●すわ、東京直下か?
早朝目が覚め、テレビを付けると、暫くすると地震情報が流れる。気象庁によると5日午前5時
18分ごろ、東京23区で震度5弱の揺れを観測する強い地震があったという。東京23区で震
度5弱以上の揺れを記録したのは2011年3月の東日本大震災以来になる。震度4を観測した
のは、東京多摩東部、栃木南部、群馬南部、埼玉北部、埼玉南部、千葉北西部、千葉南部、神奈
川東部、神奈川西部となっている。震源地は伊豆大島近海。震源の深さは160キロ。地震の規
模を示すマグニチュードは6.2と推定された。今回の地震は相模湾の深さ160キロという非常
に震源の深い地震だった。一般的に震源の深い地震の場合は、余震活動は高くない事が多いが今
後もしばらくの間は余震に注意が必要という。しかし、5月2日に奥飛騨に出かけたが、岐阜県
飛騨地方で、3日午前10時過ぎから一時間程度の間に6回の群発地震が起こったことが報じられ
ているから、これとの関連はとも考えたが、震源深さは4キロと言うことでごく浅い横ずれ型断
層地震。どうも関係ないのか?「3月11日の東北地方太平洋沖地震の前にも起こっている。つま
り、2月27日から28日かけての群発地震だ。311の大地震では、群発が終了して約10日後にM
9の地震が起こっている。今の日本では多分M9の大地震は起こらないはずなので、より短い期
間でM8程度の地震が起こるかもしれない」「比較的危ないのは若狭湾と関東沖のはず。もんじ
ゅは大丈夫か? 」(阿修羅/自然災害)という情報があり、このことと関係あるのか?長くな
るかもしれないがネットを検索してみると「東日本大震災の時は本震が発生する2日前にマグニ
チュード7の前震がありましたので、この後に強い本震が控えていないか注意深く観察したいと
ころです。それと、「伊豆近海」という震源の場所についても、「小笠原諸島の新島、遂に西之
島を超える!地下で猛烈な地殻変動が発生中?小笠原で噴火があると関東で大地震が起きる!?」
という過去記事で当ブログでは前に指摘していました。小笠原諸島と伊豆近海は過去の事例から見ても
ほぼ間違いなく連動しており、この付近にはとんでも無い大地震が潜んでいる可能性が高いです。最近
の日本では、深海魚の打ち揚げ報告を始め、彩雲や噴火活動、スロースリップ地殻変動、ラドン
濃度の急変等が報告されていました。大地震の発生を示唆する情報は数多くあるので、今後も地
震対策には気負いを入れておくと良いでしょう」(「真実を探すブログ」2014.05.05)と詳細に
その危険性を指摘しているブログもあり-心配な予兆かもしれない。
シリコン単結晶インゴットの製造方法としては、FZ法(フローティングゾーン法)とCZ法(
チョクラルスキー法)が知られている。これらのうち、CZ法は、FZ法に比べて、大径化が容
易で生産性に優れることから、汎用ウェーハの製造方法として多用されている。ところが、シリ
コン単結晶インゴットの製造の品質は引き上げ速度に依存すが、内部に原子空孔や格子間シリコ
ン等の点欠陥の凝集で形成されたボイドや転位クラスタなどのGrown-in欠陥がない無欠陥結晶を
育成するには、引き上げ速度を厳密管理しなければならないが、引き上げ速度Vで行っても、別
の要因-たとえば、CZ装置のホットゾーンの経時変化は、結晶内の温度勾配Gを変化させ速度
Vのプロファイル変更を必要とする。従来は、引き上げ速度プロファイルで育成されたシリコン
結晶からサンプルを切り出し、その位置での欠陥領域のタイプを決め、その結果を後続の引き上
げ処理のフィードバックに、R-OSF(Ring-Oxidation induced Stacking Fault)/Pv/Pi
のパターン、R-OSFまたはPv/Pi境界部の直径を引き上げの制御パラメータとしていた。
ここで、Pv,Piはいずれも、無欠陥領域に含まれるものであるが、Pv:若干の原子空孔(vac-
ancy)を有する領域、またPi:若干の格子間シリコン(interstitial Si)を有する領域を意味
する。従来、無欠陥領域のタイプPv,Piは、銅デコレーション法や熱処理後の酸素析出分布か
ら決定していた。つまり、Pv領域では若干の原子空孔が存在するため酸素析出が促進されるの
に対し、Pi領域では若干の格子間シリコンが存在するために酸素析出が抑制されることから、
銅デコレーション後や酸素析出熱処理後のX線トポグラフなどで観察することで、PvとPiの各
欠陥領域を区別していた(基本的に酸素析出核の有無によるPv,Piのタイプを決定)。従って
シリコン結晶が、高酸素結晶や低酸素結晶の場合は、両者の区別が難しく、高酸素の場合には、
Pv,Piのどちらの領域においても酸素析出する場合があり、また低酸素の場合には、どちらの
領域においても酸素析出しない場合がある。さらに、両者の区別可能な酸素濃度範囲であっても、
熱処理には時間と費用がかかり、後続の引き上げ処理に迅速にフィードバックできないという問
題がある。
ところで、新潟大学の後藤輝孝名誉教授、根本祐一准教授らは、結晶の酸素濃度に依存せず、熱
処理の必要なしに、シリコン結晶中の原子空孔を直接観測し、かつその存在濃度を定量的に評価
できる原子空孔の定量評価方法を開発している。この方法は、原子空孔に捕捉された電子軌道の
三重項と超音波歪みとの相互作用が極めて大きいことを利用して、シリコン結晶の弾性定数の極
低温化に伴う減少(ソフト化)の大きさから、シリコン結晶中における原子空孔の有無およびそ
の濃度を直接、短時間で評価でき、この方法によれば、上図(a), (b)に示すように、シリコン結
晶中原子空孔が存在すると、極低温にした場合に弾性定数の減少(ソフト化)が生じ、その減少
度合いにより、原子空孔の濃度が把握でき、不純物がドープされたシリコン結晶の原子空孔は磁
場を帯びるため、強磁場を印加した場合、磁場の影響を受けて弾性定数のソフト化が解消される
のに対し、不純物がドープされていないシリコン結晶の原子空孔は磁場を帯びず、強磁場を印加
した場合でも弾性定数のソフト化に変化しないので、この磁場依存性の有無によりシリコン結晶
の種類が識別ができる。
この方法は、表面弾性波素子をウエハー上に載せ、欠陥(原子空孔)の周りに存在する電子軌道
の量子状態を超音波で観測する。デバイスの製造で一般的に使う金属のボロンを添加した直径3
00ミリメートルウエハーの表面から3・5マイクロメートルの表層に存在する原子空孔の密度
を計測した。100億個のシリコン原子に対し、1個の微小な欠陥まで検出できる。このシリコ
ンウエハー表面の欠陥を非破壊で評価できるプロトタイプ装置は、無冷媒希釈冷凍機、超音波計
測機、くし状超音波素子作製装置などから構成し、装置価格は1台3億円程度。「将来、販売す
るウエハーに原子空孔の密度を表示させる」考えで、リンを添加するパワー半導体デバイス向け
シリコンウエハーにも対応させたいと言うが、凄い技がまた世界に発信されているということで
すね。^^;
【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】
●里山資本主義異論
わたし(たち)はデジタル革命の進行により、魅力のない(裏を返せば、必要なものが提供され
ない)商品を扱う商店街は潰れシャッター街が増え、反対に、情報が絶えず発信されている(裏
を返せば、活力のある)街や地域は、景気に左右されずに、自然と人が集まり、流行の言葉で言
えば、二極分解すると考えていた。そこで、「第三章 グローバル経済からの奴隷解放-費用と
人手をかけた田舎の商売の成功」(NHK広島取材班・井上恭介、夜久恭裕)の事例から「ニュ
ーノーマル消費」という言葉と出会うことになる。
過疎の島こそ21世紀のフロンティアになっている
本書ではここまで、田舎に踏みとどまって、地域の資源を見出し、地域循環型の経済を生
み出している人々を紹介してきた。ところが、時代の流れは今や逆転し、大企業を見限って、
過疎の地域へ飛び込む若者たちが増えている。それも優秀な若者が、である。ここからは、
そんな新たな潮流についてみていきたい。
そんな町の1つが、山口県南東部、瀬戸内海に浮かぶ、周防大島だ。
周防大島は、数ある瀬戸内海の島々で三番目に大きな島。全般的に山岳起伏の傾斜地で六
百メートル級の山々が連なり、海岸に沿って多少の丘陵地が広がる程度で、大半を山地が占
めている。その一方で、作物の生育にこれほど恵まれた環境はないのではないかとも思える
温暖な気候を持っている。年間の日照時間は国内トップレベル、年間平均気温は15・5度。
島では昔から、そんな傾斜地と温暖な気候を利用した柑橘類の栽培が盛んであった。瀬戸内
海は、いわば、日本の地中海である。
しかし、高度経済成長期、日本はこうした島々の活かし方を間違え、大量生産・大量消費
のシステムに組み込もうとしてきた。国は1961年、農業生産の増大・合理化を目指して
「農業基本法」を策定。みかんを、お金になる作物として、「選択的拡大」の対象に指定、
大規模化を推奨した。それは、この島で長く続いてきた、少量多品種による自給自足的な農
業を破壊、誰もがみかんを栽培するようになった。しかしみかんの需要は国が期待したほど
伸びなかった。そこに追い打ちをかけたのが、オレンジやグレープフルーツの輸入自由化。
みかんの過剰生産が問題となり、農家はジュースや缶詰などの加工用に振り向けざるを得
なくなっていった。しかし加工用のみかんは生食用の10分の1以下の値段で買いたたかれ、
みかん農家の多くが、経営を成り立たせることができなくなった。
結果は明白だった。島の産業に将来を見出せなくなった若者たちは、次々と島を後にして
いったのだ。日当たりのよい急斜面を利用したみかん栽培は、畑をぐるりと回るだけでも多
大な労力を伴う。若者がいなくなった段々畑は次々と荒れ地へと変わっていった。そして、
いつしか周防大島は、人口における65歳以上の割合を示す高齢化率が47・7%(201
2年)。日本で最も高齢化率が高い自治体の1つとなったのである。
ところが、この10年余りでにわかに変化が見られるようになった。半世紀以上にわたっ
て続いてきた社会増加数(転入者数から転出者数を引いたもの)の減少が、とうとう止まっ
たのだ。もちろん、高齢化が進み、そもそも出て行く若者が減ったのも一つの要因ではある
が、近年、島に移住する人が増えているというのである。もともと周防大島に縁がなかった
人がやってくるいIターン、いったん島を出て行ったものの、年を経て戻ってくるUターン
など、形は様々だが、今、瀬戸内の島々が「里山資本主義」によって、若者たちにとっての
フロンティアとして生まれ変わろうとしている。
大手電力会社から「島のジャム屋」さんヘ
これから紹介する松嶋匡史さんは、周防大島でも先進的な成功事例といっていいだろう。
松嶋さんがこの過疎の島で挑戦しているのは、カフェを併設したジャム屋さん。「瀬戸内ジ
ャムズガーデン」だ。
海に面した、フランスのおしゃれなカフェを連想させる建物と、床や柱に木をふんだんに
利用した、暖かみのある内装。そして、カフェスペースには、木のテーブルを三つ。そこに
座れば、大きな窓から目の前の瀬戸内海に島々がぽっこり浮かぶ、多島美を楽しむことがで
きる。
いくらおしゃれとは言え、山口市からも広島市からも離れたへんぴな場所に客は来るのだ
ろうか、と週末に訪ねてみれば、目の前の駐車場は車でいっぱい。家族連れやカップルなど、
たくさんのお客さんで賑わう。みんなのお目当ては、四季折々の手作りジャム。春はいちご
にサクランボ。夏はブルーベリー。秋はいちじく。そして冬はみかんやリンゴ。風味付けも、
バニラ、シナモン、ラム、紅茶、チョコレートなどなど。レパートリーはなんと百種類以上。
「あれもこれも」と好奇心を刺激されながら、オリジナルのジャムを味見し、買うことがで
きる。ほどよい甘さにほっこり。流れる時間はゆったり。子どもも大人もみんなが笑顔にな
れる空間だ。
もともと京都出身の松嶋さん。2006年、勤めていた電力会社を辞めてIターン、東京
から周防大島にやってきて店を間いた。
きっかけは2001年、新婚旅行で訪れたパリのジャム屋さんだった。妻の智明さんがア
クセサリーショップに入っている間の時間つぶしにふと隣にあったコンフィチュール(フラ
ンス語で「ジャム」)専門店を覗いたところ、色とりどりの瓶入りジャムが並んでいた。そ
の美しさに取り憑かれたように見入ること一時間。とっくにアクセサリーを見終わり、あき
れる智明さんに、「お土産だから」と30個ほど買って帰った。帰国後、松嶋さんは暴挙に
でる。なんと、そのほとんどの封を切り、自分で食べ比べをしてしまったのである。それで
完全に火が付いた。突然、「ジャム屋を始めたい」と言いだした。もちろん、智明さんは開
いた口がふさがらない。電力会社という最も安定しているはずの会社に勤めている人と結婚
した途端、成功するかどうかも分からないジャム屋を開くというのだから。しかし、松嶋さ
んはあきらめなかった。説得には三ケ月を費やしたという。それで智明さんもようやく折れ
た。「当然、三ケ月くらいはスルーしていましたよ。耳元で『ジャム、ジャム』とか言って
いても、作ったことないし料理もしないし、何を言っているんだ、みたいな感じで。詐欺っ
ていうか、ただの妄想っていうか、独り言っていうか、そういう風に受け止めていました」
私たちと智明さんのやりとりを横で間いていた松嶋さん、にやりと笑った。「まさしく妄
想と言えば妄想ですね。でも、そういうところから革命は起こるんですよ」
ジャムの作り方を一から独学する傍ら、次に関門となったのが店の立地だった。当初はお
しゃれなお店を経営するなら、当然、消費地に近い都市部がいいと思っていた。それこそ、
出身地・京都なら観光客のお土産になると。ところが、話を間きつけた妻の父親であり、周
防大島で寺の住職をしている白鳥文明さんからとんでもないアイディアが出された。「周防
大島で店を開いてもらえないか」。先に述べたとおり、周防大島は、若者の島外への流出に
苦しみ、町としても若い力を必要としていたのである。
妻の智明さんは、夫はさすがに引き受けないだろうと考えていた。ところが、松嶋さんは
あっさり引き受けた。決め手となったのが、原料となる果樹がすぐ身近にあることだった。
生産地のど真ん中でジャム作りをしてみるのも悪くないと思ったのである。
そこから、松嶋さんの逆転の発想が次々と生まれた。まず、店を建てる場所探し。松嶋さ
んが選んだのは、便利な国道沿いではなく、静かな海辺だった。これには、場所探しにつき
あった義父も驚いた。
「ここにずっと住んでいる人間にとっては、海があって当たり前だし、他の場所でも海は見
松嶋さんはジャムを買ってくれたお客さんに、あるリーフレットを手渡すことにしている。
そこには、「過疎高齢化が進む島で小さなジャム屋が思うこと」と題して松嶋さんの思いが
綴られている。
今の時代に求められているのは、地域の価値に気付き、その地域に根ざした活動を展開
することではないでしょうか。その土地でできた農作物を使い、田舎では田舎でしかで
きない事業を行うことが理想のスタイルであると思います。それが地域を復興させ、お
年寄りを元気づけ、若者を呼び戻す切り札になるはずです。(中略)土地と作り手の魂
が感じられです。
まさに、大量生産・大量消費システムとの決別宣言である。経済成長のために、地域を安
価な労働力や安価な原材料の供給地とみるのではなく、地域に利益が還元される形で物づく
りを行う。ただし、そのために自分たちが犠牲になる必要もない。自分たちも、ちゃんと利
益をあげる。その仕組みを松嶋さんは一生懸命考えた。
まず、松嶋さんは島を回りながら、生産者との交流を深めた。都会にいては絶対にわから
ない、ジャム作りのヒントを農家から直接仕人れるためである。
そんな松嶋さんの知恵袋の一人となっているのが、祖父の代からみかんを作り続けている
山本弘三さん。10月の早生から翌五月以降に旬を迎える南緯海という品種まで、10種類
以上のみかんを作り分けるだけでなく、みかん以外にも、レモンやネーブル、ポンカンなど、
多様な柑橘類を手がける、柑橘作り名人である。山本さんの生産技術を学びたいと、本場・
ヨーロッパからも視察がやってくるほどだ。
松嶋さんはそんな山本さんたち、地元の柑橘農家との会話のなかから、新しいジャムのア
イディアを次々と得ていった。その1つが、青みかんジャム。原料となるのは、生では酸っ
ぱくてとても食べられない、熟す前の青みかんだ。虫をよせつけないほどの強烈な香りがあ
るジャムづくり。(中略)これこそが私たちの目指しているジャム作りなのることを教えら
れ、新しいジャムが生まれた。
ヒントをくれるのは柑橘農家ばかりではない。周防大島には、東和金時という品種のサツ
マイモが昔からひっそりと栽培されていることを知った。有名な徳島の「鳴門金時」と同じ
品種でありながら、それはどの知名度を得られなかった、隠れた特産だった。松嶋さんは、
これも何とかジャムにできないか、試行錯誤を重ねた。一番の難関は、サツマイモはジャム
にすると、できたてはおいしいのだが、冷めるとイマイチということだった。そこで逆転の
発想。「焼きジャム」という新たなジャンルを関発した。パンを焼いてからジャムを塗るの
ではなく、ジャムを塗ってから、ジャムごとパンを焼いて食べるのだ。すると、熱々のサツ
マイモの甘い香りが口いっぱいに広がる。冬の定番のジャムとなった。
「都市部でジャムを作ろうとすると、こういういろいろなアイディアは生まれてこない。地
元のかたと接するからこそできるジャム作り、ビジネスなんだと思います」
そんな風に自らの取り組みを評価する松嶋さん。もちろん、その探求心と発想力があって
こその賜物であるのは間違いない。
一方の山本さんたち果樹生産者にとっても、作物に新たな価値を見出す松嶋さんはありか
たい存在となった。
「我々は生産者ですから、加工まで一歩踏み込むのは難しいところがあった。島にいる多く
の農家、みんなそうですよ。生産は得意だけど加工・販売は苦手。だから、ノウハウをもっ
ている人が島に来てくれたのは強みだと思います」
売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」
どうすれば、農家に利益を還元することができるのか。松嶋さんは、原料となる果物は高
い価格で買い取ることにした。みかんも、1キロ百円以上で買っている。これまで大きさや
形が規格外の加工用のみかんは、そのほとんどがジュースの原料として1キロ10円と、安
く買いたたかれてきた。だから、百円という数字は、山本さんにとっても驚きだった。
「社会では原料は安いものだという概念がありますから、10円とか、そのぐらいしか支
払いはない。松嶋さんが、1キロ百円で材料を買うのは、非常に高い単価。でもそれは、私
たちがいろんなものをかけて作ったとき、まさに、それぐらい欲しいな、という単価でした」
そうして仕人れた原材料からのジャム作りも松嶋さん流だ。まず、松嶋さんは、均一な味
を求めない。一瓶一瓶味や風味が違って当然なのだ。それが、数え切れないほどの試行錯誤
の結果たどり着いた結論だ。
ジャム作りでは、徹底的に手作りにもこだわっている。機械に頼らず、人手をかけた方が
消費者にアピールできることももちろんあるが、その方が地元の雇用につながるのだ。ジャ
ム屋の工房を覗くと、地元の農家の奥さんたちが、原料を切ったり、皮をむいたり、煮込ん
だり、楽しそうにジャムを作っている。若者の姿も見える。周防大島にIターンしてきたが、
すぐには収入が安定しないため、アルバィトしているのだという。そうした人たちが22人
も働いている。
もちろん、原材料や人件費が上がれば、商品の値段は高くなる。松嶋さんが販売するジャ
ムの値段は、155グラムの瓶入りで七百円前後。大手メーカーの大量生産品に比べると格
段に高い。しかし、少量多品種、画一化されていない個性豊かな味。そして何より、周防大
島という素晴らしい環境で、顔の見える人たちによって作られていることが、飛ぶように売
れ続ける秘密となっている。
「我々にできることは何なんだろう、とこの島に来てから考えるようになりました。単純に
自分のところの利益を最大化するのがいい話ではなくて、地域全体が最適化されることで、
自分たちにも利益がまわってくるのです。だからこそ、地域をまず改善していく取り組みを
したいと考えています」
島を目指す若者が増えている
周防大島で活躍する若者は、松鴫さんだけではない。20代から40代の若い力が、次か
ら次へと島の眠れる宝を掘り起こし、新たなビジネスに結びつけている。
福岡で調理師をしていた20代の笠原隆史さんは、周防大島へ戻ったのち、果樹の多い島
では良質の蜂蜜が採れると考え、養蜂業へ転身した。養蜂から瓶詰めまで家族だけで行い、
道の駅など、目の届く範囲だけで販売する徹底した小規模経営の方針をとり、利益を順調に
伸ばしている。
40代の山崎浩一さんはIハ歳のときに周防大島を離れ、広島・フランス・東京で料理人
の腕を磨いたのち、Uターン。島内外で常に満員御礼の人気レストランを複数経営している。
皮ごと食べられる無農薬のみかんを使ったみかん鍋も開発。島の新たな特産に育てようとし
ている。
まだまだ、いる。30代の新村一成さんは、広島の食品加工会社で働いていたが、結婚を
機に島に帰り、実家の水産加工会社を継ぐ。2010年、松嶋さんに出会い、今まではいり
こ(煮干し)に適さないと廃棄してきた、大きすぎるイワシをオイルサーディンにするアイ
ディアを得て、販売を開始した。海外産のオイルサーディンが多い中、純国産のオイルサー
ディンはじわじわと人気が広がり、生産が追いつかない状態である。
都会から過疎地へ。そうした動きは全国に広がっている、と見るのが東京・渋谷に本拠を
置き、長年、若者の起業をサポートしてきたNPO法人「ETIC.」である。
ETIC.では、年に数回、「日本全国!地域仕掛け人市」を開いてきた。地域に入って
起業などにチャレンジしたいという若者と、受け入れ団体のマッチングイベントである。2
011年秋、私たちが取材に訪れたとき、都内の会場には220人が詰めかけ、活気に溢れ
ていた。ほとんどが、就職活動中の大学生や転職を考える若者だった。
「北海道から来ました!」。若者たちを前に北海道から沖繩まで、全国からやってきた22
団体の、UターンやIターンで起業した先輩たちが地域で働くことの魅力を熱弁する。
なかでも、離島からやってきた団体が熱い。「横溝正史の『獄門島』のモデルになった島
です」と紹介しているのは、岡山県笠岡諸島にある六島。町長が主導し、トヨタやソニーで
働いていた若者たちが協力して、今やすっかり地域復活の象徴となっている島根県、隠岐諸
島の海士町も来ていた。島は、本土から離れている分、地域社会も完結していて、里山資本
主義を実践するのにちょうどいい環境なのだ。
周防大島からは、ジャムズガーデンの松嶋匡史さんとその盟友・大野圭司さんが駆けつけ
ていた。大野さんは、Uターン組。広島の高校、大阪の大学、そして東京で社会人と11年
間島を離れたあと、地元に戻り、地域興しのリーダーとして活躍してきた。
周防大島のブースで、二人からジャム屋の成功体験を聞いた、二人組の大学二年の女性は
口々に褒め称えていた。
「ああいう島があること自体知らなくて、すごい素敵だなと思いました。島で社会ができて
いるというか、外に頼らずに自分たちでやるところがいいですね。いいな、行きたいな!
と思いました」
「自分かやりたいことができそうな雰囲気ですね。みなさんサラリーマンのように疲れてな
くて、楽しそうに話をされていますから。自分、自分じゃなくて、地域、地域って思ったら、
もっとやれることがあるんじゃないかな」
ETIC.代表理事の宮城治男さんは、トレンドを次のように分析する。
「ここ数年、非常に動きが目立ってきています。どの企業でも欲しいような人材が、平気で
会社を辞めて地域に入ることがあちこちで起こり始めているんです。立派ないい会社に勤め
て、高い給料をいただいているような人が、年収が半分、三分の一になることもいとわず、
地域に戻りたい、地域で仕事をしたいと。このなかには、そんな人がたくさんいらっしゃる」
このNPO法人が、起業を考える若者を対象に行った意識調査では、いま、若者たちの五
人に一人が、農業や漁業といった「一次産業」に挑戦したいと考えているという。かつて、
起業の花形だった「IT産業」の二倍以上である。
「物質的豊かさや、情報という面での豊かさに対して、飽和感があるのだろうと思います。
五感でリアリティを感じられるといったおもしろみを求めているのではないでしょうか。リ
アリティの最たるものは、人間の絆であるとか、人情みたいなものでしょう。また、自然と
触れ合って仕事をしていくことも、非常に魅力なのだと思います」
起業の花形だった「IT産業」の二倍以上である。
「物質的豊かさや、情報という面での豊かさに対して、飽和感があるのだろうと思います。
五感でリアリティを感じられるといったおもしろみを求めているのではないでしょうか。リ
アリティの最たるものは、人間の絆であるとか、人情みたいなものでしょう。また、自然と
触れ合って仕事をしていくことも、非常に魅力なのだと思います」
「ニューノーマル」が時代を変える
もちろん、世の中は依然として、年収はじめ、お金を求める風潮が強いのも事実だ。しか
し、いち早く気づいた若者から、そういう価値観とは違うところで自分の人生を選択しよう
としている。新しい時代がやってきているのである。
そうした観点からこの問題を論じているのが、三菱総合研究所の阿部淳一氏だ。
阿部氏は、震災以降の新たな若者たちの消費傾向を、「ニューノーマル消費」と名付け、
分析を進めてきた。
「ニューノーマル」とは、リーマンショックを機に、アメリカ・マンハッタンの金融街を中
心に唱えられるようになった新たな概念だ。右府上がりの成長を前提とした投資をこれ以上
期待できなくなってしまった、投資家たちの認識を呼び表す言葉である。その定義は厳密に
まだ定まっておらず、本場アメリカではあれこれ議論されているが、これを、若者たちの消
費動向に結びつけて捉えたのが、「ニューノーマル消費」である。
自分のための消費(ブランド品や高級品)を求めるのではなく、つながり消費(家族や地域、
社会とのつながりを確認できるもの)を求め、新しいものをどう手に入れるかという所有価
値でなく、今あるものをどう使うかという使用価値へ重心が置かれるようになっている。そ
して、それは一過性ではなく、長期的、持続的な変化であり、後戻りできない消費傾向だと
捉えられている。
阿部氏は、こうしたトレンドは今に始まった話ではないと主張する。1990年代のバブ
ル崩壊で芽吹き、水面下で少しずつ花開いていたものが、リーマンショックで一気に顕在化、
そして、東日本大震災で加速したのだ。まさに、2012年は「消費のニューノーマル化」
の元年となった。静かな革命という呼び方をする人もいる。
藻谷浩介 著 『里山資本資本主義』
この項つづく