極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

やわらかなポータルブレイン時代

2014年05月21日 | 時事書評

 

 

 

  

      

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

第2次産業の大量生産・大量消費時代が終焉し、ポスト・フォーディズム時代が登場したように、
大量資本運用・利潤追求時代が終焉し、ポスト・グローバルキャピタリズム時代が登場している。
地に足を付けた経済運営が求められている。それがサトヤマキャピタリズムという。そして、そ
手段の1つとして「地域通貨」が見直されている。さらに、次世代産業の最先端と里山資本主
の志向は「驚くほど一致」していることを発見する。その通りなのだ。時代は"デジタル革命
渦論(でじたるかくめいかぶん)
"にあり、多様な新しい経済システム誕生の源泉があり、その
現にやわらかなポータルなブレインを必要としている。裏返せば、それなくして充分な"収穫"
は得られなかったはずだ-そのことを確認し昨夜につづきスローリードする。

 

 

  「手間返し」こそ里山の極意

 
  手間返しとは、地域の人々が互いにお世話をしあい、お返しをする無限のつながりをさす
 和田さんがお世話になったお礼に、メッセージを刻んだカボチャを送っていたのを覚えてい
 るだろうか。ああいったことを、みんなが手をかえ品をかえ、延々と続けるのである。
  和田さんは、手間返しについてこう語る。「これが楽しいんですね。なにかしてもらった
 ら、今度はどうやって返してやろうかと。それを考え、悩むのがまた楽しいんですね。どう
 やって驚かせてやろうか、わくわくするんです」
  西山さん夫婦は、この「手間返しの精神」のありがたさが身にしみている。実は恵利香さ
 んは数年前、乳がんを患い手術をした。術後も体調は思わしくなく、ふさぎこんでいた。そ
 んな夫婦を励まし、救ってくれたのが、手間返し好きのお節介な地域の人たちだった。西山
 さんに草をひいてもらったとか、鮎の塊製をもらったとか、あるいは別にしてもらってない
 けど、とか言ってかまってくれる。その心遺いがうれしくて、集まりがあると無理してでも
 顔を出し、お手伝いをする。みんなと腹から笑ってすっきりする上に、しばらくすると、ま
 た何かが返ってくる。そんなことを繰り返しているうちに、気持ちも体調そのものも回復し
 たのだ。
  恵利香さんが、毎日通う場所がある。それは家の裏庭。「煎じて飲めばよくなるそうよ」
 と友人がくれたカワラヨモギという野草が茂っている。このヨモギを見るたび、煎じて飲む
 たび、心が熱くなる。




 「まだ元気になれるぞ、負けるなよというメッセージというか、応援団がいっぱいいて、そ
 れがお薬の代わりになって元気になった気がする。温かい気持ちで、負けるもんかという気
 持ちになった。ありかたかった」
  秋、隣の集落の祭りの日、西山さん夫婦はちょっとした包みをもって、出かけていった。
 知り合いの家で、祭りのごちそうを一緒にいただくのだ。
  祭りはそもそも、ほとんど原価ゼロ円。子どもたちの衣装は代々受け継ぎ、化粧は地域の
 お母さんたちが受け持つ。家ごとに工夫をこらすごちそうも、ほとんどは自分たちで作った
 り、もらったりしたものだ。メインディッシュは、この時季山で採れる、香りの良いきのこ
 「香茸」をちらした昔ながらのこうだけ寿司。 
  知り合いの家にあがりこんだ西山さん。座敷に向かう前に勝干場に顔を出し、持ってきた
 包みを解く。中には、この開山で掘ってきたあの立派な自然薯。「すごいわねえ」と奥さん 
 たちの歓声が上がる。
  座敷の真ん中の席に、家の長老である90歳のおばあさんがつくと、宴が始まる。気の置
 けない人たちとの楽しい時間。しこたま飲んだところで、家主に外へ連れ出される。長い竿
 を持った家主が向かうのは、大きな柿の木。欲しいだけ持って帰りなさいというわけだ。
 持ってきた包みより大きな荷物をかかえ、楽しそうに祭りの行列を見物する西山さん夫婦。
 手間返しの極意の一端を見せてもらった。
  恵利香さんは、最近がんが再発した。手間返しの温かいパワーで回復されることを心より
 祈りたい。
  西山さんの言葉に、改めて耳を澄まそう。「東京かなんかだと、政府が悪いとか、何か絶
 対助けてもらわなければ困るとかいうけれど、僕らはそうではない。僕らが田舎の手間返し
 と呼ぶものは、お金じゃなくて人間の力。僕ができることをして、隣でしてあげて、僕がで
 きないことを隣がしてくれる。僕が作れない時間を作ってくれる。僕が作れん時間を作って
 もらったら、僕は手間で、またそれを返す」
  日本にまだこの素晴らしい習慣が残っているうちに再評価し、21世紀を切り拓く新たな
 知恵として磨いていかなければならない。

 


  21世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる

  西山さんという達人の実践も原動力にしながら、和田さんたちが議論を重ね、知恵を出し
 合って作り出す「21世紀の里山システム」。それは、東京などの都会を通り越して、直接
 海外の人たちに伝播し始めている。
  ある日、熊原さんの高齢者施設にヨーロッパの福祉先進国、フィンランドから来客があっ
 た。福祉関連の研究に携わる女性の大学教授、二人だ。近くで聞かれたシンポジウムに参加
 したのだが、耳寄りな情報を得て、直接話を聞きにきたという。熊原さんは、大歓迎。早速、
 入君さんたち地域のお年寄りが週に一度デイサービスで集まる集会室などを案内し、施設の
 カフェテリアで話し込んだ。
  まるごとケアの考え方や、お年寄りの野菜の活用による富の循環システムなどを、熊原さ
 んが説明する。フィンランドの教授が身を乗り出してくる。
 「私たちには、このような循環システムがありません」「これは素晴らしいアイデアであり、
 社会的革新です。衰退する地域や農村が生き残るチャンスを示しています。あなたの素晴ら
 しい考えを持ち帰ることにします。我が国に輸出してくださいますね」
  福祉の財界では二歩も三歩も先をいっていると思っていた国の専門家がべたぼめするのに、
  私たちも、熊原さん自身もあっけにとられた。
  でもそこは、熊原さん。意見交換の最後をこう締めくくった。
 「このやり方が、世界を救うかもしれないと思っています」
  ここで注意しておかなければならないのは、この二人の教授が、東京の広告代理店の紹介
 もなく、大新聞の記事を見たわけでもなく、熊原さんの優れたシステムにアクセスしてきた
 ことだ。今、世界中が草の根のネットワークを駆使して、地方で小さな花を咲かせた21世
 紀の知恵をとりこもうと躍起になっている。世界は、経済成長を競う「表のグローバル競争」
 と並行して、一見静かだが激しい「草の根のグローバル競争」を加速させている。そのこと
 を、我々日本人はもっと自覚しなければならない。
  誰が21世紀の新たな生き方を先に獲得し、豊かになるか。
  日本有数の過疎地、中国山地は、世界に21世紀の課題解決策を提示するトップランナー
 になる潜在力を持ち合わせている。そのことを、我々自身が自覚し、活かしきる態勢を整え
 なければならない。

  第5章 「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」
                                      ー課題先進国を救う里山モデル
                                   
                                       (NHK広島取材班・井上恭介)

   報道ディレクターとして見た日本の20年

 
  藻谷浩介さんとタッグを組み、片田舎と馬鹿にされてきた地方から発信される21世紀の
 最先端を里山資本主義と名付け、その意義を世に問い続けて一年あまり。水と油のような両
 極端の反応に、驚いている。
 「水」のように受け入れてくれるのは、無名の人の素敵な生き方、今の生活を少しでも前進
 させる知恵に素直に反応し、取り入れる気質を持つ人々だ。こういう人は田舎にUターン、
 Iターンしても、単に地元企業で「職」を探すのでなく、お金うんぬんではない際かさを見
 つけ出す嗅覚にすぐれている。
  そうした志向の人は加速度的に増えており、都会から地方への流れができている。
  鳥取県では、行政も把握しない形で地域に入り込み(もともとは、県のIターン募集のホ 
 ームページが情報源だったりするそうだが)、地域社会に密かに溶け込んでいる若者も多い。
 「どうしてきたのか」と尋ねると「働きたくないから」と答える天邪鬼。性格も見た目も「
  なで」で、無気力そうに見えるが、試しに人手が足りない地域の祭りを仕切らせたりする
 と、
意外なほど粘り強く、最後まで責任を果たす。だから地域のおじさんたちの間でも、子
 どもたちの間でも大人気。やれ田んぼの草刈りをすると言っては助っ人に呼ばれ、一年中食
 べたい分だけ米をやると言われ、やれ土産物屋で手作りのストラップを作るといっては誘わ
 れ、夜中まで楽しく作業し、夕飯で余った食材をごっそりもらって帰って行く。
  そんな若者を見て、ある程度から上の世代が思い出すのは、昔、祭りや地域の行事になる
 と、決まって人々の輪の中心に陣取り、大活躍していた次男坊、三男坊の「気のいいおにい
 ちやん」たちだ。しかし戦後、そうした若者が高度経済成長を担う「金の卵」ともてはやさ
 れる中、「気のいいおにいちやん」は次第に田舎から姿を消した。少し前までは、彼らが都
 会で夢破れたと帰ってきて、厳格な跡取りの長男に迎えられて養われる、といったこともあ
 った。しかしその後、迎えていた長男までも都会に就職する時代となり、ふるさとの「迎え 
 入れて養う力」は急激に落ち、そういう人もめっきりいなくなった。私たち報道ディレクタ
 ーがこの20年あまり取材してきたのは、そうした事態の進行の「裏表」を映す、様々な現
 象だったといえる。
  今でも強烈な思い出が残る取材がある。バブル崩壊後の1990年代、都心の電車の中で
 行き倒れて死亡したホームレスの男性が半日も座席に放置されていた、といういまわしい出
 来事が起きた。なぜ彼は電車の中で死ぬしかなかったのか? 同じような人がいるのか?
 遺品の中にあった池袋駅発行の切符と喫茶店のマッチを手がかりに、池袋駅周辺のホームレ
 スを約一ケ月取材した。
  景気の良いときはいくらでもあった建設現場の仕事が激減。「どや」に泊まるお金もなく
 なり、電車が動いている間は駅の地下通路で、終電が終わり駅のシャッターがしまると、駅
 周辺の飲食街の軒下で暮らしていた。体が思う上うに動かない人も多く、比較的元気な数人
 が、工事現場の日雇いの仕事でもらってきたお金でパンやカップ酒を買い、分けあっていた。
  その上うな中でも、数回はふるさとに帰ったことがあると話してくれたホームレスもいた。
 でも実家の敷居はまたがず、戻ってきたという。家にはもう帰れないとつぶやいていた、み
 つぐと名乗る男性。その時は「どの面下げて……」という意味だと受け取ったが、ふるさと
 の事情が大きく変わったことも、関係していたのかもしれない。
 「故郷に帰るに帰れないホームレス」が都会の駅や公園、あるいは24時間営業のファスト
 フード店に増える一方で、ふるさとは空き家だらけになるという奇怪な事態。都会での脱落
 者はどんどん増え、日本は「無縁社会」なる言葉が流行語となる時代へ突入していった。

 「都会の団地」と「里山」は相似形をしている

  企業で比較的クリエイティブな仕事をしてきたリタイア組。その中でも、元気でがんばれ
 る75歳までの15年の間に思い切って何かに打ち込みたいと考える人の多くが、里山資本
 主義を「水」のように受け入れてくれる。
  庄原の和田芳治さんは、こうした人たちを「高齢者」をもじって「光齢者」と呼ぶ。地方
 にとって頼りになる「光り輝く人材」という意味だ。「だいたい世の中というものは、たく
 さんあって余っているものを使うとうまくいくんです」と、和田さんらしい辛辣な表現で解
 説してくれる。
  確かに今、こうしたリタイア組の中に、「第二の人生は田舎で悠々自適」という選択をす
 る人が相次いでいる。畑仕事は素人だが、知らないことでもIから学び自分のものにする訓
 練は、働いていた企業などで繰り返してきた。知らない人とつきあう訓練も十分積んでいる,
  さらに和田さんたちが重視するのは、将来はともかく現在はまだ、リタイア組は多少のリ
 スクを取れる「年金というセーフティーネット」を持ち合わせているということだ。「年金
 プラスアルフア」の「アルフア」だけ手に入れられれば、生活はぐっと咬かになる。現金の
 形で手に入れなければならないわけでもない。若い匪代に比べ、ハードルがぐっと低いのだ。
 リタイアしたら田舎へという潮流を今のうちに作っておけば、地方活性化の人材は安定的に
 供給できていく。和田さんたちは、働きかけを急いでいる。
  田舎の農村に第二の人生をかける人に、必要以上に「自然好き」「田舎好き」のレッテル
 を貼る向きもあるが、やめるべきだと和田さんたちは指摘する。匪界一の物質的な豊かさを
 手に入れた成熟社会の経験者が、「薪のようにおいしく炊ける炊飯ジャー」に飽きたらずエ
 コストーブに挑戦したり、「高級スーパーの有機無農薬野菜」に飽きたらず自分で作り始め
 たりするのは、そんなに不思議なことではない。
  もうひとつ、彼らが渇望感を抱いているのがコミュニティーだ。今、都会のあちこちで開
 かれる祭りに飛び入り参加するのを趣味にする人が多いのは、そのひとつの表れであろう。
 若いうちは、誰にも干渉されない都会のドライな人間関係にあこがれても、年齢を重ねて落
 ち着いてくると、過疎化しているとはいえ、昔ながらの人間関係が残る田舎は良いところに
 見えてくる。
  高齢者ばかりになった都会の団地で、こLくなっていても誰も気づかず」という嘔態に危
 機感を抱き、コミュニティーの再生に汗を流すリタイア組と、地方に入り込んでがたがたに
 なりつつある田舎のコミュニティーを立て直そうと意気込む人たちは、実はほとんど同じ志
 向を持つ人たちなのだ。           

  「里山資本主義への違和感」こそ「つくられた世論」

  では、里山資本主義を毛嫌いし、成果を認めない、あるいは評価に値しないと門前払いす 
 る「油」のような人たちは、どのような人たちか。
  かつての経済成長を取り戻すこと、あるいは競争の激しい新興国の成長市場での戦いに勝
 つことを日本再生の最優先課題に掲げる人たちだ。インドやアフリカに乗り込んでいく中国
 や韓国のバイタリティーあふれる若者に比べ、海外に行くのは嫌、温泉でのんびりしたいと
 か言っている日本の若者はなんだ、というのが、こうした論調が真っ先にあげる「嘆かわし
 い事態」だ。田舎がいいなどと言っている若者をほめる里山資本主義は、けしからんとなる。
  自動車やエレクトロニクスに代わる日本の稼ぎ頭を見出し、海外勢と渡りあって勝だなけ
 れば日本のあすはない、という論調。では、当の最先端を担う人たちは、本当に里山資本主
 義の精神を毛嫌いしているのだろうか。
  私自身の一年あまりにわたる取材経験と見聞から、それこそ「作られた世論」ではないか
 と考えている。

  次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している

  私は、東日本大震災をはさんでおよそ一年間、20以上の企業が一緒に「スマートシテ
 ィ」のシステムをつくっていくプロジェクトの内部取材を許され、入り込んだ(広島に転勤
 してくる直前のことである)。週一回の会合のほとんどに参加し、いわばプロジェクトの一
 員
 として議論にも積極的に加わった。
  参加企業は、まさに日本経済のあすを担う企業ばかり。主だったメンバーは、発電から家
 電、列車の運行システムから製鉄所の設計まで手がける総合電機メーカー、日立製作所。省
 エネビル開発で世界の先頭に立つゼネコン、清水建設。経営不振に苦しんでいるとはいえ、
 太陽光パネルの技術は世界トップクラスを誇る家電メーカー、シャープ。世界的IT企業ヒ
 ューレット・パッカード(HP)の日本法人。リチウムイオン電池やスマートグリッドなど
 の企業を世界中で発掘し情報を駆使してビジネスチャンスにしている総合商社、伊藤忠商事。
 中国はじめ新興国の不動産ビジネスヘの展開を加速させる三井不動産。そうそうたる会社の
 切れ者、くせ者たちが顔をそろえる。そんな猛者たちの会議を、世界各地、あるいは政界に
 も様々なネットワークを張り巡らせるコンサルティング会社の社長、佐々木経世氏が仕切っ
 ていく。 
  毎週3時間以上の時間を割き、会議にメンバーを送り込んでくることからも、この分野で
 世界のトップを走れるかどうかが、企業の「社運」を握っていることがわかる。数年後には
 数十兆から百兆円規模に膨らむと期待される世界市場で、どう主導権を握っていくか。
 会議で配られる資料には、どのページにも「極秘」の文字。個々の技術はもちろん秘密のも
 のばかりだが、会議では中国・天津で進む巨額契約についての情報や、アメリカ・シリコン
 バレーでつかんだアメリカ当局の思惑に関する情報なども飛び交う。
  前置きが長くなった。伝えたいのは、その議論の内容、つまり彼らが何を面白いと感じ、
 何をしていけば日本は世界の中で勝っていけると考えているか、ということだ。
  先に結論をひとことで言えば、彼らが目指していたことは「企業版・里山資本主義」であ
 り、「最先端技術版・里山資本主義」だった。
 「スマートシティ」とは何か、まずそこから説明しなければならない。巨大発電所の生み出
 す膨大な量の電気を一方的に分配するという20世紀型のエネルギーシステムを転換し、町
 の中、あるいはすぐ近くで作り出す小口の電力を地域の中で効率的に消費し、自立する21
 世 紀型の新システムを確立していく。それがスマートシティだ。
  中東UAEで建設が進む「マスダールシティ」などがその代表格。広大な未来都市を表現
 する豪華なCG映像から受ける印象は大規模でマッチョだが、大事なのは中身の繊細さであ
 り、どこまでしなやかに様々な状況に対応できるかを、提案者である企業連合は競うことに
 なる。

                             藻谷浩介 著『里山資本主義』

                                  この項つづく 

 

  


 

  彼女が栗谷えりかであることは一目でわかった。僕はそれまで二度しか彼女に会っていなか
 ったし、最後に会ってから既に十六年が経過していた。それでも見違えようはなかった。昔と
 おなじように表情が生き生きとして、美しかった。黒いレース地のワンピースに、黒いハイヒ
 ール、細い首に二重の真珠のネックレスをかけていた。彼女も僕のことをすぐに思い出してく
 れた。場所は赤坂のホテルで開かれたワインこアイスティング・パーティーの会場だった。ブ
 ラックタイの催しということで、僕もいちおうダークスーツを着て、ネクタイを締めていた。
 僕がどうしてそんな場所にいたのかについては、説明すると話がけっこう長くなる。彼女はそ
 のパーティーを主催した広告代理店の担当者だった。いかにも有能そうに立ち働いていた。
 「ねえ、谷村くん、どうしてあのあと連絡をくれなかったの? あなたともっとゆっくりお話
 ししたいと思っていたのに」
 「君は僕にはいささか美しすぎたから」と僕は言った。
  彼女は笑った。「そういうのは社交辞令としても耳に心地よいけど」
 「社交辞令なんて生まれてこのかた、目にしたこともないよ」と僕は言った。
  彼女の微笑みはより深くなった。でも僕の言ったことは嘘でもなく、社交辞令でもなかった。
 彼女は僕が真剣に興味を抱くには美しすぎた。昔も、そして今も。それに加えて、彼女の微笑
 みは本物であるにはいささか素敵すぎた。
 「少ししてからあなたのアルバイト先に電話をしてみたんだけど、もうここにはいないって言
 われた」と彼女は言った。

  木樽がいなくなったあと、仕事がひどく詰まらなく思えてきて、僕も二週間後にその店を辞
 めた。
  栗谷えりかと僕は、それぞれが辿った十六年間の人生を手短に要約し合った。僕は大学を出
 て小さな出版社に就職したが、三年後にそこを辞め、あとはずっと一人でものを書く仕事をし
  ている。二十七歳のときに結婚した。子供は今のところいない。彼女はまだ独身だった。仕事
  が忙しくて、さんざんこきつかわれて、とても結婚するような暇がなくてね、と彼女は冗談め
 かして言った。たぶんあれから数多くの恋を経験してきたのだろうと僕は推測した。彼女の漂
 わせている雰囲気にはそう思わせるところがあった。木樽の話を最初に持ち出したのは彼女の
 方だった。

 「アキくんは今デンバーで鮨職人をしているの」と栗谷えりかは言った。
 「デンバー?」
 「コロラド州デンバー。少なくともニケ月前に届いた葉書にはそう書いてあった」
 「どうしてデンバーなんだ?」
 「知らないわ」と栗谷えりかは言った。「その前に来た葉書はシアトルからで、そこでも鮨職
 人をしていた。それが一年くらい前のことよ。ときどき思い出したみたいに葉書を寄越すの。
 いつも馬鹿みたいな絵葉書で、文章はほんの少ししか書いていない。差出人の住所を書いてな
 いことさえある」

 「鮨職人」と僕は言った。「結局、木樽は大学にはいかなかったの?」
  彼女は肯いた。「夏の終わり頃だったかな、大学受験するのはもうやめると突然言い出した
 の。こんなこといつまで続けていても時間の無駄だって。そして大阪にある調理学校に入った
 の。関西料理を本格的に研究してみたいし、甲子園球場にも通えるからって。『そんなに大事
 なことを一人で勝手に決めて、大阪に行っちやって、私のことはどうするつもりなの?』って
 訊いたわよ、もちろん」
 「彼はなんて言った?」





  彼女は黙っていた。ただ唇を固くまっすぐ結んでいた。何かを言いたそうではあったけれど、
 それを口にしたらそのまま涙がこぽれてしまいそうな様子だった。何があろうとその繊細なア
 イメイクを損なうわけにはいかない。僕はすぐに話題を変えた。
 「君とこの前会ったときは、渋谷のイタリア料理店で安物のキャンティを飲んだよね。そして
 今日はナパ・ワインのテイスティングだ。考えてみれば不思議な巡り合わせだな」
 「よく覚えている」と彼女は言った。そしてなんとか態勢を回復した。「あのときは二人でウ
 ディー・アレンの映画を見た。なんていうタイトルだっけ?」
  僕はタイトルを教えた。
 「あれはなかなか面白い映画だったな」
  僕もそれに同意した。ウディー・アレンの最高傑作の一つだ。
 「それで、あのとき君がつきあっていた同好会の先輩とはうまくいったの?」と僕は尋ねてみ
 た。
  彼女は首を振った。「残念ながらあまりうまくはいかなかった。なんていうのかな、今ひと
 つ気持ちが通じ合わなかったの。半年ほどつきあって別れた」
 「ひとつ質問していい?」と僕は言った。「かなり個人的なことになるんだけど」
 「いいわよ。私に答えられることなら」
 「こんなことを訊いて、気を悪くしないでくれるといいんだけど」
 「がんばってみる」
 「君はその人とは寝ていたんだろう?」
 
  栗谷えりかはびっくりしたように僕の顔を見た。両方の頬が少し赤くなった。


 
 「ねえ、谷村くん、どうしてそんなことをここで言い出すの?」
 「どうしてかな?」と僕は言った。「以前からそのことがちょっと気になってたんだ。でも、  
 変なことを言い出して悪かった。すまない」
  栗谷えりかは小さく首を振った。「いいのよ。なにも気を悪くしているわけじゃない。ただ
 あまりに唐突にそんなことを言われたんで、少し驚いただけ。ずいぶん昔のことだもの」
  僕はあたりをゆっくりと見回した。フォーマルな服に身を包んだ人々が、あちこちでテイス
 ティングのグラスを傾けていた。高級ワインの栓が次々に抜かれていた。若い女性ピアニスト
 が『ライク・サムワン・イン・ラブ』を弾いていた。
 

               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

                                   この項つづく



 

  柔らかいポータブルライト

 

 

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