極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

天晴れ!圭。

2014年05月12日 | 時事書評

 

 

 

男子テニスツアー ムチュア・マドリッド・オープン男子(スペイン/マドリッド)で昨日、シ
グルス決勝が行われ、第10シードの錦織圭(日本)は第1シードのR・ナダル(スペイン)に
6-
2、4-6、0-3と第3セット、第3ゲーム終了時点で錦織が棄権を申し入れ準優勝とな
った。
第1セット、錦織はナダル相手に思い通りのプレーをさせず、2度のブレークに成功し、
最後はサ
ービスエースを決め36分で第1セットを先取していたというが、マイケルチャンのコ
ーチング効果もあるのか、これで世界ランキング9位確定。フィジカルには欧米に劣る日本人に
とってこれは快挙、天晴れ!圭。


  

    

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

前回につづき「第三章 グローバル経済からの奴隷解放」から。ここでは「見かけ上、経済活動
小さくなる。でも、実は豊かになっている。里山資本主義の極意だ。手に入る「豊かさ」は金
的なことだけではない。「楽しさ」や「誇り」といった「副産物」が次々「収穫」されていく」
と、生産性の低さを高付加価値化に転換する方法が紹介される。


 
日本は「懐かしい未来」へ向かっている

 
  身近に眠る資源を活かし、お金もなるべく地域の中でまわして、地域を豊かにしようとす

 る里山資本主義。様々な識者も議論に加わり、地元で活動する人たちと共鳴し、刺激しあう
 関係を結んでいる。人類社会学が専門の広井良典・千葉大学教授は、人類は「懐かしい未来」
 に向かっているのではないかと指摘した。庄原の和田さんや真庭の中島さん、周防大島
の人
 たちと語るうち、自然に出てきた言葉だった。人類は今、懐かしくありつつも、実は新
しい
 未来を切り拓いている最中なのだという。

 「懐かしい未来」とは、スウェーデンの女性環境活動家である、ヘレナ・ノーバーグ・ホッ
 ジ氏の言葉だ。グローバリゼーションの波が押し寄せるインド・ヒマラヤのラダックという
 秘境の村に入り込み、営々と営まれている伝統的な暮らしを目の当たりにし、21世紀はこ
 うした価値観こそが、途上国だけでなく、先進国においても大切なのではないかと感じ、こ
 の言葉を紡ぎ出した(『ラダック懐かしい未来』ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ著『懐かしい
 末来』
翻訳委員会訳 山と渓谷杜 2003年、参考)。広井教授は里山の革命家たちと語
 りなが
ら、この言葉を思い出したのだ。



  広井教授は、持論を展開した。長い人間の歴史を振り返ると、物質的な量の拡大を続ける
 時代と、質的な、本当の生活の豊かさなどに人々の関心が移っていく時代が繰り返されてき
 た。今見ているものこそまさにその転換期なのではないかと。
 「工業生産の時代は、自動車にしても何にしても、全国、世界、同じものが出回るとともに、
 そうした画一的なものがどれくらいあるかによって、進んでいる、遅れているという評価が
 なされた。進む・遅れるという時間軸でなんでも物事を見る時代であった。しかし、成熟の
 時代となり、地域ごとの豊かさや多様性に段々人々の関心が向かっているのではないか」
  議論の中では、このような一幕もあった。人が山に入らなくなって荒れ果ててしまったマ
 ツタケ山を再生させようと活動をする人たちを、広井教授は、短期の利益しか見ない今の経
 済から長いスパンでの成果を評価する時代への転換、その表れだと説いた。すると、マツタ
 ケ山再生研究会の空田有弘会長が「それはちょっと違う」と言いだした。自分たちは、絶対
 に成果が出ないといけない、という態度をそもそもとっていないというのだ。
 「成果が出れば良し、出なくても、それもまた良し。みんなで山に入って、山をきれいにし
 て気持ち良かった。70代の者たちが頬を赤く染めるほど汗をかき、山仕事に打ち込むこと
 の気持ちよさ、すがすがしさ。それがあればいいのです」
  その話を間くうち、広井教授はこれ以上はないという笑顔になり、「感銘を受けた」と応
 えた。「そうなんですよね。将来の成果のために今を位置づけるのが今の経済だが、それで
 は現在がいつまでたっても手段になってしまう。そこから抜け出さなくてはならないのです
 よね」と、さらに論を展開させた。
  人類何万年の歴史を考察する学者と、マツタケのいっぱいとれる山を取り戻したいと汗を
 かく男性が、まさに同じ土俵で語り合い、高めあう。これこそ里山資本主義だと合点した瞬
 間だった。

 「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ

 
  小さな地域と地域が、どちらかが搾取する側でどちらかが搾取される側という関係ではな
 く、対等な立場で情報を交換し互いに強くなる経済の形は、グローバル経済とは相容れない、
 対立するものなのか。国際経済のマクロ分析が専門の、浜矩子同志社大学教授は、それは、
 違うと指摘した。浜教授は、今私たちが信じている「グローバル経済像」は、古くさい経済
 なのであり、実際はそこから抜けだしどんどん進化しているのだ、そのことに私たち自身が
 早く気づくべきなのだと語った。グローバル社会を「ジャングル」に見立てた説明は、我々
 の「弱肉強食の生存競争しかない」という固定観念を一瞬にして打ち壊した。
 「グローバル時代は強い者しか生き残らない時代だという考え方自体が、誤解だと思うので
 す。多くの相手をつぶしたやつが一番偉い、みたいな感覚でグローバル時代を見る人たちの
 頭の中は時代錯誤と言えます。われわれは、グローバルジャングルに住んでいます。ジャン
 グルは、別に強い者しかいない世界ではありません。百獣の王のライオンさんから小動物た
 ち、草・木、眼てはバクテリアまでいる。強い者は強い者なりに、弱い者は弱い者なりに、
 多
様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代だと思います」
  グローバル化社会自身がそうした方向に進化しつつあることを示す言葉として、浜教授は、
 『シェア』という言葉の使い方が、最近変わっていることを挙げた。
 「かつてシェアという言葉は市場占有率と受けとめられていました。市場のシェアナンバー
 ワンになりたいという言い方ですね。今はどうですか? 今は分かち合いという感覚を持っ
 て人々に受け削められるようになっている。180度違う意味で使い始めているのです。グ
 ローバル時代、成熟経済に対する理解が広まっているのではないでしょうか」


  ではそうした人々の「無意識の変化」は、実際に何をどう動かし、どんな可能性を提示し
 始めているのか。中国地方が抱えるもうひとつの大きな「お荷物」であり「課題」である
 「耕作放棄地一をめぐる最新の動きを追いながら、考えていきたい。

  「食料自給率39%」の国に広がる「耕作放棄地」

  先祖が汗水たらして切り拓いたデンパタを、なぜ草ぼうぼうにしているのか。
  あっちもこっちも、なのだ。夏、中国地方の山あいを走ると、むっとする草いきれと共に
 殺伐とした風景が目に飛び込んでく
る。むくむくと疑問がわいてくる。悲しい気持ちになっ
 てくる。

 「耕作放棄地」だ。2005年の統計によれば、中国地方は、耕地面積全体に対する「耕作
 放棄地」の割合が広島県全国4位、
島根県9位など、全国有数の「耕作放棄地帯」となって
 いる。五割以上が放棄されて
いる、という市町村も目につく(広島県では七市町、山口県で
 は六市町が放棄率50%超。瀬戸内の島でその傾向は特に顕著で、例えば江田島市83%、
 上関町87%、周防大島町52%)。
  しかし、それはしょうがないことなのだと、よく説明される。
  過疎地で高齢化が進み、耕す人がいなくなったのだ、と。若い人はみんな仕事や暮らしの
 ために山をおりてしまったのだ、と。
  でも、それでは納得できない。せっかく土地があるのに、水さえひけば米が作れる田んぼ
 なのに、もったいないではないか。何か使い道はないかと考えないのか。使おうという人は、
 本当に誰もいないのか。
  するとこういわれる。日本では米ができすぎて余っている。だから作るのを控えているの
 だ、と。作りすぎると米の値段が下がって、いま作っている農家まで困らせることになるの
 だと。確かに耕作放棄地は、「減反政策」をきっかけに増えてきた。
  たいていの人は、ここであきらめてしまう。仕方がないと。しかし、里山資本主義を標榜
 する我々は、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。もう少し、食い下がってみたい。
  食料自給率が低い日本でそのようなことを言っているのは、おかしいのではないか。
  農水省のホームページを開くと、実はそのとおりのことが書かれているのだ。2011年
 度のカロリーベース、つまり「日本人が摂取する栄養のうち、どれだけを自国でまかなって
 いるか」という尺度での、日本の食料自給率は39%。ずいぶん前から、もっと自給しよう
 と呼びかけている。しかし数字は15年も横ばいで、改善の兆しは見えていない。昭和40
 年(1965年)には70%以上まかなっていたにもかかわらず、である。
  もう少し詳しく見てみる。米の自給率は96%。これだけ減反しているのに百%でないこ
 とに少々違和感があるが、政策上、毎年少しは外国から米を買うことにしているそうだ。
  問題はその他の作物である。小麦の自給11%。油脂類13%。戦後パン食が広がり、最
 近ではパスタなど麺類を食べることも多くなったこと、揚げ物など油を使う食生活が広がっ
 たことなどを考えれば、全体の自給率を下げる大きな要因と言えるだろう。
  もうひとつ気になる数字がある。畜産物に関する数字だ。完全に自給できているのは16
 %で、輸入飼料による生産分か48%となっている。つまり、肉や卵自体は国内産でも、食
 べているエサが海外からの輸入で、自給できていないということだ。
  こうした事情を知るにつれ、また、疑問がむくむくわいてくる。耕作放棄地で飼料を作ろ
 うという人はいないのだろうか。
  またすぐ反論が返ってくる。アメリカなどの海外産飼料に、価格で太刀打ちできないのだ、
 と。そして、アメリカ中西部の穀倉地帯の雄大な映像を見せられる。広い区画の農地で行わ
 れる効率的な農作業、巨大なコンバイン。狭い段々畑や棚田でちまちま手間をかけて農業を
 やっても、勝てるはずがない。急いで大規模農業を普及させないと、日本の農業にあすはな
 い、と説明される。
  これがいわゆる「常識的な課題認識と解決へのアプローチ」だ。しかしその常識、本当に
 正しいのだろうか?

  「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている

 
  日本有数の耕作放棄地帯に属する島根県の山あいで、私たちは新たな動きを取材した。そ
 して驚いた。「いわゆる常識」のない世界に住む人に次々出会ったのだ。
  洲濱正明さん、29歳。草ぼうぼうの耕作放棄地を借り、牛を放している。24時間36
 5目、牛たちは毎日気ままに草はらを歩き、気の向いた場所で草をはむ。乳が張ると牛舎に
 やってきて、乳をしぼってもらって、また草原に戻っていく。
  牛は、穀物を一切食べていない。でも乳は出る。草ばかり食べているからおいしくないか
 というと、とんでもない。飲んでみると驚くほど濃厚だ。
  耕作放棄地はただで貸してもらっている。どうせ使っていないのだから、どうぞ。しかも
 草刈りの手間まで省けて好都合、というわけだ。
  売れる牛乳は、もちろん大量というわけにはいかない。日によって量にもばらつきが出る。
  しかし、自然そのものの牛乳だと、好んで買う人がいる。自家製アイスクリームも好評だ。
  なんといっても、毎日の経費がほとんどゼロ。生活に困らない程度の収入は、十分確保で
 きている。
  なにより私たちが惹かれるのは、洲濱さんの穏やかな表情、のんびりした話し方だ。
 「雑草というと無駄なものですが、その無駄が、私たちにとってはありかたい牛のエサなん
 ですね」と、静かにほほえみながら話す。そして続ける。「牛のストレスも、少ないようで
 して」
  確かにそうだ。美しく蘇った耕作放棄地。牛の放たれた草はらは、生い茂っていた草を牛
 がせっせと食べたおかげで、今やさわやかな風が吹き抜ける放校地だ。のんびり座ったり、
 草をはんだり、思い思いにすごす牛たちは、いかにもストレスがなさそうだ。
  私たちは、はたと思う。日頃報道で目にする「苦しい酪農」と、なぜこんなに違うのだろ
 うか。
  海外産穀物の高騰によってかさむエサ代。それなのに、市場に出回る牛乳の量が多すぎて、
 むしろ下がっていく牛乳の買い取り価格。廃業に追い込まれる酪農家が増え、今度はバター
 不足が起きる。余っているのかと思うと急に足りなくなるという、理解しがたい事態。
  もちろん、日本中の酪農家が、洲演さんのようにするわけにはいかない。それでは日本全
 体の需要はまかなえないだろう。だが、今の酪農が当然のこととしている常識は、疑ってみ
 る必要があると思うのだ。
  例えばそのひとつが、「穀物を食べさせないと濃い牛乳は生産できない」ということだ。
 私たちは取材で目から鱗を落とされた。草だけの牛乳は、確かに濃かったのだ。
  洲濱さんはこともなげに言う。
 「食べているものの種類が多いんですよ。クマザサからヨモギまで、数百種類くらいは食べ
 てるんじやないかと思うんです。飼料だと、こうはいきません。混合飼料といっても、植物
 の種類にすれば数種類にすぎません。だから濃厚なんです」
  いわれてみれば、なるほど、である。
 「牛乳の価格をおさえないと売れない」という常識もあやしい。洲潰さんの牛乳は、市販の
 五倍もする。でも売れる。それはそうだ。こんなに健康的な環境で育ち、自然そのもののエ
 サを食べた牛の乳は、飲みたくなる。そもそもたくさん出回らないため、高くて買えないと
 言っていると、なくなってしまう。
  価格だけをバロメーターとし、大量に作って単価をおさえ、売れなければ牛乳を捨てて市
 場のだぶつきを回避するという、なんともいたたまれなくなる経済の常識は、そこにない。
  洲濱さんは、さらに大胆な「常識破り」を始めている。自然放牧では避けられない「毎日
 牛乳の味が変わること」を強みにしようというのだ。
  常識的な農家が、かんかんになって怒りそうな試みだ。なぜなら、多くの農家は、品質が
 一定であることを市場での競争力と信じ、その達成のために、努力に努力を重ねているから
 だ。でも、市場、というか我々消費者は、本当にそんなことを求めているのだろうか。
 「常識」が想定する、品質のばらつきに対する市場の反応。それは「きのうと同じ値段がつ
 いているのに、きょうの牛乳は薄かった。損をした。どうしてくれるのか」であろう。だが、
 自然放牧の牛乳にそのような文句を言う人がいるだろうか。
  洲濱さんの取り組みを聞き、「日によって達う牛乳の味を楽しんでください」と言われて
 牛乳を飲み比べた藻谷さんは、ひとことでその「常識破りの価値」を言い当てた。
 「搾った日ビンテージ、ですね」
  そうなのだ。私たちは「均質なものをたくさん」以外の価値観も持ち合わせている。ワイ
 ンなどの財界では、他にない特徴を持つものが少量あることに価値を置く。「ビンテージも
 の」と名付けて。その価値観を牛乳に持ち込もうとは、夢にも思って来なかった。それだけ
 のことなのだ。
  常識にとらわれない洲演さんは、毎日味が達う牛乳を、これからもっと売り出していきた
 いという。晴れ九日、草原を突っ切り、森に入ってクマザサをおなかいっぱい食べる牛の乳。
 草はらにハーブがはえる季節、ほのかにいい香りのする牛乳。
  確かに、その方が自然放牧ならではの「ストーリー」を語ることができる。聞いているだ
 けで、わくわくしてくる。そして、牛乳は工業製品ではないのだ、と改めて実感できる。
  これこそ、「均質」にできることが当たり前となり、逆にばらついていることの価値、つ
 まり個性を大切にしたくなった今の時代だからこそ認められる「常識破り」ではないか。

 
 「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境

  毎日うきうきと小型のバンに乗り込み、耕作放棄地を切り拓いて作った畑に向かう数人の
 若い女性たち。「耕すシェフ」と呼ばれている。
  島根県邑南町が開設した、町観光協会直営のイタリアンレストランで働いている。耕作放
 棄地を使って農業をしながら、そこでとれた野菜を自分で調理して、客に出す。
  彼女たちは、もともと農業に詳しくない。というより、素人に近い。そのひとり、安達智
 子さん、25歳。大学卒業後、横浜でウエブデザイナー、つまりホームページなどを作製す
 る仕事をしていた。
  自然の中の暮らしや農業に興味がなかったわけではない。週末には、わざわざ茨城まで行
 って市民農園を借り、野菜作りを楽しんでいたという。
  都会でないと仕事がなく暮らせないという「常識」が、実は違うということにも、半ば気
 づいていた。都会から田舎を目指す若者をサポートするNPOの仲立ちで、我々の取材の一
 年前に、縁もゆかりもない島根県邑南町に「転職先」を見つけた。島根と鳥取の区別もつか
 ないという、予備知識のない状態のままで。
  移住してきた安達さんに、地元の人は驚きの声をあげたという。「なんでまた、こんなと
 ころに」。そもそも「耕すシェフ」のコンセプトを発案し、募集した邑南町商工観光課のす
 任、寺本英仁さんですら、「みんな、来るわけないと言っていた」と明かす。
  逆に安達さんは、そういわれることが不思議でならなかった。「転職先」は、安達さんが
 夢見る希望の条件がすべてそろった、理想的な環境だったからだ。
  自由に使える上地が、すぐ近くにある。都会の菜園は達くて、通うこと自体大変なことが
 ほとんどだった。しかも、都会では当然のようにとられていた結構な借り賃も、ここではか
 からない。あれを作りたい、これも作ってみたい、有救農泉がしたいと希望をいうと、教え
 てくれるベテラン農家を気楽に紹介してもらえる。部会の「先生の授業」は決まった時間だ
 けだが、ここならば、その辺に教えてくれる人はいくらでもいる。達人だらけの町なのだ。
  さらに、収穫した野菜を料理にして出す場もある。目の前で味わい、感想を討ってくれる
 人までいる、しかもお金を払って。耕すシェフのレストランに来る客は年間1万7千人。
  安達さんがそう話す向こうで、昔ながらの小学校のチャイムがのんびりと鳴っていた。
  どう考えても、安達さんが普通で、これまでの常識が変なのだ。土地というものは、使い
 たい人が多ければ値段が上がり、少なければ下がる。極限まで下がった土地が「ただで使え
 る耕作放棄地」だろう。ところが、ただになってもみんな使おうとしない。きちんと情報さ
 え行き渡れば使いたいと言い出すに違いない潜在的希望者は、かやの外に置かれている。
 なぜこんなことがまかり通り、放置されているのだろう。

 
耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ

 
  松江市郊外の耕作放棄地で、最近面白いことが起きた。素人たちが楽しそうに耕す姿を見
 て、プロ農家のやる気が復活したというのである。
  島根の県庁所在地松江でも、身の回りに畑を持たない都市住民の中に、自分で野菜を作り
 たいという人が増えているという。どこか気楽に使える場所はないか、と探したところ、車
 で二〇分くらいのところに耕作放棄地があった。市民たちはNPOを立ち上げ、活用する許
 可を市にもらい、せっせと荒れ地を農地に戻して、野菜などを作り始めた。
  まったくの初心者も多い。その分、感動も大きい。実がなったと大騒ぎ、といった光景が
 あちこちで見られるようになった。スーパーで買って食べるのと、ありがたみが全く違う。
 通うのが楽しみでしょうがない。休みの日など、子どもや孫を連れて、一日ここで過ごすと
 いう人もいる。子どもの歓声が響く。耕作放棄地が一気に楽しい場所になった。
  荒れ放題だった土地の変貌ぶりを、近所の農家の人が見ていた。そして、感銘を受けたと
 いう。何か人事なことを忘れていたと感じ、自分たちも荒れ地の一部にお茶の苗木を植えた。
 木が育ち、お茶を摘む日を楽しみにすることにしたのである。 

  鳥取県の山あい、八頭町では、進めてきた耕作放棄地の活用をめぐって、興味深い議論が
 繰り広げられた。自分たちは儲けるためにやっているのか、楽しいからやっているのか、真
 剣に話し合ったのだ。出した結論が、いかしている。楽しむことが第一だということを、み
 んなで確認したのである。
  彼らが取り組んでいるのは、とある魚の養殖。耕作放棄地の田んぼを20センチほど割り、
 用水路から水をひいて、ホンモロコという魚を育てている。ホンモロコは体長10センチほ
 どの琵琶湖特産の魚で、昔から京都の料亭などでは、高級食材として珍重されてきた。炭火
 であぶったり、け露煮にしたりして食べる。上品な味の白身の魚だ。
  2000年頃、鳥取大学で淡水魚の研究をしてきた七條喜一郎さんが、ホンモロコが田ん
 ぼの他のような環境でも育つ魚であることに目をつけ、八頭町の耕作放棄地で養殖を始めた。
 やってみると、うまくいった。初夏、幼魚を池に放す。エサは池にわくミジンコなどのプラ
 ンクトン。醤油かすや小麦をまいておくと、それをエサにミジンコは自然に増え、ホンモロ
 コは育つ。成魚になってからはちゃんとしたエサが必要だが、それまではほとんど手間がか
 からない。食べればおいしいし、田んぼで魚が育つこと自体、なんとも楽しい気分になる。
  代々受け継いだ田んぼを荒れ放題にしていることに後ろめたさを感じていた農家などが、
 次々と田んぼを池に変えた。参加者は年々増加し、今では町全体で五一人にもなる。ブーム
 はまわりの町や他県にも広がった。
  そして問題が起きた。新規参入者急増による産地間競争、である。
  ホンモロコは、確かに京都に持って行くと高く売れる。古都の台所、錦市場に行くと、甘
 露煮が百グラムで1500円を超える値をつけている。しかし、こんな淡水魚をありがたが
 って食べる文化を持つのは京都周辺だけである。我も我もと京都の市場にホンモロコを出す
 と、とたんに競争が起きる。そして、値が上がってしまうのである。
 「八頭ホンモロコ共和国」という手書きの看板を掲げた拠点に、主だったメンバーが集まっ
 て話し合いがもたれた。
  高級魚としてのブランドを維持するために、何をすべきか。市場の拡大は図れないか。議
 論を黙って間いていた七條さんが、目を開いた。
 「もともと、何のために始めたのか?」
  七條さんは、こう説いた。荒れ果てた先祖伝来のデンパタを見るのは悲しいことだ。活か
 されていない土地で何かできないか、と始めたのがホンモロコの養殖だ。そもそも儲けよう
 とか、採算が取れるかとかを考えて始めたことではない。楽しいからしているのだ。それで
 いいじやないか。争うなどもってのほかだ、と。
  七條さんには、「楽しい」という以外に、もうひとつ大切にしていることがある。それは
 「地域を誇らしく思う気持ち」だ。
  我らが田んぼで高紙魚が育つ。それ自体、誇らしい。
  みんなで集まり、おいしい食べ方をあれこれ工夫する。酒を酌み交わしながら、その味を
 自画自賛する。そしてホンモロコを知らない人に、食べ方を紹介しながら、こんなにおいし
 い魚がとれるわが故郷を自慢する。
  誇らしさは、子どもたちにも広がっている。ホンモロコを給食で使うようになってから、
 子どもが胸を張るようになった。七條さんは何度も小学校を訪ねては、ホンモロコが育つ水
 がきれいなこと、そんな環境に自分たちが暮らしていることを、繰り返し教えている。
 「それで、いいじやないか。子どもが地域を好きになってくれれば」

 

 「市場で売らなければいけない」という幻想

 
  こうした事例は、ことの本質を見事に語っている。これまで耕地というものをしばってい
 た常識を外せば、案外道は開けるのだ。
  その常識とは何か。第一は、耕地で育てるからには、「相当額のお金に姿を変える経済行
 為でなければならない」という常識だ。いいかえれば、必ず「市場なるところ」で売ってお
 金と交換してこなければならない、という常識だろう。こういう常識にとらわれている人は
 お金に換えてしまうと失われる価値があることに気づいていない。
  なぜ自分で食べてはいけないのか。自分か楽しんで作ったものは、自分で食べることこそ
 が一番楽しいし、充実感も得られる。
  なぜ、自分で調理して人に食べさせてはいけないのか。「これ、私が作ったのよ」といい
 ながら、人に食べてもらうことが、どんなにうれしく、満足を得られることか。
  それなのに私たちは、耕地を使うときは、できたものを必ず外の市場にもっていき、売ら
 なければならない、と信じてきた。そのために、作るものの品質と量だけにひたすらこだわ
 り、他の産地に負けないよう、価格を競争してきた。海外産はもっと安いといわれ、唯々諾
 々と「値下げに応じてきた」のである。
  そのあげく、「戦えない商品」しかつくれない耕地では、何も作らないという選択をして
 きたのだ。耕地を放棄し、そして食べるものを外から買い、自給率を下げてきた。
  そうしたことが地域で暮らすコストを押しIにげ、結果、地域が生きていくことを難しく
 している。基本的なことだが、改めてそのことを確認しておかなければならない。

 次々と収穫される市場 "外"の「副産物」

  耕作放棄の菜園で野菜を育てている市民は、その分スーパーで野菜を買う必要がない。こ
 れは、重要なことを私たちに問いかけている。
  いつのまに私たちは、「趣味」をお金で買うしかないものにしてしまったのか。趣味を含
 め生活のすべては、仕事という「業」で得たお金を切り崩して得るしかないと考える、一方
 通行の仕組みを金科玉条にしているのはなぜなのか、と問うているのだ。趣味で野菜を作り、
 その分お金を使うことが少なくなれば、それにこしたことはないではないか。それどころか、
 支出さえ抑えられれば、実はそれほど収益性の高くない「業」でも、つくことができるよう
 になるのだ。
  地元の池で育ったホンモロコを給食に使えば、町の外から魚を買う必要がない。同じよう
 に代金を払っているようだが、意味合いは全然違う。外の魚だと、お金は町の外に出て行く。
 でも地元のホンモロコなら、お金は地域に留まる。地域の中で回っていくのだ。
  見かけ上、経済活動は小さくなる。でも、実は豊かになっている。里山資本主義の極意だ。
  さらに、手に入る「豊かさ」は金銭的なことだけではない。「楽しさ」や「誇り」といっ
 た「副産物」が次々「収穫」されていく。
  副産物は、まだまだある。「耕すシェフ」の仕掛け人である邑南町商工観光誄の寺本さん

 が、こんな話をしてくれた。
 「安達さんがここに来た頃、疲れていた。遅刻ばかりしていた。でもしばらくすると元気に
 なった,たぶん、部会にいた時は何百万人のひとりだったんでしょう。ここにくると一万人
 のひとり。役立ち感が全く違う」そのことを如実に表すバロメーターがある。「ありがとう」
 と言われる
ことが圧倒的に増えたというのだ。さらにいえば、安達さんが「ありがとう」と
  いうことも増えた。感謝のコ

   ミュニケーションは、人を元気にする。それが都会では、どんどん少なくなっている。
  安達さんは、自分で作る野菜以外に、先生となっている農家など、何軒かの農家をまわっ
 て野菜を買っている。その際、幾つもの質問をする。何という名前の野菜か、から始まり、
 おいしい野菜の作り方、見分け方、おいしい食べ方……。聞かれるたびに、農家の人は答え
 る。ほとんどは、当たり前だと思っていたようなことがらだ。でも苦にならない。苦になら
 ないどころか、答えるのが楽しくて仕方ない。毎日、早く安達さんがこないかな、話がした
 いな、と思うようになったという。
  そうなのだ。野菜の話をするのは、楽しいことなのだ。こんなに楽しいことを、なぜ今ま
 でしてこなかったのか。それを安達さんが気づかせてくれた。そして、今日も安達さんは
 「ありがとうございました」といって帰って行く。
 これが、あすはない、都会に出るしかないとみんなが信じてきた田舎に、実は眠っている
 「実力」なのだ。
  そのことを、安達さんは、こんな言い方で表現してくれた。
 「すごくおいしい水もあって、森もあって、全部あるじやないですか、いいじやないですか
 って言うんですが、地元の人は、なんかやっぱりスーパーとか色んなものが買える場所があ
 った方が若い人はいいんじやないか、という考えをもっているらしいんです。そうではなく
 て、地元の人が持っている色んな知恵とか、自立して生きていける力とか、そういうことを
 今すごく必要としていて、それを学びたくてきているんですね」
  安達さんの言うことが常識になれば、地方は激変する。都会に住む人を巻き込んで、日本
 全体が大きく変わると、私たちは確信している。

                     藻谷浩介 著『里山資本資本主義』pp.131-203

                                   この項つづく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする