極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ダブルシートと薔薇と檸檬

2014年05月30日 | 日々草々

 

 




【今夜はシートを巡る2つの話】

三井化学株式会社が開発した有機EL用透明シール材「ストラクトボンド™XMF-T」が、曲面有機ELデ
ィスプレイに採用されと公表。それによると、既にLGエレクトロニクス社は、この曲面有機ELディ
スプレイ搭載のスマートフォン「G Flex」を、韓国、アメリカ、日本、欧州など世界市場で展開を
開始することによる。勿論、
有機ELディスプレイは、明るく高精細で色彩を豊かに表現できる上、
薄膜化、軽量化、さらには省電力の特性を持ち、今後更なる拡大が期待されるが、有機EL素子は、
湿気や酸素によって劣化しやすい性質のため、高い封止技術が必要とし、ディスプレイの大型化
やフレキシブル化に課題があった。
三井化学が開発した有機ELシール材「ストラクトボンド™XMF-T」
は、高い耐水性とバリア性、透明性を持ち、封止工程の加工性にも優れ、全く新しい有機EL封止材
料という。また、従来の封止構造(枠封止方式)を変えることができるため、割れにくく高い強度
のフレキシブルディスプレイの実現を可能にし、LGエレクトロニクス社のスマートフォン「G Flex」
が高い評価を得ている臨場感ある高精細ディスプレイや曲面デザインによるユーザビリティ、耐久
性に貢献できているという。つまり、緻密な加工には緻密な材料開発設計が欠かせないという実例
であり、グローバルな特異的事業開発の水平展開の1例でもある。

 

JP 2013-155336 A 2013.8.15

  



キャタラーは、活性炭を利用したシート状の脱臭材「ぺっ炭」を発売。独自の薬剤処理により、単
位面積当たりのにおい吸着性能は従来製品比約10倍に向上。3年後に年間売上高1億円を目指す
という。 同製品はウレタンスポンジのシートに微細な粉末の活性炭を固定した構造。活性炭には
事前に匂い吸着性能を向上する薬剤を付けた。同社の試験ではアンモニアの脱臭性能が従来の他社
製品と比べて10倍だったという。薬剤を変えることで溶剤やアルデヒドなど5種類に対応。シー
トの厚さは3~10ミリメートルを用意。裏面は粘着テープ付き。これは使い方の工夫で用途拡大
するだろう。



JP 2011-072603 A

尚、いずれも、ニースソースは日刊工業新聞(2014.05.30)。 

 

  

  


「急にこんなことを電話で申し上げるのは心苦しいのですが、渡会は先週の木曜日に亡くなり、今
週の
月曜日に身内だけで密葬がとりおこなわれました」。 突然の電話で僕は渡会の死を知ること
になり、スト-リーが急旋回する。渡会に何があったのか?はたまたここで話される第三の男とは
何者か?


  僕が六時五分前にそのカフェテリアに行ったとき、彼は既に席に着いており、近づいていく
 と素速く立ち上がった。電話での声の低さから、がっしりとした体格の男を想像していたのだ
 が、実物は背の高い痩せた男だった。渡会から間いていたとおり、顔立ちはなかなかハンサム
 だった。茶色のウールのスーツを着て、真っ白なボタンダウン・シャツに暗い芥子色のネクタ
 イをしめていた。隙のない着こなしだ。長めの髪もきれいに整えられている。前髪が気持ちよ
 さそうに額に落ちかかっている。年齢は三十代半ば、渡会からゲイだと間いていなければ、ご
 く普通の身だしなみの良い青年(彼はまだ青年の面影をしっかりと残していた)にしか見えな
 かった。髭も濃そうだった。彼はダブルのエスプレッソを飲んでいた。

  僕は後藤と簡単な挨拶を交わし、やはりダブル・エスプレッソを注文した。

 「ずいぶん急な亡くなり方だったのですね」と僕は尋ねた。
 青年は正面から強い光をあてられたように目を細めた。「ええ、そうです。とても急な亡く
 なり方でした。驚くほど。でもそれと回時にひどく時間のかかる、痛々しい亡くなり方でもあ
 りました」




  僕は黙って更なる説明を待った。しかし彼はまだしばらく――おそらく僕の飲み物が運ばれ
 てくるまで――医師の死について詳細を語りたくはないようだった。

 「僕は渡会先生を心から尊敬していました」と青年は話題を変えるように言った。「医師とし
 ても、人間としても、ほんとに素晴らしい方でした。いろんなことを親切に教えていただきま
 した。十年近くクリニックで働かせてもらっていますが、もしあの方に巡り合わなかったら、
 今ある僕はないと思います。裏表のないまっすぐな人でした。いつもにこやかで、威張ったり
 もせず、分け隔てなくまわりに気を配り、みんなに好かれていました。先生が誰かの悪口を言
 うのをただの一度も聞いたことかありません」

  そういえば僕も、彼が誰かのことを悪く言うのを耳にしたことはなかった。

 「渡会さんはあなたのことをよく話していましたよ」と僕は言った。「もしあなたがいなかっ
 たら、クリニックもうまく経営していけないし、私生活もひどいことになってしまうだろう
 と」
  僕がそう言うと、後藤は淋しげな淡い笑みを口もとに浮かべた。「いいえ、僕はそんな大し
 た人間じゃありません。裏方として、できる限り渡会先生の役に立ちたいと思っていただけで
 す。そのために僕なりに一生懸命努力しました。それが喜びでもありました」



  エスプレッソが運ばれてきて、ウェイトレスが行ってしまうと、彼はようやく医師の死につ
 いて語り始めた。

 「最初に気づいた変化は、先生が昼食をとらなくなったことでした。それまでは毎日お昼休み
 に、たとえ簡単なものであれ、必ず何かしらを□にしておられました。どれだけ仕事が忙しく
 ても、こと食事に関しては几帳面な方だったんです。ところがあるときから、お昼にまったく
 何も口にされないようになりました。『何か召し上がらないと』と勧めても、『気にしなくて
 いい、食欲がないだけだから』と言われました。それが十月の初めのことです。その変化は僕
 を不安にさせました。というのは先生は、日々の決まった習慣を変えることを好まない人だっ
 たからです。日常の規則性を何より重んじておられました。昼食をとらなくなっただけではあ
 りません。いつの間にかジム通いもやめてしまわれました。週に三日はジムに通って、熱心に
 水泳をしたり、スカッシュをしたり、筋肉トレーニングをしておられたのですが、そういうこ
 とにすっかり興味を失ってしまったみたいです。それから身だしなみにも気を遺われないよう
 になりました。清潔好きでお洒落な方だったのですが、何と言えばいいのか、身なりが次第に
 だらしなくなってきました。何日も同じ服を続けて着ていることもありました。そしていつも
 何かを深く考え込んでおられるようで、だんだん無口になり、やがてほとんど口をきかなくな
 り、放心状態に陥ることが多くなりました。私が話しかけても、まるで聞こえないようでした。
 またアフターアワーズに女性と交際することもなくなってしまいました」

 「あなたがスケジュール管理をしていたから、そういう変化はよくわかったのですね?」

 「おっしゃるとおりです。とくに女性と交際することは先生にとって、重要な日々のイヴェン
 トでした。いわば活力の源であったわけです。それが急にまったくのゼロになってしまうとい
 うのは、どう考えても尋常なことではありません。五十二歳というのはまだ老け込む年齢では
 ありません。渡会先生が女性に関してかなり積極的な人生を送っておられたことは、おそらく
 谷村さんもご存じですよね?」
 「そういうことをとくに包み隠さない人だったから。つまり、自慢するというのではなく、あ
 くまで率直であったという意味で」




  後藤青年は肯いた。「ええ、そういう面ではとても率直な方でした。僕もよくいろんな話を
 聞かされました。だからこそ僕は、先生のそのような突然の変化に少なからずショックを受け
 たのです。先生は僕にはもう何ひとつ打ち明けてくれません。どんなことがあったにせよ、そ
 れを自分一人だけの秘密として内側に抱え込んでいました。もちろん僕は尋ねてみました。何
 かまずいことがあったのですか、何か心配事でもあるのですかと。しかし先生は首を横に振る
 ばかりで、心の内を明かしてはくれません。ほとんど□さえきいてもらえません。ただ僕の目
 の前で日々痩せ衰えていくだけです。満足に食事をとっていないことは明らかです。しかし僕
 には、先生の私生活に勝手に足を踏み込むことはできません。先生は気さくな性格ではありま
 すが、ご自分の私的エリアには簡単に人を招き入れない方でした。僕も長く個人秘書のような
 ことをしてきましたが、それまで先生の住まいに入ったことはたった一度しかありません。何
 か大事な忘れ物を取りに行かされたときだけです。そこに自由に出入りできるのは、たぶん親
 しく交際している女性たちだけです。僕としては遠くからやきもき推測しているしかありませ
 して先生はベッドに入って、ただじっと静かに横になっていました」

  青年はしばらくその光景を思い出しているようだった。目を閉じ、そして小さく首を振った。

 「僕は一目見たとき、先生がもう亡くなっているのかと思いました。一瞬心臓が止まりそうに
 なりました。しかしそうではありません。先生は痩せこけた青白い顔をこちらに向け、目を開
 けて僕を見ていました。ときどき瞬きをしました。ひっそりとではありますが、一応呼吸もし
 ていました。ただ首まで布団をかぶって動かずにいるだけです。声をかけてみましたが、反応
 はありません。乾いた唇はまるで縫いつけられたみたいに、固く閉じられています。髭がずい
 ぶん伸びていました。僕はとりあえず窓を開け、部屋の空気を入れ換えました。何か緊急に措
 置をとらなくてはならないということもなさそうだし、見たところ本人が苦しんでいる様子も
 ないので、ひとまず部屋の中を片づけることにしました。それくらいひどい荒れようだったの
 です。散らかっている衣類を拾い集め、洗濯機で洗えるものは洗い、クリーニング屋に出すべ
 きものは袋に入れてまとめました。風呂に入れっぱなしになっていた淀んだ水を落とし、浴槽
 を洗いました。水垢が線になってこびりついているところを見ると、かなり長いあいだ水は入
 れっぱなしになっていたようでした。清潔好きの先生にしてはあり得ないことです。どうやら
 定期的なハウス・クリーニングも断っていたらしく、すべての家具に白い埃がたまっていまし
 た。ただ意外なことに、台所の流しには汚れ物がほとんど見当たりませんでした。とてもきれ
 いな状態です。つまり長いあいだ台所をろくに使っていなかったということです。ミネラル・
 ウォーターのボトルがいくつも転がっているだけで、何かを食べた形跡はありません。冷蔵庫
 を開けてみると、言いようのないひどい匂いがしました。冷蔵庫の中に入れっぱなしになって
 いた食品が悪くなっていました。豆腐や野菜や果物や牛乳やサンドイッチやハムや、そんなも
 のです。僕はそれらを大きなビニールのゴミ袋に詰め、マンションの地下にあるゴミ置き場に
 持っていきました」

  青年は空になったエスプレッソのカップを手にとって、角度を変えながらしばらく眺めてい
 た。それから目を上げて言った。

 「部屋を元通りに近い状態にするのに三時間以上かかったと思います。そのあいだずっと窓を
 開けっ放しにしていたので、不快な匂いもだいたいなくなりました。それでも先生はまだ口を
 ききません。僕が部屋の中を動き回るのをただ目で追っているだけです。痩せ細っているぶん、
 両目がいつもよりずっと大きく艶やかに見えました。でもその目にはどのような感情もうかが
 えません。その目は僕を見ていながら、実は何も見てはいないんです。どう言えばいいのでし
 ょう。それは動きのあるものに焦点を合わせるように設定された自動カメラのレンズみたいに、
 ただ何かの物体を追っているだけなのです。それが僕であるかどうか、僕がそこで何をしてい
 るのか、そんなことは先生にとってもうどうでもいいことなんです。それはとても哀しい目で
 した,僕はその目をこの先、一生忘れることができないでしょう
  それから僕は電気剃刀を使って、先生の髭を剃りました。濡れたタオルで顔も拭きました。
 まったく抵抗はしません。何をしてもただなされるままになっていただけです。そのあとで僕  
 はかかりつけの医者に電話をかけました。事情を説明すると医者はすぐにやってきました。そ
 して診察し、簡単な検査をしました。そのあいだも渡会先生はまったく目をききません。ただ
 その感情を込めていない虚ろな目で、じっと私たちの顔を見ているだけです。
  なんと言えばいいのでしょうか、こんな表現は不適当かもしれませんが、先生はもう生きて
 いる人のようには見えませんでした。本当は地中に埋められ、断食をしたままミイラになって
 いなくてはならないはずの人が、煩悩を振り払えず、ミイラになりきれずに地上に這い出して
 きた、そんな感じでした。ひどい言い方だと思います。でもそれがそのときに私がまさに感じ
 たことなのです。魂はもう失われてしまっている。それが戻ってくる見込みもない。なのに身
 体器官だけはあきらめきれずに独立して動いている。そういう感じでした」

  青年はそこで何度か首を振った。
 
 「申し訳ありません。僕は長い時間をかけすぎているみたいです。話を短くします。簡単に言
 ってしまえば、渡会先生は拒食症のようなものにかかっていたのです。ほとんど食べ物を口に
 せず、飲み水だけで生命を保っていました。いや、正確には拒食症というのではありません。
 ご存じのように拒食症にかかるのはだいたいすべて若い女性です。美容のため、痩せることが
 目的で食事をあまりとらないようになり、そのうちに体重を減らすことが自己目的化し、ほと
 んど何も食べないようになります。極端な話、体重がゼロになることが彼女たちの理想になり
 ます。ですから中年の男性が拒食症になることなんて、まずありません。しかし渡会先生の場
 合、現象的にはまさにそれだったのです。もちろん先生は美容のためにそんなことをしていた
 わけではありません。彼が食事をとらないようになったのは、僕は思うのですが、本当に文字
 通り、食べ物が喉を通らなくなったからです」

 「恋煩い?」と僕は言った。

 「たぶんそれに近いものです」と後藤青年は言った。「あるいはそこにはまた、自分がゼロに
 近づいていくことへの願望があったかもしれません。先生は自分を無にしてしまいたかったの
 かもしれません。そうでもなければ、飢餓の苦痛はとても普通の人に我慢できるものではあり
 ませんから。自分の肉体がゼロに接近していく喜びが、その苦痛に勝っていたのかもしれませ
 ん。拒食症に取りつかれた若い女性がおそらくは、体重を減らしながらそう感じるのと同じよ
 うに」

  僕は渡会がベッドに横たわり、一途な恋心を抱きながらミイラのように痩せ細っていく様子
 を想像してみた。しかし陽気で健康で美食家で身だしなみの良い彼の姿しか、僕には思い浮か
 べられなかった。

 「医者は栄養注射をし、看護婦を呼んで点滴の用意をしました。しかし栄養注射なんてたかが
 しれたものですし、点滴だって本人が外そうと思えばいくらでも外せます。僕も四六時中、枕
 元に付き添っているわけにはいきません。無理に何かを食べさせても吐いてしまうだけです。
 入院させようにも、本人がいやがるのを無理に連れて行くわけにもいきません。その時点で渡
 会先生は生き続ける意志を放棄し、自分を限りなくゼロに近づけようと決心していました。ま
 わりで何をしたところで、どれだけ栄養注射を打ったところで、その流れを食い止めることは
 できません。飢餓が彼の身体を貪っていく様を、ただ手をこまねいて眺めているしかありませ
 ん。それは心痛む日々でした。何かをしなくてはならないのですが、実際には何もできません,
 救いといえば、先生がほとんど苦痛を感じていないらしいということくらいです。少なくとも
 その日々、彼が苦痛の表情を浮かべたのを僕が目にしたことはありません。僕は毎日先生の住
 まいに行って、郵便物をチェックし、掃除をし、ベッドに寝ている先生の横に座ってあれこれ
 と話しかけました。業務上の報告をしたり、世間話をしたり。でも先生はやはり一言も口をき
 きません。反応らしきものもありません。意識があるのかどうかすらわかりません。ただじっ
 と黙って、表情を欠いた大きな目で僕の顔を見つめているだけです。その目は不思議なほど透
 き通っていました。向こう側まで見えてしまいそうなくらい」
 
 「女性とのあいだに何かがあったのでしょうか?」と僕は尋ねた。「夫と子供のいる女性とか
 なり深く交際していたという話をご本人から聞きましたが」
 「そうです。先生はしばらく前から、その女性と本気で真剣にかかわるようになっていました。
 常日頃の気軽な遊びの関係ではなくなっていたということです。そしてその女性との間に、何
 か深刻なことが起こったようでした。そしてそのせいで、先生は生きる意志をなくしてしまわ
 れたようです。僕はその女性の家に電話をかけてみました。でも女性は出ず、ご主人が電話に
 出ました。僕は『クリニックの予約のことで奥様とお話がしたいのですが』と言いました。彼
 女はもううちにはいないとご主人は言いました。どこに電話をすれば彼女と話せるだろうかと
 僕は尋ねてみました。そんなことは知らないとご主人は冷ややかに言って、そのまま電話を切
 ってしまいました」
  
  彼はまた少し黙り込んだ。それから言った。

 「長い話を短くしますと、僕はそのあと彼女の居所をなんとかつきとめました。彼女は夫と子 
 供を残して家を出て、他の男と暮らしていました」
  僕は一瞬、言葉を失った。最初のうち話の筋がうまく掴めなかった。それから言った。「つ
 まりご主人も、渡会さんも、どちらも彼女に袖にされた?」
 「簡単に言えばそういうことです」と青年は言いにくそうに言った。そして軽く顔をしかめた。
 「彼女には第三の男がいました。細かいいきさつはわかりませんが、どうやら年下の男のよう
 です。あくまで個人的な意見ですが、あまり褒められた種類の男ではないだろうという気配が
 あります。その男と駆け落ちするように、彼女は家を出ていったのです。渡会先生はいわば便
 利な、踏み石的な存在に過ぎなかったみたいですね。そして都合良く利用もされたようです。
 先生がその女性にけっこうなお金を注ぎ込んでおられた形跡があります。銀行預金やクレジッ
 トカードの決済を調べると、かなり不自然な、多額のお金の動きがあったことがわかりました。


 おそらく高価な贈り物とかにお金を使われたのではないでしょうか。あるいは借金を申し込ま
 れていたかもしれません。そのへんの使途については明確な証拠も残されていませんし、詳細
 は不明ですが、とにかくその短期間に引き出されたお金はまとまった額になります」

  僕は重いため息をついた。「それはずいぶん参っただろうな」

  青年は肯いた。「たとえばもし、その相手の女性が『やはり夫や子供とは離れることはでき
 ない。だからあなたとの関係はもうここできっぱり解消したい』ということで先生を切ったの
 であれば、まだ耐えられたと思うんです。彼女のことをこれまでになく本気で愛しておられた
 ようですから、もちろん深く落胆はしたでしょうが、自らを死に向かって追い詰めていくこと
 まではしなかったはずです。話の筋さえ通っていれば、どれだけ深い底まで落ちても、またい
 つか浮かび上がってこられたでしょう。しかしこの第三の男の出現は、そして自分が体よく利
 用されていたという事実は、先生には相当に厳しい打撃であったようです
 
  僕は黙って話を聞いていた。
 
 「亡くなったとき、先生の体重は三十キロ台半ばまで落ちていました」と青年は言った。

 

                    村上春樹 著『独立器官』(文藝春秋 2014年 3月号)

                                    この項つづく



 

 

ことしも庄堺公園の薔薇園に出かけることができた。母親にもなんとか喜んでもらえた(上右写真
はその1枚)。それから、庭のレモンの花の1つが結実しそうだと彼女が報告してくれた。収穫で
きることを祈る。そんなことを考えていたら、明日、母親を見舞いに行くことにした。今夜は、2
つのシートと2つの花の話を取り上げてみた。
 

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