそれまでにも何度かいろんな人を相手に、同じような体験を
してきた。といっても、僕はもともと人の話を聞くのが嫌いではないし、とりわけ渡会医師の
打ち明け話に耳を傾けるのは興趣が尽きなかった。彼は基本的に正直で率直で、自分をそれな
りに公平に見ることができた。そして自分の弱点を人前にさらけ出すことをさほど怖がらなか
った。それは世間の多くの人々が持ち合わせていない資質だった。
渡会は言った。「彼女より容貌の優れた女性や、彼女より見事な身体を持った女性や、彼女
より趣味の良い女性や、彼女より頭の切れる女性とつきあったことは何度かあります。でもそ
んな比較は何の意味も持ちません。なぜなら彼女は私にとって特別な存在だからです。総合的
な存在とでも言えばいいのでしょうか。彼女の持っているすべての資質が、ひとつの中心に向
けてぎゅっと繋がっているんです。そのひとつひとつを抜き出して、これは誰より劣っている
とか、勝っているとか、計測したり分析したりすることはできません。そしてその中心にある
ものが私を強く惹きつけるのです。強力な磁石のように。それは理屈を超えたものです」
我々はフライドポテトとピックルスをつまみに「ブラック・アンド・タン」の大きなグラス
を傾けていた。
「『逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』という歌があります
ね」と渡会が言った。
「権中納言敦忠」と僕は言った。どうしてそんなことを覚えていたのか、自分でもよくわから
ないけれど。
「『逢ひ見て』というのは、男女の肉体関係を伴う逢瀬のことなんだと、大学の講義で教わり
ました。そのときはただ『ああ、そういうことなのか』と思っただけですが、こんな歳になっ
てようやく、その歌の作者がどういう気持ちを抱いていたのか実感できるようになりました。
恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦し
さ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね。そして
そんな感情を自分のものとして知ることのなかったこれまでの私は、人間としてまだ一人前じ
ゃなかったんだなと痛感しました。気づくのがいささか遅すぎたようですが」
そういうのは遅すぎるも早すぎるもないと思う、と僕は言った。たとえいくらか遅かったと
しても、最後まで気づかないでいるよりはずっといいのではないか。
「でもこういう気持ちは、若いうちに経験しておけばよかったかもしれません」と渡会は言っ
た。「そうすれば免疫抗体みたいなものも作られていたはずです」
そんなに簡単に割り切れるものでもないだろうと僕は思った。免疫抗体なんてできないまま、
たちの悪い潜在的病根を体内に抱え込むようになった人を僕は何人か知っている。でもそれに
ついては何も言わなかった。話が長くなる。
「彼女と交際するようになって一年半になります。彼女のご主人は仕事柄海外に出張旅行する
ことが多く、そういうときに私たちは会って食事をして、それから私の部屋に来てベツドを共
にします。彼女が私とこんな関係になったきっかけは、ご主人が浮気をしていたことがわかっ
たからです。ご主人は彼女に謝って、相手の女とは別れるし、こんなことは二度としないと約
束しました。でも彼女の気持ちはそれではおさまりません。彼女はいわば精神のバランスを取
り戻すために、私と肉体的な関係を持つようになったのです。仕返しと言うと表現がきつくな
りますが、そういう心の調整作業が女性には必要なんです。よくあることです」
そういうのがそんなによくあることなのかどうか、僕にはわからなかったが、とにかく黙っ
て彼の話を間いていた。
「私たちはずっと楽しく、気持ちよくやってきました。活気のある会話、二人だけの親密な秘
密、時間をかけたデリケートなセックス。我々は美しい時間を共有できたと思っています。彼
女はよく笑いました。彼女はとても楽しそうに笑うんです。でもそういう関係を続けてきて、
次第に彼女のことを深く愛するようになり、後戻りができないようになってきて、それで最近
よく考えるようになったんです。私とはいったいなにものなのだろうと」
最後の言葉を聞き逃した(あるいは聞き間違えた)ような気がしたので、もう一度繰り返し
てくれるように僕は頼んだ。
「私とはいったいなにものなのだろうって、ここのところよく考えるんです」と彼は繰り返し
た。
「むずかしい疑問だ」と僕は言った。
「そうなんです。とてもむずかしい疑問です」と渡会は言った。そしてむずかしさを確認する
ように何度か肯いた。僕の発言にこめられた軽い皮肉はどうやら通じなかったようだった。
「私とはいったい何なのでしょう?」と彼は続けた。「私は美容整形外科の医師として、これ
まで何の疑問も持たずに仕事に励んできました。医科大学の形成外科で研修を受け、最初は父
の仕事を助手として手伝い、父が目を悪くして引退してからは、私がクリニックの運営にあた
ってきました。自分で言うのもなんですが、外科医として腕は良い方だと思います。この美容
整形という世界は実に玉石混淆でして、広告ばかり派手で、内実ずいぶんいい加減なことをし
ているところもあります。しかしうちは終始良心的にやってきましたし、顧客との大きなトラ
ブルを起こしたことは一度もありません。私はそのことにプロフェッショナルとしての誇りを
持っています。私生活にも不満はありません。友だちも多くいますし、身体も今のところ問題
なく健康です。生活を私なりに楽しんでいます。しかし自分とはいったいなにものなのだろう、
最近になってよくそう考えるんです。それもかなり真剣に考えます。私から美容整形外科医と
しての能力やキャリアを取り去ってしまったら、今ある快適な生活環境が失われてしまったら、
そして何の説明もつかない裸の一個の人間として世界にぽんと放り出されたら、この私はいっ
たいなにものになるのだろうと」
渡会はまっすぐ僕の顔を見ていた。何かしらの反応を求めるように。
「なぜ急にそんなことを考えるようになったんですか?」と僕は尋ねた。
「そう考えるようになったのは、ナチの強制収容所についての本を少し前に読んだせいもある
と思います。そこに戦争中にアウシユヴィッツに送られた内科医の話が出てきました。ベルリ
ンで開業医をしていたユダヤ系市民が、ある日家族と共に逮捕され、強制収容所に送られます。
それまでの彼は家族に愛され、人々に尊敬され、患者には頼られ、濠洒な邸宅で満ち足りた暮
らしをしてきました。犬を何匹か飼い、週末にはアマチュアのチェリストとして、友人たちと
シューベルトやメンデルスゾーンの室内楽を演奏しました。
穏やかに豊かに人生を楽しんでいたわけです。しかし一転して生き地獄のような場所に放り込
まれます。そこでは彼はもう豊かなベルリン市民ではなく、尊敬される医師でもなく、ほとん
ど人間でさえありません。家族からも離され、野犬同然の扱いを受け、食べ物さえろくに与え
られません。高名な医師であることを所長が知っていて、ある程度役に立つかもしれないとい
う理由で、とりあえずガス殺こそ免れましたが、明日のことはわかりません。看守の気分ひと
つで、あっさり梶棒で殴り殺されてしまうかもしれません。他の家族はおそらく既に殺されて
しまっているでしょう」
彼は少し間を置いた。
「私はそこではっと思ったんです。この医師の辿った恐ろしい運命は、場所と時代さえ違えば、
そのまま私の運命であったのかもしれないのだと。もし私が何かの理由で―どんな理由かは
わかりませんが――今の生活からある日突然引きずり下ろされ、すべての特権を剥奪され、た
だの番号だけの存在に成り下がってしまったら、私はいったいなにものになるのだろう? 私
は本を閉じて考え込んでしまいました。美容整形外科医としての技術と信用を別にすれば、私
は何の取り柄もない、何の特技も持たない、ただの五十二歳の男です。いちおう健康ではあり
ますが、若いときより体力は落ちています。激しい肉体労働に長くは耐えきれないでしょう。
私が得意なことと言えば、おいしいピノ・ノワールを選んだり、顔の利くレストランや飴屋や
バーを何軒か知っていたり、女性にプレゼントする洒落た装身具を選べたり、ピアノが少し弾
けたり(簡単な楽譜なら初見で弾けます)、せいぜいそれくらいです。でももしアウシユヴィ
ッツに送られたら、そんなもの何の役にも立ちません」
僕は同意した。ピノ・ノワールについての知識も、素人ピアノ演奏も、洒落た話術も、そう
いう場所ではおそらく何の役にも立つまい。
村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)