goo blog サービス終了のお知らせ 

極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

マルチエキシトンな夜

2014年05月19日 | デジタル革命渦論

 

 

富士フイルムは京都大学の金光義彦教授と共同で、量子ドット太陽電池に用いる光電変換膜(量子
ドット薄膜)を開発し、電気伝導度を従来比約10倍に高めることに成功。量子ドット薄膜の作製
時に、銀塩写真技術で使っていた物質であるチオシアン酸カリウムを溶液中で安定的に分散させる
ための配位子として初めて採用。高い光電変換効率を持つ量子ドット太陽電池の実現につながる。
共同チームはチオシアン酸カリウムを配位子として使い、直径約3ナノメートルの硫化鉛の量子ド
ットを溶液中で合成。このコロイド状の量子ドットを塗布して量子ドット薄膜を作製した。チオシ
アン酸カリウムを使うことで、隣り合う量子ドットの間隔を一般的な配位子を使う場合に比べ、約
4分の1の0.5ナノメートル程度まで狭めることができた(量子ドット間の距離の精密制御に成
功)したことで今回の発明に繋がった。

近年、量子ドットは、光を照射すると別の色の光を発したり、電気を発生する特性を持っており、
この特性をさらに活かすために、量子ドットの集合体を薄膜状に形成して光デバイスに応用する研
究が盛んに進められている。量子ドットに関する技術は、今後、ディスプレイ用発光材料、太陽電
池、光検出器など、さまざまな用途への展開が期待されるため、近年急速に関心が高まっている。
中でも、第三世代太陽電池と呼ばれる高効率太陽電池の研究が盛んである。その中でもコロイド量
子ドットを用いた太陽電池は、例えば、マルチエキシトン生成効果により量子効率を高められる事
が報告されており、注目を集めているが、コロイド量子ドットを用いた太陽電池(量子ドット太陽
電池とも称される)では、変換効率が最大でも7%程度であり、変換効率の向上が求められていた。
このような量子ドット太陽電池では、量子ドットの集合体からなる半導体膜が光電変換層を担って
いることから、量子ドットの集合体からなる半導体膜自体の研究も盛んに行われている。例えば、
炭化水素
基数が6以上の比較的長い配位子を用いた半導体ナノ粒子が開示されている。量子ドット
の集合体からな
る半導体膜の特性を改善する手法としては、コロイド量子ドット(例えば2nm~
10nm程度)に結合してい
る配位子分子をより短い配位子分子に置換する事で、電気伝導性が向
上することが報告されている。例え
ば、PbSe(セレン鉛)の量子ドットの周囲のオレイン酸(
分子鎖長2nm~3nm程度)をエタンジチオール(
分子鎖長1nm以下)に置換する事によって
量子ドット同士が近接化し、電気伝導性が向上することが報告
されているが、下記(1)文献に記
載される半導体膜は、配位子が大きく、半導体量子ドット同士の近接化が
不十分であるため、光電
変換特性に優れない。また、ブチルアミン、または、下記(2)文献で用いられているエ
タンジチ
オールを配位子として用いた場合でも、例えば、(1)文献によれば、最大でも数百nA程度の

電流値しか得ることができていない。また、配位子としてエタンジチオールを用いると、半導体膜
の膜剥
がれが生じ易い。この発明は、高い光電流値が得られ、かつ、膜剥がれが抑制される半導体
膜およびその製造方法の提供を課題とし、この課題を解決することを目的とする。また、高い光電

流値が得られ、かつ膜剥がれが抑制される太陽電池、発光ダイオード、薄膜トランジスタ、及び電
子デバ
イスを提供し課題解決することを目的としていた。

(1)Charge transport in mixed CdSe and CdTe colloidal nanocrystal films,  2012.10
(2)Structural, Optical, and Electrical Properties of Self-Assembled Films of PbSe Nanocrystals Treated with
     1,2-Ethanedithiol, ACS Nano, 2008, 2 (2), pp 271–280
,

 
JP 2014-93328 A 2014.5.19

現在、量子ドットの重要な性質として、1つの光子から複数の電子(および正孔)が生成されるマ
ルチエキシトン生成(MEG)効果が知られているが。このMEG効果を活用して発生させた光電流
効率的に抽出できれば、高い変換効率の太陽電池や発光素子など、次世代光電変換デバイスの開発
につながるが、MEG効果によって生成された複数の電子は、「オージェ再結合」という現象により、
わずか数十~数百ピコ秒(1兆分の1)程度の時間スケールで1つの電子(および正孔)に戻って
しまう。そのため、現在の量子ドット薄膜においてMEG効果を効率的に活用するためには、「オー
ジェ再結合」の抑制が課題であった。また、MEG効果によって発生した光電流を効率良く取り出す
ためには、量子ドット薄膜におけるドット間の電気伝導度を向上させることも課題であった。
今回、
富士フイルムと京都大学は、MEG効果を光電流として効率よく抽出するため、銀塩写真分野で培った
ナノ粒子表面修飾技術(*ナノ粒子表面に特定の分子を結合させたり、元々結合していた分子を別
の分子に置換する技術)を応用し、一般的な量子ドット薄膜(*配位子がオレイン酸である市販量
子ドット分散液により作製した、量子ドットの集合体からなる薄膜(*配位子がオレイン酸である
市販量子ドット分散液により作製した、量子ドットの集合体からなる薄膜)の配位子(*量子ドッ
ト表面に結合し、量子ドット表面を保護する分子。一般的な量子ドットの配位子には、オレイン酸
などの長鎖脂肪酸が用いられる事が多く、これにより溶液中での分散性が高まる。しかし、薄膜化
した際には、量子ドット同士の近接化を阻害し、光電流の抽出を困難にしていた)を、ドット間の
相互作用を高めるチオシアン系分子に置換した量子ドット薄膜を形成。チオシアン系分子で量子ド
ット間の距離を精密に制御することで、ドット間の電気伝導度を、一般的な量子ドット薄膜と比べ
て7桁程度向上させることに成功。すでにMEG効果が報告されている(* O.E.Semonin, et al., Sci
ence
2011年, Vol.334, 1530
頁)、配位子にジチオール系分子を採用した量子ドット薄膜と比較
しても、電
気伝導度が1桁程度向上しています。また、チオシアン系分子を配位子として採用した
量子ドット
薄膜では、従来に比べ「オージェ再結合」が抑制されていることを確認しました。今回
の量子ドッ
ト間の距離を精密に制御する技術により、効率的に光エネルギーを電気エネルギーへ変
換できるこ
とを世界に先駆けて実証したという。ハードルは高いが、夢を実現するには、山を踏むしかない?!
今日は、マルチエキシトンな夜という訳でこの記事を取り上げた。

 
ホンダは軽自動車「N―ONE(エヌワン)」を一部改良して発売した。追突などの事故被害を軽
減する運転支援システムやサイドカーテンエアバッグの「あんしんパッケージ」をGタイプより上
位のタイプに標準装備したほか、エンジンの大幅刷新でJCO8モード燃費を1リットル当たり28.4
キロメートルに向上した。シャープのプラズマクラスター技術搭載のフルオート・エアコンを全て
に標準装備した。消費税込みの価格はGタイプの前輪駆動(FF)車が118万5,000円。価格は同タ
イプで従来より約2000円上がっており、装備でお買い得感を出したという。世界を走り抜け、日本
のガラパゴス・カー!

 

 

 


   その週の土曜日に栗谷えりかと渋谷で待ち合わせをして、ニューヨークを舞台にしたウディ
 ー・アレンの映画を見た。彼女に会って話したときに、たぶんウディー・アレンみたいなもの
 が好みじゃないかという気がしたからだ。そして僕が思うに、木樽はそんな映画に彼女を誘っ
 たりはまずしないだろう。幸いなことに映画の出来は良くて、映画館を出るとき二人とも楽し
 い気持ちになっていた。




  夕暮れの街をしばらく散歩してから、桜丘の小さなイタリアンの店に入ってピザを注文し、
 キャンティ・ワインを飲んだ。カジュアルで、値段もそれほど高くない店だ。照明は落とされ、
 テーブルにはキャンドルが灯されていた(当時のイタリア料理店では大抵キャンドルが灯され
 ていた。テーブルクロスはギンガムチェックだった)。そこで僕らはいろんな話をした。大学
 二年生が最初のデートで(たぶんデートと呼んでいいのだろう)交わすような会話だ。さっき
 見た映画のこと、お互いの大学生活のこと、趣味のこと。予想していた以上に話ははずみ、彼
 女は何度も声をあげて笑った。自分で言うのもなんだけど、僕には女の子を自然に笑わせる才
 能があるみたいだ。



 
 「アキくんにちょっと聞いたんだけど、谷村くんは高校時代の恋人と少し前に別れたんだっ
 て?」と彼女は僕に尋ねた。
 「うん」と僕は言った。「三年近くつきあったんだけど、うまくいかなかった。残念ながら」
 「彼女との問がうまくいかなくなった原因はセックスのことだって、アキくんは言ってたけど。
 つまり、なんていうのかしら……あなたが求めることを彼女が与えてくれなかったとか」
 「それもある。でも、それだけじゃないんだ。もし僕が心から彼女のことが好きだったら、そ
 れはそれで我慢できたと思う。本当に好きだという確信があればね。でもそうじゃなかった」
  
  栗谷えりかは肯いた。
 
 「もし最後までいっていたとしても、結果は同じだっただろうな」と僕は言った。「東京に出
 てきて、距離を置いてみて、だんだんそれが見えてきたんだ。うまくいかなくなったのは残念
 だったけど、まあ仕方ないことだと思う」
 「そういうのってきつい?」と彼女は尋ねた。「そういうのって?」
 「これまでは二人だったのに、急に一人だけになること」
 「ときには」と僕は正直に言った。
 「でも、若いときにはそういう淋しく厳しい時期を経験するのも、ある程度必要なんじゃない
 かしら? つまり人が成長する過程として」
 「君はそう思う?」
 「樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要なみたいに。いつも
 温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう」
  僕は自分の中にある年輪を想像してみた。それは三日前のバームクーヘンの残りのようにし
 か見えなかった。僕がそう言うと彼女は笑った。
 「たしかにそういう時期も人間には必要なのかもしれない」と僕は言った。「それがいつか終
 わるとわかっていれば、もっといいんだけどね」
  彼女は微笑んだ。「大丈夫よ。あなたならきっとそのうちに良い人が見つかるから」
 「だといいんだけどね」と僕は言った。だといいのだけど。
 
  栗谷えりかはしばらく何かを一人で考えていた。そのあいだ僕は運ばれてきたピザを一人で
 食べていた。
 
 「ねえ、谷村くんにちょっと相談があるんだけど。聞いてくれる?」
 「もちろん」と僕は言った。そして、やれやれ、困ったことになりそうだなと思った。誰かに 
 すぐ大事な相談をもちかけられてしまうことも、僕の抱える恒常的問題のひとつだった。そし
 て栗谷えりかが持ちだそうとしているのが、僕にとってあまり心愉しくない種類の「相談」で
 あることも、かなりの確率で見当がついた。
 「私は今けっこう迷っているの」と彼女は言った。
 
  彼女の目は捜し物をしている猫のように、ゆっくり左右に移動した。
 
 「谷村くんも見ていてわかると思うんだけど、アキくんは浪人生活が二年目に入っているとい
 うのに、受験勉強なんて実際にはほとんどやってないわけ。予備校にもろくすっぽ行ってない。
 だからたぶん来年も合格できないだろうと思うの。もちろん学校のレベルを落とせばどこかに
 は入れるでしょうけど、あの人の頭にはなぜか早稲田しかないわけ。早稲田に入るしかないっ
 て思い込んでいる。そういうのってほんとに意味ないと思うんだけど、私が何を言っても、親
 や先生が何を言っても、ぜんぜん耳を貸さない。なら早稲田に入れるように身を入れて勉強を
 すればいいのに、それもしない」
 「どうしてそんなに勉強しないんだろう」
 「あの人はね、入学試験なんて運さえ良ければ受かるものと真剣に信じているのよ」と栗谷え
 りかは言った。「受験勉強なんかするだけ時間の無駄、人生の消耗だって。どうしてそういう
 変な考え方ができるのか、私には信じられないけど」

  それもひとつの見識かもしれないと僕は思ったが、もちろん目には出さなかった。
  栗谷えりかはため息をひとつついてから言った。「彼、小学校の頃はすごく勉強ができたの
 よ。成績もクラスでトップクラスだった。でも中学校に入ってからは、坂を滑り落ちるみたい
 にずるずると成績が落ちていった。ちょっと天才肌みたいなところがあって、もともと頭はい
 いはずなんだけど、性格がどうも地道な勉学に向かないみたい。学校というシステムにうまく
 馴染めなくて、一人でへんてこなことばかりしている。私とは逆ね。私はもともとの頭の出来
 はそんなに良くないけど、こつこつ真面目に勉強する」

  僕はとくに熱心に勉強はしなかったが、大学には問題なくすんなりと入れた。ただ運が良か
 ったのかもしれない。

 「アキくんのことはとても好きだし、彼には人間的に優れたところがいっぱいある。でもとき
 どき、あの極端な考え方についていくのがむずかしくなるの。関西弁にしたってそうよ。東京
 生まれ東京育ちの人が、どうしてわざわざ苦労して関西弁を話さなくちゃならないわけ? 意
 味がわからない。最初はただの面白い冗談だと思ってたんだけど、そうじゃないの。あれ、本
 気でやってるのよ」
 「おそらくこれまでの自分とは違う、別の人格になりたかったんじゃないかな」と僕は言った。
 つまり僕とは逆のことをやっているわけだ。
 「だから関西弁しかしゃべらなくなるわけ?」「たしかにかなり極端な発想だとは思うけど」
  栗谷えりかはピザを手にとり、大きめの記念切手くらいの一片を誓り取った。それを思慮深
 く咀喘し、そのあとで言った。
 「ねえ、谷村くん、他にこういうことを訊ける人がまわりにいないからあなたに訊くんだけど
 かまわないかな?」
 「かまわないよ」と僕は言った。他に答えようもない。
 「一般論としてだけど、ずっと親しくつきあっていれば、男の子って女の子の体を求めるもの
 でしょう?」
 「一般論としてたぶんそうなると思う」
 「キスをしたら、そのもっと先に行きたがるものよね?」
 「普通はまあそうだけど」
 「あなたの場合もそうだった」
 「もちろん」と僕は言った。
 「でもアキくんはそうじゃない。ずっと二人きりでいても、彼はそれ以上のことを求めないの」
 
  どう答えるべきか、言葉を選ぶのに少し時間がかかった。それから僕は言った。「そういう
 のはあくまで個人的なことだし、人によって求め方はけっこう違ってくるんじゃないかな。木
 樽はもちろん君が好きだけど、君のことをあまりに身近な自然な存在として感じてきたから、
 そういう一般的な方向にすんなりと進めないのかもしれない」

 「本気でそう思う?」

  僕は首を振った。「僕には断定的なことは言えない。そういう経験はないからね。ただそう
 いうこともあるかもしれないと言ってるだけだよ」
 「彼が私に対して性的な欲望を感じていないんじゃないかと思うこともある」
 「性的欲望はきっと感じていると思うよ。ただそれを認めるのが、単純に恥ずかしいんじゃな
 いかな」
 「私たちもう二十歳なのよ。恥ずかしいとか言ってる年齢でもないでしょう」
 「時間の進み方は人によって少しずつずれているかもしれない」と僕は言った。
  栗谷えりかはそれについて考えた。彼女は何かについて考えるとき、何によらず正面から真
 剣に考えるようだった。
 「木樽はたぶん、何かを真剣に求めているんだよ」と僕は続けた。「普通の人とは違う彼自身
 のやり方で、彼自身の時間の中で、とても純粋にまっすぐに。でも自分が何を求めているのか、
 自分でもまだよく掴めていないんだ。だからいろんなものごとを、まわりに合わせてうまく前
 に運んでいくことができない。何を探しているのか自分でもよくわからない場合には、探し物
 はとてもむずかしい作業になるから」
  栗谷えりかは顔を上げ、しばらく何も言わず、僕の目をまっすぐ見ていた。その黒い瞳がキ
 ヤンドルの炎を、小さな点として鮮やかに美しく反射していた。僕は目を逸らさないわけには
 いかなかった。
 「もちろん彼のことは、僕なんかより君の方がずっとよく知っているはずだけど」と僕は弁解
 するように言った。
  彼女はもう一度ため息をついた。そして言った。
 「ねえ、実を言うと私には、アキくんとは別につきあっている男の人がいるの。同じテニスの
 同好会の一年先輩なんだけど」





  今度は僕が黙り込む番だった。
 
 「私はアキくんのことが心から好きだし、彼に対するような深く自然な気持ちを、他の誰に対
 してもおそらく持つことができないと思う。彼と離れていると、胸の決まった部分がしくしく
 と疼くの。虫歯みたいに。本当よ。私の心の中には彼のためにとってある部分があるの。でも
 それと同時に、なんていうのかな、私の中にはもっと違う何かを見つけてみたい、もっと多く
 のものごとと触れあってみたいという、強い思いもあるわけ。好奇心というか、探求心という
 か、可能性というか。それもまたとても自然なもので、抑えようとしてもうまく抑えきれない
 ものなの」
 植木鉢の中に収まりきらない強い植物のように、と僕は思った。
 
  迷っているというのは、そういうことなの」と栗谷えりかは言った。
 「だったらそういう気持ちを、木樽に正直に打ち明けた方がいいよ」と僕は注意深く言葉を選
 んで言った。「他の人と交際していることを秘密にして、それがもし何かの加減でわかったり
 したら、木樽も傷つくだろうし、それはやはりまずいんじやないかな」
 「でも彼にそれがうまく受け入れられるかしら? つまり私が他の人と交際しているというこ
 とが」
 「君の気持ちは、彼にも理解できるような気がするけど」と僕は言った。
 「そう思う?」
 「そう思うけど」と僕は言った。
  彼女のそのような感情の揺れを、あるいは迷いを、木樽はおそらく理解するだろう。彼自身
 やはり同じことを感じているわけだから。そういう意味では彼らは間違いなく共感的なカップ
 ルだった。しかし彼女の具体的にやっていること(やるかもしれないこと)を、木樽が平静に
 受け止められるかどうか、僕には今ひとつ自信が持てなかった。僕が見るところ、木樽はそこ
 まで強い人間ではない。しかし彼女が秘密を持つことに、嘘をつくことに、彼はもっと耐えら
 れないはずだ。
 
  栗谷えりかは、エアコンの風にちらちらと揺れるキャンドルの炎を無言で眺めていた。それ
 から言った。



 
 「私は同じ夢をよく見るの。私とアキくんは船に乗っている。長い航海をする大きな船。私た
 ちは二人だけで小さな船室にいて、それは夜遅くで、丸い窓の外には満月が見えるの。でもそ
 の月は透明なきれいな氷でできてる。そして下の半分は海に沈んでいる。『あれは月に見える
 けど、実は氷でできていて、厚さはたぶん二十センチくらいのものなんだ』とアキくんは私に
 教えてくれる。『だから朝になって太陽が出てきたら、溶けてしまう。こうして見られるうち
 によく見ておくといいよ』って。その夢を何度も繰り返し見た。とても美しい夢なの。いつも
 同じ月。厚さはいつも二十センチ。下半分は海に沈んでいる。私はアキくんにもたれかかって
 いて、月は美しく光っていて、私たちは二人きりで、波の音が優しい。でも目が覚めると、い
 つもとても悲しい気持ちになる。もうどこにも氷の月は見えない」
  
  栗谷えりかはしばらく黙っていた。それから言った。
 
 「私とアキくんと二人だけでそういう航海を続けていられたら、どんなに素敵だろうと思う。
 私たちは毎晩二人で寄り添って、丸い窓から氷でできた月を見るの。月は朝になったら溶けて
 しまうけれど、夜にはまたそこに姿を見せる。でもそうじゃないかもしれない。ある夜、月は
 もう出てこないかもしれない。そのことを思うとひどく怖い。明日自分がどんな夢を見るのか、
 それを考えると、身体が音を立てて縮んでいくくらい怖い」

 

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号



 

 

 

 


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする