『国連改革は進んでいるか。』の村上春樹が尖閣騒動の煽りで中国の書店から自分の作品が消えた
ことの朝日新聞への寄稿に関するコメントが投稿された。詳しい経緯は知らないが、村上春樹が朝
日新聞に寄稿先に選んだのは他の保守系商業新聞の国民国家主義論調を嫌ってのことだと思われる。
また、尖閣を巡る日中両国政府の外交力の稚拙さに抗議し営業損益被害として訴えたかったのだと
思われる。また、中国政府が政経一致し圧力をかけ、ノーベル賞受賞を妨害したとしたなら、中国
政府の後進性を世界の人達に知らしめたことになる。そして、ノーベル賞の政治的圧力からの中立
性が損なわれたことになる。その上で、ノーベル賞を逃したことは世界のファンにとっては大変残
念なことであった-そんなことを感じた。それは、それ、今夜も『イエスタデイ』を、スローペー
スで読み進めていこう。
翌日、アルバイト先で木樽と会ったとき、彼は僕にそのデートのことを尋ねた。
「キスとかしたか?」
「するわけないだろう」と僕は言った。
「したかて怒らへんぞ」と彼は言った。
「とにかくそんなことしてないよ」
「手も握らへんかったんか?」
「手も握ってない」
「そしたら何しててん?」
「映画を見て、散歩して、食事をして、話をした」と僕は言った。
「それだけか?」
「普通の場合、最初のデートではあまり積極的なことはしない」
「そうか」と木樽は言った。「おれは普通のデートとかあんまりしたことないからな。ようわ
からんのや」
「でも彼女と一緒にいて楽しかったよ。あんな子が僕の恋人だったら、どんな事情があれ、そ
ばから離さないけどな」
木樽はそれについて少し考えていた。何かを言おうとしたが、思い直してそれを呑み込んだ。
それから言った。「それで何を食ぺたんや」
僕はピザとキャンティ・ワインの話をした。
「ピザとキャンティ・ワイン?」と木俸は驚いたように言った。「ピザが好きやなんて、ちっ
とも知らんかった。おれらは蕎麦屋かそのへんの定食屋しか行ったことないもんな。ワインな
んか飲むんか。あいつが酒を飲むことすら知らんかった」
木樽自信はまったくアルコールを□にしない。
「おまえの知らない面がきっといろいろとあるんだよ」と僕は言った。
僕は木樽に訊かれるままに、デートの詳細を話した。ウディー・アレンの映画のこと(筋ま
で細かく話させられた)、食事のこと(勘定はいくらだったか、割り勘にしたのか?)、彼女
が着ていた服のこと(白いコットンのワンピース、髪はアップにしていた)、どんな下着をつ
けていたか(わかるわけない)、交わした会話の内容。彼女が年上の男と試験的につきあって
いることはもちろん黙っていた。氷でできた月の出てくる夢のことも話さなかった。
「次のデートの約束はしたんか?」
「いや、してない」と僕は言った。
「なんでや? あいつのことが気に入ったんやろ?」
「ああ、すごく素敵だと思う。でもこんなことをいつまでも続けてられない。だって彼女はお
まえの恋人じやないか。していいって言われたって、キスなんてできるわけないだろう」
木樽はそれについてしばらく思いを巡らせていた。そして言った。「あのな、中学校の終わ
り頃から、おれはセラピストのとこに定期的に通てたんや。親とか教師とかに、行け言われて
な。学校でその手の問題をちょくちょく起こしてたわけや。つまり普通やないということで。
けど、セラピーに通って、それで何かがましになったかというと、そういう感じはぜんぜんな
い。セラピストなんて、名前だけは偉そうやけど、ええ加減なやつらやで。わかったような顔
して、人の話をうんうん言うて聞いてるだけでええんやったら、そんなもんおれにかてできる
わ」
「今でもセラピーに通ってる?」
「ああ。今は月に二回くらい通てる。まったく金をどぶに捨ててるようなもんやけどな。えり
かはセラピーのことはおまえに言わんかったか?」
僕は首を振った。
「自分の考え方のどこが普通やないのか、正直言うておれにはようわからんのや。おれの見方
からしたら、おれはあくまで普通のことを普通にやってるだけやねん。そやけどみんなは、お
れのやってることの大方が普通やないと言いよる」
「たしかにあまり普通とは言えないところもあると思う」と僕は言った。
「たとえばどんなとこが?」
「たとえばおまえの関西弁は、東京人が後天的に学習したにしては、異様なくらい完璧すぎる」
木樽はそれについては僕の言い分を認めた。「そやな。そういうのはちょっと普通やないか
もしれん」
「それは一般人を気味悪がらせるかもしれない」
「あるいは」
「普通の神経を持ち合わせた人間は、なかなかそこまではやらない」
「たしかにそうかもしれん」
「でも僕の見るところ、僕の知る限り、たとえあんまり普通とは言えなくても、おまえはそう
することで、とくに誰にも具体的に迷惑をかけてない」
「今のところはな」
「それでいいじゃないか」と僕は言った。僕はたぶんそのとき(誰に対してかは知らないけれ
ど)少しばかり腹を立てていたのかもしれない。語気がいくらか荒くなっていることが自分で
もわかった。「それのいったいどこがいけないんだ? 今のところ誰にも迷惑をかけてないな
ら、それでいいじゃないか。だいたい、今のところ以上の何か僕らにわかるって言うんだよ?
関西弁をしゃべりたいのなら、好きなだけしゃべればいい。死ぬほどしゃべればいい。受験勉
強をしたくないのなら、しなきやいい。栗谷えりかのパンツの中に手を入れたくないのなら、
手を入れなきゃいいんだ。おまえの人生なんだ。なんだって好きにすればいい。誰に気兼ねす
ることもないだろう」
木樽は感心したように口を薄く開け、僕の顔をまじまじと見た。「なあ、谷村、おまえはほ
んまにええやつやな。ときどきちょっと普通過ぎることがあるけど」
「しょうがない」と僕は言った。「人格を変えることはできない」
「そのとおり。人格を変えることはできへん。おれが言いたいのもまさにそういうことや」
「でも栗谷えりかはとてもいい子だよ」と僕は言った。「おまえのことを真剣に考えている。
何はともあれ、あの子は離さない方がいいよ。あんな素敵な子は二度と見つからないから」
「知ってる。それはよう知ってるんやけどなあ」と木樽は言った。「知ってるだけではどうし
ょうもないで」
「自分で突っ込みを入れるな」と僕は言った。
村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号
この項つづく
【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】
●里山資本主義異論
先回につづき、「第4章 "無縁社会"の克服」を読む。ここでは、地方のハンデを、オセロゲーム
の絶妙の一手のように黒から白へひっくり返していく実践例を具体的の記録されている。では、そ
の方法とは?
「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる
この「気づき」は、施設にとってだけでなく、地域にとっても実に大きな意味のある気づ
きだった。それが、アイディアがとんとん拍子で進んだその後の過程から見えてくる。
熊原さんは、施設の職員に早速アンケートをとらせた。「みなさんの作った野菜を施設の
食材として使わせてもらえますか?」すると、デイサービスに通ってくるお年寄りをはじめ、
百軒ものお宅からまたたくまに、是非提供させて欲しいと返嘔が来たのだ。
そのうちの一軒、入君ハルコさんのお宅を訪ねた。入君さんは夫の弘司さんと二人縁らし。
八〇代の夫婦は、施設のパジャマのような姿だと、いかにも「お世話の必要なお年寄り」だ
が、自宅を訪ねるとたくましさにあふれている。菜園は意外なほど広く、どう考えてもふた
りでは食べきれない大量の野菜が植えられている。でも、それくらい育てないと畑の地力が
落ちてしまうのだと、教えてくれた。
以前はそれほど腐らせることはなかったのだ、と入君さんはいう。近所づきあいが盛んで、
家で作ったものであれこれ料理し、始終交換していたからだ。
「お団子を作ったから食べんさいと持って行ったり、混ぜご飯を炊いたけえ食べんさいやっ
てもらったり、親しくしてね」
だが、そうしたつきあいをしてきた家の多くが空き家になった。同じ世代が次々亡くなり、
家を継ぐ人もなく、集落はさびしくなった。人君さんたちは同時に、大事なものをなくした。
「張り良い」である。そんな時、熊原さんたちから問い合わせを受けた。二つ返事でOKし
た。役に立てるのがうれしい、といって。
試験的に施設で野菜を集めることになって、人君さんのお宅にも連絡が入った。夫婦は前
日から、納屋にたまねぎやじゃがいもをどっさり用意して、待ち構えた。その顔はいきいき
と暉いている。
「うれしいですよね,ありがとうと言ってもらおうなんて思ってなかったのに、それくらい
のことで助かるんじやね」
地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨をつくる
熊原さんは、アイディアマンの和田さんたちと相談して、さらに地域が活気づき、豊かさ
を実感できる仕組み作りに動いた。野菜の対価として、地域の中で使える「通貨」をつくろ
うというのだ。
施設の調理場に運び込まれる野菜は県外産ばかり、と書いた。それは、その分のお金が地
域の外に流出していることを意味する。それを払わずに地域の中で買うと、お金が地域にと
どまる。さらに対価を地域の中でしか使えない仕組みにすると、「豊かさ」が地域を巡回す
ることになる。エネルギーなどで繰り返し説いてきた里山資本主義の極意を、ここでも活か
そうというわけだ。
熊原さんは、法人の施設が支払ってきた年間1億2千円の食材費のうち、一割分をお年寄
りの野菜などでまかなう目標をたてた。提供してくれたお年寄りには、対価として地域通貨
を配る。お年寄りは、それを高齢者施設でのデイサービスや、社会福祉法人が経営するレス
トランなどで使えるようにした。地域の仲間が画用紙に向かい、にこにこ顔のデザインの発
案者の熊原さんも興奮を隠せない。「今まで外に出ていたものが地域のお年寄りに入ったと
したら、そりゃ色々なことが動き出すことになりますからね。地域興しができていくひとつ
のカードになるんじゃないかな」
初夏、職員が施設の障害者を伴い、ワゴン車でお年寄りのお宅をまわり始めた。玄関を開
け、用件を伝えると、仏頂面で現れたお年寄りが、みんな笑顔になる。畑に入って、一緒に
ダイコンを抜く。
ワゴン車は人君さんのお宅にもやってきた。縁側で入君さんが待ち構える。夫の弘司さん
も畑から急いで戻ってくる。
菜園ではチングンサイが食べ頃になっている。職員が生を口にする。「おいしい!」と声
をあげる。笑顔の夫婦が声をかける。「段ボールいっぱい、収穫しましょう!」
上機嫌の入君さんは、職員をさらに納屋に案内する。前の日に収穫したホウレンソウも、
もっていってくださいというわけだ。
この日人君さんが提供したのは、チンゲンサイ18キロ、ホウレンソウ10キロ。施設3
百人の一日分か確保できたことになる。
そして、お礼に地域通貨をいくら差し上げるか、査定が始まる。職員が、「きょうはとて
も新鮮なものをいただいたので、広島の中央卸売市場の価格で買い取らせていただきます」
と切り出すと、人君さんはあきれ顔。「そんなのだめよ。ただで持って行ってもらってもえ
えんじやから。おじいさんは、いつも木の根っこに持って行って腐らせてるんじやから」。
押し問答の末、市場価格の半額の値段に落ち着いた。にこにこデザインの地域通貨が渡され
地域通貨をはじめて手にした入君さん。はじめてのお使いでお駄賃をもらった子どものよう
に、地域通貨を手に弘司さんのもとに歩み寄る(動きがスローな入君さんなので「歩み寄っ
た」が、子どもなら「駆け寄った」に違いない)。
「おじいさん、これでレストランに行ってご飯を食べたりしてくださいって!」
弘司さんが職員に向き直り、笑顔をはじけさせる。「ありがとうございます!」
弾んだ声が、空き家だらけの集落に響き渡った。人君さんがしばらく忘れていた「張り合
い」を取り戻した瞬間だった。
地方でこそ作れる母子が暮らせる環境
熊原さんの挑戦は、まだまだ続く。
レストランで地域通貨が使えると書いた。このレストランも、お年寄りの野菜活用と並行
する形で作られることになったのだが、いったいどんなものなのか。なぜ社会福祉法人が経
営しているのか。実はそこに熊原さんが目指す、「ハンデがマイナスではなく玉手箱となる
社会」の進化形が見事に表現されているのだ。
レストランは、ただのレストランではない。敷地の隣に保育園が併設されているのだ。こ
ちらも熊原さんの法人が運営している。
朝、いつものように見られる保育園の登園風景。ところが、子どもを送り届けた母親の一
人は、そこから隣の建物にダッシュする。彼女は、レストランの調理場で働いているのだ。
中国地方の山あいでは、たとえ意欲はあっても、子育て中の母親が、ちょうどいい仕事を
見つけるのは容易なことではない。そもそも就職先が少なく、パートタイムも限られる。遠
かったり、時間があわなかったり、周りの目も気になったり。熊原さんは、そんな母親に理
想的な働く環境を作りたかった。
働くチャンスを得たひとり、榎本寛子さんはこう語る。「主婦になって5年以上たってい
たので、社会に出て仕事モードで働くことに抵抗があって、自信がなくて。ここだったら、
子どもの顔も見える場所ですし、こういう場所じゃなかったら、躊躇していたかもしれませ
ん。私にとってすごく魅力的でした」
もちろんレストランでの雇用はたった二、三人に過ぎない、しかし、世の中へのメッセー
ジがある、お母さんと子どもが生き生き暮らせる環境が、地方でこそ作れるのだというメッ
セージ。その発信が大事なのだ。
田舎には、子どもが育つ上で、都会の真ん中では望めないうらやましい環境が用意できる。
春、園児たちは毎日のように先生と一緒に近所の田んぼや川のあぜみちに出かける。ふきの
とうやつくしをつんで大喜び。元気な声で、収穫を先生に報告している。その様子を目にす
ると、多くの親が、こんなところで子どもを育てられたらと思う。
しかし、田舎にはハンデがある。働く場所が少ないというハンデだ。ほとんどの場合、そ
のハンデにぶちあたった時点で、田舎は声をあげることをあきらめてしまう。
しかし、都会にも大きなハンデがあるのだ。働きたくても子どもを預ける保育所がないと
いうハンデ。待機児童の問題は、長年解決できない日本の社会問題だ。ようやく今、保育所
の拡充が叫ばれ、お金をかけて整備が進められようとしている。しかし今、部会では、就職
難や、子どもをもうけて養うことさえ難しいほどの低収入の問題が浮上している。日本の将
来を託す子どもを、どこでどのように育てるのか。社会としてどう親を支援していくのか。
時代を見据えた議論と対応が、今こそ求められている。その状況に、熊原さんは一石を投じ
ているのだ。
お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置
職場の隣に保育園をつくることで克服される、地方の母親のハンデ。熊原さんはこの装置
で、それ以外にもいくつものハンデを、オセロゲームの絶妙の一手のように黒から白へひっ
くり返していく。
その一つが、田舎のお年寄りが結構苦労している、楽しくランチをする場所がないという
ハンデだ。
このレストランは、もともと経営がうまくいかず、廃業した店を買い取って改装された。
お客はそんなに見込めない。だが、近所のお年寄りは、たまにこの店でランチをし、普段は
なかなか会わない少し遠くに住む友達と過ごす時間を楽しみにしていた。熊原さんは、その
ような話をまわりから聞いて、レストランの復活を思いついたのだ。
改装オープンした店に友達をひき連れ、おしゃれをしてやってきたお年寄りがいた。近所
に住む一二三春江さんだ。
夫を亡くした後、一二三さんは大きな家にひとり暮らし。このごろは、畑仕事に出たつい
でに、あちこち当てもなく散歩する。道で誰かに出会わないか、立ち話でもできないか、そ
のための散歩だという。そうして話すことがなければ、一目ほとんど誰とも話さない。さび
しくてしょうがないのだ。
だから、改装オープンしたレストランでする友達とのランチ、その楽しいことといったら
ない。明るい外光に包まれたテーブルには、何度も大きな笑い声が響く。
友達を引き連れてやってきた一二三さんは、なんだか誇らしげだ。財布の中には、地域通
貨。ランチに使われる野菜の一部は、てご二さんの菜園から提供されたものなのだ。カボチ
ャのグラタンが運ばれてくる。て一三さんの畑からいただいたカボチャだと説明される。み
んながおいしい、おしゃれな料理だとほめる。そして会計の時、二ごニさんの地域通貨が大
活躍する。一二三さんが笑って話す。「また、がんばって畑仕慨をしなきや。張り合いが出
ました」
楽しみは、これだけでは終わらない。希望すれば、隣の保育園で子どもだちと遊ぶことが
できるのだ。お年寄りたちに「ランチ弱者」を克服してもらった次の瞬間、今度は「孫世代
と触れ合えない弱者」であることまで克服させてしまう装置を、熊原さんは用意していたの
だ。
一二三さんたちは、子どもの輪の中に入ると、またたく間に幼い心をつかんでいく。昔は
よく歌った童謡や子どもの目を引く身振り手振り。昔の遊びを手取り足取り教えながら、リ
ードしていく。考えてみれば、みんな何人もの子どもを育ててきた大ベテラン。単にお年寄
りが楽しいばかりでなく、子どもにとっても保育園にとっても、大助かりな仕組みなのだ。
しばらく遊ぶと、お昼寝の時間になった。「じやあ、きょうはこれでおしまい」と先生が
子どもたちに告げる。子どもたちが泣き出す。「もっと、遊びたい! 次はいつくるの?」
一二三さんは質問責めにあう。なんと愛らしく、胸熱くなる質問責めだろう。お年寄りにも、
子どもにも、保育園の先生にも、さらにいえばお母さんにも、幸せが満ち広がっていく。
その場に居合わせたお母さんのひとりが、この装置がなぜ素晴らしいのか、言い当てた。
「孤立した私と子どもが、保育園に行って先生に頂けて帰るという、ただ単にそれだけの関
係ではなくて、周りの人に生かされている、それがすごく温かい。私もすごく安心しますし、
子どもも色々な人との関わりを通して、学ぶものがたくさんあるんじやないでしょうか」
無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス
この方法には、従来の社会問題についてまわっていた「孤立」がない。
これまで我々が発達させてきた社会は、様々な立場の個人を分断し、問題ごとに解決策を
講じ、お金をかけて解消していくという道筋をたどってきた。老人も、子どもも、働きたい
のに子どもが預けられない主婦も、みんな弱者として扱われる、でも、単体では弱者に見え
る人も、実は他の人の役に立つし、その「お役立ち」は互いにクロスする。クロスすればす
るほど助かる人が増え、それまで「してもらう負い目」ばかり感じてきた人が「張り合い」
に目覚め、元気になっていく。気がついてみれば、孤立していたみんながつながっている。
そこには、無縁社会の孤独の中、たったひとりの親の死を隠してまで、その年金にしがみ
つくといった寒々とした悲憤はない。孤立をなくすために何か対策を講じたのではなく、地
域にいる、ハンデのある人たちをどうにか活かすことを考え続け、課題を克服した結果、孤
立もなくなっていたのだ。しかも、かかるお金は課題ごとに講じる「対策費」より格段に少
なくてすむ。これこそ、私たちが目指すべきアプローチではないか。
さらにいえば、このレストランでは、すぐ近くで取れたばかりの新鮮で安心な無農薬野菜
を、当然のように使っている。安心と安全を求めて高級素材のスーパーで大枚をはたく都会
人が聞いたら歯ぎしりしそうな素材を、いとも簡単に、しかも安価で手に入れている。今時
は、大手の居酒屋チェーンやハンバーガーショップも「顔の見える生産者」の紹介をしよう
と、店舗に産地や生産者の名前を書いたり写真を貼ったり、手の込んだ仕組みをつくってい
るが、このレストランでは、生産者本人がやってきて、生産者も客も店員もなく、みんなで
おしゃべりをして、ゲラゲラ笑っている。本当につながっている。
この仕組みでは、施設の障害者も活躍している。これまで多くの障害者は、授産施設(社
会就労センタ士と呼ばれる特別な場所で働くしかなく、外の人と接する機会が限られてき
た。しかし、熊原さんが作り出したこの装置では、障害者のみなさんが重要なバイプレーヤ
ーだ。お年寄りの家を回り、野菜を集めるチームに入っては、行く先々でお年寄りから「あ
りがとう」と声をかけられる。大きなダイコンを抜いては、「力持ちだね」とほめられる。
レストランの給仕がかりも何人かが交代でこなす。お客さんと何気ない会話を交わし、しば
しば笑いの中心にいる。
熊原さんは隣の保育園で、彼らが給仕の仕方を子どもたちに教える機会もつくっている。
子どもたちは素直に感心し、「教えてくれてありがとう」と言う。同時に子どもたちは、世
の中に体の不自由な人がいることを知り、そうした人ががんばっている姿を記憶に刻み込む。
無縁社会から我々日本人が脱出するヒントがここにある。
里山暮らしの達人
驚くべきアイディア。予想を超える怒濤の展開。なぜ熊原さんは、こんな素敵な仕組みを
編み出すことができたのか。そこには、和田さんたちと20年も議論を繰り返し、自分たち
の何か素晴らしくて、何か悪いのかを見つめてきた歴史がある。
私たちが和田さんたちの取材に行き、和田さんのアジトに里山の革命家たちを集めて収録
するたび、黙々と火をおこし、おいしい鍋やピザや煙製をつくってふるまう人がいる。和田
さんの仲間からも一目置かれる「里山暮らしの達人」西山昭憲さんだ。「エコストーブ」も
西山さんが改良を重ね、今の形を完成させた。私たちは、多くのアイデアのルーツともいえ
る達人の暮らしを見せてもらうことにした。
西山さんは、夜は9時か10時に寝るが、朝は3時に起きて活動を始める。畑の世話、草
刈り、朝ご飯の支度。毎日が楽しくて楽しくて、のんびり寝ていられないという。
そんな西山さんだが、実は一度都会に出て就職していた。しかし、往復の通勤に時間を費
やすばかりの生活は自分に合わないと考え、ふるさとに戻ってきた。今は、昼間は通信会社
の技術者として働き、仕事が終わると里山暮らしという生活を送っている。
「時間になったら帰って、時間になったら寝て、次の日また時間になったら出て行くという
繰り返ししかない、町の人は。田舎の人は、草を刈ろうとかなにをしようとか、することが
いっぱいある。それがいいんです」
ある日は仕事帰り、投網を持ってちょっと近所の川にでかけた。下流にダムができたため、
漁獲量が減ってしまった小さな川。地元の漁協が設定する入漁料は、一年で八千円。そんな
川でも、一家の夕食には十分なごちそうを提供してくれる。
橋の下には、妻の恵利香さん。「あそこに魚が集まってるよ」と笑顔で指をさす。西山さ
んが網をうつ。きれいな放物線。小さな鮎が何匹もかかった。ダムの上流に閉じ込められた
ため、大きくならない鮎。「でもこれが、焼いても、塊裂にしてもおいしいんですわ」と西
山さんがうれしそうに語る。
帰り道、妻の恵利香さんは山に立ち寄る。木々の下にはしいたけのほだ木。大きくなった
しいだけを、いくつかつんで帰る。
「買うよりも、できたのを採って食べる楽しみがある。きょうは何個かな。わくわくする楽
しみ」
夕方、西山さんは縁側にどっかり座り、炭火で鮎を焼く。のんびり、じっくり。こうする
と、鮎はびっくりするほどおいしくなる。そして、炭の赤い火を見ながら焼く時間自体が、
至福の時だ。
夕食は、どこの料亭かというごちそうだ。先ほどの鮎は串ごと、西山さん手作りの木の食
器に盛られている。隣には友だちが山で仕留めた鹿のたたき。そしてしいたけなどの野菜の
皿。
孫のさやのちやんが、「買ったものはどれだろう」と言いだし、みんなで数える。「しょ
うゆでしょ、ビールでしょ。ああ、わさびのチューブは買ったものだ」。さやのちやんが無
邪気にいう。「たまには、ごちそうが食べたい」。ごちそうとは何かと尋ねると「ラーメン
とかスパゲッティとか」と答える。みんな、爆笑だ。
別の日、西山さんは仕事帰り、どこかによって帰ってきた。おみやげがあると間いて、恵
利香さんとさやのちやんが出てくる。バンからおろした新聞紙の包みを解くと、大きな自然
薯。ふたりが歓声を上げる。
隣に、ちょっと変わった形に曲がった木の枝がある。「それは何?」「お母さんの肩たた
き」。恵利香さんの頬が、またゆるむ。「うれしいおみやげじやね」
その日の夕方、西山さんは小刀を持って縁側に座り、拾ってきた木を一心に削って、肩た
たきを完成させていた。
西山さんの毎日には、里山暮らしの極意がつまっている。お金をかけず、手間をかける。
できたものだけでなく、できる過程を楽しむ。穏やかに流れる時間。家族の笑顔。そして、
21世紀の尺度で測り直すと、驚くほど高い生活の質。
そんな西山さんが、「これこそ、里山暮らしの一番の楽しみであり知恵である」と繰り返
しいうものがある。「手間返し」という。
藻谷浩介 著『里山資本主義』
この項つづく
ひょんなことから、マツダのスカイアクティブGエンジン、i-stop アイドリングの白のデミオ
に乗り換えている。なるほどと思わせる走りを楽しんでいるというわけだ。日本車の技術開発の
速度は揺るぎないということだろう。