Arista di maiale al forno (Toscana)
ヘンネルとローズマリーとオレガノと額寄せては朝食のあと
ハーブな五月は二十四日の朝食の後、彼女が朝日新聞(わたしは新聞は読まないネット派)を
もち、先日のヘンネルを使ったローストポークは雑菌などの汚染が心配されて出来ないという
話を蒸し返し、豚肉のトスカーナ風(「気がるにもてなし流 薫風イタリアン④」)という手
があるじゃないのと宿題のテストの解答を見つけたように話し寄る。なぁ~~んだ、きみも考
えていたのか?!
【アリスタ トスカーナ風】
●材料(4人分):1キロの豚ロース、オリーブオイル、ニンニク、セージ、ローズマリー、
フェンネルの種子 小さじ1杯、塩、コショウ
●作り方:ローズマリー、セージ、ニンニクをみじん切り、フェンネルシードを潰し塩とコシ
ョウを混ぜミックスハーブを準備。豚ロース肉をタコ紐で縛り、包丁で穴を開けミックスハー
ブをすりこみで味付け。強火で豚肉を焼き、水2カップを注ぎ、1時間170℃のオーブンで焼け
ば出来上がり。玉ねぎのビネガーで風味付して頂くのも芳し(ワイン:ロッソ·ディ·モンタル
チーノ:赤・辛口を推奨)。
●ところで、「アリスタ」の名前の由来は、1439年にフィレンツェで行われた公会議(東
方キリスト教会と西方キリスト教会の会議)にあるという。コジモ・ディ・メディチがフィレ
ンツェに招致した会議。 サンタマリアノヴェッラ教会で行われた会議は、西側はローマ法王
エウゲニウス4世、東側はビザンチン帝国の皇帝ヨハネス8世パレオロゴスの会議を実現。イ
タリア人(西側)とビザンチン人=ギリシャ人(東側)の文化的な交流の場ともなる。晩餐会
の席で、振舞われたのがこの豚肉の料理。この料理を食べながら、ギリシャの司教が、当時の
ギリシャ語で"Aristos"(絶品だ)と呟いたとか。イタリア人たちは、この料理がギリシャ語で
Aristosと勘違いし、それ以来、アリスタと呼ぶようになったという逸話が残っているとか。
【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】
●里山資本主義異論
さて、今夜でスローリードは完了する。最終総括の-「里山資本主義」で不安・不満・不信に
訣別を日本の本当の危機・少子化への解決策-で「根本原因分析」(Root cause analysis)とい
うのをご存知だろうか? 何かが起きている原因は何かを考える。次に、その原因が起きてい
るそのまた原因は何かと考える。それを繰り返して、根っこの根っこにある本当の原因にたど
り着く、そういう思考法のことだ。そのやり方で、現代の不安・不満・不信は何から来るのか
さらにその原因となっている何かは、何か原囚で立ち現れたのか、と考えて行ってみて欲しい」
と問いかけ、「今日本人が享受している経済的な繁栄への執着こそが、日本人の不安の火元の
源泉だ」と主張し(「繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる」)、高齢
者が先に衰えた高齢者を介護するNPO、公共スペースに花壇を作る各人会、小学生の通学時
に道路横断などを助けるボランティアのお年寄り、幼稚園や放課後の小学校などで子どもに遊
びを教えるおじいさんなどの活動例を挙げ、「お金を稼がずとも社会的な価値を生み出す高齢者
も、もっと評価されていい」と主張しているが、半分同意できても、もう半分の”国民的な欲望”の多様性
が例え、拝金主義的であっても賛同できない。もっとも、「おわりに」の章で、「里山資本主義は、マネー
資本主義の生む歪みを補うサブシステム」と自ら”補完主義"であることを認めている。それでは、最終
章「おわりに 里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、2060年の日本」を見てみよう。
2060年の明るい未来
里山資本主義の普及によって、出生数の際限ない減少をどこかで食い止めることができ、
当面の高齢者の増加にも顕著なコスト増なしで対応できたとすると、2060年の日本は
80歳以下の各世代の数が大きく違わない、安定度の高い社会に生まれ変わっている。総
人口は8千万人台にまで減っているかもしれないし、金銭換算できない価値の循環の拡大
がGDPを下げているかもしれないが、実際の社会にはさまざまな面で明るい光が差して
いることだろう。
まず、財界的には逼迫が予想される食糧需給に関しても、2060年の日本では自給率
が大幅に上昇しているに違いない。輸人分を輸出分で相殺して計算すれば百%ということ
も十分にあり得る。そもそも日本は温暖な気候、豊富な降水量、肥沃な土壌に恵まれた農
業適地だが、戦後に人口がハ割増する中で、多くの農地を都市間発して建物の下に埋めて
来た。
しかし今後の人口減少によって、それらの農地を不要になった建物の下から復活させる
ことができる。しかも家庭菜園の増加や田舎への移住者による耕作放棄地の利用促進で、
市場には出回らず金銭換算もされないが、実際には有効に消費される農産物も増えていく
だろう。
燃料需給に間しても、建材としての国産木材(を使った集成材)の利用が進むことによ
り、副産物としての本質バイオマス燃料が安価で出回って、オーストリアのようにエネル
ギー自給率が大きく高まっていくことになる。太陽エネルギーや地熱などのその他の自然
エネルギーに関しても、人口が減れば減るほど一人当たり利用可能なカロリー量は増える
わけで、メタンハイドレードなどの実用化がなくとも、社会の安定性は大きく高まってい
くことだろう。
それもこれも、降水量と土壌と地熱に恵まれた、火山国日本ならではの自然の恩恵だ。
日本は、造山運動の盛んな脊梁山脈火山国であるがゆえにが余り浸食されずに標高高く保
たれていて、そこに季節風がぶつかるために多服の雨や雪がもたらされる。火山国ゆえの
ミネラル分の多い土壌が、作物の恵みをもたらす。地震国であることの対価として、恩恵
も多いのである。
2060年には大規模火災時の安全性も増している。何かあったときに土砂が崩れてく
る可能性がある場所、水に浸される可能性のある場所から、人口減少に伴って住居を撤退
させて行けるからだ。戦後に人口がハ割も増えてきた中、多くの湿地や傾斜地を住宅地と
して開発してきたが、人口が大幅な縮小に向かう今後は、生まれ育った場所から移動した
くない高齢者の方々が順に亡くなって行くのに合わせ、戦後の造成他の中の天災に弱い部
分をゆっくりと湿地や山林に戻していくことが可能になる。
巨大な堤防を建設する資金があれば、リスクのある新開発地から、昔から人が住んでい
る安全な場所へと、人間を移していくことに投じた方が有効な使い方だ、という認識も徐
々に広まっていくことだろう。加えて、人口が過度に集中している大都市圈から田舎への
人の逆流が半世紀も続けば、生活の場のすぐ横に水と緑と田畑のある人口はもっと多くな
る。マネー資本主義のシステムが一時停止しても、しばらくは持ちこたえることができる
人の比率がはるかに高くなっていることも期待できる。
国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる
政府の膨大な借金はどうなっているのだろうか。「国債の新規発行は借り替えに必要な
分に限る」というルールを確立し、何とか残高がこれ以上増えない状態まで持ち込むこと
ができたとしたら。偵重に過度のインフレを回避し、退職高齢者がなけなしの貯金を失う
ことなく已くなっていくという状況を続けることができたら。その先2060年の状況は
どうなるだろうか。
実は、国債償還のツケがすべて若い世代に回ることにはならない、と予想される。なぜ
なら今65歳を越えつつある昭和20年代前半生まれ(1940年代後半生まれ)が1千
万人を超えるのに対し、今0~4歳は5百万人しかいないからだ。数の多い高齢世代が
蓄えたものが、長い時間をかけて相続などの形で数の少ない若い世代にゆきわたっていく
プロセスを利用して、国債残高を目に見えて減らしていくことが可能になる。
使い切れないほどの額を残す富裕層への相続税の強化もあろうし、少子化の結果、子孫
のいない日本人がどんどん増えていることを活かして、相続人のいない財産を国庫に入れ
る仕組みにするということもできるだろう。まずは機械的、数理的に、高齢者が持つ貯蓄
のどの程度を国債償還に回していくのか外伜を計算し、それに応じて具体的な制度設計を
組み合わせてゆけばよい。
そもそも人口減少社会は、一人一人の価値が相対的に高くなる社会だ。障害者も高齢者
も、できる限りの労働で社会参加し、金銭換算できる、あるいは金銭換算できない価値を
生み出して、金銭換算できる。あるいは金銭換算できない対価を受け取ることが普通にで
きるようになる社会でもある。
機械化・自動化が進み、生産力が維持される中での人口減少は、人間一人一人の生存と
自己実現をより容易に、当たり前にしていく。増えすぎた人口をいったん減らした後に一
定水準で安定させていくことこそ、地球という限られた入れ物から出られない人類が、自
然と共生しつつ生き延びていくための、最も合理的で明るい道筋なのだ。
未来は、もう、里山の麓から始まっている
2060年まで半世紀ある。50年という月日は時代が大きく変わるのに十分な時問だ。
黒船来航騒動直後の1855年に、1905年に日本がロシアに戦争で勝つことを誰が予
想しただろうか。泥沼の戦争に深入りしつつあった1940年に、誰が平和な経済大国と
してバブルを謳歌する1990年の日本を想像できただろうか。工業化の進展の中で海も
川も大気もどんどん汚染されていた1960年に、空気も澄み多摩川に鮎が遡上するよう
になった2010年の東京を誰が思い描いただろうか。
今から半世紀が過ぎる頃には、社会全体が抱くヴィジョン自体が大きく変わるし、社会
に本当に必要なことも、それを担う主体も変わる。
問題は、旧来型の企業や政治やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、
新しい時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性の
乏しいことを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできないことだ。しか
し年月はやがて、消えるべきものを消し去り、新しい時代をこの島国の上にも構築してい
く。結局未来は、若者の手の中にある。先に消え行く世代は誰も、それを否定し去ること
ができない。
里山資本主義は、マネー資本主義の生む歪みを補うサブシステムとして、そして非常時
にはマネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして、日本とそして世界
の脆弱性を補完し、人類の生き残る道を示していく。
爽やかな風の吹き抜ける未来は、もう、一度は忘れ去られた脱出の麓から始まっている。
藻谷浩介 著『里山資本主義』
ここで、「旧来型の企業や政治やマスコミや諸団体が、それを担ってきた中高年男性が、新し
い時代に踏み出す勇気を持たないことだ。古いヴィジョンに縛られ、もはや必要性の乏しいこ
とを惰性で続け、新しい担い手の活力を受け入れることもできない」が起きない前提での2060
年の予測(あるいは予想)は楽観的ではないかと思える点が2つほどある。1つは、人為的な
地球温暖化禍のスピードが大きい場合や自然現象(地震火山などの地殻変動の活発化)による
災害などの影響評価、2つめは、太陽光発電の普及、あるいは、国内木材の消費促進+バイオ
マス燃料発電の普及が実現し、さらに、食糧の百%自給(貿易収支換算)を実現した最高ゴー
ル達成の見通しに対する懐疑、1989年に始まる日米構造協議のようなバッシング、つまり、
膨大な貿易黒字による関係国との摩擦増大(反作用)の政治的なリスクの不安が過ぎる。も
っともこれは老婆心で、『贈与経済』を先行実行できるので問題ないとも思えるが。倫理的論
調、国家会計負債部の左辺偏重(収入部の右辺の意図的な?軽視あるいはサボタージュ)、そ
して、経済成長論に関する科学技術の寄与率の意図的な?軽視あるいはサボタージュという側
面で不満が残るにしろ本著書の価値を損なうものでない。
この項了
【根菜類の安定生産技術】
ところで、エネルギー問題は2060年にはこの日本では解決されていると考えている。3年
前、元東京都知事は太陽光発電は役にに立たぬと発言していたが、当時の変換効率10数パー
セント、現在は25%超が技術的クリアされることが見えてきたから、全国の電力は賄える数
字で、設置面積も1/2以下にダウンサイジングされる。これには、前述した「サトヤマ・キャピ
タリズム」で触れていたが、充電装置とセット、あるいは、書かれていなかったが、発光ダイ
オードなどの切り替え省エネもセットにすればなお効果的だ。そこに、国内木材消費促進政策
によるバイオマス燃料、バイオマスボイラー、バイオマス発電が、さらには、風力・地熱など
が加わるから2020年にはエネルギー問題の解決の全景見渡せるだろう。問題は食糧問題、
つまり、枯渇と安全保障だがこの双方には大規模気候変動問題が大きく影響するため、農産物
の工業化という産業の高度化が安定生産には不可欠だ。とりわけ、穀物や根菜類の植物工場で
の栽培技術の向上も欠かせない。もっとも、遺伝子組み換え技術の取り扱いは慎重にしなけれ
ばならず、当面は育種法で対応しなければならないだろう。そこで、考えたというわけだ。茎
の主幹が地上3メートル、地下に大量の根を張るアスパラガスの栽培に白羽の矢をたてた。こ
れは、常識的には尻込みする挑戦だ。だからこそ、逆転の発想でアスパラガスの安定量産に成
功すれば、ほとんどのの穀物の植物工場化が可能となる、そう考えた(下図クリック)。アス
パラガスの寿命は15年だからライフワークの1つしては最適だろうと。
次に考えたのが、大根、カブラの植物工場化。これもいろいろ特許が出願され新しい技術が提
案されているが、目を惹いたのは、下図の椿本チエーンの省スペースで大根を横に寝かせて育
成する栽培する方法。この他ノズル噴霧での水耕栽培方法や赤・青・黄色の三色の発光ダイオ
ード照射制御、或いは酸素供給による成長促進(これは、消毒機能を兼用できるオゾン水でも
可能だろう)など3年前の研究から比して随分実用化の技術が充実している。勿論、エネルギ
ーにはバイオマスも太陽光も中心になるだろう。たとえば、「発電・発光する農ポリフィルム
」をロール・ツウ・ロールで製造すれば良いというわけだ。表面を強化した多層薄膜はガラス
以上の強度を持たせることができ、さらに軽いものとなろう。
そんなことを考えてみたというわけだが、当に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というわけ
で、リニアー建設するより、高速道路の無料化を実現した方が経済効率が高いはずだ。こんな
ことを書いていると『里山資本主義』の著者から怪訝な顔をされるかもしれないが、セメント
と鉄鋼の重量の大きさで競い合う旧来の産業構造より進歩はしているとだけは言えるだろう。
また、これらの事業プランには高齢者の生き甲斐や少子化対策にも寄与できるとおもうのだが
今夜はこの辺で切り上げることに。