産業技術総合研究所とコニカミノルタ株式会社らのグループは、厚さ数ナノメート
ルの板状の有機半導体材料のナノ粒子を連続的に製造する方法を開発したことを公
表。この技術はマイクロミキサーと呼ばれる細い混合流路を使って、有機半導体材
料の溶液と、有機半導体材料が溶けない液体を急速に混合し、ナノメートルサイズ
の粒子を析出させるものである。これにより、厚さ数ナノメートルの有機半導体材
料の板状ナノ粒子が連続的に得られるという。このような薄い板状の有機半導体材
料ナノ粒子からなる薄膜を積層することにより、柔軟で薄いディスプレーや照明、
有機太陽電池など有機薄膜デバイスの高性能化への貢献が期待されているというが、
このテーマ領域に関する情報は見逃せないということでピック・アップする。
ところで、これらの有機薄膜デバイスを普及させるためには、低コストで大面積の
有機半導体薄膜を積層する技術が求められている。従来、このような薄膜は、有機
半導体材料を真空・高温で気化させて基材上に析出させる真空蒸着法や、溶媒に溶
解した有機半導体材料を基材に塗布する溶液塗布法により製造されているが、前者
は高真空や高温が必要なため高コストで大面積化が難しく、後者は重ね塗りの際に
下層が溶解してしまうため積層が難しいといった問題を抱えている。これに対し、
有機半導体材料をナノ粒子にし、それが分散した液を用いて成膜する手法が提案さ
れているが、数十ナノメートルよりもサイズの小さなナノ粒子を量産することは困
難であった。
それでは、どうして作るのだろうか?有機化合物をナノ粒子化する方法の一つに再
沈法がある。これは、有機化合物の溶液とその有機化合物が溶けない液体(貧溶媒)
を混合すると、混合した液体への有機化合物の溶解度が低下することを利用し、溶
けきれなくなった有機化合物を固体ナノ粒子として析出させる方法だ。今回開発し
た技術は、再沈法を利用したもので、マイクロミキサーとよばれる0.1~1ミリメー
トル程度の内径をもつ流路を用いて、有機半導体材料の溶液と貧溶媒を高速かつ均
一に混合させてナノ粒子を析出・製造する方法。これによりナノ粒子が連続的に製
造できるという。
【波長変換デバイス及びその製造方法】
産業技術総合研究所とコニカミノルタ株式会社は共同でこの他に「微細周期構造を
有する炭化ケイ素モールド及びその製造方法」「太陽電池測定用基準セル保護装置
ならびにそれを用いる基準セル装置および光源システム」などの新規技術の提案を
行っているが、コニカミノルタの下記の「特開2014-034609 波長変換デバイス及び
その製造方法」に注目した。
現在、太陽電池は、光を起電力に変換する層に、単結晶シリコン、多結晶シリコン、
球状シリコン、アモルファスシリコン、CdTe、Cu(In,Ga)Se2を用いた
ものが主流だが、分光感度が可視光領域に限られているものが多く、太陽光のうち
紫外領域を効率よく電気エネルギーに変換できずにいる。また、結晶シリコン太陽
電池には、波長400nm以下の紫外線の吸収による温度上昇に伴って、光電変換
効率が低下するという欠点をもつ。その対策として(1)紫外光をカットせずに太
陽電池セルに達するようにする方法、(2)受光面側に、紫外光を可視光に波長変
換する波長変換層を設けることにより太陽電池の発電効率を向上させる方法、(3)
は(2)の波長変換物質に希土類イオンをドープしたペロブスカイト型酸化物で熱
的及び化学的安定性を有する蛍光体材料を用いる方法などが提案されている。
現在、得られた板状ナノ粒子の分散液を用いた成膜試験を進めている。今後は、よ
り成膜に適したサイズの板状ナノ粒子や高濃度の分散液を得るためのナノ粒子化条
件の最適化に取り組み、有機薄膜デバイスとしての性能評価を行い、5年以内の実
用化に向けて開発を進める予定だという。
しかし、(1)は紫外領域での太陽電池セルの分光感度が低いために効果が少なく、
十分な透明性が得られない、十分な耐久性が得られないという問題が指摘されてい
る(下図クリック)。
JP 2008-235610 A 2008.10.2
また、(2)では例えば、酸化亜鉛等の酸化物粒子を塗布することにより波長変換
層を形成することが知られ、化学的安定性に優れて長期間の耐久性が向上している
が(下図クリック)。
JP 2011-213744 A 2011.10.27
さらに、(3)の希土類イオンをドープしたペロブスカイト型酸化物の蛍光体材料、
例えば、Pry(CaxSr1-x)1-yTiO3、但し0.1≦x≦1.0、0.0005≦
y≦0.05の領域の組成の酸化物蛍光体エピタキシャル薄膜で赤色に発光する無機
EL素子材料は、紫外線領域の波長200nm以上、特に300nm以上400n
m以下の紫外線を波長600nm以上の光に波長変換して光起電力装置の効率を向
上させる波長変換デバイスは塗布前に結晶性粒子であっても塗布後の波長変換層中
の粒子が、すべてアモルファス化してしまうために蛍光を発光しないと指摘されて
いる(下図クリック)。
これに対し、耐久性のある酸化物材料を用いて、波長300nm以上400nm以
下の紫外線を波長600nm以上の光に波長変換可能な波長変換デバイスが技術が
提案されている(下図クリック)。それによると(1)亜臨界ないし超臨界状態の
水中で水熱反応により、Pr、Ca、Sr、Tiを含有するぺロブスカイト型酸化
物蛍光体のナノ粒子含む膜を基板上に塗布方法で作製することで、紫外線光を赤色
光に変換する波長変換層を形成する。(2)また、基板側から入射されて透過した
300nm~400nm以下の紫外線が、蛍光体のナノ粒子に照射され赤色蛍光を
発光する。(3)ナノ粒子を含む波長変換層は透過率が90%以上で、ナノ粒子が
結晶性の粒子であることを特徴とする。
以上は、産業技術総合研究所の「特開2014-034609 波長変換デバイス及びその製造方
法」による波長変換デバイス技術例ではあるが、これ以外に「特開2014-82416 ナノ
結晶蛍光体とその発光装置」(『第6則 エクスパンション』の【量子スケールと電
子デバイス】参照)のように量子サイズ効果を利用した技術提案もあるので、双方
の進展を注視していく必要があるが、量子スケールデバイスの技術開発は加速されて
いくだろ。
さて、今夜は『独立器官』でリスタート。しばらくはイントロを楽しもう。
内的な屈折や屈託があまりに乏しいせいで、そのぶん驚くほど技巧的な人生を歩まずにはい
られない種類の人々がいる。それほど多くではないが、ふとした折りに見かけることがある。
渡会医師もそんな一人だった。
そのような人々はまわりの屈曲した世界に、(言うなれば)まっすぐな自分を合わせて生き
ていくために、多かれ少なかれそれぞれに調整作業を要求されるわけだが、だいたいにおいて、
自分がどれくらい面倒な技巧を用いて日々を送っているか、本人はそのことに気がついていな
い。自分はどこまでも自然体で、裏も細工もなく率直に生きていると頭から信じ切っている。
そして彼らが何かの拍子に、どこかから差し込んできた特別な陽光に照らされ、自らの営みの
人工性に、あるいは非自然性にはっと思い当たるとき、事態は時として悲痛な、また時として
喜劇的な局面を迎えることになる。もちろん死ぬまでそんな陽光を目にすることもない。ある
いは目にしてもとくに何も感じない、恵まれた(としか言いようのない)人々も数多く存在す
るわけだが。
僕が渡会という人物について当初知り得たことを、ここでひととおり記述しておきたい。そ
の大半は僕が彼自身の目から直接間いたことだが、彼の親しくしている-そして信頼するに
足る-人々から集めた話も部分的に混じっている。あるいは僕が観察した彼の日頃の言動か
ら、「きっとこういうことだろう」と個人的に推測したことも多少含まれている。ちょうど事
実と事実との隙間を埋める柔らかなパテのようなかたちで。つまり僕が言いたいのは、まった
く純粋な客観的事実だけでこのポートレイトが出来上がっているわけではないということだ。
だから読者諸氏が、ここに述べられたことを裁判の証拠品みたいなかたちで、あるいは商取引
のための裏付け資料として(それがどのような商取引なのか見当もつかないが)使用されるこ
とは、筆者としてはお勤めしかねる。
しかしそのままずるずると後ずさりしてもらって(背後に崖がないことを前もって確かめて
いただきたい)、適度の距離をとってそのポートレイトを眺めていただければ、細部の微妙な
真偽はそれほど重要な問題にはならないことが、おそらくおわかりになるはずだ。そしてそこ
には渡会医師という一個のキャラクターが、立体的かつ鮮明に浮かび上がってくるだろう――
と少なくとも筆者は期待する。彼は要するに、どう言えばいいのだろう、「誤解を呼び込むス
ペース」をそれほど潤沢には持ち合わせない人物だった。
彼がわかりやすい単純な人物だったと言おうとしているわけではない。彼は少なくともある
部分においては、複雑で複合的な、容易には把握しがたい人物だった。その意識下にどんな暗
闇を抱え、背中にどんな原罪を負っているか、そんなことは僕にはもちろんわかりっこない。
とはいえ、その行動の様式が一貫しているという文脈においては、彼の全体像を描くのは比較
的容易であると言い切ってしまっていいのではないか。一人の職業的文章家として、いささか
借越かもしれないが、そういう印象を当時の僕は持った。
渡会は五十二歳になるが、これまで結婚したことはない。同棲の経験すらない。麻布の瀟洒
なマンションの六階にある二寝室のアパートメントで一人暮らしを続けている。筋金入りの独
身主義者といってもいいだろう。炊事も洗濯もアイロンがけも掃除も、家事はおおむね不足な
くこなせるし、月に二度はプロフェッショナルのハウス・クリーニングを依頼する。もともと
清潔好きの性格だし、家事をするのは苦痛ではない。必要に応じておいしいカクテルもつくれ
るし、肉じゃがからスズキの紙包み焼きまで、一通りの料理をつくることもできる(この手の
料理人の大方がそうであるように、食材の購入に際して金に糸目をつけないから、基本的にお
いしいものができあがる)。家の中に女性がいなくて不自由を感じたことも、一人でうちにい
て退屈を持てあましたことも、独り寝を淋しいと思ったこともほとんどない。少なくともある
時点まではなかった、ということだが。
職業は美容整形外科医。六本木で「渡会美容クリニック」を経営している。同じ職業の父親
から引き継いだものだ。当然ながら女性たちと知り合う機会は何かと多い。決して美男とは言
えないが、顔立ちはまずまず無難に整っているし(自らが整形手術を受けようと思ったことは
一度もない)、クリニックの経営はきわめて順調で、高い年収を得ている。育ちも良く、物腰
も上品で、教養もあり、話題も豊富だ。頭髪もまだしっかり残っているし(白髪は少し目立ち
始めたが)、あちこちに多少の余分な肉はついてきたものの、熱心にジムに通って若い頃の体
形をなんとか維持している。だから、こういう率直な物言いはあるいは世間の多くの人々から
強い反感を買うことになるかもしれないが、これまで交際する女性に不自由したことはない。
渡会はなぜか若いうちから、結婚して家庭を持つということをまったく望まなかった。結婚
生活は自分には向かないと妙にはっきり確信していた。だから結婚を前提とした男性との交際
を求めている女性は、どれほど魅力的な相手であれ、最初から退けるようにしていた。その結
果、彼がガールフレンドとして選ぶ相手はおおむね人妻か、あるいは他に「本命」の恋人を持
つ女性たちに限られることになった。そういう設定を維持している限り、相手が渡会と結婚し
たいと切望するような事態はまずもたらされない。もっとわかりやすく言えば、渡会は彼女た
ちにとって常に気楽な「ナンバー2の恋人」であり、便利な「雨天用ボーイフレンド」であり、
あるいはまた手頃な「浮気の相手」たった。そして実を言えばそのような関係こそが、渡会が
最も得意とし、最も心地良くなれる女性とのかかわり方だった。それ以外の、たとえばパート
ナーとしての責任分担が何らかの形で求められるような男女関係は、常に渡会を落ち着きの悪
い気持ちにさせた。
彼女たちが自分だけではなく、他の男たちにも抱かれているという事実は、とくに彼の心を
悩ませなかった。肉体なんて結局のところ、ただの肉体に過ぎないのだ。渡会は(主に医師と
いう立場から)そう思っていたし、彼女たちもだいたい(主に女性という立場から)そう思っ
ていた。自分と会っているときに、彼女たちが自分のことだけを考えてくれていれば、渡会と
してはそれで十分たった。それ以外の時間に彼女たちが何を考え、何をしているかなんて、そ
れはひとえに彼女たちの個人的問題であって、渡会がいちいち思いなすべき問題ではない。口
出しするなどもってのほかだ。
渡会にとっては女性たちと食事を共にし、ワインのグラスを傾け、会話を楽しむこと自体が
ひとつの純粋な歓びだった。セックスはあくまでその延長線上にある「もうひとつのお楽し
み」に過ぎず、それ自体が究極の目的ではない。彼が求めるのは何よりもまず、魅力的な女性
たちとの親密な、知的な触れあいだった。そのあとのことはそのあとのことだ。そんなわけで
女性たちは自然に渡会に心惹かれ、彼と共にする時間を心置きなく楽しみ、その結果彼を進ん
で受け入れることになった。これはあくまで僕の個人的見解だが、世の中の多くの女性は(と
りわけ魅力的な女性たちは)、セックスにがつがつしている男たちにいい加減食傷しているの
だ。これまでおおよそ三十年近く、何人くらいの女性たちとそういう関係を持ったか、数えて
おけばよかったかなと思うこともある。しかし渡会はもともと数量にはさして興味を持たない
人間だ。彼が求めるのはあくまで質だった。また相手の容貌にはそれほどこだわりを持たなか
った。職業的関心がかき立てられるほどの大きな欠点がなければ、あるいは見ているだけであ
くびが出るほど退屈でなければ、それで十分だった。容貌なんてその気になれば、そしてしか
るべき金さえ積めば、ほとんどどのようにも変更できる(彼は専門家として、その分野におけ
る数多くの驚くべき実例を知っていた)。それより彼が高く評価するのは、頭の回転が速く、
ユーモアの感覚に恵まれ、優れた知的センスを具えた女性たちだった。話題に乏しく、自分の
意見というものを持ち合わせない女性たちは、容貌が優れていればいるほど、渡会の気持ちを
挫けさせた。どんな手術をもってしても知的スキルを向上させることはできない。機転の利く
スマートな女性たちを相手に、食事のあいだ会話を楽しみ、あるいはベッドの中で肌を触れ合
わせながらとりとめなく楽しい話をする。そういう時間を渡会は人生の宝として慈しんだ。
女性関係に関して深刻なトラブルを抱え込んだことは一度もない。どろどろした感情的な葛
藤は、彼の好むところではなかった。何かの加減で、そのような不吉な黒雲が地平線近くに姿
を見せ始めると、彼は手際よくスマートに、事をいささかも荒立てることなく、能う限り相手
を傷つけないようなかたちで身を引いた。まるで影が、迫り来る夕闇に紛れ込むみたいに素早
く自然に。彼はベテランの独身者として、そういう技術に精通していた。
村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)
この項つづく