極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

今夜もテクがてんこ盛り。

2014年05月15日 | 時事書評

 

 




●ミドルソーラーを建設する個人向け無担保ローン

東邦銀行(福島県)、ジャックス(東京都)は、発電出力10kW以上50kW未満の太陽光発電システ
ムを導入する個人向けの「東邦・太陽光発電システムローン」の取り扱いを開始。同商品は再生
可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)を 利用し、太陽光発電システムによる電力を全量売
電する個人を対象とする
。借入期間を最長20年、借入金額を最高 1,500万円、無担保扱いとし、
長期にわたる太陽光発電計画を安定的にサポートする。
利用者の条件は(1)申込時の年齢が満20
歳~65歳以下、かつ完済時の年齢が81歳以下であること(2)勤続年数が2年以上、かつ安定・継
続した収入が見込めること(3)原則として、団体信用生命保険に加入できること(4)過去に不
渡り延滞等の事故がなく、ジャックスの保証が受けられること(5)東邦銀行の営業区域内に住ん
でいる、または勤務していること。
借入金額は100万円以上、1,500万円以内(1万円単位)だが、
自営業者は上限額が1,000万円となる。なお、融資利率は東邦銀行所定の利率で、返済は元利均等
毎月返済。東邦銀行では、本商品の活用で地域の環境保全と地域経済の持続的な成長をサポート
するという(それならわたしに融資してくれないだろうか ^^;)。それはさておき、農作放棄地
や減反(稲作の縮小
)への対応(レバレッジ:梃子)が意図されているのだろうか。そういえば、
我が家の朝食も、息子達らがグラノーラなどを食べるようになっているから、いかんしがたいも
のかもしれない。

 

  

●ジェイアイエヌは13日、センサー機能を備え着用者の疲労や眠気の度合いを計測できるメガネ
「JINSミーム」を2015年春に発売すると発表した。一般的なメガネと変わらないデザインで、
スマートフォンと組み合わせて使う。職場での健康管理、長距離ドライバーの安全運転支援、フ
ィットネスなどでの利用を想定している。アプリケーション・プログラミング・インターフェー
ス(API)を秋に公開し、第3者の開発者の協力も得ながらさらなる応用の可能性を探ってい
くとのこと。開発には川島隆太東北大学加齢医学研究所所長や、稲見昌彦慶応義塾大学大学院メ
ディアデザイン研究科教授らが協力した。会見で田中仁社長は「ミームを使って自分の(体や心
の)内面を知ることで、日々の生活を豊かにできる」とアピールした。価格は未定。ミームは眼
球運動に伴う眼の周りの電位差を検出する「眼電位センシング技術」を採用した。鼻パットと眉
間部分の3点に眼電位センサーを搭載し、八方向の視線移動とまばたきをリアルタイムに検知。
その情報を分析して疲労や眠気の度合いを割り出してスマホに表示するとのこと(左上図)。

●東京大学と物質・材料研究機構(NIMS)は、極低温でスピンの向きがふらつく状態(量子スピン
液体状態)を示す純有機物質を発見したと発表(右上図)。水は温度を下げると、運動エネルギーを失い、
水分子が動けなくなった固体(氷)となるように、磁性体中の電子のスピン(S = 1/2: 電子が持つ
固有の磁気モーメント)も、通常は低温では整列しスピンの固体となるが、
三角格子上のスピン
は、極低温まで液体状態(量子スピン液体状態)を保つことを示唆していたが、本質は理解され
ていなかったが、純有機物質κ-H3(Cat- EDT-TTF)2の電子スピンが量子スピン液体状態であるこ
とを突き止めたというもの。量子スピン液体の詳細な理解は、高温超伝導体の超伝導メカニズム
研究や、新規のデータストレージや通信技術の開発に新たな指針が提供できるものと期待されて
いる。

 

●物質・材料研究機構(NIMS)や岡山大学らの研究チームは5月、大気・室温の環境下で印刷プ
ロセスを用い、有機薄膜トランジスタ(TFT)を 形成することに成功したと発表。フレキシブル
基板上に形成した有機TFTにおいて、平均移動度は7.9cm2V-1s-1を達成した。今回の研究成果は
大面積の紙や布、さらには人間の皮膚など生体材料の表面にも、半導体素子を形成できる可能性
を示したという。インク状にした機能性材料の印刷によって電子素子を作製するプリンテッドエ
レクトロニクスは、大規模で高価な製造装置を必要としないため、低コスト・大面積の新しい半
導体素子形成技術として注目を集めてきた。プラスチック等のフレキシブル基板を用いることに
より、Roll-to-Rollによる素子の大量生産や、ウェアラブル素子等の新しいアプリケーションが
期待されているが、従来のプリンテッドエレクトロニクスは、100~200℃以上での高温プロセス
が多く、PETフィルムのようなプラスチック基板の多くは耐熱性が低く、低温印刷プロセスの開発
が望まれていた。今回、すべての印刷プロセスを大気下・室温で行い、1℃も昇温することなく
エレクトロニクス素子が製造可能な「室温プリンテッドエレクトロニクス」を確立したという(
左上図/右上図は、世界最高峰の疲労耐久性を有する新合金を用いたビル用制振ダンパーの開発)。



●透明時の可視光透過率が70%以上の調光ミラーを開発

産業技術総合研究所サステナブルマテリアル研究部門環境応答機能薄膜研究グループは、透明状
態での可視光透過率が70%を超える調光ミラーを開発。法規上70%以上の可視光透過率が必要な
自動車のフロントガラスにも適用できる。
鏡状態と透明状態を切り替えられる調光ミラーを用い
た窓ガラスは、透明な複層窓ガラスに比べると夏場には冷房負荷低減効果が高いので、建物や自
動車の窓ガラスへの適用が期待されていた。可視光透過率を高めたことで、冬場の日射による暖
房負荷低減にも対応できる(上図)。そういうことで、今夜も新しい科学技術や新商品開発の話
がてんこ盛りでしたということに。

 

  

  

     

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

今回は、「第四章 "無縁社会"の克服―福祉先進国も学ぶ、"過疎の町"の知恵」に入るが、「日
本は国と地方あわせて千兆円もの借金をかかえている。今後いつごろまでにどうやって返してい
くか、目途がたたないばかりか、高齢化はますます進む。働かなくなった後、生活の頼りとなる
年金に病気になった時の医療費、一人で生活できなくなった時の介護保険.お年 寄りばかりの
国になるのだから、必要なお金は膨らむ一方だ。危険は膨らんでいる」の箇所を巡りわたし(た
ち)と考え方は大きく異なる。国の累積債務の件と医療費の膨張の件とは峻別して考える必要が
ある。前者に関しては、下に掲載した3冊の本を購読していただければ、ほぼ全景が見通せると
思える(専門家の仕事を邪魔をしてはいけないが、余りにも酷い状態に陥ったなら?わたしも経
済政策論をどこかに書いてみたい)。さて、後者で、
 しかし今、私たちが本気で取り組むべきは、
新たな前提を受け入れた上での根
的な「設計」ではないのか。田舎を捨てて都会に出ても、
多くの人が「たくさんお金をもらえるよ
うになるという成功」を期待できない「成長の鈍った時
代」。せっせと積み立てた年金のお
だけを頼りに老後を設計するのは心許ない時代。政治や官
僚がだめだと嘆いたり、お先真
 っ暗と絶望したりするしかないのだろうかと疑問を投げかけ、
高齢者施設の食事を広域市場(県外)に依存しない、地域内での内製化の試みが紹介されている。

 

なかでも、「日本の経済学者は数学に疎い人間が多く、雰囲気や見込みで経済を語ってしまう、
と著者は力説します。一方、かつては数学者を目ざしたという著者は独自の情報収集とデータ解
析から、日本国債が暴落しない理由を明確に示します」と推奨する『「借金1000兆円」に騙され
るな!』の著者 高橋洋一は、『“答えありき”が疑われる財政の長期推計 「詠み人知らず」の
報告書を出す財政審の実態』(2014.05.01、ダイヤモンドオンライン)で、4月28日に、財政制
度等審議会財政制度分科会のの起草検討委員から「我が国の財政に関する長期推計」が報告され、
マスコミで「2060年度 債務残高は8000兆円余に」と報じられた数字が政治家の間に流布されてい
る増税キャンペーンを下記の試算条件表を参考に数字のマジックを論破している。


                 

 「税と社会保障の一体改革頼み」への反旗

  本当にそれだけの膨大な額のお金を、自分たちでまかなえるのだろうか。選挙でどこの政
 党が勝とうとも、どんなに素晴らしい改革が成し遂げられようとも、結局は自分たちの財布
 の問題として突きつけられることになる、「税と社会保障」の問題である。
  ギリシャで起きたことは、あの国がいいかげんだったからだ。そう思いたくなる気持ちは、
 わからないでもない。でもそれは、見たくないものから目をそらしているにすぎない。国に
 お金がなくなり、年金や社会保障が切り捨てられたのは、ギリシャだけではないのだ。フラ
 ンスでも、同じようなことが行われた。どうにもならなくなる前に、国民の猛反対を押し切
 って、自分たちで切りつめる決断をした。おかげでフランスの財政は、当面の破綻を免れか
 日本は国と地方あわせて千兆円もの借金をかかえている。今後いつごろまでにどうやって返
 していくか、目途がたたないばかりか、高齢化はますます進む。働かなくなった後、生活の
 頼りとなる年金に病気になった時の医療費、一人で生活できなくなった時の介護保険.お年
 寄りばかりの国になるのだから、必要なお金は膨らむ一方だ。危険は膨らんでいる。
  本当にそうした苦しみをかかえるしかないのか。高齢化による社会コストを全部まかなう
 だけの膨大な資金を用意するか、老後の生活レベルを下げて支出を削り、集めなければなら
 ない資金の総額を減らすかという二者択一しか、選ぶべき道はないのだろうか。
  その常識を疑い、別の道もあるのではと考えるのが、里山資本主義だ。お年寄りは金食い
 虫で足手まといと、なぜ決めつけるのか。本当に年金がなくなったら飢えるしかないのだろ
 うか。産業力のない田舎は役立たずと、なぜ決めつけるのか
  この問いかけは、日本の社会をむしばみ続ける「無縁社会」への問いかけでもある。ふる
 さとを離れて部会に出たもののうまくいかず、地縁、血縁から切り離されて孤逞する人が、
 ひとりさびしく亡くなるケースが急増している。彼らが最後の最後にすがるのは、親の年金
 であることが多いそうだ。
 「最後の頼みの綱が年金であること」が、今の状況を象徴的に表している。もともとあった
 地縁や血縁のセーフティーネットを古くさいものとして忌み嫌い、そこから抜け出して豊か 
 さや幸せを追い求めた時代。その究極の形が、誰の世話にもならず、若いとき積み立てた備
 えで悠々自適の老後を送る年金の仕組みだ。残念ながらこの仕組みは、経済成長がいつまで
 も続くことを前提にしている。しかも、老人ばかりが増える社会を想定して設計されていな
 い。議論され続けている「税と社会保障の一体改革」は、そうした設計を、ある種の「微調
 整」によってしのごうとするものだといえる。
  しかし今、私たちが本気で取り組むべきは、新たな前提を受け入れた上での根本的な「
 設計」ではないのか。田舎を捨てて都会に出ても、多くの人が「たくさんお金をもらえるよ
 うになるという成功」を期待できない「成長の鈍った時代」。せっせと積み立てた年金のお
 金だけを頼りに老後を設計するのは心許ない時代。政治や官僚がだめだと嘆いたり、お先真
 っ暗と絶望したりするしかないのだろうか。
  
全くそんなことはない。できることはいくらでもある、という力強い試みが中国地方の山
 あいで進ん
でいる。

 「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である

  広島県庄原市の道を走ると、人には全く出くわさなくても、必ず出くわすものがある。
 「空き家」だ。長く放置された家の軒が崩れ、無残な姿をさらしている。そんな光景を見続
 け、なんとかしなければ、と考え続けた未に、空き家やお年寄りばかりの地域だからこその
 「福祉の実験」を思いついた人がいる。高齢者や障害者の施設を運営する、庄原の社会福祉
 法人の理事長、熊原保さんだ。
  熊原さんは、和田芳治さんの近所に住み、「過疎を逆手にとる会」の主要メンバーのひと
 りとしてがんばってきた方でもある。多くの人が「こんな田舎に未来はない」と決めつけ、
 思考停止に陥っているのを尻目に、人がまばらなことをメリットととらえ、活かすことで目
 の前の課題を解決する道を模索してきた。和田さんのひとまわり下の世代。時に挑発的なも
 の言いで人を引っ張っていく和田さんとは違い、めがねの奥の小さな目がいつも静かに笑っ
 ている、細身の紳士だ。
  熊原さんがなんとか活かせないか、と取り組んだのが「空き家」の活用だ。「ふるさとを
 捨てる人があとをたたない」と嘆くよりも、「ただで使える地域の資源がまた増えた」と前
 向きにとらえよう、というわけだ。考えてみれば、すぐに使える立派な建物がごろごろある
 というのは、一般的にはうらやましい環境だ。都会の人々は、高い家賃を払って土地や建物
 を借り、その高い家賃を払うた めに、せっせと働いている。不動産のコストが低いことは、
 強みであるはずだ。
  熊原さんは、地域のお年寄りが集まるデイサービスセンターなどにして、空き家の活用を
 進めている。人が住まなくなって長くなると、どうしても建物が傷んでしまうので、できる
 だけ早く活用法を見つけ、動き出す。朽ちた姿をさらすと、まわりの人も寂しくなって気落
 ちしていくが、逆に再生するさまを見せられれば、地域の元気の源になる。デイサービスの
 拠点が作れれば、地域の若者の雇用も進む。なかなか働く場が見つからない地元の若者にと
 ってもうれしいことだし、若者が近くでいきいきと働くことは、地域にも活気をもたらす。
  確かに、借りるための手続きは煩雑で、空き家の活用は思ったほど簡単には進まない。
  でも、あきらめてはいけない。少しずつ成功例を増やしていけば、道は広がっていく。熊
 原さんはそう信じ、確実に実行している。
  道を歩いていくと、次から次へと空き家が無残な姿をさらすふるさとの風景。「これをず
 っと見てきた」という、熊原さんの原点ともいうべき風景を見ながら、なぜここでがんばる
 のか、がんばれるのか聞いた。熊原さんならではの、地方での生き方を話してくれた。
  「福祉も過疎問題も同じなんですよ。あんまりいい旨葉ではないけれど、ハンデのある人、
 地域。マイナスの多い人、地域。それを弱者とは、私は思ってないんです。実は玉手箱のよ
 うに光り輝くものがあると思ってるんですね」
  ハンデはマイナスではなく、玉手箱であるという逆転の発想。それが熊原さんのがんばり
 を支えているという。それを信念として持つことができれば、未来に希望をつむいでいく原
 動力になるというのだ。
  なんというブラス思考だろう。そこに負け惜しみはない。熊原さんは全然無理をしていな
 い。私たちは彼の話を聞き、実践の現場を見ていく中で、我々の頭を占領する常識の貧弱さ
 に気づいていく。
  高齢化すること、過疎になることをひたすらマイナスととらえ、悲しみ、恨んでばかりい
 る発想がいかに貧しいことか。ありのままを受け入れ、その中でみんなができることを見つ
 けていけば、「若い社会」とは異なる形の、穏やかで豊かな「成熟した社会」がありうるの
 だ。
  それはどんなものか。我々の目の前で、まさに同時進行で進められた実験的取り組みが、
 私たちの目から鱗をぼろぼろと落としてくれた。

 「腐らせている野菜」こそ宝物だった

  雪が降りしきる冬、熊原さんは、その目もお年寄りの施設で、デイサービスを利用しにや
 ってきたおばあさんと、穏やかな会話を交わしていた。そして、突然膝をうち「そうだ、そ
 れを使う手があった。早速とりかかろう」と動き出した。どんな会話があったのか。
  おばあさんは、こういったのだ。「うちの菜園で作っている野菜は、とうてい食べきれな
 い。いつも腐らせて、もったいないことをしているんです」
  少し解説が必要かもしれない。デイサービスに通ってくるお年寄りは、施設で会うと一方
 的にお世話されているだけの人」に見える。年齢は多くが80を超えているし、腰も曲がっ
 ている。歩くスピードも遅い。でも家に帰ると、立派に自立している。それどころか、毎日
  元気に畑に出て、野菜を育てているのだ。市場に出荷するほどは作っていなくても、自分
 が食べる分くらいは、ほとんど全部自給している。その野菜が余る一方で、腐らせていると
 いうのだ。
  ベランダのプランターで野菜を作ったことのある人ならすぐわかることだが、なすでもト
 マトでも、一株ちゃんと育つと、次々実をつけて、とたんに食べきれなくなる。まして彼ら
 は何十年もプロの農家としてやってきたベテランだから、野菜づくりのうまさは素人の比で
 はない。しかも一人暮らしや、老夫婦だけの家庭では、毎日食べる量などたかがしれている。
  結果、どんどんなって、どんどん腐らせているのだ。
  地元で生まれ育った熊原さんが、そのことを知らなかったわけではない。もちろん知って
 
いた。だが、熊原さんのような人でも、ある種の常識にしばられていた。その野菜を施設の
 食材として使うという発想が、全くなかったのだ。
  熊原さんは、施設の経営を少しでも改善できないか、日々頭をひねっている。地方は老人
 が多いからといって、楽に経営できるわけではない。介護保険のお金だけで悠々と維持でき
 る仕組みには到底なっていない。働く人に払える給料も決して高くない。かなりきつい労働
 条件であるにもかかわらず、介護だけでは十分食べていけず、アルバイトと掛け持ちの人が
 多いというのが、全国的な傾向となっている。
  しかし、高齢化が加速度的に進むなか、地方が社会として機能していく上で、こうした施
 設、あるいは社会福祉法人といったものの存在は欠かせない、と熊原さんは考えている。昔
 ながらのつながりがほころび、過疎化でダメージが拡大する中で、施設が人工的にでも取り
 持つつながりの意味は、ますます大きくなると考えるからだ。だから熊原さんは、現状の制
 度の上にあぐらをかくのではなく、チャレンジをするようにしている。少しでも施設の運営
 に余裕が出るよう、少しでも働く人の待遇が良くなるよう、できることは何でもしてやろう。

  そんな熊原さんでも、これまで施設で使う野菜を、市場以外のところから買うなど、思い
 も寄らなかった。食材の調達とはそういうものだ、という固定概念に縛られていたのだ。
 「公的性格の強い施設のようなところで毎日大量に消費するものは、大屋の物資を集めては
 売る物流システムから調達すべきで、その方が合理的なのだ」という固定概念だ。
  施設の調理場に積まれている野菜は、県外産ばかりだった。市場の価格競争を勝ち抜いて
 きた優等生の野菜たちである。職員たちは、少しでも仕入れ値が安いところを選ぼう、食材
 費のかさまない献立を考えようと努力はしていたが、自分たちの足元は見ていなかった。そ
 んなある目、お年寄りとのなにげない会話の中で、突然気がついたのだ。お年寄りの作る野
 菜を施設で活かせばいいではないか、と。食べきれない野菜を活用していけば、食材費を劇
 的に抑えられる可能性がある。

                      藻谷浩介 著『里山資本資本主義』pp.204-212

                                   この項つづく


●チャイナリスクを過小評価してはいけない

驚くようなニュースが飛び込む。フィリピン外務省報道官は14日、中国やフィリピンなどが領有
権を争う南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島にある岩礁で、中国が滑走路を建設中とみ
られることを明らかにした。アキノ大統領も同日、この動きを先の東南アジア諸国連合(ASEAN
)首脳会議で取り上げたと述べた。
中国が滑走路を建設しているとみられるのはジョンソン南礁
(フィリピン名マビニ礁、中国名赤瓜礁)。フィリピン国防省によると、中国は今年2月、ジョ
ンソン南礁に大量の土砂を運び込んだことが空や海からの監視活動で確認されたという。フィリ
ピン政府は既に中国に抗議したという。
ジョンソン南礁は以前、ベトナムが実効支配していたが
1988年に「南沙海戦」と呼ばれる中国との武力衝突が発生。中国は、ジョンソン南礁を含む近隣
の岩礁を奪い、その後支配を続けていたという。これは既成事実を積み上げての領土拡大行為で
あり、帝国主義的(米国のそれは異なり領土拡大支配が特徴)行為だ。
 

●赤ワインが健康に良いとはもう言わさない?


高脂肪の食事がもたらす「落とし穴」を赤ワインで回避できるとする「フレンチ・パラドックス」
には問題があるとする研究が、12日の米国医師会内科学雑誌(Journal of the American Medical Ass-
ociation Internal Medicine
、電子版)」に掲載されたという。赤ワインに豊富に含まれている抗酸化
物質のレスベラトロールに人を長生きさせる効果は見受けられなかったという。

 

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やがて皮膚になるソーラー

2014年05月14日 | デジタル革命渦論

 

 

東日本大震災の影響で技術は世界一、導入量は第五位とそれまで後塵を拝していた日本がここに来
て、全量固定価格買取制(FIT)で息を吹き返しつつあり大変元気だ。そして、太陽光発電あるいは
太陽電池は、メガソーラーから中規模ソーラーに移行し、建材一体型の動きが活発化してきている。
太陽光発電は、"
パネルではなく塗料だ!"とは色素を光電変換素子に使う太陽電池開発を開始した
わたしたちは、ウエアラブルな世界、ソーラーセルの皮膚感覚で扱う世界を夢見ていた。だが、現
実は、地下化石燃料や天然ガス、核燃料といった既存エネルギーとの競争、あるいは、水力、風力、
潮力、バイオマスなど同じ再生可能エネルギーとの共同戦線とその内部での競合にさらされること
になる。ここは半歩後退してでも変換効率を、25%→30%に高める政策にチェンジしなければ
ならない。実績を認められれば、製造コスト逓減はお手のものだ!そうしている内に有機薄膜系太
陽電池の技術力も向上てくるだろう、と。そう考えてきた。



色はモノクロだが、化合物系や多接合シリコン系薄膜太陽電池を使えば変換効率は20~25%は実現
できるぞ!そんな想いに応えてくれるものとして、三井住友建設株式会社が、太陽光発電による創
エネルギー(アクティブソーラー)技術と、自然通風と採暖による省エネルギー(パッシブソーラ

ー)技術とを融合させた独自の建材一体型太陽光発電システムを開発し自社施設に導入したと公表。
ここで、 アクティブソーラーとは、機械的な装置を使用して積極的(アクティブ)に太陽エネル
ギーを活用す
る方法さすらしい。太陽電池を用いた発電のほか、太陽熱を集熱して給湯や暖冷房な
どに利用する太陽熱
利用システムなどがあるとか。また、パッシブソーラとは、機械的な装置を用
いずに、建物の構造や建材な
どを工夫し能動的(パッシブ)に太陽エネルギーを利用する方法。昼
間に太陽熱を床や壁に蓄熱し、夜間に
放熱することで採暖する方法や、太陽熱により温められた空
気を自然対流にて室内に導入する方法などが
あるという

このシステムでは、「汎用的な太陽電池モジュールとデザインパネルで構成される外装(外装ユニ
ット)」と、「設置角度が可変できる太陽電池ユニット(可変ユニット)」で構成されている。夏
季には上下の可変ユニットを解放し、自然対流による通風により外装ユニット裏面の温度上昇を抑
制することで発電効率を約4%向上(単結晶シリコン系を使った場合は温度依存性が大きく、この
システムではアモルファスシリコン系を使用)させるとともに、外壁からの伝熱による冷房負荷の
ピーク値を約55%削減する(断熱・保温効果)。さらに冬季には、下段の可変ユニットのみを開放
し、外装太陽電池裏面にて暖められた空気を室内に導入することで、外気取り入れにともなう暖房
負荷を約48%削減できる。また可変ユニットは外壁の最下段と最上段に設置し、太陽高度に合わせ
て発電量が最大になる角度に調整することができるという。



三井住友建設では、昨年、曲面加工が可能なアモルファスシリコン薄膜太陽電池を用いたファサー
ドデザインによる建材一体型太陽光発電システムを開発し、自社施設に設置したことに加え、開発
したシステムは、“創エネとファサードデザインとの調和”という基本コンセプトを継承しながら、
“アクティブソ
ーラーとパッシブソーラーの融合”という新たなコンセプトを加えた、創エネと省
エネを両立する機能を付加
した建材一体型太陽光発電システムを開発。そして、時代とともに変化
する社会からの要請に応えるために「環境ビジョン “Green Challenge 2020”」を定め、環境に関す
る中長期的な展望を明確にして環境に対する取り組みを強化し、「地球温暖化の防止」と「循環型
社会の形成」の両立をはかる技術開発を推進すると宣言している。



ここで使用される太陽電池は、直射光依存型ではなくて、散乱光採光型のアモルファスシリコン系。
したがって、変換効率は10%程度と低く、モノクロの黒色。ところで、太陽電池は光の電気変換だ
から、ある意味、吸熱
(断熱)材であり、シースルー、完全な透明ガラスは望めないが、液晶シャ
ッターと貼り合わせれば自在に
自動採光でき、さらに、貼り合わせ構造なので防犯機能も付加でき
壁・窓一体型にできるメリットが
あるが耐久性という課題が残る。最低20年から最長60年が開発目
標となる。有機薄膜系ならカラフル化も可能だろうが、モノクロで、耐久性が問題となり張り替え
技術とその費用便益分析が課題となる。

 



 

サムピックとフィンガーピッキングを多用して、ギターソロに厚みを出すのが特徴。低音弦をミュ
ートしながら弾き、高音弦を指で弾いてメロディとコードを奏でる、マール・トラヴィスのトラヴ
ィス・ピッキングを下敷きにしながら、開放弦を多用した独自の和音重ねの"Yesterday"に痺れる。
チェット・
アトキンスChester Burton Atkins、1924年6月20日-2001年6月30日)。米国のギタリスト
で、基本的にはカントリー・ミュージシャン、ジャズやブルースからの影響も吸収し、後のロック・
ギタリスト(ジョージ・ハリスン、スティーヴ・ハウ等)にも大きな影響を与えたといわれる。生
涯において、13作品(他アーティストとの連名も含む)でグラミー賞を受賞し、1993年にはグラミ
ー賞の生涯功労賞も受賞している。2011年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な人のギ
タリスト」において第21位にランキング。さて、ストーリーは本格的な展開へ入る。


  木樽の歌う奇妙な歌詞の『イエスタデイ』を僕が初めて耳にしたのは、田園調布にある彼の
 自宅(それは彼が自分で言うほどうらぶれた地域でもなかったし、うらぶれた家でもなかった。
 ごく普通の地域にある、ごく普通の家だ。古いけれど、僕の芦屋の家よりは大きい。とくに立
 派ではないというだけのことだ。ちなみに置いてある車は、ひとつ前のモデルの紺色のゴルフ
 だった)の風呂場だった。彼は家に帰ると何はさておきまず風呂に入った。そして一度入った
 らなかなか出てこなかった。だから僕はよく脱衣場に小さな丸椅子を持ち込んで、そこに座っ
 て戸の隙間から彼と話をした。そこに逃げ込まないことには、彼の母親の長話(ほとんどが身
 
を入れて勉強をしない、風変わりな息子についての果てしない愚痴だった)を聞かされること  
 になったからだ。そこで彼はそのとんでもない歌詞をつけた歌を、僕のために――かどうかは
 わからないが――大きな声で歌ってくれたのだ。

 「その歌詞って何の意昧もないじゃないか」と僕は言った。「『イエスタデイ』という歌をお
 ちょくっているみたいにしか、僕には聞こえないけどな」
 「あほ言え。おちょくってなんかいるかい。それに、もしたとえそうやったとしても、ナンセ
 ンスはそもそもジョンの好むところやないか。そやろ?」
 「『イエスタデイ』を作詞作曲したのはポールだ」
 「そやったかいな?」
 「間違いない」と僕は断言した。「ポールがその歌を作り、自分一人でスタジオに入り、ギタ
 ーを弾いて歌った。そこにあとから弦楽四重奏団の伴奏を加えた。他のメンバーは一切関与し
 ていない。その歌はビートルズというグループにはいささか軟弱すぎると他の三人は思ったん
 だ。名義はいちおうレノン=マッカートニーになっているけど」
 「ふうん。おれはそういう蘊蓄には疎いからな」
 「蘊蓄じゃない。世界中によく知られている事実だ」と僕は言った。
 「まあ、ええやないか、そんな細かいことはどうでも」と木樽は湯気の中からのんびりした声
 で言った。「おれは自分の家の風呂場で勝手に歌てるだけや。レコードを出してるわけやない。
  著作権も侵害してないし、誰にも迷惑はかけてへん。いちいち文句をつけられる筋合いはな
 い」

  そしてまたサビの部分を、いかにも風呂場的な、よくとおる声で歌った。高音部までとても
 気持ちよさそうに。「きのうまであの子もちゃんと/そこにおったのに……」とかなんとか。
 そして両手を軽く振って、ぱちゃぱちゃと気楽な水音の伴奏を入れた。僕も何か合いの手を入
 れてやれるとよかったのだろうが、そんな気持ちにはとてもなれなかった。他人が風呂に入る
 のに一時間も付き合って、ガラス戸越しにとりとめのない話をしているのは、それほど心楽し
 いものではない。

 「しかしどうやったら、そんなに長く風呂に入ってられるんだ。身体がふやけてこないか?」
 と僕は言った。

  僕自身は風呂に入る時間が昔から短い。おとなしくお湯に浸かっていることにすぐに飽きて
 しまうからだ。風呂の中では本も読めないし、音楽も聴けない。そういうものがないと、僕は
 うまく時間が潰せない。

 「長いこと風呂につかっているとな、頭がリラックスして、けっこうええアイデアが浮かぶん
 や。ひょこっと」と木樽は言った。
 「アイデアって、その『イエスタデイーの歌詞みたいなもののことか?」
 「まあ、これもそのひとつではある」と木樽は言った。
 「良いアイデアも何も、そんなことを考えている暇があったら、もう少し真面目に受験勉強し 
 た方がいいんじゃないか」と僕は言った。
 「おいおい、おまえもつまらんやっちゃなあ。うちの母親とほとんどおんなじこと言うてるや
 ないか。若いくせして分別くさいことを言うな」
 「でも、二年も浪人してそろそろいやにならないか?」
 「いやになるに決まってるやろ。おれかて早いとこ大学生になって、落ち着いてのんびりした
 い。まともに彼女とデートもしたい」
 「じゃあもう少し身を入れて勉強すればいい」
 「それがなあ」と木樽は間延びした声で言った。「それができたらとっくにやってるんやけど
 なあ」
 「大学なんてつまんないところだよ」と僕は言った。「人ってみたらがっかりする。それは間
 違いない。でもそこにすら入れないって、もっとつまんないだろう」
 「正論や」と木樽は言った。「正論すぎて言葉もないで」
 「じゃあ、どうして勉強しないんだよ?」
 「モチベーションがないからや」と木樽は言った。
 「モチベーション?」と僕は言った。「まともに彼女とデートをしたいというのは立派なモチ
 ベーションになるだろう」
 「それがなあ」と木樽は言った。そして半ばため息のような、半ば唸り声のようなものを喉の
 奥からしぼり出した。「話し出すと長い話になるねんけど、おれの中には分裂みたいなものが
 あるんや」


               村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

 

 

 

●フェンネルのローストチキン

チキン(臓物処理済み)の内と外鶏を洗う→内部を塩コショウ、タイムの束、レモンの両半分、ニ
ンニクを詰める→
チキンの外側を塩コショウ振りかけるバターでブラシング→チキンの羽を腋に差
し込みキッチンの足をくくる
焙煎鍋(ローストパン)にタマネギ、ニンジン、フェンネルを
配置→
塩、コショウ、タイム、オリーブオイルを焙煎鍋の底に広げその上に鶏肉を置く→90分間
ロースする→大皿にチキンと野菜を取り出し、20分間、アルミホイルでカバーチキンを薄切りし野
菜とともに供す。

  


●鶏肉 約2キロ、天然塩、粗挽きの黒胡椒、タイム(幹1と小枝20)、レモン 半分、ニンニク
1玉(横半分に裁断)、溶融バター 大さじ2杯、黄玉葱 1個(スライス処理)、人参 4本(
厚切り)、フェンネル 1個、オリーブオイル

 Chicken Salad & Roasted Fennel with Parmesan

 

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第6則 エクスパンション

2014年05月13日 | デジタル革命渦論

 

 

  

【意識と量子の科学】

  ディーン・レイディン著

偶然に、NHKスペシャル「秘められた未知のパワー」とその補足版のサイエンスZEROの「「超能力」は
あるのか!? 不可思議に挑む科学者たち」をみるてしまった。そう、みてしまったのだ。ここで登場した
のが
乱数発生装置(暗号の鍵を作り出す装置)。乱数とはデタラメの数のことですが、これをコンピュー
ターで作り出すのは非常に難しいため、電子的に乱数を発生させる装置(「乱数発生装置」)を使う。そ
の原理は、量子力学を使い、量子の離散系を利用して1/2の確率ででたらめな、0と1を作り出す。そ
一方で、米国はグーグルの創業者のラリー・ペイジ&セルゲイ・ブリンが参加したことで有名な「バー
ニングマン」(野外イベント:砂漠の真ん中で人形を燃やして盛り上がるイベント)を利用し、集団的な
意識(Collective Consciousness)と乱数発生装置の関係を調査。この結果、
「バーニングマン」に火を付け
た時間に、乱数発生器の乱数の発生に異常な偏りが現れ、何らかの人間の意識の力が量子に影響を及ぼし
ているという。人間の「気」とか超能力と考えられていた力が案外、量子力学で解明するかも知れないと
いうので、なんだ、デジタル革命の基本特性(第6則 エクスパンション)の科学的取り組みを一応?積
極的試行されているじゃないかと納得してしまったり、乱数発生器とか光子(電磁波)測定器とか結構、
まじめに?販売されていことに驚いた。

 


 

 Solar panels finally arrive atop the White House, McClatchyDC, May 9, 2014

オバマ米大統領は9日、訪問先のカリフォルニア州で演説し、太陽光発電や省エネ対策などを強化する新
たな取り組みを発表。今後3年間に20億ドル(約2,030億円)を投じて連邦政府ビルの省エネ効率を高める
ほか、300 上の企業・団体の協力で2020年までに5万人の雇用創出につなげると話したという。オバマ政
権が力を入れる温暖化対策の一環。新たな取り組みでは、13万世帯分の電力をまかなえる85万キロワット
の太陽光発電設備を増設し、二酸化炭素(CO2)排出量を米国全体の約7%にあたる3億8千万トン減
らすことができると見積もっている。取り組みの一環として、ホワイトハウスの屋上にも太陽光パネルを
設置し
た。オバマは、太陽光発電の導入に積極的な大手スーパー「ウォルマート」で演説し「我々は太陽
光で世界のリーダーになろうとしている」などと述べた。フランスのシンクタンク「REN21」の集計
によると米国の導入量(12年末時点)は、世界全体の約7%を占め、ドイツ32%、イタリア16%に次ぐ3
位。日本は5位。このニュースをみて、油断していると日本のソーラーメーカーの競争力に一抹の不安が
つきまとうがどうだろう?

【量子スケールと電子デバイス】

さて、今夜は量子スケールデバイス及び太陽電池の新規考案技術を2件ピック・アップしてみよう。

●変換効率30%超3接合型化合物系太陽電池



上の図は、「化合物半導体太陽電池および化合物半導体太陽電池の製造方法」(シャープ株式会社)で、
図1は、化合物半導体太陽電池の模式的な断面図、図2は、化合物半導体太陽電池の分光感度特性図、図
3は、別の化合物半導体太陽電池の模式的な断面図、図4は、その化合物半導体太陽電池の分光感度特性
図。さて、下の左図10は従来の3接合型化合物半導体太陽電池の模式的な断面図。これは、p型Ge基
板101上に、n型Ge層102、n型InGaP核形成層103(厚さ0.02μm)、n型InGa
Asバッファ層104(厚さ0.08μm)、n++型GaAs層105(厚さ0.02μm)、p++型Ga
As層106(厚さ0.02μm)、p+型InGaPからなるBSF層107(厚さ0.1μm)、p
型InGaAs層108(厚さ3μm)、n型InGaAs層109(厚さ0.1μm)、n型InGa
P窓層110(厚さ0.01μm)、n++型InGaP層111(厚さ0.02μm)、p++型AlGa
As層112(厚さ0.02μm)、p+型AlInPからなるベース層113(厚さ0.1μm)、p
型InGaP層114(厚さ0.7μm)、n型InGaP層115(厚さ0.05μm)、n型Al
InP窓層116(厚さ0.03μm)およびn型GaAs層117(厚さ0.5μm)が順次積層され
た構成が特徴だが、これを集光用に設計した場合(AM1.5の太陽光スペクトルに最適になるように、
各層の厚さおよびキャリア濃度を最適に設計)は、1SUNで31%の変換効率を示し、千倍集光で40
%程度の変換効率を示すという。また、下右図11は、従来の3接合型化合物半導体太陽電池の分光感度
特性図である。集光時のAM1.5の太陽光スペクトルの下では、トップセル30、ミドルセル20およ
びボトムセル10で発生可能な電流量の比は、それぞれ、1.01、1.00および1.70程度で、従来
3接合型化合物半導体太陽電池の電流量はミドルセル20で発生した電流量に律速される。このため、
ミドルセルで発生可能な電流量を増加させるための技術として、GaAs層からなるミドルセルにInAs
量子ドット層、またはGaAsP/InGaAs量子井戸層を挿入することことで、長波長側の量子効率
を上げる試みが提案されている。これによれば、ミドルセルで発生可能な電流量を3%程度増加すること
ができるというが、追試評価したところ、再現性や変換効率点で期待外れであったという。
 

このため、第1、2、3の3層の光電変換セル構造をとり、第3の光電変換セルは、第1層と、第2層を
含み、第1層のバンドギャップエネルギは、第2層のバンドギャップエネルギよりもわずかに大きく、第
1層のバンドギャップエネルギと第2層のバンドギャップエネルギとの差の絶対値が0.
05eV以下で
構成することで、変換効率の向上を図るように設計改良する。また、下図5に従い、2°以下のオフ角を
設けたp型Ge基板の(100)面上にn型InGaP核形成層を形成した後にn型Ge層を形成し、第
1の光電変換セルを形成する工程と、第1層上にバンドギャップエネルギが互いに異なる第3層と第4層
とからなるベース層を含む第2の光電変換セルを形成する工程と、第2の光電変換セル上にバンドギャッ
プエネルギが互いに異なる第1層と第2層でなるベース層を含む第3の光電変換セルを形成する工程と、
を含み、第1の化合物半導体層がSbが添加されたInGaP層であり、第2層ではSbが添加されてい
ないInGaP層の化合物半導体太陽電池の製造方法である。このことで、第3の光電変換セルの長波長
側の分光感度を増大させて短絡電流量を増加するという。なお、右下図9、図6、7、8はいずれも実施
例3の分光感度特性を示す図、模式的な断面図、製造方法の一例の製造工程を図解する模式的な断面図、
同左断面図である。最下図は従来例と実施例の比較表で、実施例3が高性能の構造と製造方法ということ
を示す。このことから、30%超の高性能な3接合型化合物系で量子スケール太陽電池の実用化にまた一
歩近づたことが理解できる。





●ナノ結晶蛍光体とその発光装置


近年、低消費電力で小型で高輝の次世代の発光装置として、ナノ結晶蛍光体を含む波長変換層と、ナノ結
晶蛍光体を励起する一次光を発する発光素子とで構成される発光装置の開発が行われているという。(1)
ナノ結晶蛍光体は、量子サイズ効果により、粒子サイズを変えることで短波長の青色光から長波長の赤色
光までその発光波長を自在に制御でき、従来の蛍光体と比較して発光効率の向上が期待できる。(2)ま
た、ナノ結晶蛍光体は、その製作条件を最適化することにより、製作される粒子サイズの分布のばらつき
を抑制することができるため、ほぼ均等な粒子サイズの蛍光体を比較的容易に得ることができ、結果とし
て特定の波長の光のみを効率よく発光させることもできる。しかし、ナノ結晶蛍光体は、(1)発光素子
から出射された一次光を吸収して二次光を発光する際に、この二次光を全方向に向けて放射するので、一
次光の出射方向以外の方向に向けても二次光が進行する。(2)また、ナノ結晶蛍光体は、粒径が数nm
の極小の粒子のため、光の波長に比べて小さく、光が照射された場合にもミー散乱を引き起こすまでもな
い。したがって、この発光装置100は、一次光を出射する発光素子30と、一次光の一部を透過すると
ともに一次光の一部を吸収して二次光を発光する波長変換部とを備え、波長変換部は第1波長変換層60
および第2波長変換層70を有する。第1波長変換層60は、二次光を発光するナノ結晶蛍光体61と、
ナノ結晶蛍光体61を含有する第1樹脂層62とを含む。第2波長変換層70は、ナノ結晶蛍光体61と
異なる二次光を発光する蛍光体71と、蛍光体71を含有する第2樹脂層72とを含み、第1樹脂層62
と第2樹脂層72は、異なる屈折率を有し、第1樹脂層62と第2樹脂2との界面80が、凹凸形状であ
ることで、ナノ結晶蛍光体から放射される二次光を効率よく利用することで発光効率を向上できるという。
なお、図1は、実施の形態1に係る発光装置の概略図、図2は、図1に示す第2波長変換層の上面図、図
3は、実施の形態に係る発光装置の製造工程を示す概略図、図4も図3と同じ略図である。

ここで、(1)ナノ結晶蛍光体とは、結晶サイズを励起子ボーア半径程度にまで小さくすることにより、
量子サイズ効果による励起子の閉じ込めやバンドギャップの増大が観測されるように構成された微結晶蛍
光体を指す。(2)第1波長変換層に含まれるナノ結晶蛍光体が、InおよびPを含むIII-V族化合
物半導体、または、CdおよびSeを含むII-VI族化合物半導体(3)また、第1波長変換層に含ま
れるナノ結晶蛍光体が、InPまたはCdSeの結晶体、(4)第2波長変換層に含まれる蛍光体が、希
土類付活蛍光体または遷移金属元素付活蛍光体、(5)第2波長変換層に含まれる蛍光体が、希土類付活
蛍光体であり、希土類付活蛍光体は、付活剤としてCeまたはEuを含む、(6)第2波長変換層に含ま
れる蛍光体は、希土類付活蛍光体であり、希土類付活蛍光体は、窒化物系蛍光体を含む、(7)窒化物系
蛍光体は、CASN蛍光体である。波長変換部は、互いにピーク波長の異なる蛍光体を含み、一次光の出
射方向に沿って並んで配置された複数の蛍光体含有樹脂層を有し、複数の蛍光体含有樹脂層に、少なくと
も第1波長変換層および第2波長変換層が含まれ、複数の蛍光体含有樹脂層は、一次光の出射方向に沿っ
て、発光素子が位置する側から順に蛍光体のピーク波長が小さくなるように配置される発光装置である、
というのがその条件となるという。

 
ここで、図5は、実施の形態に係る発光装置の製造工程を示す概略図、図6は、変形例における発光装置
の第2波長変換層の上面図、図7も変形例における発光装置の第2波長変換層の上面図、図8、図9も第
2波長変換層の上面図、図10は、実施の形態2に係る発光装置の概略図である。



Ultralightweight and Flexible Silylated Nanocellulose Sponges for the Selective Removal of Oil from Water,
Chem.
Mater.
, 2014, 26 (8), pp 2659–2668
DOI: 10.1021/cm5004164

量子スケールデバイス、マテリアル時代であることは間違いない!そんなことを書き終えて改め実感して
いる。鳥肌が立つ思いだ。今夜はこの辺で。
 

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天晴れ!圭。

2014年05月12日 | 時事書評

 

 

 

男子テニスツアー ムチュア・マドリッド・オープン男子(スペイン/マドリッド)で昨日、シ
グルス決勝が行われ、第10シードの錦織圭(日本)は第1シードのR・ナダル(スペイン)に
6-
2、4-6、0-3と第3セット、第3ゲーム終了時点で錦織が棄権を申し入れ準優勝とな
った。
第1セット、錦織はナダル相手に思い通りのプレーをさせず、2度のブレークに成功し、
最後はサ
ービスエースを決め36分で第1セットを先取していたというが、マイケルチャンのコ
ーチング効果もあるのか、これで世界ランキング9位確定。フィジカルには欧米に劣る日本人に
とってこれは快挙、天晴れ!圭。


  

    

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

前回につづき「第三章 グローバル経済からの奴隷解放」から。ここでは「見かけ上、経済活動
小さくなる。でも、実は豊かになっている。里山資本主義の極意だ。手に入る「豊かさ」は金
的なことだけではない。「楽しさ」や「誇り」といった「副産物」が次々「収穫」されていく」
と、生産性の低さを高付加価値化に転換する方法が紹介される。


 
日本は「懐かしい未来」へ向かっている

 
  身近に眠る資源を活かし、お金もなるべく地域の中でまわして、地域を豊かにしようとす

 る里山資本主義。様々な識者も議論に加わり、地元で活動する人たちと共鳴し、刺激しあう
 関係を結んでいる。人類社会学が専門の広井良典・千葉大学教授は、人類は「懐かしい未来」
 に向かっているのではないかと指摘した。庄原の和田さんや真庭の中島さん、周防大島
の人
 たちと語るうち、自然に出てきた言葉だった。人類は今、懐かしくありつつも、実は新
しい
 未来を切り拓いている最中なのだという。

 「懐かしい未来」とは、スウェーデンの女性環境活動家である、ヘレナ・ノーバーグ・ホッ
 ジ氏の言葉だ。グローバリゼーションの波が押し寄せるインド・ヒマラヤのラダックという
 秘境の村に入り込み、営々と営まれている伝統的な暮らしを目の当たりにし、21世紀はこ
 うした価値観こそが、途上国だけでなく、先進国においても大切なのではないかと感じ、こ
 の言葉を紡ぎ出した(『ラダック懐かしい未来』ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ著『懐かしい
 末来』
翻訳委員会訳 山と渓谷杜 2003年、参考)。広井教授は里山の革命家たちと語
 りなが
ら、この言葉を思い出したのだ。



  広井教授は、持論を展開した。長い人間の歴史を振り返ると、物質的な量の拡大を続ける
 時代と、質的な、本当の生活の豊かさなどに人々の関心が移っていく時代が繰り返されてき
 た。今見ているものこそまさにその転換期なのではないかと。
 「工業生産の時代は、自動車にしても何にしても、全国、世界、同じものが出回るとともに、
 そうした画一的なものがどれくらいあるかによって、進んでいる、遅れているという評価が
 なされた。進む・遅れるという時間軸でなんでも物事を見る時代であった。しかし、成熟の
 時代となり、地域ごとの豊かさや多様性に段々人々の関心が向かっているのではないか」
  議論の中では、このような一幕もあった。人が山に入らなくなって荒れ果ててしまったマ
 ツタケ山を再生させようと活動をする人たちを、広井教授は、短期の利益しか見ない今の経
 済から長いスパンでの成果を評価する時代への転換、その表れだと説いた。すると、マツタ
 ケ山再生研究会の空田有弘会長が「それはちょっと違う」と言いだした。自分たちは、絶対
 に成果が出ないといけない、という態度をそもそもとっていないというのだ。
 「成果が出れば良し、出なくても、それもまた良し。みんなで山に入って、山をきれいにし
 て気持ち良かった。70代の者たちが頬を赤く染めるほど汗をかき、山仕事に打ち込むこと
 の気持ちよさ、すがすがしさ。それがあればいいのです」
  その話を間くうち、広井教授はこれ以上はないという笑顔になり、「感銘を受けた」と応
 えた。「そうなんですよね。将来の成果のために今を位置づけるのが今の経済だが、それで
 は現在がいつまでたっても手段になってしまう。そこから抜け出さなくてはならないのです
 よね」と、さらに論を展開させた。
  人類何万年の歴史を考察する学者と、マツタケのいっぱいとれる山を取り戻したいと汗を
 かく男性が、まさに同じ土俵で語り合い、高めあう。これこそ里山資本主義だと合点した瞬
 間だった。

 「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ

 
  小さな地域と地域が、どちらかが搾取する側でどちらかが搾取される側という関係ではな
 く、対等な立場で情報を交換し互いに強くなる経済の形は、グローバル経済とは相容れない、
 対立するものなのか。国際経済のマクロ分析が専門の、浜矩子同志社大学教授は、それは、
 違うと指摘した。浜教授は、今私たちが信じている「グローバル経済像」は、古くさい経済
 なのであり、実際はそこから抜けだしどんどん進化しているのだ、そのことに私たち自身が
 早く気づくべきなのだと語った。グローバル社会を「ジャングル」に見立てた説明は、我々
 の「弱肉強食の生存競争しかない」という固定観念を一瞬にして打ち壊した。
 「グローバル時代は強い者しか生き残らない時代だという考え方自体が、誤解だと思うので
 す。多くの相手をつぶしたやつが一番偉い、みたいな感覚でグローバル時代を見る人たちの
 頭の中は時代錯誤と言えます。われわれは、グローバルジャングルに住んでいます。ジャン
 グルは、別に強い者しかいない世界ではありません。百獣の王のライオンさんから小動物た
 ち、草・木、眼てはバクテリアまでいる。強い者は強い者なりに、弱い者は弱い者なりに、
 多
様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代だと思います」
  グローバル化社会自身がそうした方向に進化しつつあることを示す言葉として、浜教授は、
 『シェア』という言葉の使い方が、最近変わっていることを挙げた。
 「かつてシェアという言葉は市場占有率と受けとめられていました。市場のシェアナンバー
 ワンになりたいという言い方ですね。今はどうですか? 今は分かち合いという感覚を持っ
 て人々に受け削められるようになっている。180度違う意味で使い始めているのです。グ
 ローバル時代、成熟経済に対する理解が広まっているのではないでしょうか」


  ではそうした人々の「無意識の変化」は、実際に何をどう動かし、どんな可能性を提示し
 始めているのか。中国地方が抱えるもうひとつの大きな「お荷物」であり「課題」である
 「耕作放棄地一をめぐる最新の動きを追いながら、考えていきたい。

  「食料自給率39%」の国に広がる「耕作放棄地」

  先祖が汗水たらして切り拓いたデンパタを、なぜ草ぼうぼうにしているのか。
  あっちもこっちも、なのだ。夏、中国地方の山あいを走ると、むっとする草いきれと共に
 殺伐とした風景が目に飛び込んでく
る。むくむくと疑問がわいてくる。悲しい気持ちになっ
 てくる。

 「耕作放棄地」だ。2005年の統計によれば、中国地方は、耕地面積全体に対する「耕作
 放棄地」の割合が広島県全国4位、
島根県9位など、全国有数の「耕作放棄地帯」となって
 いる。五割以上が放棄されて
いる、という市町村も目につく(広島県では七市町、山口県で
 は六市町が放棄率50%超。瀬戸内の島でその傾向は特に顕著で、例えば江田島市83%、
 上関町87%、周防大島町52%)。
  しかし、それはしょうがないことなのだと、よく説明される。
  過疎地で高齢化が進み、耕す人がいなくなったのだ、と。若い人はみんな仕事や暮らしの
 ために山をおりてしまったのだ、と。
  でも、それでは納得できない。せっかく土地があるのに、水さえひけば米が作れる田んぼ
 なのに、もったいないではないか。何か使い道はないかと考えないのか。使おうという人は、
 本当に誰もいないのか。
  するとこういわれる。日本では米ができすぎて余っている。だから作るのを控えているの
 だ、と。作りすぎると米の値段が下がって、いま作っている農家まで困らせることになるの
 だと。確かに耕作放棄地は、「減反政策」をきっかけに増えてきた。
  たいていの人は、ここであきらめてしまう。仕方がないと。しかし、里山資本主義を標榜
 する我々は、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。もう少し、食い下がってみたい。
  食料自給率が低い日本でそのようなことを言っているのは、おかしいのではないか。
  農水省のホームページを開くと、実はそのとおりのことが書かれているのだ。2011年
 度のカロリーベース、つまり「日本人が摂取する栄養のうち、どれだけを自国でまかなって
 いるか」という尺度での、日本の食料自給率は39%。ずいぶん前から、もっと自給しよう
 と呼びかけている。しかし数字は15年も横ばいで、改善の兆しは見えていない。昭和40
 年(1965年)には70%以上まかなっていたにもかかわらず、である。
  もう少し詳しく見てみる。米の自給率は96%。これだけ減反しているのに百%でないこ
 とに少々違和感があるが、政策上、毎年少しは外国から米を買うことにしているそうだ。
  問題はその他の作物である。小麦の自給11%。油脂類13%。戦後パン食が広がり、最
 近ではパスタなど麺類を食べることも多くなったこと、揚げ物など油を使う食生活が広がっ
 たことなどを考えれば、全体の自給率を下げる大きな要因と言えるだろう。
  もうひとつ気になる数字がある。畜産物に関する数字だ。完全に自給できているのは16
 %で、輸入飼料による生産分か48%となっている。つまり、肉や卵自体は国内産でも、食
 べているエサが海外からの輸入で、自給できていないということだ。
  こうした事情を知るにつれ、また、疑問がむくむくわいてくる。耕作放棄地で飼料を作ろ
 うという人はいないのだろうか。
  またすぐ反論が返ってくる。アメリカなどの海外産飼料に、価格で太刀打ちできないのだ、
 と。そして、アメリカ中西部の穀倉地帯の雄大な映像を見せられる。広い区画の農地で行わ
 れる効率的な農作業、巨大なコンバイン。狭い段々畑や棚田でちまちま手間をかけて農業を
 やっても、勝てるはずがない。急いで大規模農業を普及させないと、日本の農業にあすはな
 い、と説明される。
  これがいわゆる「常識的な課題認識と解決へのアプローチ」だ。しかしその常識、本当に
 正しいのだろうか?

  「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている

 
  日本有数の耕作放棄地帯に属する島根県の山あいで、私たちは新たな動きを取材した。そ
 して驚いた。「いわゆる常識」のない世界に住む人に次々出会ったのだ。
  洲濱正明さん、29歳。草ぼうぼうの耕作放棄地を借り、牛を放している。24時間36
 5目、牛たちは毎日気ままに草はらを歩き、気の向いた場所で草をはむ。乳が張ると牛舎に
 やってきて、乳をしぼってもらって、また草原に戻っていく。
  牛は、穀物を一切食べていない。でも乳は出る。草ばかり食べているからおいしくないか
 というと、とんでもない。飲んでみると驚くほど濃厚だ。
  耕作放棄地はただで貸してもらっている。どうせ使っていないのだから、どうぞ。しかも
 草刈りの手間まで省けて好都合、というわけだ。
  売れる牛乳は、もちろん大量というわけにはいかない。日によって量にもばらつきが出る。
  しかし、自然そのものの牛乳だと、好んで買う人がいる。自家製アイスクリームも好評だ。
  なんといっても、毎日の経費がほとんどゼロ。生活に困らない程度の収入は、十分確保で
 きている。
  なにより私たちが惹かれるのは、洲濱さんの穏やかな表情、のんびりした話し方だ。
 「雑草というと無駄なものですが、その無駄が、私たちにとってはありかたい牛のエサなん
 ですね」と、静かにほほえみながら話す。そして続ける。「牛のストレスも、少ないようで
 して」
  確かにそうだ。美しく蘇った耕作放棄地。牛の放たれた草はらは、生い茂っていた草を牛
 がせっせと食べたおかげで、今やさわやかな風が吹き抜ける放校地だ。のんびり座ったり、
 草をはんだり、思い思いにすごす牛たちは、いかにもストレスがなさそうだ。
  私たちは、はたと思う。日頃報道で目にする「苦しい酪農」と、なぜこんなに違うのだろ
 うか。
  海外産穀物の高騰によってかさむエサ代。それなのに、市場に出回る牛乳の量が多すぎて、
 むしろ下がっていく牛乳の買い取り価格。廃業に追い込まれる酪農家が増え、今度はバター
 不足が起きる。余っているのかと思うと急に足りなくなるという、理解しがたい事態。
  もちろん、日本中の酪農家が、洲演さんのようにするわけにはいかない。それでは日本全
 体の需要はまかなえないだろう。だが、今の酪農が当然のこととしている常識は、疑ってみ
 る必要があると思うのだ。
  例えばそのひとつが、「穀物を食べさせないと濃い牛乳は生産できない」ということだ。
 私たちは取材で目から鱗を落とされた。草だけの牛乳は、確かに濃かったのだ。
  洲濱さんはこともなげに言う。
 「食べているものの種類が多いんですよ。クマザサからヨモギまで、数百種類くらいは食べ
 てるんじやないかと思うんです。飼料だと、こうはいきません。混合飼料といっても、植物
 の種類にすれば数種類にすぎません。だから濃厚なんです」
  いわれてみれば、なるほど、である。
 「牛乳の価格をおさえないと売れない」という常識もあやしい。洲潰さんの牛乳は、市販の
 五倍もする。でも売れる。それはそうだ。こんなに健康的な環境で育ち、自然そのもののエ
 サを食べた牛の乳は、飲みたくなる。そもそもたくさん出回らないため、高くて買えないと
 言っていると、なくなってしまう。
  価格だけをバロメーターとし、大量に作って単価をおさえ、売れなければ牛乳を捨てて市
 場のだぶつきを回避するという、なんともいたたまれなくなる経済の常識は、そこにない。
  洲濱さんは、さらに大胆な「常識破り」を始めている。自然放牧では避けられない「毎日
 牛乳の味が変わること」を強みにしようというのだ。
  常識的な農家が、かんかんになって怒りそうな試みだ。なぜなら、多くの農家は、品質が
 一定であることを市場での競争力と信じ、その達成のために、努力に努力を重ねているから
 だ。でも、市場、というか我々消費者は、本当にそんなことを求めているのだろうか。
 「常識」が想定する、品質のばらつきに対する市場の反応。それは「きのうと同じ値段がつ
 いているのに、きょうの牛乳は薄かった。損をした。どうしてくれるのか」であろう。だが、
 自然放牧の牛乳にそのような文句を言う人がいるだろうか。
  洲濱さんの取り組みを聞き、「日によって達う牛乳の味を楽しんでください」と言われて
 牛乳を飲み比べた藻谷さんは、ひとことでその「常識破りの価値」を言い当てた。
 「搾った日ビンテージ、ですね」
  そうなのだ。私たちは「均質なものをたくさん」以外の価値観も持ち合わせている。ワイ
 ンなどの財界では、他にない特徴を持つものが少量あることに価値を置く。「ビンテージも
 の」と名付けて。その価値観を牛乳に持ち込もうとは、夢にも思って来なかった。それだけ
 のことなのだ。
  常識にとらわれない洲演さんは、毎日味が達う牛乳を、これからもっと売り出していきた
 いという。晴れ九日、草原を突っ切り、森に入ってクマザサをおなかいっぱい食べる牛の乳。
 草はらにハーブがはえる季節、ほのかにいい香りのする牛乳。
  確かに、その方が自然放牧ならではの「ストーリー」を語ることができる。聞いているだ
 けで、わくわくしてくる。そして、牛乳は工業製品ではないのだ、と改めて実感できる。
  これこそ、「均質」にできることが当たり前となり、逆にばらついていることの価値、つ
 まり個性を大切にしたくなった今の時代だからこそ認められる「常識破り」ではないか。

 
 「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境

  毎日うきうきと小型のバンに乗り込み、耕作放棄地を切り拓いて作った畑に向かう数人の
 若い女性たち。「耕すシェフ」と呼ばれている。
  島根県邑南町が開設した、町観光協会直営のイタリアンレストランで働いている。耕作放
 棄地を使って農業をしながら、そこでとれた野菜を自分で調理して、客に出す。
  彼女たちは、もともと農業に詳しくない。というより、素人に近い。そのひとり、安達智
 子さん、25歳。大学卒業後、横浜でウエブデザイナー、つまりホームページなどを作製す
 る仕事をしていた。
  自然の中の暮らしや農業に興味がなかったわけではない。週末には、わざわざ茨城まで行
 って市民農園を借り、野菜作りを楽しんでいたという。
  都会でないと仕事がなく暮らせないという「常識」が、実は違うということにも、半ば気
 づいていた。都会から田舎を目指す若者をサポートするNPOの仲立ちで、我々の取材の一
 年前に、縁もゆかりもない島根県邑南町に「転職先」を見つけた。島根と鳥取の区別もつか
 ないという、予備知識のない状態のままで。
  移住してきた安達さんに、地元の人は驚きの声をあげたという。「なんでまた、こんなと
 ころに」。そもそも「耕すシェフ」のコンセプトを発案し、募集した邑南町商工観光課のす
 任、寺本英仁さんですら、「みんな、来るわけないと言っていた」と明かす。
  逆に安達さんは、そういわれることが不思議でならなかった。「転職先」は、安達さんが
 夢見る希望の条件がすべてそろった、理想的な環境だったからだ。
  自由に使える上地が、すぐ近くにある。都会の菜園は達くて、通うこと自体大変なことが
 ほとんどだった。しかも、都会では当然のようにとられていた結構な借り賃も、ここではか
 からない。あれを作りたい、これも作ってみたい、有救農泉がしたいと希望をいうと、教え
 てくれるベテラン農家を気楽に紹介してもらえる。部会の「先生の授業」は決まった時間だ
 けだが、ここならば、その辺に教えてくれる人はいくらでもいる。達人だらけの町なのだ。
  さらに、収穫した野菜を料理にして出す場もある。目の前で味わい、感想を討ってくれる
 人までいる、しかもお金を払って。耕すシェフのレストランに来る客は年間1万7千人。
  安達さんがそう話す向こうで、昔ながらの小学校のチャイムがのんびりと鳴っていた。
  どう考えても、安達さんが普通で、これまでの常識が変なのだ。土地というものは、使い
 たい人が多ければ値段が上がり、少なければ下がる。極限まで下がった土地が「ただで使え
 る耕作放棄地」だろう。ところが、ただになってもみんな使おうとしない。きちんと情報さ
 え行き渡れば使いたいと言い出すに違いない潜在的希望者は、かやの外に置かれている。
 なぜこんなことがまかり通り、放置されているのだろう。

 
耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ

 
  松江市郊外の耕作放棄地で、最近面白いことが起きた。素人たちが楽しそうに耕す姿を見
 て、プロ農家のやる気が復活したというのである。
  島根の県庁所在地松江でも、身の回りに畑を持たない都市住民の中に、自分で野菜を作り
 たいという人が増えているという。どこか気楽に使える場所はないか、と探したところ、車
 で二〇分くらいのところに耕作放棄地があった。市民たちはNPOを立ち上げ、活用する許
 可を市にもらい、せっせと荒れ地を農地に戻して、野菜などを作り始めた。
  まったくの初心者も多い。その分、感動も大きい。実がなったと大騒ぎ、といった光景が
 あちこちで見られるようになった。スーパーで買って食べるのと、ありがたみが全く違う。
 通うのが楽しみでしょうがない。休みの日など、子どもや孫を連れて、一日ここで過ごすと
 いう人もいる。子どもの歓声が響く。耕作放棄地が一気に楽しい場所になった。
  荒れ放題だった土地の変貌ぶりを、近所の農家の人が見ていた。そして、感銘を受けたと
 いう。何か人事なことを忘れていたと感じ、自分たちも荒れ地の一部にお茶の苗木を植えた。
 木が育ち、お茶を摘む日を楽しみにすることにしたのである。 

  鳥取県の山あい、八頭町では、進めてきた耕作放棄地の活用をめぐって、興味深い議論が
 繰り広げられた。自分たちは儲けるためにやっているのか、楽しいからやっているのか、真
 剣に話し合ったのだ。出した結論が、いかしている。楽しむことが第一だということを、み
 んなで確認したのである。
  彼らが取り組んでいるのは、とある魚の養殖。耕作放棄地の田んぼを20センチほど割り、
 用水路から水をひいて、ホンモロコという魚を育てている。ホンモロコは体長10センチほ
 どの琵琶湖特産の魚で、昔から京都の料亭などでは、高級食材として珍重されてきた。炭火
 であぶったり、け露煮にしたりして食べる。上品な味の白身の魚だ。
  2000年頃、鳥取大学で淡水魚の研究をしてきた七條喜一郎さんが、ホンモロコが田ん
 ぼの他のような環境でも育つ魚であることに目をつけ、八頭町の耕作放棄地で養殖を始めた。
 やってみると、うまくいった。初夏、幼魚を池に放す。エサは池にわくミジンコなどのプラ
 ンクトン。醤油かすや小麦をまいておくと、それをエサにミジンコは自然に増え、ホンモロ
 コは育つ。成魚になってからはちゃんとしたエサが必要だが、それまではほとんど手間がか
 からない。食べればおいしいし、田んぼで魚が育つこと自体、なんとも楽しい気分になる。
  代々受け継いだ田んぼを荒れ放題にしていることに後ろめたさを感じていた農家などが、
 次々と田んぼを池に変えた。参加者は年々増加し、今では町全体で五一人にもなる。ブーム
 はまわりの町や他県にも広がった。
  そして問題が起きた。新規参入者急増による産地間競争、である。
  ホンモロコは、確かに京都に持って行くと高く売れる。古都の台所、錦市場に行くと、甘
 露煮が百グラムで1500円を超える値をつけている。しかし、こんな淡水魚をありがたが
 って食べる文化を持つのは京都周辺だけである。我も我もと京都の市場にホンモロコを出す
 と、とたんに競争が起きる。そして、値が上がってしまうのである。
 「八頭ホンモロコ共和国」という手書きの看板を掲げた拠点に、主だったメンバーが集まっ
 て話し合いがもたれた。
  高級魚としてのブランドを維持するために、何をすべきか。市場の拡大は図れないか。議
 論を黙って間いていた七條さんが、目を開いた。
 「もともと、何のために始めたのか?」
  七條さんは、こう説いた。荒れ果てた先祖伝来のデンパタを見るのは悲しいことだ。活か
 されていない土地で何かできないか、と始めたのがホンモロコの養殖だ。そもそも儲けよう
 とか、採算が取れるかとかを考えて始めたことではない。楽しいからしているのだ。それで
 いいじやないか。争うなどもってのほかだ、と。
  七條さんには、「楽しい」という以外に、もうひとつ大切にしていることがある。それは
 「地域を誇らしく思う気持ち」だ。
  我らが田んぼで高紙魚が育つ。それ自体、誇らしい。
  みんなで集まり、おいしい食べ方をあれこれ工夫する。酒を酌み交わしながら、その味を
 自画自賛する。そしてホンモロコを知らない人に、食べ方を紹介しながら、こんなにおいし
 い魚がとれるわが故郷を自慢する。
  誇らしさは、子どもたちにも広がっている。ホンモロコを給食で使うようになってから、
 子どもが胸を張るようになった。七條さんは何度も小学校を訪ねては、ホンモロコが育つ水
 がきれいなこと、そんな環境に自分たちが暮らしていることを、繰り返し教えている。
 「それで、いいじやないか。子どもが地域を好きになってくれれば」

 

 「市場で売らなければいけない」という幻想

 
  こうした事例は、ことの本質を見事に語っている。これまで耕地というものをしばってい
 た常識を外せば、案外道は開けるのだ。
  その常識とは何か。第一は、耕地で育てるからには、「相当額のお金に姿を変える経済行
 為でなければならない」という常識だ。いいかえれば、必ず「市場なるところ」で売ってお
 金と交換してこなければならない、という常識だろう。こういう常識にとらわれている人は
 お金に換えてしまうと失われる価値があることに気づいていない。
  なぜ自分で食べてはいけないのか。自分か楽しんで作ったものは、自分で食べることこそ
 が一番楽しいし、充実感も得られる。
  なぜ、自分で調理して人に食べさせてはいけないのか。「これ、私が作ったのよ」といい
 ながら、人に食べてもらうことが、どんなにうれしく、満足を得られることか。
  それなのに私たちは、耕地を使うときは、できたものを必ず外の市場にもっていき、売ら
 なければならない、と信じてきた。そのために、作るものの品質と量だけにひたすらこだわ
 り、他の産地に負けないよう、価格を競争してきた。海外産はもっと安いといわれ、唯々諾
 々と「値下げに応じてきた」のである。
  そのあげく、「戦えない商品」しかつくれない耕地では、何も作らないという選択をして
 きたのだ。耕地を放棄し、そして食べるものを外から買い、自給率を下げてきた。
  そうしたことが地域で暮らすコストを押しIにげ、結果、地域が生きていくことを難しく
 している。基本的なことだが、改めてそのことを確認しておかなければならない。

 次々と収穫される市場 "外"の「副産物」

  耕作放棄の菜園で野菜を育てている市民は、その分スーパーで野菜を買う必要がない。こ
 れは、重要なことを私たちに問いかけている。
  いつのまに私たちは、「趣味」をお金で買うしかないものにしてしまったのか。趣味を含
 め生活のすべては、仕事という「業」で得たお金を切り崩して得るしかないと考える、一方
 通行の仕組みを金科玉条にしているのはなぜなのか、と問うているのだ。趣味で野菜を作り、
 その分お金を使うことが少なくなれば、それにこしたことはないではないか。それどころか、
 支出さえ抑えられれば、実はそれほど収益性の高くない「業」でも、つくことができるよう
 になるのだ。
  地元の池で育ったホンモロコを給食に使えば、町の外から魚を買う必要がない。同じよう
 に代金を払っているようだが、意味合いは全然違う。外の魚だと、お金は町の外に出て行く。
 でも地元のホンモロコなら、お金は地域に留まる。地域の中で回っていくのだ。
  見かけ上、経済活動は小さくなる。でも、実は豊かになっている。里山資本主義の極意だ。
  さらに、手に入る「豊かさ」は金銭的なことだけではない。「楽しさ」や「誇り」といっ
 た「副産物」が次々「収穫」されていく。
  副産物は、まだまだある。「耕すシェフ」の仕掛け人である邑南町商工観光誄の寺本さん

 が、こんな話をしてくれた。
 「安達さんがここに来た頃、疲れていた。遅刻ばかりしていた。でもしばらくすると元気に
 なった,たぶん、部会にいた時は何百万人のひとりだったんでしょう。ここにくると一万人
 のひとり。役立ち感が全く違う」そのことを如実に表すバロメーターがある。「ありがとう」
 と言われる
ことが圧倒的に増えたというのだ。さらにいえば、安達さんが「ありがとう」と
  いうことも増えた。感謝のコ

   ミュニケーションは、人を元気にする。それが都会では、どんどん少なくなっている。
  安達さんは、自分で作る野菜以外に、先生となっている農家など、何軒かの農家をまわっ
 て野菜を買っている。その際、幾つもの質問をする。何という名前の野菜か、から始まり、
 おいしい野菜の作り方、見分け方、おいしい食べ方……。聞かれるたびに、農家の人は答え
 る。ほとんどは、当たり前だと思っていたようなことがらだ。でも苦にならない。苦になら
 ないどころか、答えるのが楽しくて仕方ない。毎日、早く安達さんがこないかな、話がした
 いな、と思うようになったという。
  そうなのだ。野菜の話をするのは、楽しいことなのだ。こんなに楽しいことを、なぜ今ま
 でしてこなかったのか。それを安達さんが気づかせてくれた。そして、今日も安達さんは
 「ありがとうございました」といって帰って行く。
 これが、あすはない、都会に出るしかないとみんなが信じてきた田舎に、実は眠っている
 「実力」なのだ。
  そのことを、安達さんは、こんな言い方で表現してくれた。
 「すごくおいしい水もあって、森もあって、全部あるじやないですか、いいじやないですか
 って言うんですが、地元の人は、なんかやっぱりスーパーとか色んなものが買える場所があ
 った方が若い人はいいんじやないか、という考えをもっているらしいんです。そうではなく
 て、地元の人が持っている色んな知恵とか、自立して生きていける力とか、そういうことを
 今すごく必要としていて、それを学びたくてきているんですね」
  安達さんの言うことが常識になれば、地方は激変する。都会に住む人を巻き込んで、日本
 全体が大きく変わると、私たちは確信している。

                     藻谷浩介 著『里山資本資本主義』pp.131-203

                                   この項つづく

 

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フェンネル薫る五月

2014年05月11日 | 開発企画

 

 

【フェンネル薫る五月】

たくさんのフェンネル(『女のいない男たちの料理』)が摘れたとみせ、良い香りがするためかナ
メクジが寄って来るので、ほら、ここに傷跡がのこっているでしょうとフィノッキオ(鱗茎)を指
さす。それじゃ、作りやすくて調理方法も数百を超えるのだから、育種や栽培技術を改良して、我
が家の、いや、町の特産品としてみてはと返事すると、まぁ~、話を広げないで!ともかくも、美
味しい料理を作るのよ(夕食に、フェンネとオニオンスープ&フェンネルローストビーフとして出
されたが、これには満足。彼女は、自家製は安上がりと満足)と言って会話は終わる。外に出て、
陰干ししているフェンネルの葉茎を匂いをかぐ、まさしく、ハーブ薫る五月だ。

 



【歯周病からニオイ測定器開発まで】

一昨日の歯の治療(『積極的平和主義の分水嶺』)が気になり、歯周病起因の口臭を徹底的に付き
合ってみようかと考える。ところで、口臭は、口腔内に住むバクテリアがつくるガスと、肺から出
てきた、臭気を含むガスとが混じって、口呼吸によって排出されたもの」が、その正体といわれて
いて、口腔内には、想像を超えるほどの多くの微生物が住みつき、外部から侵入する病原菌をシャ
ットアウトする役割を担っているが、その活動の結果、むし歯を作ったり、歯周病を発生させたり、
あるいは、このように口臭のもととなるガスを発生させたりするという。「口臭は、口のなかの食
べかすなどに含まれるタンパク質が、口腔内細菌で分解されてできる揮発性硫黄化合物(メタンチ
オール、スルフィドなど)とスカトール、インドール、長鎖アル
コールなどによるものといわれま
す。とりわけメタンチオールが主役です。しかし、人の吐く
息を分析すると、二百種以上の揮発成
分が検出されるので、口臭の原因は複雑です。歯石につい
た嫌気性菌や舌の表面のカンジダなどに
よっても口臭は強くなります」と井上重治は『微生物と香り』で述べている。以下、第二章「微生
物は多彩な香りをつくるだす」を抜粋掲載する。



 ●人に棲む微生物のつくる体臭

  生物はみな体表または体内から固有のにおいを放出しこのにおいを通して仲間の認識や連絡、
 異性への接近などを行っています。ヒトの場合は、ホモサピエンス特有
の代謝によってつくら
  れる脂肪、タンパク質、ステロイドなどの分解物(主にイソ吉
草酸、カプリン酸などの脂肪酸
 とアンドロステロイド類)が体表から揮発して、人間
同士には親しみのあるにおいとして慟き
 ます。しかし、野生動物には恐ろしいヒトが
近づいたことを知らせる警戒信号になります。

 ●個人や男性、女性のにおい

  体臭は生きている証ともいわれています。この体臭は食事、健康状態、感情、各人がもって
 いる常在菌のフローラによって変わります。この意味では、個人を認識する免疫組織に似てい
 ます。事実、遺伝子が支配した個人固有のにおいがあり、免疫的に自己と非自己を決定する一
 群
糖タンパク質(主要組織適合性複介体MHCとい引の遺伝子が関与していることが報告さ
 れています。またヒトはMHCによる個人のに
おいの違いを識別できるといわれます(山崎,
 1998)。幼児は自分の母親の瞼の下のパ
ッドのにおいを好み、母親は自分の子惧のにおいを識
 別して、言葉なしに(一種のフェロモン様作用)、お互いのコミュニケーションをはかってい
 ます。

  男性と女性では明らかににおいが異なります。男性は強い刺激臭やジャコウ様におい、女性
 は甘い香りがするといいます。ジャコウ様においは男性ホルモン様物質の分
泌と関連していま
 す。かつて筆者が動めていた会社の男性更衣室の特有のにおいを5名ずつの男性と女性にテス
 ト
したら、筆者を含めた男性の6分の4は悪臭と感じたのに対して、女性全員からは悪い臭い
 ではないという回答が得られました。同性のに
おいは避けて異性のにおいを好む傾向が見られ
 ます。

 ●食事によって体臭が変る

 
  人が日常たくさん食べる食物に含まれるにおい成分は、汗や呼気のなかに現れます。食事に

 よって血液中の化学成分が変り、それがエクリン腺の汗や肺の換気によって外部へ排泄される
 ためです。このため、マトンなどのくせのある肉類をたくさん食べる
と、体臭にもそのような
 においがしてきます。よくインド人は香辛料様、日本人は魚
様、エスキモー人は鯨の脂肪様の
 においがするといわれます
。日本人が西洋に旅すると、体臭も西洋風に変わるといわれます。

 ●汗臭と加齢臭

  ヒトの体臭は体全体の皮膚や特定の部位(頭皮、口、足、膝、瞼の下など)から発生するに
 おいの総合されたものです。これらは、皮膚の分泌物が常在菌の代謝を受け
て発生することが
 多いのです(深野,1994;土師,2000)。汗臭は体全体に分布するエクリン汗腺からの脂溶性分
 泌物に、表皮ブドウ球菌などの皮膚常在菌が作用して発生するイソ吉草酸などの短鎖脂肪酸と
 アンモニアが主な原因と考えられています。また常在菌のひとつ(Micrococcus sedentaris)を

  汗の成分と一緒に培養すると、メタンチオール、スルフィドやチオ酢酸エステルなどの硫黄化
 合物が発生するといわれます。

  中高年になると、胸や背中から少し青くさい脂臭、古くなったポマード様、頭皮奥様のにお
 いが発生します。この老化に伴う特有な加齢臭(老人臭)の本体は資生堂の
土師信一郎溥士ら
 によって、不飽和アルデヒド、とりわけ2-ノネナールであることが
明らかにされました(土
 師,今津,1999)。加齢にともなって変化した皮脂脂肪酸(パル
ミトオレイン酸など)が酸化分
 解して生成したものです。これには、自動酸化のほか
に皮脂徹生物の介在が推察されます。実
 際に、パルミトオレイン酸を表皮ブドウ球菌で培養すると、trans-2-ノネナールとtrans-2-オ
  クテナールなどの不飽和アルデヒドが検出されました(沢野,2001)。

 ●腋臭は徹生物の分解物のにおい

 
  ヒトの体で、もっとも強い体臭を発するのは、瞼の下と陰部です。接の下には、ア
ポクリン
 腺、エクリン腺、アポエクリン腺、皮脂腺などたくさんの分泌腺が集まって
います。ここには、
 コリネ型細菌(好気性グラム陽性の悍菌で多形性を示す群、Corynebacterium sp
.がその代表)
  を主体にして、ジフテリア様菌(Diphtheroides)など
が棲んでいて綬臭の原因になっています。
 アポクリン腺からの分泌物が、これらの常
在菌の代謝を受けて、汗くさいイソ吉草酸とその近
 縁の短鎖脂肪酸(C6~C11)、とり
わけ特有成分の(E)-3-メチルー2-ヘキセン酸を発生させま
 す。この酸は最初は精神分
裂症患者の汗から見つけられましたので、その患者特有の臭い物質
 と思われていまし
たが、後になって健康な人からも検出されました。分岐脂肪酸は個人に固有の
 におい、
すなわち「化学的指紋」を与えます。このほか、山羊臭のする4-エチルヘプタン酸も
 単離されていますが、これは成熟した雄山羊の繁殖期の皮脂腺の分泌物でもあります。7,オクテ
 ン酸の臭いも無視できません。

 ●腋の下に分泌されるステロイドの微生物変換

  腋臭を構成しているもうひとつの重要な成分がステロイドです。鞭の下のアポクリン腺から
 は、5種類のアンドロステロイド(男性ホルモン近縁物質)が分泌されます。不揮発性の3-β
 -アンドロスタジエノール・硫酸エステルは、親油性のヂフテリア様菌によって加水分解と酸
 化を受けて、アンドロスタジエノンとアンドロスタジエノールが生成します。ついでコリネ型
 細菌(Corynebacterium xerosis など)によりこれらはともにアンドロステノンに変換されます。

  アンドロスタジエノールはムスクと白檀を混ぜたようなジャコウ様のにおいですが、アンドロ
  スタジエノンとアンドロステノンは尿ないし汗くさい臭いがします(印藤,1999)。

 
  ヒトの尿には△2-アンドロステノンー17に代表されるステロイドが排出され、ヒト特有のに
 おいを発します。ステロイドはホルモン作用ばかりでなく、対外的なコミュ
ニケーションにも
 一役かっているのです。

 ●腋臭は人種によって異なる

  腋毛があると、これらの臭い成分がため込まれ、それが腕を動かすたびにこすれて発散して
 きます。鞭毛を剃ると、鞭臭はかなり抑えられ、古代ローマでは男性も鞭毛を剃っていたとい
 われます。現在もイスラム教徒の男性は剃っています。皮脂腺もアポクリン腺も人種によって
 異なり、黒人が一番多く、白人、日本人、中国人の順に減少するといわれています。鞭臭は、
 大半の日本人には嫌われますが、外国ではときには愛の甘い小道具になることもあります。鞭
 の下に香水をスプレーするのは、よい香りで体臭をマスキングするだけでなく、鞭臭原因菌に
 働いて分泌物の悪臭分解を防ぐ効果があると信じられています(Feamley&Cox,1983)。鞭臭
 の発生には体内のアポタンパク質が関係しているともいわれています。

 ●足臭と頭皮・頭髪臭

  足の裏や手のひらには、エクリン汗腺がたくさんあります。足の汗くさい臭いの原
因は、嫌
 気性菌のつくるイソ吉草酸と酪酸によるものとされています(Kandaetal.1990)。頭皮には皮
 脂腺が多く、ここから分泌されるトリグリセライドは、酵母(Malassezia furfur)やアクネ菌
 (Propionibacterium acnes)などの常在菌のリパーゼで分解されてできた短鎖脂肪酸(イソ吉草
  酸、酪酸、プロピオン酸、酢酸など)と、高級脂肪酸(ラウリン酸、ミリスチン酸、パルミチ
 ン酸など)にアルデヒドやラクトンが混合したもので、そのにおいを頭皮・頭髪臭といってい
 ます。
  ヒトの額からは、チーズ臭や甘いフルーツ様の香りがしますが、γーデカラクトン(果実香)
 を主体にアルコール、メチルケトン、有機酸に由来するもので、酵母(Pityrosporum ovale、現
  在は M.furfur に統合)などの作用で生成するといわれます(古前,1996)。

 ●口臭の主役はメタンチオール

  口臭は、口のなかの食べかすなどに含まれるタンパク質が、口腔内細菌で分解されてできる
 揮発性硫黄化合物(メタンチオール、スルフィドなど)とスカトール、インドール、長鎖アル
 コールなどによるものといわれます。とりわけメタンチオールが主役です。しかし、人の吐く
 息を分析すると、200種以上の揮発成分が検出されるので、口臭の原因は複雑です。歯石につい
 た嫌気性菌や舌の表面のカンジダなどによっても口臭は強くなります。

 ●病気臭

 

  ヒトは病気にかかると、特有の体臭、口臭が強くなり、においは慢性的な病気のバロメータ
 ーともいわれます。細菌性の腔炎患者からはトリメチルアミンが排出されて
魚くさい臭いがし
 ます(Brand&Galask,1986)。糖尿病患者の尿は甘酸っぱいアセトン劈が増し、気管支:や肺の
 病気では腐った肉のような臭い、胃腸の病気の人は卵の腐った突い、腎不全や尿毒症の人はア
 ンモニア臭がします。

 ●女性の性周期に関連したにおい

  女性の腔からは排卵の時期に合わせて、周期的に酸性見がでます。これは酢酸、プロピオン
 酸、酪酸、イソ古草酸などの脂肪酸の混合物(コピュリン copulin
によるもので、腔内 の乳酸
  菌などの活動に由来します(Preti&Huggins,1975)

   このコピュリンは雄サルに性誘引効果を示すと報告されています(ストダルト,1980)。
    それと同時に呼気のなかに硫化水素、メタンチオール、インドール、ドデカノールなどが増
 加します。特にドデカノールは排卵のよい指標といわれています。

 ●ヒトのフエロモン

 
  フェロモンはギリシャ語のフェリン(運ぶ)とホルモン(興奮させる)を組み合わせた合成
 語で、体内でつくりだした化学物質を体外に放出して、同じ仲間同士に情報を伝達する物質で
 す。同じく体内でつくられても、体内で作用するホルモンとは大きな違いです。フェロモンは
 大部分が揮発性物質です。香りがある場合とない場合がありますが、いずれにしても嗅覚とは
 関係なく鋤鼻器で感じます。フェロモンは昆虫や哺乳動物でよく研究され、集合フェロモン、
 警戒フェロモン、階級分化フェロモン、性フェロモンなどが知られています。
  人の皮膚の揮発性化合物のなかにもフェロモンがあるといわれています。女性の月経周期を
 延長するフェロモンと短縮するフェロモンの2種類がヒトの接の下から分泌され、共同生活を
 する女子学生の月経周期が同じになる「ドミトリー効果」の原因といわれています(Stem&M
  CClintock
,1998)。これとは別に2種類のステロイド化合物、アンドロスタジエノンとエスト
 ラテトラエノールがヒト・フェロモンとして報告されました(Jennings-white,1995)。アンドロ
 スタジエノンには香りがありますが、エストラテトラエノールは無臭です。この二種類のステ
 ロイドのみが鋤鼻器官の電位を変化させ、近似のアンドロステノールやアンドロステノン(ブ
 タのフェロモン)やムスコンなどは変化しません(Grosseretal.2000)。男性ホルモンに近似し
 たアンドロスタジエノンに対しては女性が敏感に反応して視床下部の活動が高まり、女性ホル
 モンに近似したエストラテトラエノールでは男性の視床下部の活動が高まります(Savic et al.
  2001)。
  最近、人の皮膚分泌物であるフェロモンを補給するフェロモンセラピー化粧品も市販される
 ようにな
りました。
  大昔、まだ言語がなかった原始人はフェロモンでコミュニケーションをしていたとも考えら
 れます。その場合、フェロモンの分子自体に情報が入っているので、受け取っても高度な脳の
 情報処理が必要ないので、脳があまり発達していなかった原始人にとっては、フェロモンは現
 在よりもはるかに重要な役割を果していたと思われます。


                             井上重治 著『微生物と香り』

  


興味を惹くのは「病気臭」の箇所だが、口臭の測定技術の考察をはじめるが、最近は、エチケット
として口臭を気にする人が増え、口臭に対する社会全体の関心が強くなっている。歯科医療機関で
は歯周病などの口臭についての相談が増えてきているが。口臭原因の判定は、従来、呼気を人間が
直接鼻で嗅ぐという官能試験が行われてきたが、主観的な要素が反映し、口臭の臭い成分は常に変
動しているため正確な判定は難しく口臭の臭い成分をより正確に測定する技術が求められてきてい
る。その測定技術(『特集|口臭測定技術』)は、現在、ガス成分を互いに分離するために、ガス
クロマトグラフィーが用いられ、分離したガス成分を定量的に分析するには、各種の検出器、例え
ば熱伝導性検出器、炎イオン化検出器、電子捕獲検出器、炎光電子検出器、および熱イオン化検出
器、または質量分析検出器を使用するがこれらの分析装置は高価であり操作が複雑だ。このため、
ガスクロマトグラフィーの問題回避するため、携帯式で独立型の口臭測定装置が、口腔内のガスを
測定するために、臨床医または病院に提供、例えば、Halimeter(Interscan Corporatin、米国)な
どのガス分析装置が普及してきているという(一般には「ハリーメーター」と呼称されている)。


ここでも、デジタル革命渦論が席巻していて、臭成分をより正確に測定するとともに、その測定時
間をより短くできるという半導体センサの口臭測定器(株式会社 アドニス電機リフレスHR BAS-
108型)などが、20数万円程度で販売されている(下図「特開2006-184265 口臭測定装置及び口臭測
定方法、並びに臭気測定装置及び臭気測定方法
」)。



さて、そこで「ヒトは病気にかかると、特有の体臭、口臭が強くなり、においは慢性的な病気のバ
ロメーターともいわれます。細菌性の腔炎患者からはトリメチルアミンが排出されて魚くさい臭い
がします(Brand&Galask,1986)。糖尿病患者の尿は甘酸っぱいアセトン劈が増し、気管支や肺の
病気では腐った肉のような臭い、胃腸の病気の人は卵の腐った突い、腎不全や尿毒症の人はアンモ
ニア臭がします」(井上重治 著『微生物と香り』)に戻るが、二百種類の揮発性成分を正確に測る
ことで、関係する既にその研究開発は始まっているはずだろう。これを世界でいち早く完成させる
事業化の企画を思いついたというわけだが、
もっとも、これは数年前の「イヌの嗅覚利用診断」と
いうアイデア発想から始まっていることではあるが。

ベトナム船と中国船が西沙(英語名パラセル)諸島付近で衝突している映像を見て、"ファースト
エンペラは、ラストエンペラー"と言うフレーズが舞い降りた。かって石油メジャーが関係国の支配
権力を動かし中東の石油採掘戦争を起こした悲劇を、また、パラセル諸島でその喜劇を見ているわ
けだが、ここは「チャイナ・リスク」を実施する必要があるようだ。
 

 

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積極的平和主義の分水嶺

2014年05月09日 | 省エネ実践記

 




今朝は、5時過ぎに目が覚め、テレビのスイッチを入れると、デュアルソーダブルカッター(Dual-
Saw-販売価格は、アマゾンで\16,800)のテレビショッピング映像が飛び込む。なるほど、回転が
逆方向の二枚ブレードか!?カッター自体は押しつけられると破断力は二倍になり、ブレードは見
かけ上静止するので、装置はダウンサイジングし、コンパクトになり、ハンドリングしやすくなる、
上手く考えたもだと感心する。暫くして、階下に降り洗面場で歯磨きしていたが、「待てよ?今日
は、歯医者に予約していたんだったけ」。そんなことを思い出しながら、書斎兼作業場で服を着替
えテレビのスイッチを入れる。天気は全国的に晴れだと彼女がいうのを聞き流していると外ではウ
グイスが鳴いている。

 EP2633934 A1

※ 上図の特許は、中国メーカから後発で出願されたものを参考に掲載

ネットを立ち上げ、暫くすると朝食が運ばれてくる。体調が下降気味で歯の具合が悪いので粥朝食
を戴きながら、スモール・オフィスのホームページの書き換えをしていると、朝摘みのハーブと花
瓶を運びテーブルにおいて、ミヤコワスレの花は長く咲くがもうそろそろ終わりよとか何故か紫色
の花が咲かず桃色ばかりなのと喋ながら、モーニング・トレーを引き上げて出て行く。歯医者の予
約時間まで、NHKの連ドラ『花子のアン』と『あさイチ』を見流しながら作業し、時間がきたの
で、予約時間を少し遅れたので予定より30分遅れ受診する。担当医に状況を説明すると早速、口
のなか歯を内視鏡で暫く点検し、X線撮影し、検査で見つかった虫歯のエナメル質箇所を研磨清掃
後、樹脂充填処置する。歯茎が痛くなったのは疲労からだという診断で軽い抗生剤と鎮痛剤を調剤
(下図)してもらい、歯周清掃の予約をとり戻ってくる。 

   

ところで、昼食をとる予定ではなかったが、空腹では胃を悪くするので、急遽、日清食品のカップ
ヌードル塩を開封し、ハウス食品おろしニンニクを絞り入れそれをコーティングするようにオイル
加え、30秒程度放置したのち湯沸かしジャーのお湯を注ぎ、電子レンジで3分(4百ワット)加
熱し戴くことにした。ところで、ヌードルシリーズに下図の"瞬間(ひととき)アジア気分”のキ
ャッチコピーで「トムヤンクンヌードル」が新発売したもののたちどころに売り切れ、中止になっ
たというが、是非とも食べてみたいものだ。トムヤンクンという言葉には、若くして逝った仕事仲
間のS.Iを懐かしく想い出ださせ、約束は果たせなかった悔やみのペーソスに包まれもした。




それはそれとして、もうひとつ電子レンジでの省エネ実践が停滞していたことを思い出させた。そ
ういえば、電子レンジ関連グッズ(下図参照)や電子レンジ用加工食品や電子レンジ用レシピは、
次々開発研究され商品化されていることをネットで確認する。特に、ランチ(モーニング)・ディ
ナープレートの種類や商品の多さには驚いた(ただし、見た目だけの話、便益性、機能性、適正価
格についての詳細は不明)。それから、スタイリッシュ(意匠性)向上の余地が大きいと思われる。

 3D(3次元)プリンターを使用して殺傷能力のある拳銃を製造し、所持していたとして、神奈川県
警薬物銃器対策課と神奈川署などは8日、銃刀法違反(所持)容疑で川崎市高津区久末、湘南工科
大職員居村佳知容疑者(27)を逮捕。同課によると、3Dプリンターによる銃の摘発は全国で初めて。
居村容疑者は「警察が拳銃と認定したのなら、逮捕されても仕方ない」と容疑を認めているという。

逮捕容疑は4月12日午前10時25分ごろ、自宅で拳銃2丁を違法に所持した疑い。同課によると、県
警は同日、居村容疑者の自宅を家宅捜索し、3Dプリンターで作ったとみられる樹脂製の拳銃のよう
なものを5丁押収。県警科学捜査研究所の鑑定で、うち2丁は金属製の実弾を発射することが可能
で、殺傷能力があることが判明。2
丁とも実弾を1個ずつ装填して発射する設計、実弾は見つかっ
ていない。居村容疑者は高等職業技術校で旋盤などの加工技術や免許を幅広く取得しており、県警
は「雷管や火薬が手に入れば実弾の製造は可能」とみている。
県警は銃の製造に用いた3Dプリンタ
ーやパソコンなどを押収。パソコンには銃の設計図が残っていた。プリンターと設計図は、いずれ
もインターネットを通じて入手したとみられる。

 

ところで、居村容疑者は自宅でモデルガン10丁も所持し、動画投稿サイトでは銃をめぐる独特の考

えをつづり、神奈川県警は「銃器マニアの趣味が高じた」とみているとか。「銃を持つ権利は基本
的人権」「銃は力を最も等しくする武器」。県警によると、居村容疑者は今年初めごろ、動画投稿
サイトに銃の所持を肯定する文言を書き込んでいたという。しかし、容疑者(犯人)の「銃マニア」
と「銃社会容認}との関係は不明だ。言い換えれば、彼は多くの女性自身が銃で護身することを望
んでいるというのだろうか?銃の携帯使用の解禁社会の実態(=最先進米国)をどれほど知ってい
るというのだろうか?そして、その未来(例:米国)にその理想(彼)とやがて重なり一致すると
でも考えているのだろうか?いや、青年特有の短慮の危うさを感じているというのが本当のところ
だ。

● 積極的平和主義の分水嶺

さて、この銃密造事件とは直接関係ないが、安倍晋三首相は9日、自民党の石破茂幹事長と首相官
邸で会談し、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を秋の臨時国会までに行う意
向を伝えた。そのうえで与党内調整を急ぐよう指示。自衛隊法改正案など行使に必要な関連法案を
臨時国会に提出する方針を堅持する考えを明確にしたという(毎日新聞 5月9日)。集団自衛権に
ついては、1991年の湾岸戦争の経験を踏まえてわたし(たち)は熟慮し、専守防衛を原則とし
て、例外として国連決議(国連による刀狩り)と国民の合
意形成を経て容認されるルールをはじめ
て措定した
。「武力を
携え他国の領土・領海に進駐(無人爆攻機の遠隔操作を含む)することの
史的危険性
(リスク・ハザード)」を熟慮した上だった。
その原則を外れた戦闘支配行為がいかな
るものであるか、近くでは、パキスタン、イラクをの現状
を見れば明らかであろう。その意味で、
"積極的平和主義の真贋"がいま問われている。 

 

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スタイリッシュな老眼鏡

2014年05月08日 | 時事書評

 

 



どのチャンネルか忘れたが、スタイリッシュな老眼鏡の紹介が記憶に残っていたので調べてみた。
メーカは、特産品の眼鏡枠、漆器を含む製造業、染色団地があり繊維産業も盛んで、2000年の国
勢調査までは第二次産業人口が過半数となる工業主体の都市で、21世紀に入り第三次産業への転
換が急速に進み、メガネフレームの国内シェアは96%で世界シェアでも約20%を占め、就業
者の6人に1人はメガネ産業に従事し、また、マリンバなどの打楽器製造会社の拠点にもなって
いる鯖江市の株式会社西村金属。ところで、
メガネには色々な形態があり、また多種多様なデザ
イン・装飾が施されているが、機能面では長時間にわたって着用していても疲れを感じることが
ないように、チタンなどの材質が使用されて軽くなっている。また、フロント部にリムを備える
ことなく、両レンズを連結部材で直接ネジ止めし、レンズ外側にはヨロイをネジ止めした縁なし
メガネも多用されている。


上図は一般的なメガネを示しているが、このメガネはフロント部(イ)の両側にツル(ロ)、
(ロ)を折畳み出来るように取付けている。そしてフロント部(イ)は両リム(ハ)、(ハ)を
連結部材(ニ)にて連結すると共に、両リム(ハ)、(ハ)の外側にはヨロイ(ホ)、(ホ)が
ロウ付けされて構成し、該ヨロイ(ホ)、(ホ)に上記ツル(ロ)、(ロ)が蝶番(ヘ)、(ヘ)
を介して折畳み可能に連結している。そしてリム(ハ)、(ハ)にはレンズ(ト)、(ト)が嵌
っている。下図はメガネを外してツル(ロ)、(ロ)が折畳まれた場合であり、両ツル(ロ)、
(ロ)は互いに重なり合っている。そして同図から明らかなように、ツル(ロ)、(ロ)はフロ
ント部(イ)の裏側に折畳まれ、その厚さ寸法Mは比較的大きくなる。近眼用のメガネであるな
らば常に着用しているが、老眼鏡は仕事をする場合、新聞雑誌を読む場合などに着用する為に、
メガネケースに入れて常時持ち歩く。

そこでは、出来るだけコンパクトであることが必要で、フロント部の縦横寸法は顔に掛ける関係
上小さくするには限度があるが、折畳んだ状態の厚さ寸法Hを小さくすることで、収容するメガ
ネケースは薄くなるが、従来のメガネでは、フロント部両側に概略L型をしたヨロイ(ホ)、
(ホ)が設けられ、該ヨロイ(ホ)、(ホ)に取付けられたツル(ロ)、(ロ)がこのフロント
部の裏側に重なり合うように折畳まれる為に、厚さの縮小には限度があった。このように「薄型
メガネ」「折りたたみ式眼鏡」は、メガネフレームのフロント部上縁の左右端に垂直に枢支軸を
設け、この枢支軸によってテンプル(ツル)を枢支していて、コンパクトに折畳むことが出来、
場所を取らずに収納可能であり、持ち運びに便利で特に老眼鏡用として有効に、折りたたんだ状
態がカードのように薄く、ワイシャツや洋服などのポケットに入れてもポケットが膨らまず、財
布などの薄いスペースにも収納可能で携帯に便利なメガネや、また、レンズが嵌め込まれた薄板
状のフロントが中央でヒンジで連結されて折りたたみ可能であると共に、テンプルも前テンプル
と後テンプルからなって折りたたみ可能であり、テンプルを折りたたむと後テンプルがフロント
の上端縁に乗るようになる便利なメガネがある。
 

この”ペーパーグラス”という新しいメガネは、さらに、ツルを折畳んだ際の厚みが薄くなって、
胸ポケット
に入れたり本に挟み込んで持ち運び出来ると共に、掛け心地が良好になるよう改良。
(1)フロント部の
両側にツルを折畳み可能に取付けた形態であるが、折畳まれるツルはフロン
ト部の裏側に重なり合うこ
となく、フロント部の上側に配置され、折畳まれたツルとフロント部
は同一面に位置する。フロント部は一
平面内に形成され、同じくツルも一平面内に形成される。
そして折畳まれたツルはフロント部と同じ平面
内に収まり、さらに、(2)このツルは両リムの
外側に設けたブローチに継手を介して取付けられるが、ブロ
ーチはリムの外側であると共に下側
に位置し、ブローチに取付けた継手から湾曲して立ち上がり、その後はほぼ真っ直ぐに延びて先
端部は耳に係止出来るように湾曲したモダンを形成していることを特徴としている。

従って、この新しいメガネでは、ツルを折畳んだ場合、フロント部と同一面に収まる為に折畳み
状態の厚さが薄くなる。つまり、メガネケースの厚さも薄くなって、胸ポケットに入れて持ち歩
くことが出来のみならず、本に挟むことができるシオリとして機能する。すなわち、読み終えた
箇所にこの薄型メガネを外して挟み込み、再度読み始める際にはシオリとして挟んだ薄型メガネ
を顔に掛けることが出来る。そのため、ツルが折畳まれた状態ではフロント部と同一面に収まるこ
とから、踏み付けても破損することはないという。

上図はこの薄型メガネを表す例であり、フロント部1の両側にはツル2,2が折畳まれて取付け
られている。フロント部1は両リム3,3が山形に湾曲した連結部材4にて連結され、リム外側
にはブローチ5が設けられて、該ブローチ5のネジを弛めてリムの周長を拡大することでレンズ
の着脱を可能にしている。そして該ブローチ5には継手6が取付けられて、ツル2は継手6を介
して折畳み出来るように連結している。ところで、この図ブローチ5の構造、及びブローチ5に
設けた継手6の構造は限定しないことにする。例えば、一般的な蝶番を継手6として採用するこ
とも可能である。ツル2の基部は上記継手6に固定されて延びているが、継手6から上方へ湾曲
して立ち上がり、その後、ほぼ真っ直ぐに延び、先端部は滑らかに湾曲してモダン10を形成し、
このモダン先端には概略楕円形の係止片7を設けている。ここで、係止片7の厚さはツル2の
太さに相当した薄い楕円形板である。

そして、このブローチ5の位置はリム3の外側であるが、下側に位置している。リム3の中心O
から水平に延びる基線8に対して、角度θだけ下方へ傾斜した傾斜線9がリム3と交わる位置に
ブローチ5を設けている。ツル2が折畳み可能に連結する継手6の軸はこの位置におけるリム3
の接線と平行を成し、その結果、ツル2を開いた状態では外方向へ傾斜する。ここで、リム3の
中心Oは縦・横寸法の中間とする。継手6に取着されたツル2はフロント部1のリム3に沿って
上方へ湾曲して立ち上がる形状と成っている為に、このツル2が折畳まれた状態ではフロント部
1と同一面に収まる。そして、フロント部1は湾曲せずに平坦であり、ツル2,2も該フロント
部1と同じく平坦面に収まる。しかし、ツル2を開いた状態では傾斜し、後頭部が抱きかかえる
構造となっている。


さらに、上図はこの薄型メガネのツル2を開いた場合の片側半分を表している正面図であり、ツ
ル2は同
図に示すように外方向へ角度αにて傾斜している。これは継手6の軸が鉛直方向に対し
て角度αだけ傾斜している為である。そして、ツル先端部のモダン10は下方へ湾曲すると共に、
内側へ傾斜して延びている。従って、メガネを掛けた場合には、モダンは耳に掛かると共に、後
頭部を抱かかえるようになじむことが出来、着用したメガネは安定し、外れ落ちることはない。

また下図は、ツル2を開いた状態の側面図を表している。継手6がリム3の外下側に設けられて
いること
で、ツル2を開くことでフロント部1は同図に示すように傾斜する。勿論、普通のメガ
ネの場合もフロント部は多少傾斜しているが、本発明の薄型メガネを構成するフロント部1の傾

斜角度は大きく成っている。フロント部1の傾斜は従来のメガネに比較して大きいが、老眼鏡と
して新聞・雑誌を読むにはむしろ適している。このメガネのフロント部1には鼻当てパットが備
わってお
らず、山形に湾曲した連結部材4が鼻の甲に当って支えられるために、フロント部1は
比較的下側に位置して支持される。その為にも、フロント部1の傾きが大きい方が新聞・雑誌が
読み易くなるという。



ただし、この新しいメガネの考案は、必ずしも老眼鏡に限定するものではなく、ブローチの位置
を多少上方に変更することで近眼用のメガネにも適用できる。また、フロント部を鼻に載せて支
える手段として上記連結部材を用いることなく、鼻当てパットを取付けることもある。ただし、
鼻当てパットはあくまでもフロント部と同一面に収まる形態としなくてはならない。
ところで、
前図、ツルが折畳まれた状態の正面図に示した薄型メガネはリム3,3を備えた形態であるが、
上側半分のハーフリム、または下側半分のハーフリムを備えたフロント部として構成することも
ある。さらに、リムを持たないフロント部とすることも出来る。リムを持たないフロント部1で
はブローチを必要としない為に、継手6をレンズに直接ネジ止めする。勿論、この場合の継手の
位置はレンズ外下側であり、図に示す位置関係となる。  

まぁ~、特許での説明はそうなっているが、まだ購入発注していないが、老眼だけでなく、これ
ほど細かな加工が行き届いた商品はここならではのもので世界の各地から注文のオファーが続い
ているとか。少々高くとも、是非買ってみたくなる商品であることは太鼓判だろう。
 

 

  

    

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 


●里山資本主義異論

今回も「第3章 グローバル経済からの奴隷解放」 から。「52%、1.5年、39%の数字が
語る事実」の節は興味深い考察がなされている。これはわたし(たち)が主張している「デジタ
ル革命渦論
」を背景とした「高度消費資本主義社会」の反映した社会経済現象であることを具体
的に語られている。さらに、地方経済の「域際収支」の分析を介し、高知県の事例研究では、赤
字を解消するには、電気・ガスなどのエネルギー分野の地産地消することを強調。「里山資本主
義は、こうした赤字部門の産業を育てることによって、外に出て行くお金を減
らし、地元で回

ことができる経済モデルであることを示してきた」と述べているが、これは至極真っ当な経済的
動機付けであり、「アベノミクス第三の矢」の核心でもあるはずだ。


 52%、1・5年、39%の数字が語る事実

  これに対して、「オールドノーマル」とは「成長が是」とする認識だ。戦後、日本企業の
 売り上げは確
かに仲びてきたが、実は利益はそれほど増えていない。つまり、売り上げの成
 長が利益に直結してこ
なかったのだ。日本企業は縮小する市場のなかで、猛烈な勢いで成長
 するアジアのメーカーと、消耗戦を繰り広げてきたのが実情なのである。阿部氏は、その結
 果生じた現象を、象徴的な数字とともに、三つ挙げている。
  まず、「52%」。これは、発売から二年以内に消えるヒット商品の割合。なんと世に新
 たに登場した商品の半分以上が発売から二年を待たずに消滅しているのだ(中小企業研究所「
 製造業販売活動実態調査」2004年)。1990年代までは、たったの8%だったという。
 逆に言うと、九割以上の商品が発売後二年以上、市場に残り続けていたのだ。
 次の数字が、「1・5年」。これは新しく発売された商品が利益を得られる期間(経済産業
 省「研究開発促進税制の経済波及効果にかかる調査」2004年)。一つ目とも絡んでくる
 が、このご時世、短命な商品のいかに多いことか。一方で、研究開発には何年もかかる。つ
 まり、いくら頑張って間発しても、あっという間に利益が得られなくなる現象が起きている
 のだ。1970年代までは、開発後、25年ぐらいはもったという。当時は、開発者として
 一つヒット商品を生み出せば、定年まで食べていくことができたのだ。
  こうして、近年の日本企業は新商品の乱発競争をしてきたが、それが、組織・人材の疲弊
 につながっている。それを示すのが三番目の数字。
  仕事の満足度「39%」(労働政策研究・研修機構 調査シリーズ No.51「従業員の意識
 と人材マネジメントの課題に関する調査」2007年)。ただし、これは震災前の2007
 年の調査。今はもっと下がっていると見られている。                      
  「2008年初頭、小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになった。『蟹工船』の冒頭、
 主人公は、『おい地獄さ行ぐんだで!』と言うが、それは、今の若者たちの就職時の心情と
 深くマッチしているのではないだろうか。忘れてはならないのは、近年急増している、若者
 のうつ病である。背景には組織・人材の疲弊があるのではないか」と阿部氏は指摘している。
  企業の売り上げを仲ばすためではなく、地域や社会とのつながりを感じられる商品を人々
 は欲し始めている。作り手の側からも、そうした商品を提供したいと考える人たちが現れる
 のは、当然のことである。

 田舎には田舎の発展の仕方がある!

  過疎と高齢化が進んだ地域。そこには、アイディアさえあれば、とっておきの宝物がまだ
 まだ眠っている。リスクも少ない。土地代や人件費など、元手もほとんどかからないため、
 スタートから多額の借金を抱える必要もなければ、もちろん、生産過剰による在庫を心配す
 る必要もないのだから。そしてなにより、若者が帰ってきた。それだけで地域の人たちから
 感謝される。「地域」は今や、若者たちを惹きつける新たな就職先である。
  しかし、いくら若者が過疎地を目指すとなっても、そこは見知らぬ土地。困難も多い。田
 舎にはよそ者に対し警戒心をもつ風潮も残っていて、残念ながら、ときにトラブルに発展す
 ることもある。
  周防大島では、受け入れ態勢のさらなる拡充を目指す動きが次々立ち上がっている。松嶋
 さんたちは、Iターン、Uターンの若者たちによるネットワークを結成。「島くらす」と名
 付けた。まず、島の情報を起業希望者に提供し、便宜を図る。ときには、地元の人との仲立
 ちも行う。さらに、既に成功している会社へのインターン事業を行ったり、起業してからの
 安定収入のためにアルバイト先を提供したりする。先人たちが切り拓いた道。それに続く人
 たちが同じ様な壁にぶち当たることなく、スムーズに島に定着して欲しい。こうした活動に
 は、松嶋さんたちのそんな願いが込められている。
  こうした若者たちの動きに、自治体も応えた。2011年4月、若い起業家に事業用のス
 ペースを貸し出す、いわゆるチャレンジショップを始めた。都市部の商店街などではよく見
 られるようになった取り組みだが、過疎の島にあるのは珍しい。2~3坪という少々手狭な
 敷地ながら、賃料は月1万円。しかも、年間28万人が訪れる「道の駅」の口の前にあるだ
 けあって、集客力は抜群。蜂蜜を販売する笠原隆史さんも、ここに店を出し、リピーターを
 増やしている。
  周防大島町長の惟木巧さんにも話を聞いた。
 「私は行政のなかにいる人間ですが、一番不足しているのは、やる気があってもアイディア
 が薄い点。自分でも反省しているのですが、外のまったく違うタイプの方々のアイディアを
 いただけたら、もっと面白いものができるのではないかと期待しています」
  2012年4月からは、島内のあちこちに増えていた空き家を、移住を希望する人に破格
 の家賃で貸し出す取り組みも始めている。これも各地で始まっている取り組みではあるが、
 多くは行政が単独で行っているケースが多く、若者がなかなか情報にアクセスしづらい。と
 ころが、周防大島では、「島くらす」と連携し、情報共有を図ることで効率よく借り于が見
 つけられる。
  加速する周防大島の取り組み。惟木町長は、かつて、島でも大企業誘致などに取り組み、
 失敗した経験を反省する。
 「都会と同じように考えて発展させるのは無理があると思うんですね。私たちの田舎は、田
 舎のような発展、地域にあった幸せ度、発展を考えなければいけないと思います」

  私たちが松嶋さんたちを取材した番組が放送されたのは、2012年3月。放送後、松
 さんの元には、その理念に感銘を受けた人々による訪問や便りが相次いだ。

  山口県岩国市から来たという50代の男性は、店に入って来るなり「会いたかったよ!
 ありがとう! ありがとう!」と松嶋さんに握手を求めたという。聞けば、東京に就職した
 息子が都会暮らしや仕事になじめず、田舎に帰ってきたものの「田舎暮らしは面白くない」
 と、就職活動もせず閉じこもっていた。それがたまたま見た番組に感動し、何回も繰り返し
 て見るうちに、ついには田舎には田舎の素晴らしさがあり、田舎で頑張ることの意義を感じ
 たのだという。就職活動にも前向きに取り組むようになったそうだ。
  他にも、二年ほどうつ病で休職していた女性から、放送を見て、再び就職活動を始める決
 心がついたという便りがくるなど、松嶋さん自身も勇気づけられるような話が続々と届けら
 れている。

 地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金 
 
  松嶋さんたちの取り組みを考察する上でとても重要な数字を次に紹介したい。「域際収支
 というものを都道府県別に示したグラフである(176頁)。域際収支とは、商品やサービ
 スを地域外に売って得た金額と、逆に外から購入した金額の差を示した数字。国で言うとこ
 ろの貿易黒字なのか、貿易赤字なのかを、都道府県別で示しているのである。
  一目瞭然である。東京や大阪など、大都市回が軒並みプラスなのに対し、高知や奈良など
 農漁村を多く抱える県は、流出額が巨大である。こうした地域がなぜ貧しいのか。それは、
 働いても、働いても、お金が地域の外に出て行ってしまうからである



  かつてそれを穴埋めするために考え出されたのが、公共事業や工場の誘致、それに補助金
 といった再分配の仕組みだった。何十
年と、莫大なお金を地方に投人してなんとか底上げし
 てきたが、結局は、一部は地
方の人々の収入につながっているものの、それらのお金も最終
 的に都会へと流れ込む
だけだった。しかも、長期的な景気の低迷で、都市部も地方にそれだ
 けのお金を流し
込む余裕がなくなり、そうした仕組み自体が限界にきている。地域の衰退は
 止められ
ないのだろうか。
  そうではない。次の図を見て欲しい。今度は、域際収支が最下位の高知県を品目別にどれ
 が赤字でどれが黒字かをみたもの。いわば、お金の流れを健康診断した結果だ。
  農業や漁業、林業など一次産業が黒字でとっても健康的であるのに対し、電子部品を除く、
 二次産
品が軒並み赤字となっている。なかでも圧倒的な赤字となっているのが、石油や電気
 ガスなどのエネルギー部門
  そして、意外なのが、飲食料品が赤字となっていることだ。農漁業などの一次産業は盛ん
 なのに、それを加工した二次産品は外から買っているのである。これが、県全体の赤字額を
 押し上げている。
  里山資本主義は、こうした赤字部門の産業を育てることによって、外に出て行くお金を減
 らし、地元で回すことができる経済モデルであることを示してきた。最近、はやりの「6次
 産業化」という言葉も、生産から加工、販売までを地域で行うことによって、赤字となる品
 目を減らそうという取り組みを指している。周防大島で松嶋さんたちがやっているのはまさ
 に、都市部からの再配分に頼らない、新たな地域の底上げの方法なのである。
  

 真庭モデルが高知で始まる
 
  域際収支のグラフで全国最下位の高知県。よく見ると、林業は黒字なのに、それをベース
 とした製材業は赤字になっていることが分かる。こうした状況を改善しつつ、エネルギー部
 門の圧倒的な赤字を少しでも解消しようという動きが、知事の肝いりで始まっている。
  2011年9月、高知県庁で行われた、プロジェクトの発足式。そこに姿を見せたのが、
 第一章で紹介した岡山県の建材メーカーの中島浩一郎さん。中島さんが築き上げた「真庭モ
 デル」を高知にも導入しようと、尾崎正直知事自ら中島さんを二年がかりで口説き落とした
 のである。知事は会見の席上、眠れる森林資源を活かすことが高知県の生き残る道だと力説
 した。
 「高知県は、森林面積割合が84%を占めていて、この84%ある森を元気にできるかどう
 かは、高知県全体に関わってくる大きな問題となる。高知県の木をダイナミックにもっとも
 っと動かしていけるようになりたい。山から木を切り出してきて、付加価値をつけて、県外
 にも売り出していく」
  その栄えある真庭モデル導入の地に決まったのが、高知県東北端、四国山地のど真ん中に
 位置する大豊町。人口4662。タクシーの運転手が、「10年後にはこの町はなくなって

 いるはずです」と自嘲気味に表現するほど過疎高齢化が進んだ町。「限界集落」という言葉
 を最初に提唱した社会学者の大野晃氏が、日本で最初の「限界集落」として挙げたのが、
 の大豊町だ。

  「平らな上地が全然ないですからね」
  町長の岩崎憲郎さんは、町最大の産業であるはずの林業が廃れていくことに、危機感を募
 らせていた。
  町の面積の九割は山林野、そのうち七割が人工林だ。戦後、宝になるとせっかく植林した
 杉の本が青々と育っている。しかし、木材価格の暴落で、住民たちは山に本を残したまま、
 集落を去っていた。残された山林は育ち過ぎ、やがて集落を飲み込んでいった。戦後、この
 町に嫁ぎ、植林に携わってきたという80代の女性は、悲しみを町長に訴えていた。
 「昔は、山と一緒に生活ができた。今はできない、ここでは収入がない。青い杉ばっかりで
 きれいだけど……。私が死ぬまでになんとかして欲しい」
  2012年7月、大豊町内の建設予定地で、施工式が執り行われた。跡継ぎがなく、前年
 廃業した製材所の跡地など、四万平方メートルの土地。岩崎町長が用意した、町内で一番広
 い平地だ。高知県知事を始め、高知県の木材関係団体のトップなど、大勢の関係者が見守っ
 た。もちろん、中心にいるのは中島さんだ。
  2013年4月、ここに大規模な製材所が建設された。生産量は、年間10万立方メート
 ル。高知県全体の年間の木材生産量は40万立方メートル、その4分の1にもなる規模であ
 る。労働力は地元から55人を採用する予定。もちろん、その経済効果は、川上の林業から、
 川下の販売や運搬業にまで及ぶ。
  合わせて、木くずを利用した発電所も建設する。中島さんは、可能であればさらに「大臣
 認定」をとってCLT建築にも挑戦したいと考える。まずは社員の寮をCLTで建てたいと
 考えている。実現すれば、日本で初めてのCLT建築となる。
  大豊町での「真庭モデル」の実践は、地方の赤字体質を改善し、日本経済全体を底上げで
 きるかどうかの試金石になっていくはずである。
  知事自らの説得にもかかわらず、二年間、ずっと協力すべきか思い悩んでいたという中島
 さん。やるからにはやる。吹っ切れていた。
 「私の持論なのですが、日本人は、元来、木の使い方は非常に上手な民族というか、歴史も
 持っている。今はたまたま下手くそになっているだけで、一時的に忘れていることを、もう
 いっぺん見直して、現代風にアレンジしたらいい。小さい穴でも風穴を開けたいです」


 
                                      藻谷浩介 著  『里山資本資本主義』

                                                     この項つづく

 

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植物工場とは何か

2014年05月06日 | 時事書評



 

 




                                                  村上春樹 著『イエスタデイ』

  僕が東京に出てきて、関西弁をまったくしやべらなくなったのにはいくつか理由がある。僕
 は高校を出るまではずっと関西弁を使っていたし、東京の言葉を話したことは一度もなかった。
 しかし東京に出てきてIケ月ほどして、自分がその新しい言語を自然に流暢に話していること
 に気づいて、びっくりしてしまった。僕は(自分でも気がつかなかったけど)もともとカメレ
 オン的な性格だったのかもしれない。それとも言語的な音感が人より優れていたのかもしれな
 い。いずれにせよ、関西の出身だと言っても、まわりの誰も信じてくれなかった。
  それともうひとつ、これまでとは違う人間として生まれ変わりたかったということが、僕が
 関西弁を使わなくなった大きな理由としてあげられるだろう。
  東京の大学に入学し、新幹線に乗って上京するあいだずっと一人で考えていたのだが、それ
 までの十八年間の人生を振り返ってみると、僕の身に起こったことの大部分は、実に恥ずかし
 いことばかりだった。ことさら誇張して言っているわけではない。実際の話、思い出したくも
 ないようなみっともないことばかりだった。考えれば考えるほど、自分であることがつくづく
 いやになった。もちろん素敵な思い出も少しはある。晴れがましい思いをした経験もなくはな
 い。それは認めよう。しかし数から言えば、赤面したくなること、思わず頭を抱えたくなるこ
 との方が遥かに多かった。これまでの僕の生き方も考え方も、思い起こせば、お話にならない
 
くらい月並みで、悲惨きわまりないものだった。大方は想像力を欠いた、ミドルクラスのがら
 くただった。そんなものはひとまとめにして大きな抽斗(ひきだし)の奥に突っ込んでしまい
 たかった。あるいは火をつけて煙にしてしまいたかった(どんな煙が出るかまではわからない
 が)。とにかくすべてをちゃらにし、まっさらの人間として、東京で新しい生活を始めたかっ
 た。自分であることの新しい可能性をそこで試してみたかった。そして僕にしてみれば、関西
 弁を捨てて新しい言語を身につけることは、そのための実際的な(同時にまた象徴的な)手段
 だった。結局のところ、僕らの語る言葉が僕らという人間を形成していくのだから。少なくと
 も十八歳の僕にはそのように思えた。
 
 「恥ずかしいって、何かそんなに恥ずかしいねん?」と木樽は僕に尋ねた。
 「何もかもだよ」
 「家族とはうまくいってないのか?」
 「うまくいってなくもない」と僕は言った。「でも恥ずかしいんだ。とにかく家族と一緒にい
 るだけで恥ずかしい」
 「けったいなやつやな」と木樽は言った。「家族と一緒にいて何か恥ずかしいねん。おれなん
 かけっこう楽しくやってるけどな」
  僕は黙っていた。うまく説明できない。クリーム色のトヨタ・カローラのどこがいけないの
 だと言われても、答えようがない。ただうちの前の道路の幅が狭く、両親が外見に金をかける
 ことに興味がなかったというだけのことなのだが。
 「おれがあんまり勉強せんことで、親は毎日のように文句ばっかり旨いよるし、それはそれで
 もちろんうっとおしいわけやけど、そらまあしょうがない。それがあいつらの仕事なんやから
 な。そういうのはできるだけ大目に見たらなあかんぞ」
 「おまえは気楽でいいよ」と僕は感心して言った。
 「彼女はいるのか?」と木樽は尋ねた。
 「今はいない」
 「前はいたのか?」
 「少し前までは」
 「わかれたのか?」
 「そうだよ」と僕は言った。
 「なんでわかれたんや?」
 「それは長い話になるし、今はしゃべりたくない」
 「芦屋の女の子か?」と木樽は尋ねた。
 「いや、芦屋じゃない。夙川に住んでいた。わりに近くだけど」
 「最後までやらせてくれたか?」
  僕は首を振った。「いや、最後まではやらせてくれなかった」
 「それでわかれたんか?」
  僕は少し考えた。「それもある」
 「最後の手前まではやらせてくれたんか?」
 「ああ、すぐ手前までは」
 「具体的にどのへんまでやらせてくれた?」
 「その話はしたくない」と僕は言った。
 「それもおまえの言う『恥ずかしいこと』のひとつなんやな?」
 「そう」と僕は言った。それも僕が思い出したくないことのひとつだ。
 「おまえもええ加減ややこしいやっちやなあ」と木樽は感心したように言った。

                村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号

 

 

 

【植物工場とは何か】

わたしの、植物工場やその事業についての考え方は、このブログ当初から掲載してきたので詳細は
割愛するが、人為的地球温暖化による食糧の安定供給(あるい
は、副次的な人口膨張による食糧危
機を含む)と重労働からの解放にあり、そして、この事業の肝は「栽培
する植物との対話」とおい
ている。また、農業の高次化(システムの高度化)には積極的な先端科学技術の援用は欠かせない
と考えているが、「人工光型植物工場は、その誕生からして、原子力潜水艦や宇宙空間など、『死
の世界』にこそ相応しい施設であった。工場の内部は、授粉のための昆虫はもちろん、菌すらほと
んど存在しない無生物空間になっており、労働者
は『必要悪の保菌者』として防護服と見 紛うば
かりの衛生服を着用して作業をしなければならないことになっている
」「工場野菜は『洗わずに食
べられる』などというキャッチフレーズで店頭に並べられ、あたかも消費者の要望を反映したもの
であるかのように偽装されている。しかし、その仕組みは、原発が日本社会にとって必要なもので
あるとの幻想が作り出されているのと同じ構造になって いるといえるだろう。植物工場を受容す
るのかどうか、今まさに、消費者としての私たちの責任が問われているのである」とする、
小塩海
(こしお・かいへい 1966年生まれ。東京農業大学国際農業開発学科准教授。専門は植物生
理学。スギ花粉飛散防止技術の開発や有機農業の史的考察など多岐にわたる研究を行なっている)
の『誰が植物工場を必要としているのか』(『世界』2014.04号)の批判を克服できるものとして
わたし(たち)の植物工場や植物工場事業を構想しているが、そのこととの対極にある"植物工場"
とはいかなるものか、その差異は何かをここで探ってみたい。
 


 ●国策としての植物工場

  いま、植物工場が空前の大ブームである。
  経済産業省によると、2009年3月に50ヵ所だった植物工場は2011年3月には80
 ヵ力所、2012年3月には127ヵ所、2013年
3月には153ヵ所に増加している。
  これは2008年9月に麻生内閣で閣議決定された「新経済成長戦略のフォローアップと改
 訂」において植物工場の普及・拡大が図られ、それ以降も引き続き大型予算が組まれているこ
 とが直接の契機になっている。2009年度における植物工場関連の補正予算は農水省97億
 円、経産省50・2億円と巨額なものであり、その後、民主党政権下においても「強い農業」
 が必要であるとの認識のもと、2011年度は15
億円、2012年度は5億円が経産省の補
 正予算に計上された。再び自民党政権に戻ってからは2013年度に22・9億円が確保され、
 2014年度における予算請求額は農水省が30億円、経産省が33億円となっている。
  つまり、植物工場事業の推進は、政権交代や東日本大震災という歴史的大事件があったにも
 かかわらず、国家の強い意志として取り組まれているということが理解できよう。
  しかし、一方で、植物工場の大多数が赤字になっているという驚くべき現状がある。NPO
 法人イノプレックスのレポートによると、植物工場を運営する法人の六割が赤字(収支均衡が
 三割)となっており、とくに完全閉鎖・人工光の植物工場を大規模に運営している企業に関し
 ては黒字化を達成している企業はゼロに近いという
  
つまり、植物工場ビジネスでは、作られた野菜を売って利潤を生み出すという本来の目的と
 は別に、国家レベルでの強い駆動力が作用しているということになる。
  いったい、誰が植物工場を必要としているのだろうか。
 

 ●植物工場とは何か

  日本で最初に植物工場の開発に取り組んだのは日立製作所の高辻正基であり、「最終的には
 太陽のかわりにランプを土のかわりに水耕液を、篤農家のかわりにコンピューターを使う」と
 いう研究理念を掲げていた。高辻は世界の植物工場を紹介して「太陽光利用型」と「完全制御
 型」とに分類したが、現在、日本における植物工場のとらえ方も、研究者から政策立案者に至
 るまで、ほぽこれを踏襲しているといえるであろう。しかし、このような定義や分類法は、必
 ずしも当初から定着していたわけではなく、私自身は「太陽光利用型」施設に関しては、植物
 工場ではなく水耕栽培温室として扱うべきであると考えている。
  近年、九州とほぼ同面積で世界第二位の農産物輸出国であるオランダが、植物工場に関して、
 何かと引き合いに出されることが多い。たとえば、2013年だけでも、林農水大臣、根本復
 興大臣、甘利経済再生担当大臣などが、次々とオランダの施設園芸を視察している。林腹水大
 臣は「オランダを参考に、地域資源によるエネルギー供給から生産、調整、出荷
までを一気通
 貫して行う次世代施設園芸拠点を推進し、コスト削減と地域雇用創出を行いながら所得倍増を
 実現させる」という目標を掲げ、前述のように2014年度の農水省予算に次世代施設園芸導
 入加速化支援事業として30億円を確保した。
  しかし、オランダで主流の太陽光利用型施設はあくまでも水耕栽培温室であって、現地では
 植物工場とは呼ばれていない。オランダの研究者たちは、私の知る限り、植物工場には否定的
 である。例えばワーヘニングン大学のエペーヒューペリンクは、閉鎖型ガラス温室の場合トマ
 ト1キログラムを生産するのに要する天然ガスは0・36立方メートルであるが、人工光型植
 物工場の場合は3・5立方メートルとなり、エネルギーロスが10倍にもなることを指摘して
 いる。実は、日本では十把一絡げに植物工場と称されているものの、太陽光利用型の水耕栽培
 施設と人工光利用型の植物工場施設とでは、特徴はもちろん、出自も全く異なっており、別個
 に考えたほうがよい。以下に両者の特徴について略述してみよう。
 

 ●GHQが始めた日本の水耕栽培 

  水耕栽培の歴史は古く、バビロン王ネブカドネザルがメディアから迎えた王妃アミティスの
 ために建造したとされる空中庭園にまで遡ることが可能である。プリニウスの『博物誌』にも
 記録が残っているが、紀元前538年のペルシャに
よる侵略により破壊されたといわれている。
 研究レベルではドイツの植物生理学者ザックスが1857年にプラーグ大学の講師になった頃
 から水耕法の研究を始めている。実用的な水耕栽培の啜矢は第二次世界大戦時の米軍によるも
 のであろう。米軍はアセンション島、英領ギアナのアトキンソン空軍基地、英領ニューギニア
 及び硫黄島で、現地で手に入る火山軽石を培地に用いて水耕栽培を行なっていたのだが、それ
 は野菜栽培に適する土地が極めて制限されていたからである。

                                -中略-

 ●人工光型植物工場の起源
 

                      
  そもそも私が植物工場について調べてみようと思い立ったのは、現在、東北の被災地に次々
 と大規模な植物工場がつく
られており、しかも原発メーカーである日立、GE、東芝、三菱な
 どが極めて積極的に植物工場事業に参入していることを不思議に思ったからである
  日立は陸前高田市などで展開しているグランパのドーム型植物工場に1億円を出資し、日本
 GEは多賀城市の植物工場
支援などに名乗りを上げ、東芝は南相馬市のソーラー・アグリパー
 クの植物工場事業に1億円の出資を申し出ているのだ
が、これらは原子力損害賠償法によって
 ぬけぬけと免責され
ている原発メーカーとしての申し訳なさが動機になった良心的善意の発露
 などであるはずはなく、この期に及んでまで自社のLEDをはじめとする植物工場装置を国家
 予算を呼び込んで売り抜きたいという目論見があるからに違いない
  これらの原発メーカーは東日本大震災という「千載一遇」の「チャンス」を得て以前から考
 えていた構想を実行に移す
ことができたわけであるが、まさにナオミ・クラインのいうショッ
 ク・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)を地で行ってい
るようなものである。 

 ●日本における植物工場ブーム 

  日本における植物工場の第一次ブームと呼ばれるのは、1985年のダイエーららぽーと店
 における植物工場(バィオファーム)設置、つくば科学万博における回転式レタス生産工場の
 展示、海洋牧場によるカイワレ大根の工場生産などに象徴される一連の動きである。円高不況
 によって日本の産業構造の転換が図られた時期であり、エレクトロニクスやバイオテクノロジ
 ーなどベンチャー的産業がもてはやされた時期であった。
  第二次ブームと呼ばれるのは、1990年代のキューピーやJFEライフなどに代表される
 主として食品産業の参入によるものであるが、これは1993年に農業生産法人への企業(有
 限会社など)の出資が可能になるなど、政府が段階的に規制緩和を行なったことが契機となっ
 ている。
  その後、小泉内閣になってから2003年に構造改革特別区域法が制定され、市町村が定め
 る遊休農地などが多い特区であれば企業がリース方式で農地を借りることができるようになり、
 さらに2009年の改正農地法では、農業目的であれば一般企業も地主から直接、自由に農地
 を賃借できるようになり、農地リースの地域制限が原則的に撤廃されることになった。この2
 009年の改正農地法では、賃貸借の契約期間も50年に延長され、直接農地を取得できる農
 業生産法人に関しても、出資上限が10%以下から50%以下にまで引き上げられている。5
 0%出資上限には農商工連携の認定事業者などの条件があるのだが、これはまさに植物工場を
 念頭に置いた法整備であったということができるであろう。
 
  昨今の植物工場ブームは第三次ブームと呼ばれるものであるが、本稿の冒頭で触れたような
 政府の予算措置に先だって、民間企業の参入を促す法整備が次々と行なわれていたことは注目
 に値する。実は、今回の植物工場ブームは、周到に用意されたもの、あるいは長年の悲願であ
 ったということが可能であり、麻生内閣は、いねば呼び水の役割を果たしたに過ぎないともい
 えるのである。

 ●三菱グループの植物工場事業
 

  三菱総合研究所(三菱総研)は農林水産省と経済産業省が初めて共同で実施した「植物工場
 振興の
り方調査」を受託しており、今般の第三次植物工場ブームの火付け役となったといっ
 てもよいであろう。三菱化学のある執行役員が「(三菱が)植物工場関連ベンチャーであるフ
 ェアリーエンジェルに出資し、このことが経産省・農水省で植物工場ワーキンググループが設
 置されるきっかけとなり、農商工連携のシンボル的なものとして、今日に至っている」と産業
 競争力懇談会で自慢げに述べているとおりである。
  ちなみに三菱グループは1982年3月、三菱化成51%、三菱商事49%の出資比率で、
 資本金1億円の植物工学研究所を設立している。後藤英司が編集している『アグリフォトニク
 スーLEDを利用した植物工場をめざして』によると、2008年までに公開された植物工場
 に関連した特許の数は、三菱(三菱化学21、三菱重工1、三菱電機2)が最多で23、続い
 て三菱化学と資本業務提携をしているLEDメーカーのシーシーエスが14、東芝ライテック
 が8であり、後続を圧倒しているのが現状である。
  三菱が特に力を入れているのは、コンテナ型の人工光型植物工場の海外輸出である。前出の
 三菱化学の執行役員の話に
よれば、コンテナ型植物工場は「わが国のデバイス(太陽電池、非
 常用リチウムイオン電池、LED、断熱材など)をてんこ盛り
したもの」であり、2010年
 1月にはカタールに納入する
ことが決定していた。民主党政権下で結ばれた日本とカタールの
 経済関係強化に関する共同声明(2010年9月30日)の
第15項には「双方は、民間部門
 を通じて、日本の先端技術
を利用し、カタールのニーズを満たす植物工場をカタールで促進す
 る意図を表明した」との文言が入れられているのだが、
この民間部門を三菱が請け負う形にな
 っていたわけである。

                                -中略-

  さて、このように植物工場の海外輸出に熱心な三菱であるが、一方で、上述の鳴り物入りで
 出資した「シンボル」的なフェアリーエンジェル福井工場が事業から撤退したことは見過ごせ
 ない事件である。フェアリーエンジェル福井工場は、昨今の植物工場ブームを強力に牽引した
 「新経済成長戦略2008改訂版」において「先取的取組事例」として写真入りで紹介されて
 おり、LEDメーカーのシーシーエスと三菱化学が資本・業務提携して出資を行ない、日本政
 策投資銀行からも10億円の融資を受けて、福井県美浜町に建設した世界最大級の人工光型植
 物工場であった。

                      -中略-
  

  しかし、このように政府が支援を行なった先取的取組の象徴的存在であったフェアリーエン
 ジェル福井工場は、2010年7月には、すでに一四億円の固定資産除却損を計上していた。
  この植物工場は原子力発電施設等周辺地域企業立地支援事業(F補助金)を受けており、ま
 た美浜町の企業誘致助成金として1億円を受け取っていたわけであるから、それだけの税金が
 水泡に帰したことになる。しかし、それ以上に憂えずにおられないのは、このフェアリーエン
 ジェル福井工場が、今後の植物工場事業全般の行く末を、リアルに「象徴」しているのではな
 いかということである。


 ●動物工場のアナロジー
 

  「植物工場を強力に推進する国家レベルの駆動力とは何か」が本稿の主要なテーマであるの
 だが、1950年代後半からアメリカで盛んになった巨大アグリビジネス資本による動物工場
 の展開が、日本における植物工場ブームのアナロジーとして有益な示唆を与えてくれるのでは
 ないかと思う。
  ジム・メイソンとピーター・シンガーによる『アニマル・ファクトリー』を翻訳した高松修
 は、この本を紹介して以下のように述べている。
  動物工場では、一見して安価な畜産物が製造されているようだが、実は畜産動物そのものは、
 エネルギー収支を分析してみると、たいへん無駄の多いものであることが解明され、食料の「
 浪費工場」にほかならないことを曝露している。では、消費者に工場の畜産物はなぜ安価に見
 えるのか、といえば、それはいろいろな名目で政府から補助金の形で「隠れた工場経費」が支
 出されているからなのである。
  しかしその補助金にしても、もとはといえば消費者の税金なのだから、タコの足を食うよう
 なものであるということになるのだが・・・・。それでは動物工場への流れを演出し、儲けている
 のは誰か。それは当の農民でも消費者でもなく、アグリビジネスであるという。アグリビジネ
 スという言葉は、「農業関連の企業」(Agri-business)と訳されているが、本当のところは
  「みにくい企業」(Ugly-business)とアメリカではささやかれているようだ。このアグリビ
 ジネスは巨大資本にものをいわせて農業分野に介入し、ブロイラー業界を例に取ると、ブロイ
 ラーエ場や飼料会社から、その加工-流通販売までを完全にインテグレーション(垂直統合)
 してその分野を完全に席巻し、養鶏農家を駆逐してしまった。その魔手は今日ではブロイラー
 から豚に及んでいる。 

  ここで、「動物工場」を「植物工場」、「畜産物」を「野菜」、「ブロイラー」を「レタス
  」、「飼料会社」を「電力会社」に置き換えてみると、そっくりそのまま、見事に意味が通
 ることに、私は驚きを禁じ得ない。

  動物工場の場合、餌を売る飼料メーカーや抗生物質およびホルモンなどを売る医薬品メーカ
 ーなどが政府と一体となっ
て事業を展開しているのだが、植物工場の場合は、電力会社、電気
 機器メーカー、ゼネコン、農業資材メーカーなどが、政府を抱き込んでいるわけである。要す
 るに、ゼネコン、建設業者、エンジニアリング会社、電力会社、電気機器メーカーなどは、い
 ったん植物工場を建ててしまえば、その後の経営がどうなろうと問題ではなく、工場内で働い
 ている労働者や栽培されているレタスなどは、このような癒着構造をカモフラージュする装飾
 品に過ぎないわけである。また、今後さらに規制緩和が進行すれば、かりに植物工場事業自体
 は失敗したとしても、工場跡地を有効利用できる道が拓けるかもしれないという胸算用がある
 のかもしれない。つまり「植物工場」というのは名ばかりで、多くの場合「LED消耗工場」
 あるいは「夜間電力消費工場」ないしは「土地転用待機工場」といった呼称の方が事実を正確
 に表しているといえるだろう。

                      -中略-


 ●植物工場を受容する日本社会の責任が問われている

  このように、人工光型植物工場は、その誕生からして、原子力潜水艦や宇宙空間など、「死
 の世界」にこそ相応しい施
設であった。工場の内部は、授粉のための昆虫はもちろん、菌すら
 ほとんど存在しない無生物空間になっており、労働者
は「必要悪の保菌者」として防護服と見
 紛うばかりの衛生服を着用して作業をしなければならないことになっている。

  人工光型植物工場というものは、結局は発電した電気でランプを点灯して植物に光合成をさ
 せるのであるから、風力で
発電した電気で扇風機を回して涼むようなものである。直接外で風
 に当たったほうがずっと爽やかなはずなのに、電力会
社や電気機器メーカーを支えるために、
 わざわざ政府が補助金を出して、屋内で電気を消費する生活を促しているような
ものである。
 もちろん、扇風機を使うこと自体は悪いこととはいえないまでも、外で風に当たる自由が損な
 われるならば、
大いに問題である。
  苗の生産などにおいて植物工場の有用性を認めるのに吝かではないが、問題は、植物工場を
 通して見える、この国のあ
りようであり、この社会の行き先である。もし植物工場が林立する
 ことによって、土を耕す本物の農業が衰退していくと
すれば、取り返しのつかないことである。
 植物工場に対して
つぎ込まれる補助金は、まさに小規模零細農家を潰すための軍資金にほかな
 らず、「強きを助け、弱きを挫く」新自由主
義格差政策そのものであると言っても過言ではな
 い。
工場野菜は「洗わずに食べられる」などというキャッチフレーズで店頭に並べられ、あた
 かも消費者の要望を反映したものであるかのように偽装されている。しかし、その仕組みは、
 原発が日本社会にとって必要なものであるとの幻想が作り出されているのと同じ構造になって
 いるといえるだろう。植物工場を受容するのかどうか、今まさに、消費者としての私たちの責
 任が問われているのである
 


              『誰が植物工場を必要としているのか』(『世界』2014.04号)

                                     
 

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「ニューノーマル消費」の消費

2014年05月05日 | 時事書評

 

 

 ●すわ、東京直下か? 

早朝目が覚め、テレビを付けると、暫くすると地震情報が流れる。気象庁によると5日午前5時
18分ごろ、
東京23区で震度5弱の揺れを観測する強い地震があったという。東京23区で震
度5弱以上の揺れを記
録したのは2011年3月の東日本大震災以来になる。震度4を観測した
のは、東京多摩東部、栃木南部、
群馬南部、埼玉北部、埼玉南部、千葉北西部、千葉南部、神奈
川東部、神奈川西部となっている。震源地は伊豆大島近海。震源の深さは160キロ。地震の規
模を示すマグニチュードは6.2と推定された。今回の地震は相模湾の深さ160キロという非常
に震源の深い地震だった。一般的に震源の深い地震の場合は、余震活動は高くない事が多いが今
後もしばらくの間は余震に注意が必要という。しかし、5月2日に奥飛騨に出かけたが、
岐阜県
飛騨地方で、3日午前10時過ぎから一時間程度の間に6回の群発地震が起こったことが報じられ
ているから、これとの関連はとも考えたが、震源深さは4キロと言うことでごく浅い横ずれ型断
層地震。どうも関係ないのか?「3月11日の東北地方太平洋沖地震の前にも起こっている。つま
り、2月27日から28日かけての群発地震だ。311の大地震では、群発が終了して約10日後にM
9の地震が起こっている。今の日本では多分M9の大地震は起こらないはずなので、より短い期
間でM8程度の地震が起こるかもしれない」「比較的危ないのは若狭湾と関東沖のはず。もんじ
ゅは大丈夫か? 」(阿修羅/自然災害)という情報があり、このことと関係あるのか?長くな
るかもしれないがネットを検索してみると「東日本大震災の時は本震が発生する2日前にマグニ

チュード7の前震がありましたので、この後に強い本震が控えていないか注意深く観察したいと
ころです。
それと、「伊豆近海」という震源の場所についても、「小笠原諸島の新島、遂に西之
島を超える!地下で猛烈な地殻変動が発生中?小笠原で噴火があると関東で大地震が起きる!?

という過去記事で当ブログでは前に指摘していました。小笠原諸島と伊豆近海は過去の事例から見ても
ほぼ間違いなく連動しており、この付近にはとんでも無い大地震が潜んでいる可能性が高いです。最近
の日本では、深海魚の打ち揚げ報告を始め、彩雲や噴火活動、スロースリップ地殻変動、ラドン
濃度の急変等が報告されていました。大地震の発生を示唆する情報は数多くあるので、今後も地
震対策には気負いを入れておくと良いでしょう」(「真実を探すブログ」2014.05.05)と詳細に
その危険性を指摘しているブログもあり-心配な予兆かもしれない。

 




●シリコン・ウエハの特徴的相互作用をつかめ!

シリコン単結晶インゴットの製造方法としては、FZ法(フローティングゾーン法)とCZ法(
チョクラルスキー法)が知られている。これらのうち、CZ法は、FZ法に比べて、大径化が容
易で生産性に優れることから、汎用ウェーハの製造方法として多用されている。ところが、シリ
コン単結晶インゴットの製造の品質は引き上げ速度に依存すが、内部に原子空孔や格子間シリコ
ン等の点欠陥の凝集で形成されたボイドや転位クラスタなどのGrown-in欠陥がない無欠陥結晶を
育成するには、引き上げ速度を厳密管理しなければならないが、引き上げ速度Vで行っても、別
の要因-たとえば、CZ装置のホットゾーンの経時変化は、結晶内の温度勾配Gを変化させ速度
Vのプロファイル変更を必要とする。従来は、引き上げ速度プロファイルで育成されたシリコン
結晶からサンプルを切り出し、その位置での欠陥領域のタイプを決め、その結果を後続の引き上
げ処理のフィードバックに、R-OSF(Ring-Oxidation induced Stacking Fault)/Pv/Pi
のパターン、R-OSFまたはPv/Pi境界部の直径を引き上げの制御パラメータとしていた。
ここで、Pv,Piはいずれも、無欠陥領域に含まれるものであるが、Pv:若干の原子空孔(vac-
ancy)を有する領域、またPi:若干の格子間シリコン(interstitial Si)を有する領域を意味
する。従来、無欠陥領域のタイプPv,Piは、銅デコレーション法や熱処理後の酸素析出分布か
ら決定していた。つまり、Pv領域では若干の原子空孔が存在するため酸素析出が促進されるの
に対し、Pi領域では若干の格子間シリコンが存在するために酸素析出が抑制されることから、
銅デコレーション後や酸素析出熱処理後のX線トポグラフなどで観察することで、PvとPiの各
欠陥領域を区別していた(基本的に酸素析出核の有無によるPv,Piのタイプを決定)。従って
シリコン結晶が、高酸素結晶や低酸素結晶の場合は、両者の区別が難しく、高酸素の場合には、
v,Piのどちらの領域においても酸素析出する場合があり、また低酸素の場合には、どちらの
領域においても酸素析出しない場合がある。さらに、両者の区別可能な酸素濃度範囲であっても、
熱処理には時間と費用がかかり、後続の引き上げ処理に迅速にフィードバックできないという問
題がある。


ところで、新潟大学の後藤輝孝名誉教授、
根本祐一准教授らは、結晶の酸素濃度に依存せず、熱
処理の必要なしに、シリコン結晶中の原子空孔を直接観測し、かつその存在濃度を定量的に評価
できる原子空孔の定量評価方法を開発している。この方法は、原子空孔に捕捉された電子軌道の
三重項と超音波歪みとの相互作用が極めて大きいことを利用して、シリコン結晶の弾性定数の極
低温化に伴う減少(ソフト化)の大きさから、シリコン結晶中における原子空孔の有無およびそ
の濃度を直接、短時間で評価でき、この方法によれば、上図(a), (b)に示すように、シリコン結
晶中原子空孔が存在すると、極低温にした場合に弾性定数の減少(ソフト化)が生じ、その減少
度合いにより、原子空孔の濃度が把握でき、不純物がドープされたシリコン結晶の原子空孔は磁
場を帯びるため、強磁場を印加した場合、磁場の影響を受けて弾性定数のソフト化が解消される
のに対し、不純物がドープされていないシリコン結晶の原子空孔は磁場を帯びず、強磁場を印加
した場合でも弾性定数のソフト化に変化しないので、この磁場依存性の有無によりシリコン結晶
の種類が識別ができる。





この方法は、表面弾性波素子をウエハー上に載せ、欠陥(原子空孔)の周りに存在する電子軌道
の量子状態を超音波で観測する。デバイスの製造で一般的に使う金属のボロンを添加した直径3
00ミリメートルウエハーの表面から3・5マイクロメートルの表層に存在する原子空孔の密度
を計測した。100億個のシリコン原子に対し、1個の微小な欠陥まで検出できる。このシリコ
ンウエハー表面の欠陥を非破壊で評価できるプロトタイプ装置は、無冷媒希釈冷凍機、超音波計
測機、くし状超音波素子作製装置などから構成し、装置価格は1台3億円程度。「将来、販売す
るウエハーに原子空孔の密度を表示させる」考えで、リンを添加するパワー半導体デバイス向け
シリコンウエハーにも対応させたいと言うが、凄い技がまた世界に発信されているということで
すね。^^;
 
 

  

    

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

わたし(たち)はデジタル革命の進行により、魅力のない(裏を返せば、必要なものが提供され
ない)商品を扱う商店街は潰れシャッター街が増え、反対に、情報が絶えず発信されている(裏
を返せば、活力のある)街や地域は、景気に左右されずに、自然と人が集まり、流行の言葉で言
えば、二極分解すると考えていた。そこで、「第三章 グローバル経済からの奴隷解放-費用と
手をかけた田舎の商売の成功」(NHK広島取材班・井上恭介、夜久恭裕)の事例から「ニ
ーノーマル消費」という言葉と出会うことになる。

                 

 過疎の島こそ21世紀のフロンティアになっている

  本書ではここまで、田舎に踏みとどまって、地域の資源を見出し、地域循環型の経済を生
 み出している人々を紹介してきた。ところが、時代の流れは今や逆転し、大企業を見限って、
 過疎の地域へ飛び込む若者たちが増えている。それも優秀な若者が、である。ここからは、
 そんな新たな潮流についてみていきたい。
  そんな町の1つが、山口県南東部、瀬戸内海に浮かぶ、周防大島だ。
  周防大島は、数ある瀬戸内海の島々で三番目に大きな島。全般的に山岳起伏の傾斜地で六
 百
メートル級の山々が連なり、海岸に沿って多少の丘陵地が広がる程度で、大半を山地が占
 めている。その一方で、作物の生育にこれほど恵まれた環境はないのではないかとも思える
 温暖な気候を持っている。年間の日照時間は国内トップレベル、年間平均気温は15・5度。
 島では昔から、そんな傾斜地と温暖な気候を利用した柑橘類の栽培が盛んであった。瀬戸内
 海は、いわば、日本の地中海である。
  しかし、高度経済成長期、日本はこうした島々の活かし方を間違え、大量生産・大量消費
 のシステムに組み込もうとしてきた。国は1961年、農業生産の増大・合理化を目指して
 「農業基本法」を策定。みかんを、お金になる作物として、「選択的拡大」の対象に指定、
 大規模化を推奨した。それは、この島で長く続いてきた、少量多品種による自給自足的な農
 業を破壊、誰もがみかんを栽培するようになった。しかしみかんの需要は国が期待したほど
 伸びなかった。そこに追い打ちをかけたのが、オレンジやグレープフルーツの輸入自由化。
  みかんの過剰生産が問題となり、農家はジュースや缶詰などの加工用に振り向けざるを得
 なくなっていった。しかし加工用のみかんは生食用の10分の1以下の値段で買いたたかれ、
 みかん農家の多くが、経営を成り立たせることができなくなった。



  結果は明白だった。島の産業に将来を見出せなくなった若者たちは、次々と島を後にして
 いったのだ。日当たりのよい急斜面を利用したみかん栽培は、畑をぐるりと回るだけでも多
 大な労力を伴う。若者がいなくなった段々畑は次々と荒れ地へと変わっていった。そして、
 いつしか周防大島は、人口における65歳以上の割合を示す高齢化率が47・7%(201
 2年)。日本で最も高齢化率が高い自治体の1つとなったのである。
  ところが、この10年余りでにわかに変化が見られるようになった。半世紀以上にわたっ
 て続いてきた社会増加数(転入者数から転出者数を引いたもの)の減少が、とうとう止まっ
 たのだ。もちろん、高齢化が進み、そもそも出て行く若者が減ったのも一つの要因ではある
 が、近年、島に移住する人が増えているというのである。もともと周防大島に縁がなかった
 人がやってくるいIターン、いったん島を出て行ったものの、年を経て戻ってくるUターン
 など、形は様々だが、今、瀬戸内の島々が「里山資本主義」によって、若者たちにとっての
 フロンティアとして生まれ変わろうとしている。


 
 大手電力会社から「島のジャム屋」さんヘ

  これから紹介する松嶋匡史さんは、周防大島でも先進的な成功事例といっていいだろう。
 松嶋さんがこの過疎の島で挑戦しているのは、カフェを併設したジャム屋さん。「瀬戸内ジ
 ャムズガーデン」だ。
  海に面した、フランスのおしゃれなカフェを連想させる建物と、床や柱に木をふんだんに
 利用した、暖かみのある内装。そして、カフェスペースには、木のテーブルを三つ。そこに
 座れば、大きな窓から目の前の瀬戸内海に島々がぽっこり浮かぶ、多島美を楽しむことがで
 きる。
  いくらおしゃれとは言え、山口市からも広島市からも離れたへんぴな場所に客は来るのだ
 ろうか、と週末に訪ねてみれば、目の前の駐車場は車でいっぱい。家族連れやカップルなど、
 たくさんのお客さんで賑わう。みんなのお目当ては、四季折々の手作りジャム。春はいちご
 にサクランボ。夏はブルーベリー。秋はいちじく。そして冬はみかんやリンゴ。風味付けも、
 バニラ、シナモン、ラム、紅茶、チョコレートなどなど。レパートリーはなんと百種類以上。
 「あれもこれも」と好奇心を刺激されながら、オリジナルのジャムを味見し、買うことがで
 きる。ほどよい甘さにほっこり。流れる時間はゆったり。子どもも大人もみんなが笑顔にな
 れる空間だ。
  もともと京都出身の松嶋さん。2006年、勤めていた電力会社を辞めてIターン、東京
 から周防大島にやってきて店を間いた。
  きっかけは2001年、新婚旅行で訪れたパリのジャム屋さんだった。妻の智明さんがア
 クセサリーショップに入っている間の時間つぶしにふと隣にあったコンフィチュール(フラ
 ンス語で「ジャム」)専門店を覗いたところ、色とりどりの瓶入りジャムが並んでいた。そ
 の美しさに取り憑かれたように見入ること一時間。とっくにアクセサリーを見終わり、あき
 れる智明さんに、「お土産だから」と30個ほど買って帰った。帰国後、松嶋さんは暴挙に
 でる。なんと、そのほとんどの封を切り、自分で食べ比べをしてしまったのである。それで
 完全に火が付いた。突然、「ジャム屋を始めたい」と言いだした。もちろん、智明さんは開
 いた口がふさがらない。電力会社という最も安定しているはずの会社に勤めている人と結婚
 した途端、成功するかどうかも分からないジャム屋を開くというのだから。しかし、松嶋さ
 んはあきらめなかった。説得には三ケ月を費やしたという。それで智明さんもようやく折れ
 た。「当然、三ケ月くらいはスルーしていましたよ。耳元で『ジャム、ジャム』とか言って
 いても、作ったことないし料理もしないし、何を言っているんだ、みたいな感じで。詐欺っ
 ていうか、ただの妄想っていうか、独り言っていうか、そういう風に受け止めていました」
 私たちと智明さんのやりとりを横で間いていた松嶋さん、にやりと笑った。「まさしく妄
 想と言えば妄想ですね。でも、そういうところから革命は起こるんですよ」

  ジャムの作り方を一から独学する傍ら、次に関門となったのが店の立地だった。当初はお
 しゃれなお店を経営するなら、当然、消費地に近い都市部がいいと思っていた。それこそ、
 出身地・京都なら観光客のお土産になると。ところが、話を間きつけた妻の父親であり、周
 防大島で寺の住職をしている白鳥文明さんからとんでもないアイディアが出された。「周防
 大島で店を開いてもらえないか」。先に述べたとおり、周防大島は、若者の島外への流出に
 苦しみ、町としても若い力を必要としていたのである。
  妻の智明さんは、夫はさすがに引き受けないだろうと考えていた。ところが、松嶋さんは
 あっさり引き受けた。決め手となったのが、原料となる果樹がすぐ身近にあることだった。
 生産地のど真ん中でジャム作りをしてみるのも悪くないと思ったのである。
  そこから、松嶋さんの逆転の発想が次々と生まれた。まず、店を建てる場所探し。松嶋さ
 んが選んだのは、便利な国道沿いではなく、静かな海辺だった。これには、場所探しにつき
 あった義父も驚いた。
 「ここにずっと住んでいる人間にとっては、海があって当たり前だし、他の場所でも海は見
 松嶋さんはジャムを買ってくれたお客さんに、あるリーフレットを手渡すことにしている。
 そこには、「過疎高齢化が進む島で小さなジャム屋が思うこと」と題して松嶋さんの思いが
 綴られている。

  今の時代に求められているのは、地域の価値に気付き、その地域に根ざした活動を展開
  することではないでしょうか。その土地でできた農作物を使い、田舎では田舎でしかで
  きない事業を行うことが理想のスタイルであると思います。それが地域を復興させ、お
  年寄りを元気づけ、若者を呼び戻す切り札になるはずです。(中略)土地と作り手の魂
  が感じられです。

  まさに、大量生産・大量消費システムとの決別宣言である。経済成長のために、地域を安
 価な労働力や安価な原材料の供給地とみるのではなく、地域に利益が還元される形で物づく
 りを行う。ただし、そのために自分たちが犠牲になる必要もない。自分たちも、ちゃんと利
 益をあげる。その仕組みを松嶋さんは一生懸命考えた。
  まず、松嶋さんは島を回りながら、生産者との交流を深めた。都会にいては絶対にわから
 ない、ジャム作りのヒントを農家から直接仕人れるためである。
  そんな松嶋さんの知恵袋の一人となっているのが、祖父の代からみかんを作り続けている
 山本弘三さん。10月の早生から翌五月以降に旬を迎える南緯海という品種まで、10種類
 以上のみかんを作り分けるだけでなく、みかん以外にも、レモンやネーブル、ポンカンなど、
 多様な柑橘類を手がける、柑橘作り名人である。山本さんの生産技術を学びたいと、本場・
 ヨーロッパからも視察がやってくるほどだ。
  松嶋さんはそんな山本さんたち、地元の柑橘農家との会話のなかから、新しいジャムのア
 イディアを次々と得ていった。その1つが、青みかんジャム。原料となるのは、生では酸っ
 ぱくてとても食べられない、熟す前の青みかんだ。虫をよせつけないほどの強烈な香りがあ
 るジャムづくり。(中略)これこそが私たちの目指しているジャム作りなのることを教えら
 れ、新しいジャムが生まれた。

  ヒントをくれるのは柑橘農家ばかりではない。周防大島には、東和金時という品種のサツ
 マイモが昔からひっそりと栽培されていることを知った。有名な徳島の「鳴門金時」と同じ
 品種でありながら、それはどの知名度を得られなかった、隠れた特産だった。松嶋さんは、
 これも何とかジャムにできないか、試行錯誤を重ねた。一番の難関は、サツマイモはジャム
 にすると、できたてはおいしいのだが、冷めるとイマイチということだった。そこで逆転の
 発想。「焼きジャム」という新たなジャンルを関発した。パンを焼いてからジャムを塗るの
 ではなく、ジャムを塗ってから、ジャムごとパンを焼いて食べるのだ。すると、熱々のサツ
 マイモの甘い香りが口いっぱいに広がる。冬の定番のジャムとなった。
 「都市部でジャムを作ろうとすると、こういういろいろなアイディアは生まれてこない。地
 元のかたと接するからこそできるジャム作り、ビジネスなんだと思います」
  そんな風に自らの取り組みを評価する松嶋さん。もちろん、その探求心と発想力があって
 こその賜物であるのは間違いない。
  一方の山本さんたち果樹生産者にとっても、作物に新たな価値を見出す松嶋さんはありか
 たい存在となった。
 「我々は生産者ですから、加工まで一歩踏み込むのは難しいところがあった。島にいる多く
 の農家、みんなそうですよ。生産は得意だけど加工・販売は苦手。だから、ノウハウをもっ
 ている人が島に来てくれたのは強みだと思います

 売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」
 
  どうすれば、農家に利益を還元することができるのか。松嶋さんは、原料となる果物は高
 い価格で買い取ることにした。みかんも、1キロ百円以上で買っている。これまで大きさや
 形が規格外の加工用のみかんは、そのほとんどがジュースの原料として1キロ10円と、安
 く買いたたかれてきた。だから、百円という数字は、山本さんにとっても驚きだった。
  「社会では原料は安いものだという概念がありますから、10円とか、そのぐらいしか支
 払いはない。松嶋さんが、1キロ百円で材料を買うのは、非常に高い単価。でもそれは、私
 たちがいろんなものをかけて作ったとき、まさに、それぐらい欲しいな、という単価でした」
  そうして仕人れた原材料からのジャム作りも松嶋さん流だ。まず、松嶋さんは、均一な味
 を求めない。一瓶一瓶味や風味が違って当然なのだ。それが、数え切れないほどの試行錯誤
 の結果たどり着いた結論だ。
  ジャム作りでは、徹底的に手作りにもこだわっている。機械に頼らず、人手をかけた方が
 消費者にアピールできることももちろんあるが、その方が地元の雇用につながるのだ。ジャ
 ム屋の工房を覗くと、地元の農家の奥さんたちが、原料を切ったり、皮をむいたり、煮込ん
 だり、楽しそうにジャムを作っている。若者の姿も見える。周防大島にIターンしてきたが、
 すぐには収入が安定しないため、アルバィトしているのだという。そうした人たちが22人
 も働いている。
  もちろん、原材料や人件費が上がれば、商品の値段は高くなる。松嶋さんが販売するジャ
 ムの値段は、155グラムの瓶入りで七百円前後。大手メーカーの大量生産品に比べると格
 段に高い。しかし、少量多品種、画一化されていない個性豊かな味。そして何より、周防大
 島という素晴らしい環境で、顔の見える人たちによって作られていることが、飛ぶように売
 れ続ける秘密となっている。
 「我々にできることは何なんだろう、とこの島に来てから考えるようになりました。単純に
 自分のところの利益を最大化するのがいい話ではなくて、地域全体が最適化されることで、
 自分たちにも利益がまわってくるのです。だからこそ、地域をまず改善していく取り組みを
 したいと考えています」

 島を目指す若者が増えている

  周防大島で活躍する若者は、松鴫さんだけではない。20代から40代の若い力が、次か
 ら次へと島の眠れる宝を掘り起こし、新たなビジネスに結びつけている。
  福岡で調理師をしていた20代の笠原隆史さんは、周防大島へ戻ったのち、果樹の多い島
 では良質の蜂蜜が採れると考え、養蜂業へ転身した。養蜂から瓶詰めまで家族だけで行い、
 道の駅など、目の届く範囲だけで販売する徹底した小規模経営の方針をとり、利益を順調に
 伸ばしている。
  40代の山崎浩一さんはIハ歳のときに周防大島を離れ、広島・フランス・東京で料理人
 の腕を磨いたのち、Uターン。島内外で常に満員御礼の人気レストランを複数経営している。
 皮ごと食べられる無農薬のみかんを使ったみかん鍋も開発。島の新たな特産に育てようとし
 ている。
  まだまだ、いる。30代の新村一成さんは、広島の食品加工会社で働いていたが、結婚を
 機に島に帰り、実家の水産加工会社を継ぐ。2010年、松嶋さんに出会い、今まではいり
 こ(煮干し)に適さないと廃棄してきた、大きすぎるイワシをオイルサーディンにするアイ
 ディアを得て、販売を開始した。海外産のオイルサーディンが多い中、純国産のオイルサー
 ディンはじわじわと人気が広がり、生産が追いつかない状態である。
  都会から過疎地へ。そうした動きは全国に広がっている、と見るのが東京・渋谷に本拠を
 置き、長年、若者の起業をサポートしてきたNPO法人「ETIC.」である。
  ETIC.では、年に数回、「日本全国!地域仕掛け人市」を開いてきた。地域に入って
 起業などにチャレンジしたいという若者と、受け入れ団体のマッチングイベントである。2
 011年秋、私たちが取材に訪れたとき、都内の会場には220人が詰めかけ、活気に溢れ
 ていた。ほとんどが、就職活動中の大学生や転職を考える若者だった。



 「北海道から来ました!」。若者たちを前に北海道から沖繩まで、全国からやってきた22
 団体の、UターンやIターンで起業した先輩たちが地域で働くことの魅力を熱弁する。
  なかでも、離島からやってきた団体が熱い。「横溝正史の『獄門島』のモデルになった島
 です」と紹介しているのは、岡山県笠岡諸島にある六島。町長が主導し、トヨタやソニーで
 働いていた若者たちが協力して、今やすっかり地域復活の象徴となっている島根県、隠岐諸
 島の海士町も来ていた。島は、本土から離れている分、地域社会も完結していて、里山資本
 主義を実践するのにちょうどいい環境なのだ。
  周防大島からは、ジャムズガーデンの松嶋匡史さんとその盟友・大野圭司さんが駆けつけ
 ていた。大野さんは、Uターン組。広島の高校、大阪の大学、そして東京で社会人と11年
 間島を離れたあと、地元に戻り、地域興しのリーダーとして活躍してきた。

  周防大島のブースで、二人からジャム屋の成功体験を聞いた、二人組の大学二年の女性は
 口々に褒め称えていた。
 「ああいう島があること自体知らなくて、すごい素敵だなと思いました。島で社会ができて
 いるというか、外に頼らずに自分たちでやるところがいいですね。いいな、行きたいな!
 と思いました」
 「自分かやりたいことができそうな雰囲気ですね。みなさんサラリーマンのように疲れてな
 くて、楽しそうに話をされていますから。自分、自分じゃなくて、地域、地域って思ったら、
 もっとやれることがあるんじゃないかな」
  ETIC.代表理事の宮城治男さんは、トレンドを次のように分析する。
 「ここ数年、非常に動きが目立ってきています。どの企業でも欲しいような人材が、平気で
 会社を辞めて地域に入ることがあちこちで起こり始めているんです。立派ないい会社に勤め
 て、高い給料をいただいているような人が、年収が半分、三分の一になることもいとわず、
 地域に戻りたい、地域で仕事をしたいと。このなかには、そんな人がたくさんいらっしゃる」

  このNPO法人が、起業を考える若者を対象に行った意識調査では、いま、若者たちの五
 人に一人が、農業や漁業といった「一次産業」に挑戦したいと考えているという。かつて、
 起業の花形だった「IT産業」の二倍以上である。
 「物質的豊かさや、情報という面での豊かさに対して、飽和感があるのだろうと思います。
 五感でリアリティを感じられるといったおもしろみを求めているのではないでしょうか。リ
 アリティの最たるものは、人間の絆であるとか、人情みたいなものでしょう。また、自然と
 触れ合って仕事をしていくことも、非常に魅力なのだと思います」
 起業の花形だった「IT産業」の二倍以上である。
 「物質的豊かさや、情報という面での豊かさに対して、飽和感があるのだろうと思います。
 五感でリアリティを感じられるといったおもしろみを求めているのではないでしょうか。リ
 アリティの最たるものは、人間の絆であるとか、人情みたいなものでしょう。また、自然と
 触れ合って仕事をしていくことも、非常に魅力なのだと思います」

 「ニューノーマル」が時代を変える

  もちろん、世の中は依然として、年収はじめ、お金を求める風潮が強いのも事実だ。しか
 し、いち早く気づいた若者から、そういう価値観とは違うところで自分の人生を選択しよう
 としている。新しい時代がやってきているのである。
  そうした観点からこの問題を論じているのが、三菱総合研究所の阿部淳一氏だ。
  阿部氏は、震災以降の新たな若者たちの消費傾向を、「ニューノーマル消費」と名付け、
 分析を進めてきた。
 「ニューノーマル」とは、リーマンショックを機に、アメリカ・マンハッタンの金融街を中
 心に唱えられるようになった新たな概念だ。右府上がりの成長を前提とした投資をこれ以上
 期待できなくなってしまった、投資家たちの認識を呼び表す言葉である。その定義は厳密に
 まだ定まっておらず、本場アメリカではあれこれ議論されているが、これを、若者たちの消
 費動向に結びつけて捉えたのが、「ニューノーマル消費」である。
 自分のための消費(ブランド品や高級品)を求めるのではなく、つながり消費(家族や地域、
 社会とのつながりを確認できるもの)を求め、新しいものをどう手に入れるかという所有価
 値でなく、今あるものをどう使うかという使用価値へ重心が置かれるようになっている。そ
 して、それは一過性ではなく、長期的、持続的な変化であり、後戻りできない消費傾向だと
 捉えられている。
  阿部氏は、こうしたトレンドは今に始まった話ではないと主張する。1990年代のバブ
 ル崩壊で芽吹き、水面下で少しずつ花開いていたものが、リーマンショックで一気に顕在化、
 そして、東日本大震災で加速したのだ。まさに、2012年は「消費のニューノーマル化」
 の元年となった。静かな革命という呼び方をする人もいる。


                                      藻谷浩介 著  『里山資本資本主義』

                                                    この項つづく

 

 

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脱貨幣社会の試み

2014年05月04日 | 政策論

 

 

 

  

    

 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

●里山資本主義異論

「里出資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」
の経済シ
ステムの横に、お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものだ、と語
られ、その根拠地としてオーストラリアを見習い日本の里山に求め、(1)貨幣換算できない物
々交換の復権、(2)規模の利益への抵抗、(3)分業の原理への異議申し立て脱貨幣システム
の3つの大義をかざし、新しい里山資本主義を、具体的には、世界最先端の技術を用いた「木質
バイオマスエネルギー技術」と「集成材技術」をもつて構築、それも、「国全体として化石燃料
代で貿易赤字に陥っている日本では、一部産業の既得権を損なってでも、自然エネルギー自給率
を高
めることが重要だ。その先には、同じく化石燃料代の高騰に苦しむアジア新興国に向けての、
バイオマスエネルギー利用技術の販売といった、新たな産業の展開までもが期待される」と説く。
しかしながら、(2)(3)に対する異議申し立てはなかなか難しいと考えてしまうが、それも
運動次第で克服できるというが、それらを踏まえ、読み進めてみよう。



 オーストリアはエネルギーの地下資源から地上資源へのシフトを起こした

  里山資本主義は近代化に取り残された過疎地だけの専売特許ではない。人ロー千万に満た
 ない小国ながら一人当たりGDPで日本を上回るオーストリアでは、国を挙げた木質バイオ
 マスエネルギー活用が進みつつある。それも東西冷戦が終結して以降、過去十数年の間の劇
 的な変化だ。
  日本人はすぐに国難だの厳しい国際競争だのと言いたがる。だがオーストリア人の身にも
 なって考えて欲しい。古くは神聖ローマ帝国の中核国家として、その消滅後もオーストリア
 =ハンガリー帝国を名乗って、今の何倍もの版図を有する欧州の大国だった。しかし第一次
 大戦の敗戦国となって帝国は解体、第二次大戦ではよりによって自国出身のヒットラーが率
 いるドイツに真っ先に占領されてしまった。日本周辺で最近流行の領土問題にしても、住民
 が追い出された北方領土を除けば、無人島に関する争いだ。対してオーストリアは、大国と
 しての地位のみならず、首都ウィーンの鼻先にある地続きの領土までも失ってきた。
  それでもオーストリアは、冷戦の間は、旧ソ連圈に向かってくちばしのように突き出した
 位置から、鉄のカーテンに開いた僅かな穴として(いわば日本の鎖国時代の長崎のように)
 東西欧州の交易拠点になっていた。しかしベルリンの壁の崩壊でそうした特異な地位も失わ
 れてしまった。

  歌舞伎や文楽、浮世絵といった日本独特の文化が花開いていた江戸時代、オーストリアで
 はワルツや交響楽、オペラといった欧州文化の粋が花開いていた。カフェでコーヒーを飲む
 習慣も、フランス料理の原形となった料理文化もこの時期のオーストリア発祥だったし、2
 0世紀初頭にはクリムトに代表される画壇が華やかだった。時は流れ、日本発のカジュアル
 文化、たとえばマンガやアニメ、カワイイ洋服、映画に絵画、それに日木食は、引き続き世
 界に評価され発信されている。
  しかしオーストリア発の現代文化と言われると、女性に人気のスワロフスキーのクリスタ
 ルガラス製品以外、ちょっと具体名は思いつかない。チロリアンやチロルチョコは福岡県の
 産品だし、戦後の一時期日本でも絶大な人気を誇ったトニー・ザイラー以降、有名人も出い
 ない気がするというと失礼だろうか(出身者としてはアーノルド・シュワルツェネッガーが
 いるか、有名になったのは渡米してからだ)。
  だが、そのように歴史的に見れば停滞・後退を重ねてきたオーストリアは、にもかかわら
 ず質的にも金銭的にもとても豊かな生活の営まれる、美しい民主主義国だ。すぐ隣の旧ユー
 ゴスラビアの内戦も終わり、ようやく有史以来? の完全な平和を満喫している。そしてそ
 こで、前章に書かれたとおり、まさに世界最先端の技術を用いた、木質バイオマスエネルギ
 ー革命が起きつつある。

  オーストリアは日本同様に、いや石炭も出ないだけに日本以上に化石燃料資源に恵まれて
 いないばかりか、内陸国なので中東から来た巨大タンカーが横付けできる港もない。原発は
 稼働前に自ら封印してしまった。にもかかわらず、いやそれ故に戦略は絞れており、自然エ
 ネルギーで行くという推進姿勢に揺らぎはない。エネルギーの安定なくして国際経済競争に
 は勝てないというのは、原発再稼働を望む一部日本人に共通の意見だが、日本以上に条件不
 利なオーストリアで国産自然エネルギーの活用がどんどん進んでいるという事実にも、もっ
 と目を向けてもらいたい。
  人ロー千万に満たない小国だからできることだと考える方も、東京や大阪はともかく、オ
 ーストリアと同等以上の森林資源に恵まれ人口規模も類似している北海道、東北、北関東、
 北陸甲信越、中四国、九州などで同様の路線を追求することは不可能なのか、よく考えてみ
 るべきだ。できないはずはない。

  ただ、ここでも真庭と同じ問題を指摘せねばならない。オーストリアで木質バイオマスエ
 ネルギーが急速に普及しているのは、ペレットにできる製材屑が豊富にあるためだ。つまり、
 集成材による建築が急速に広まっているからこそ、地下資源から地上資源(森林)へのエネ
 ルギーのシフトも実現できている。現地視察を重ねている中島さんの話では、石造りの町と
 いうイメージの強いウィーンも、昔は木造建築が主流の町だったそうだ。産業革命以降木を
 切りすぎて、木材がなくなったので石造りの町並みへと移行してきたのだが、最近は温もり
 ある木造建築への回帰志向が強まっているという。日本と違って消防法や建築基準法の改正
 が進み、中高層の集合住宅への集成材の利用も可能になった。最近は9階建ての木造マンシ
 ョンまでできているらしい。だから林業が復活し、大量の木くずも発生する。真庭のところ
 でも述べた、集成材の耐久性、防火性を考えれば驚く話ではないのだが、日本の法制度の下
 ではその実現はまだまだだ。

  石灰石鉱山の多い日本では、セメントが唯一自給できる鉱物資源であるということ、鉄鉱
 石は自給できないにもかかわらず世界有数の製鉄国であるということも、法制度の壁以上に
 集成材建築の普及を妨げている要因であるかもしれない。とりわけ建築に使う鋼材は、電炉
 社が国内で発生する廃材をリサイクルして製造しているため、その利用はある意味ではエ
 フレンドリーでもある。それに加えて欧米では余り見られない「新建材」の開発が進められ

 てきたことも、木材を使わない森林国・ニッポンの今を形作ってきた。つまり、これから日
 本で集成材の利用を増やして木くずを生み、木質バイオマスエネルギーを普及させて自然
 ネルギー自給率を高めることは、日本経済の安定性を高めることは間違いないのだが、多

 の産業の既得権を侵害することでもあるのだ。

  ではあきらめるべきなのか? そんなことはありえない。国全体として化石燃料代で貿易
 赤字に陥っている日本では、一部産業の既得権を損なってでも、自然エネルギー自給率を高
 めることが重要だ。その先には、同じく化石燃料代の高騰に苦しむアジア新興国に向けての、
 バイオマスエネルギー利用技術の販売といった、新たな産業の展開までもが期待される。
  だが、既得権がよってたかって政策を骨抜きにしてしまうのはこの分野だけの話ではなく、
 国全体としての方向転換は一朝一タには行かないだろう。だからこそ、市町村単位、県単位、
 地方眼位での取り組みを先行させることが、事態の改善につながっていく。セメントや新建
 材のメーカーだって、自分の工場のある県での木造建築増加の取り組みには、新分野進出の
 模索だということで協力するかもしれない。   
  日本では、国にできないことを先に地方からやってしまうことが、コトを動かす秘訣なの
 だ。地方ごとに、人口規模では大差ないオーストリアになったつもりになって、彼の他の取
 り組みに学んでいくことが、大事なのではないだろうか。

 二刀流を認めない極論の誤り
 
  前にも述べたとおり、われわれの考える「里出資本主義」とは、お金の循環がすべてを決
 するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、お金に依存しない
 サブシステムも再構築しておこうというものだ。最初の動機はリスクヘッジかもしれない。
 何かの問題でお金の循環が滞っても、水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心
 安全のネットワークを、予め用意しておきたいという思いが、脱出資本主義への入り口とな
 る。しかし実践が深まれば、お金で済ませてきたことの相当部分を、お金をかけずに行って
 いくことも可能になってくる。生活が二刀流になってくるのだ。
  このような仕組み、高度成長期に置き去りにされた脱出や離島などに綿々として続いてき
 た生き方は、日本の公の場での経済議論、たとえば政府の経済政策の中では、どうしていつ
 も無視されているのだろうか。日本人の生活において里山資本主義の担っている部分が、マ
 ネー資本主義の担っている部分に比べて、無視できるほど小さいと思われていることもある
 かもしれない。

  だが、それだけではないだろう。里山資本主義という考え方自体が、マネー資本主義を支
 える幾つかの基本的な前提に反する部分を持っていること。里山資本主義の根底に、マネー
 資本主義の根幹に逆らうような原理が流れていること。これが政府内の経済運営関係者に、
 なんとも言えない違和感を覚えさせるからではないだろうかと、筆者は感じている。
  高校で習ったのを覚えておられる方もいるだろう、「矛盾する二つの原理をかち合わせ、
 止揚することで、一次元高い段階に到達できる」という考え方を、弁証法という。この弁証
 法的思考を生んだのが、ドイツ語文化圏だ。そこに属するオーストリアで、マネー資本主義
 的な経済成長と同時に、里山資本主義的な自然エネルギーの利用が追求されていることは、
 むべなるかなと言える。対して日本人は、内田樹いうところの「辺境民」であるせいなのか、
 海外から輸入された単一の原理にかぶれやすい。こういう考え方では、マネー資本主義に一
 度手を染めたら最後、里山資本主義などというものは一切認めてはいけないことになる。
  逆に、里山資本主義で行くのであれば金は一切使うなというような極論も出てきやすい。
  飛鳥時代の律令制度、奈良時代の仏教、建武の新政のバックにあった朱子学、明治の文明
 開化、昭和初期の軍国主義、終戦後のマルクス主義に、石油ショック以降のケインズ経済学。
 いずれもその当時の国内のトレンド? を短い期間ではあるが一色に染め上げた。平成にな
 ってのマネタリスト経済学(貨幣供給量を重視する、今の近代経済学の主流的学説)の隆盛
 と、どうもまた同じことが繰り返されているように感じる。

  落ち着いて歴史を眺めると、一瞬極端に高まる外来の極論への熱狂は、いずれは現実を突
 きつけられて幻滅に変わり、輸入原理はその後時間をかけて日本流に変容していくのが常だ。
 律令の枠外に武士が生まれて実権を握り、奈良の大仏から五百年を経て鎌倉仏教が勃興し、
 江戸時代に武士道や商人道と融合した和製儒学が発達したように。あるいは資本家層を支持
 基盤とした自民党長期政権が、マルクス主義者のお株を奪って国民の福利厚生充実と地域間
 格差是正を掲げたように。大戦時の軍事のごとく、明治の導入当時の合理主義を失い、鴨越
 的な奇襲攻撃志向と、現場の兵士に死の覚悟を強いる精神主義と、中枢幹部の傷の砥めあい
 が主導原理となってしまって滅びてしまったという、日本化による失敗例もあるけれど。
  しかしながら、小泉改革の頃から隆盛になり始めたマネタリスト経済学は、まだむき出し
 の輸入原理のままだ。よく間くと、「中央銀行による貨幣供給量の調整で景気は上下いかよ
 うにでもコントロールできる」というような、最盛期の旧ソ連においてもおいそれとは語ら
 れていなかったであろう、究極の国家計画経済が実現できるようなことを唱える輩も混ざっ
 ている。だが、歴史に学んで今後の展開を考えれば、日本でも早晩、何度かの痛い失敗を経
 てではあろうが、米国直輸入のマネタリスト経済学がそのままでは通用しないことが一般に
 自覚されるようになるだろう。
  声高に「マクロ経済学を本当に理解しているのは自分だ」「いや自分こそが本物の理解者
 だ」と叩きあっているような層も、そうなれば別の輸入原理に目移りしていく。かつてマル
 クスの真の理解者たる自分を誇り合った輩が、いつのまにか転向して行ったように。その先
 には、現実に沿った日本化の変容が待っている。いやもう始まっている。里山資本主義の内
 包するマネー資本主義へのアンチテーゼが、そのような変容を促す力の1つとして作用する
 ことは間違いない。

 「貨幣換算できない物々交換」の復権-マネー資本主義へのアンチテーゼ①

  そのような今後の展開を先取りして、里出資本主義の内包するマネー資本主義へのアンチ
 テーゼを、幾つか列挙しておきたい。そしてこの矛盾の先にどのような止揚が起きるのか、
 興味津々に見守っていこう。
  里出資本主義がマネー資本主義に突きつけるアンチテーゼの第一は、「貨幣を介した等価
 交換」に対する、「貨幣換算できない物々交換」の復権だ。物々交換で成り立ってきた原始
 的な社会が、貨幣経済社会に移行すると、一気に取引の規模が拡大し、分業が発達し、経済
 成長が始まる。この原理そのものはその通りなのだが、マネー資本主義に対するサブシステ
 ムである脱出資本主義では、貨幣を介さない取引も重視する。ちなみに物々交換にも二通り
 ある。デパートからお歳暮を贈り合うといった、貨幣で買った物品の交換と、貨幣で買った
 のではないものの交換と。ここで言っているのは後者だ。

  たとえば和田さんが、NHKという字を浮かび上がらせたカボチャを贈って井上プロデュ
 ーサーの心を奪ってしまったことがあげられる。自家製のカボチャを一方的に贈っただけと
 も言えるが、実は対価としてNHK広島の関心を引き出した。これはいったい何円に相当す
 る取引なのか、そもそも等価交換なのかまったくわからないが、何か底の知れない価値が交
 換されたことは確かだ。かく言う私も、「志民になろう」という味わい深い言葉の入ったカ
 ボチャをいただき、「過疎を逆手にとる会」を支える一員の端っこに入りたくなって、支援
 金ならぬ「志援金」を送金した。この場合には、自家製のカボチャが数千円に化けたことに
 なるが、これが等価交換なのかどうなのか。そもそも和田さんたちは、お金よりも「志援者」
 が増えた(ネットワークが広がった)ことの方を高んでいることだろう。
  和田さんのニュースレターには「志援金を払っても何の見返りがあるとも思えませんが、
 大物になった気分にはなれます」とあったが、まあ大物気分になれさえすれば、当方として
 もそれが幾らだったかなんてことはどうでもいい。

  中島さんの場合はどうか。お金を払って製材屑を引き取ってもらい、他方で電力を買って
 いた今までのやり方を、自分で本くずを燃やすことで発電するのに切り替えたということは、
 結局自社内で本くずを電力に物々交換したわけだ。その結果、億円単位の取引が消滅してし
 まった。その分、貨幣で計算されるGDPも滅ってしまったことになる。だが真庭市の経済
 がこれで縮小したわけではない。市外に出て行ったお金が内部に留まるようになっただけだ。
  このように物々交換というのは奥深い。特定の人間たちの間で物々交換が重ねられると、
 そこに「絆」「ネットワーク」と呼ばれるものも生まれる。このネットワークがまた、いざ
 というときには思わぬ力を発揮したりする。とはいっても結局金銭換算できない話なので、
 幾ら交換がされようと、絆が深まろうと、GDPにはカウントしようがない。だがそうだと
 いうだけで、その価値を否定できるものだろうか。
  高校時代の漢文の教科書にあった荘子の一編を思い出す。「混沌」というのっぺらぼうの
 ような生き物の挿話を。厚意で混沌に目と鼻と口と耳を開けてやったら、意に反して混沌は
 死んでしまった。何か何だかはっきりしないことを、はっきりさせようと作為することで、
 逆に価値を損ねるということもあるのだ。日本がまだ縄文時代だった頃に、恐らくそれまで
 一千年以上の文明の試行錯誤を経て中国の先賢かたどり着いたこの教訓を、現代日本人も改
 めてかみしめてみてはどうだろうか。

 規模の利益への抵抗-マネー資本主義へのアンチテーゼ②

  里山資本主義がマネー資本主義に突きつけるアンチテーゼの第二は、「規模の利益」への
 抵抗だ。なるべく需要を大きくまとめて、一括して大量供給した方が、コストは下がり無駄
 は減り経済は拡大する。この規模の利益の原理こそ、現代経済社会をここまで大きくし最大
 多数の最大幸福を実現した根本思想なのだが、何とまあそれに対して、「脱出で個人個人が
 木を燃やし農産物を育てて暮らす方がいい」なんて言い出すのだから、ふざけている。里山
 の住人が数十万円で小型車を買えるのも、規模の利益の原理に則った大量生産販売の結果で
 はないか。
  だが、地元で取れた市場に出せないような野菜を地元福祉施設で消費するという、およそ
 規模の利益から外れたような営みが、前に述べたように地域内の径済循環を拡大し、さらに
 は金銭換算できない地域内の絆を深めているという事実もある。胆はマネー資本主義に依存
 してお安く買わせていただくが、食料と燃料に関しては自己調達を増やそう。このいいとこ
 取りのご都合主義こそ、サブシステムたる里山資本主義の本領だ。それどころか燃料代を節
 約した分、もう一台軽トラックを買うかもしれない。

  それだけではなく、規模の利益の追求には重大な落とし穴がある。規模の拡大は、リスク
 の拡大でもあるということだ。システムがうまく回っている間はいいが、何か敵船が生じる
 と、はるか広域にわたって経済活動が打撃を受ける。震災時の東日本の電力など、その典型
 だった。はるか彼方で一括大量生産された電気に頼っていた首都圏の営みは、津波と原発事
 故によって一瞬にして凍りついたのだ。だが、計画停電の殼中でも、あるいは場所によって
 は一週間もIケ月も電気が庄まっていた北関東以北の被災地にあっても、ガス発電システム
 やソーラーシステムを自宅に取り付けていた家にだけは灯りがともっていた。規模の利益に
 背を向けた、平時には非効率なバックアップシステムが、見事に機能したのだ。和田さんか
 らエコストーブのノウハウを伝授されて、化石燃料も電力もない生活を雑木利用でしのいだ
 面々もいた。

  震災時の仙台では、電力や水道はかなり迅速に復旧して行ったと間くが、道路の被災にガ
 ソリン不足もあって、物流システムは一週間程度、麻蝉していた。だが店頭に食料がなくな
 っても、多くの家庭が急場をしのぐことができたという。親戚の誰かに農家がある住民が多
 く、そういう家では秋に一年分の新米をもらっていたので、少なくともカロリーだけは取る
 ことができたというのだ。より大きな規模の利益を目指して、取れただけ市場に出荷すると
 いうことをせず、.部を金銭化せずに親戚の間で分け合うというような習慣が、結局震災リ
 スクをヘッジした、
  東京で同じような物流網麻蝉が起きたらどうだろうか。何でもお余で買うという習慣しか
 ないマネー資本主義の体現者のような首都圏民は、全員がうまく食べつないで行けるのだろ
 うか。里山資本主義的な要素を徹底的に削って、規模の利益の拡大に邁進していくと、どこ 
 かでツケを払うときがくるのではないだろうか。 

 分業の原理への異議申し立て-マネー資本主義へのアンチテーゼ③

  そして里山資本主義がマネー資本主義に突きつけるアンチテーゼの第三は、リカードが発
 見した分業の原理への異議中し立てだろう。分業の原理とは、個人個人が何でも自前でして
 いる社会よりも、各人が自分のできることの中で最も得意な何か一つ(比較優位のある分
 野)に専念して、その成果物を交換する社会の方が、効率が上がり全体の福利厚生も増すと
 いう、何とも含蓄のあるセオリーだ。
  ところがこの現代経済社会の根幹を成す原理に対して、里山資本主義の実践者は、ドン・
 キホーテのように挑む。和田さんとその仲間を見ていると、薪も切れば田畑も耕す。少々の
 大工仕事は自分でこなすし、料理もお手の物。観光事業者のようなこともすれば、通販事業
 者まがいのこともあり、あっちとこっちをつなぐイベントプロデューサーのようなこともす
 る。場合により講演までして歩く。一人多役なのだ。どれ一つとっても、それだけを専業に
 する人にはかなわないかもしれないが、でも合わせ技一本でしのいでしまう。
  リカードが見たら過去への退行と思うかどうか知らないが、でも実はこれが意外に効率的
 なのだ。バレーボールや野球で、エアポケットのように誰の守備範囲にもなっていないとこ
 ろにポトンとボールが落ちることがあるが、一人多役で補い合っているとそういうことがな
 い。いつも同じ誰かだけが忙しくなるということもない。熟練してくると、専門家10人で
 やることを、要領のいい▽人多役の人間五人で済ませてしまう、というようなことが起きる。
  つまりリカード的分業は、各自の守備範囲を明確に区分けすることができて、かつその守
 備範囲に重複がなく空白部分もできない、という条件が整った場合にはセオリー通りに有効
 なのだが、実際の仕事はなかなかそう簡単に割り切れない、もう少し複雑な構造になってい
 るということなのだ。

  そのため現実社会では、ヘ夕に分業を貫徹しようとすると、各人に繁閑の差が出たり、拾
 い漏れが出たりする。世界で最も効率がいいと思われる、日本のコンビニエンスストアの店
 員の働き方を見るとよい。お客に対応する傍らで、倉庫から品物を出して来たり、商品棚を
 整理したり、トイレを掃除したり、ゴミ箱の中身を片付けたり。少数のスタッフが一人多役
 をこなして効率を上げている。さらには彼らの多くが、学生だったり主婦だったり劇団員だ
 ったり、店の外にもやることを持っている人たちだ。
  実は里山資本主義的な一人多役の世界は、マネー資本主義の究極の産物ともいえるコンビ
 ニエンスストアの中にも実現していたのだ。逆に言えば、庄原市の里山もコンビニエンスス
 トアなみに侮れない。
  中島さんの銘建工業も、集成材メーカーであるはずが、発電事業者でもあり、木質ペレッ
 トの製造・販売・輸出事業者でもある。視察を受け入れて地域の温泉の顧客を増やすところ
 は、観光プロモーターのようでもある。どの誰某も規模は大きくはない。だが、一社多役の
 どこにもないミックスは、組織に大きな活力を与えている。彼らだけではなく、筆者が全国
 で出合う活力ある中堅・中小企業や、特色ある個人事業者は、むしろ一事業者多事業である
 のが当たり前だ。
  このような事実と、経済学の諸セオリーの中でも特にパワフルな分業の原理と、相容れな
 いようにも思えるものがどのように庄揚されるのか、今後の展開は楽しみというしかない。

 里山資本主義は気楽に都会でできる

  以上にのような里山資本主義の話、お読みになった方はどう思われるだろうか。「田舎の
 資源を活かして楽しそうな暮らしをしている人がいるんだな」、というレベルで受け止めら
 れてしまうことが多いのかもしれない。だがそれだけだと、田舎暮らしを紹介するテレビの
 人気番組を見てちょっといい気分になったというのと同じだ。かといって、皆が都会を飛び
 出して田舎に移り住むというのもまったく現実的ではない。やれる人はぜひやったらどうか
 と思うけれども、ほとんどの人はそうもできないだろう。
  だが、0か1かで考える必要はない。里山資本主義はたおやかで、猛々しく主張すること
 はないけれども一応「主義」なので、里山で暮らしていない圧倒的多数の日本人の心の中に
 も、きちんと居場所を見つけることができる。都会の生活者であっても、里山も畑も身近に
 まったく存在しなくとも、今の生活をちょっとだけ変えて、ささやかな実践をすることは可
 能だ。
  たとえば、多くの人がやっていることだと思うが、普段何気なくやっている食品や雑貨の
 買い物の際に敢えて「顔の見えるもの」、どこか特定の場所で特定の誰かが地元の資源を
 活かして作っているものを選んでみる。あるいは経営している人の顔の見える小さな店に、
 敢えて足を運んでみる。少し高いかもしれないが、そこは「大物になった気分で、何の見返
 りがあるともわからない志援金を払ってみる」というのはどうだろうか。いつもは黙って買
 い物をしている人であっても、たまには店の人と会話してみるというのもよい。お金でもの
 を買うという行為にくっつけて、ささやかに笑顔やいい気分を交換しておくと、ささやかな
 絆が生まれるかもしれない。

  あるいはどこかに出かけたときに敢えて、その上地の材料を使ってその土地で作られた土
 産を探して買ってみる。同じような全国チェーンの店に寄ったとしても、その地方にしかな
 いローカルな品物が置かれていたりするので、敢えてそういうものを選んでみる。旅先の飲
 み屋では、敢えて地ビールや地酒ばかりを注文してみる。口に合わないものもあるかもしれ
 ないが、そこは大物になった気分で、「志援金を払ってやった」と思っていればいい。
  人に何かを贈るときに、「相手の好みがわからないので全国どこにでもある定番商品を」
 なんて思わずに、自分の町、できれば自分の隣近所でしか手に入らないものを選ぶ。自分の
 手作りなら最高だ。最近東京の銀座のビルの屋上で、地元有志の作ったNPOがミツバチを
 飼っている。そのハチたちが近所の並木や日比谷公園の花から集めた蜂蜜は、銀座のオリジ
 ナルの地産地酒品として人気となり、老舗洋菓子店でもその蜂蜜を使ったケーキが飛ぶよう
 に売れている。世界から一流品の集まる銀座ですらそういうことが起きているのだから、皆
 さんのご近所でも、何か必ず「ここにしかないもの」はあるはずだ。
  そうこうしているうちに、都市部であっても近所に空き地が増えてくるかもしれない。空
 き地が増えるなんて不景気な話のように思えるかもしれないが、実は景気には関係ない。多
 年少子化か進んだ日本ではいま、一年に1%のペースで64歳以下の人の数が減っている。
 だがそれに応じて国土が縮んでいくわけではないので、土地も家も年々、空いたところが多
 くなっているのだ。そういう空き地は、最初百円駐車場に、百円駐車場が成り立たないとこ
 ろ
では月ぎめ駐車場になることが多いのだが、そのうち月ぎめ駐車場もそんなにいらないと
 いうところまで来ると、放置されたままの状態となってしまう。そんな土地を持
て余してい
 る人が身近にいたら、思い切って話をして、一時的に借りて畑にしてはどうだろ。

  家を買わずとも賃貸や親との同居でなんとかなってきた人。もし将来の住宅購入の頭金が
 用意できているのであれば、思い切って田舎にセカンドハウスを買ってはどうだろうか。い
 やその前に何年か、試しに縁のあった田舎に家を借りて通ってみて、本当に気に入れば物件
 購入まで進めばよい。東京よりもずっと味の濃い農産物やおいしい水や空気が、こんなに安
 い値段で手に入るのかと驚くだろう。家の手当てまではいかなくても、農地だけ賃借して週
 末農業に通うという手もある。
  以上いろいろ挙げてきたが、後の方の難度が高いものほど、何から手をつけたらいいかわ
 からない入相手に何かしらの支援をしてくれる企業やNPOやサークルが続々立ち上がって
 いる。雑誌も書籍も、ネット情報も豊富だ。これは21世紀になってからの日本の大きな変
 化であり、しかも東日本大震災以降、流れはどんどん大きくなってきている。きまぐれなお
 試しから始めて、深入りしたい人は深入りできる、イヤになったらいつでも手を引けるよう
 な、気楽なシステムが年々できあがりつつある。利用してみてはどうか。

 あなたはお金では買えない

 「里山資本手義はいい話なので、政府の補助金を使ってどんどん推進して欲しい」という人
 がいるかもしれない。筆者はそうは思わない。
  日本でもインターネットの利用が、ある時点から爆発的に増えて、何かの事業者であれば
 ホームページを持つのが当たり前になり、ブログを持つ個人が増え、さらにフェイスブック
 だ、ツイッターだとハードルの低い仕組みが登場してきた。これは、補助金を配ったから利
 用者が増えたのではない。参加することが面白いから、何かの満足を与えるから、多くの人
 が時間と労力を割くようになったのだ。使わない人は使わない。それどころか気付いていな
 い人は気付いてもいないが、強制される必要もない。本当の変化というのはそのようにして
 起きるものだ。そして筆者は、里山資本主義の普及も、ネット初期のような段階にまで達し
 てきているのではないかと感じている。面白そうだから、実際にやってみて満足を感じるか
 ら、そうした実感を持つ個人が.定の数まで増えることで、社会の底の方から、静かに変革
 のうねりが上がってくると思っている。

  というのも、里山資本主義を一足先に実践している人は、本当に面白そう、満足そうなの
 だ、なぜなのか。実は人というものの存在の根幹に触れる問題が、マネー資本主義対里山資
 本主義の対立軸の根底にあるからだ。マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金
 銭換算してしまう。違う、人はお金では買えない。あなただけではない。親も子どもも兄弟
 も買うことはできない。本当にお互いに寄り添えるような人生の伴侶も、買って来るもので
 はない。あなたの親や子どもや伴侶にとっても、あなたはお金に換えられるものではないは
 ずなのだ。
  ところが、マネー資本主義に染まりきってしまった人の中には、自分の存在価値は稼いだ
 金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までをも、その人
 の稼ぎで判断し始めたりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の
 価値を計るものさしではない。必要な物を買って所持金を減らしても、それで人の価値が下
 がったわけではないし、何もせずに節約を重ねてお金だけを貯め込んでも、それだけで誰か
 があなたのことを「かけがえのない人だ」とは言ってはくれない。そう、人は誰かに「あな
 たはかけがえのない人だ」と言ってもらいたいだけなのだ。何を持っていなくても、何に勝
 っていなくても、「何かと交換することはできない、比べることもできない、あなただけの
 価値を持っている人なのだ」と、誰かに認めてもらいたいだけなのだ。さらにいえば、何か
 の理由でお金が通用しなくなったとしても、何かお金以外のものに守られながら、きちんと
 生きていくことができる人間でありたかったはずなのだ。

  そうであれば、持つべきものはお金ではなく、第一に人との絆だ。人としてのかけがえの
 なさを本当に認めてくれるのは、あなたからお金を受け取った人ではなく、あなたと心でつ
 ながった人だけだからだ。それは家族だけなのか。では家族がいなかったら、家族に見放さ
 れたらどうするのか。そうではない。人であれば、誰でも人とつながれる。里山資本主義の
 実践者は、そのことを実感している。
  持つべきものの第二は、自然とのつながりだ。失ったつながりを取り戻すことだ。自分の
 身の回りに自分を生かしてくれるだけの自然の恵みがあるという実感を持つことで、お金し
 か頼るもののなかった人びとの不安はいつのまにかぐっと軽くなっている。里山資本主義の
 実践は、人類が何万年も培ってきた身の回りの自然を活かす方法を、受け継ぐということな
 のだ。
  里山資本主義の向こう側に広がる、実は大昔からあった金銭換算できない世界。そんな世
 界があることを知り、できればそこと触れ合いを深めていくことが、金銭換算できない本当
 の自分を得る入り口ではないだろうか。

  
              
 中間総括「里山資本主義」の極意/『里山資本資本主義』





提案の趣旨は理解できるが、「サブシステム」と認めているように、部分的な、補完的な経済、
それも、「マネー経済」(=英米流金融資本主義)の悪弊を是正する有力なシステムのひとつで
あろうが、そして、わたし(たち)が考える、デジタル革命渦論のエネルギー領域の"オール・ソ
ーラー・システム"(=太陽道プロジェクト構想)と融合することで、「贈与経済」を実現させて
いるだろう。 

                                    この項つづく

 

 

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あの頃のドライブ・マイ・カー

2014年05月02日 | 国内外旅行

 

 

 

中央道は園原インター下車し目的の「ヘブンそのはら」に向かおうとしたが、花桃祭り盛り
に遭遇したため、月川を往復しこれを観賞した後、ゴンドラに乗って標高1400メート
の山頂駅に運んでもらう。天空の楽園「ヘブンスそのはら」春はミズバショウ、夏はコマクサ

をはじめ75万本の花々が園内を彩り、秋には壮大な三段紅葉が観賞でき、冬はスキー限定さ
れいる。美しい思い出の花言葉をも水芭蕉の群生地がヘブンそのはらの園内に2、3あり、
写真を撮るが、所々にはまだ雪の塊が残っている。天気が良ければ南アルプスが一望出来る
のだけれどあいにくの曇天でもう1つ。



 

月川の「花桃の里」。赤白ピンクの三色に咲き分ける花桃は、電力会社社長であった福沢桃
介(福沢諭吉の娘婿)が、ドイツのミュンヘンで華麗に咲く三色の花桃を見かけ、その美し
さに魅せられ三本の苗を購入し帰国、大正11年、木曽の発電所庭に植えたのが始まりと言
う。ここは伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は「はなもも街道」と呼ばれ、薗原IC周辺の、
水引の里、天竜峡、伊那谷道中、阿智村(駒場、昼神温泉、月川温泉)、清内路を通り南木
曽町(富貴畑温泉、南木曽温泉、妻籠宿)までの街道沿いに数千本の花桃が植えられている
とこか。桃の木には、食用の「実モモ」と、花を楽しむ園芸用の品種の「ハナモモ」の2
類ある。ハナモモにも実はなるが小さくて食べられない。「実モモ」の花はその名の通り桃
色(ピンク色)で桜や梅に似ているが、「ハナモモ」の花はより大きくて八重桜に似たもの
が多く、色は、桃色の他に白・赤などがある。もともと「ヘブンそのはら」の富士見台が目
的だったので、来てみてびっくり。本谷川沿岸道路(国道477号)を走らせその規模の大
きさをを観賞。そして、いつもながらの自動車の行列(工夫がいりますね)。


 

富士見台から中央道→長野道→松本インターチェンジをでて、そば処「ものぐさ」で昼食で
立ち寄るが、そこでは、写真(上/左)の山葵の北アルプスのわき水を使い栽培実験を行っ
ていた。山葵の栽培について過去に掲載してあるが(『メイチダイに山葵』)、その条件は
(1)養分の
少ない培地を使用する、(2)栽培水流が毎秒15~20cm程度である、(3)12
℃~15℃程度の水温で
ある(4)溶存酸素量が10ppm以上である(5)固有の四層の構造を
持つ培地で流水、方向を一定に維持した中で育成栽培するなどのであり、頭の中では試作準
備完了のつもりでいる。つまり、この滋賀の里山でも栽培・販売できるはずではあるが、こ
こでもそのような実験に挑戦中ということに感心する( 勿論、この店の「山かけ」と「天
ぷら」の
そばは美味かった)。

 

宿泊先は、定宿のように足を運んでいる白骨温泉だ。 飛騨山脈(北アルプス)の、乗鞍岳、
十石岳、霞沢岳の麓に位置する山峡の温泉地であ、乳白色の湯として全国的に知られ、多く
の旅行雑誌などに取り上げられて、他の文人ともゆかりが有り、若山牧水はこの温泉を好ん
で訪れた。近くには上高地や乗鞍高原がある。温泉地の「白骨温泉の噴湯丘と球状石灰石」
は、1922年に国の天然記念物、1952年には国の特別天然記念物に指定されている。温泉宿
としては元禄年間に信濃の人・齋藤孫左衛門により開かれた。現在も齋藤姓の宿が多い。
泉は、単純硫化水素泉。含硫黄-カルシウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉(硫化水素型)

腸病、神経症、婦人病、慢性疲労などに効能があり、その昔「白骨の湯に三日入ると三年

風邪をひかない
」とも言われたがその真偽は定かではない。湧出時には透明な温泉が、時

の経過によって白濁する。白濁の要因は、温泉水中に含まれている硫化水素から硫黄粒子

析出すること及び重炭酸カルシウムが分解し炭酸カルシウムに変化することである。浴槽

淵などには白い炭酸カルシウムの固形物が付着している。こうして、帰りは、中部縦貫道

東海北陸道→名神を辿ったが、奥飛騨ということもあり、自動車音がまったくしない秘湯

癖になりそう。^^;

 

  僕の知っている限り、ビートルズの『イエスタデイ』に日本語の(それも関西弁の)
 歌詞をつけた人間は、木像という男一人しかいない。彼は風呂に入るとよく大声でその
 歌を歌った。

  昨日は/あしたのおとといで
  おとといのあしたや

 
  始まりはそんな風だったと記憶しているが、なにしろずいぶん昔のことなので、本当
 にそう
だったかもうひとつ自信はない。しかしいずれにせよその歌詞は、最初から最後
 までほとんど
意味を持たない、ナンセンスというか、原詞とはまったく似ても似つかな
 い代物だった。聴き
慣れたメランコリックで美しいメロディーと、いくぶんお気楽な-
 あるいは非パセティックなというべきか-関西弁の響きとが、大胆なまでに有益性を排
 した奇妙なコンビネーションを、そこに作りあげていた。少なくとも僕の耳にはそう響
 いた。僕はそれをただ笑い飛ばすこともできたし、そこに何かしらの隠された情報を読
 み取ることもできた。でもそのときには、ただあきれてその歌を聴いていただけだった。

  
  木樽は僕の間くかぎりほぽ完璧な関西弁をしゃべったが、生まれたのも育ったのも東
 京都大田区田園調布だった。僕は生まれたのも育ったのも関西だが、ほぽ完璧な標準語
 (東京の言葉)をしゃべった。そう考えてみれば、僕らはけっこう風変わりな組み合わ
 せだったかもしれない。
  彼と知り合ったのは、早稲田の正門近くの喫茶店でアルバイトをしているときだった。
 僕はキッチンの中で働いていて、木棺はウェイターをしていた。暇な時間になると二人
 でよくおしゃべりをした。僕らはどちらも二十歳で、誕生日も一週間しか違わなかった。
 「木棺というのは珍しい名前だよね」と僕は言った。
 「ああ、そやな、かなり珍しいやろ」と木棺は言った。
 「ロッテに同じ名前のピッチャーがいた」
 「ああ、あれな、うちとは関係ないねん。あんまりない名前やから、まあどっかでちょ
 こっと繋がってるのかもしれんけどな」 
  
  そのとき僕は早稲田大学文学部の二年生だった。彼は浪人生で、早稲田の予備校に通
 っていた。ただ浪人生活も二年目に入っていたにもかかわらず、受験勉強に精を出して
 いるという印象はまったく受けなかった。暇があれば受験とはほとんど関係のない本ば
 かり読んでいた。ジミ・ヘンドリックスの伝記とか、詰め将棋の本とか、『宇宙はどこ
 から生まれたのか』とか。
  大田区の自宅から通っているのだと彼は言った。
 「自宅?」と僕は言った。「てっきり関西の出身だと思っていたけど」
 「ちゃうちゃう。生まれも育ちも田園調布や」
  僕はそれを聞いてずいぶん面食らってしまった。
 「じゃあ、どうして関西弁をしゃべるんだよ?」と僕は尋ねた。
 「後天的に学んだんや。一念発起して」
 「後天的に学んだ?」
 「つまり一生懸命勉強したんや。動詞やら、名詞やら、アクセントやらを覚えてな。英
 語とかフランス語とかを習うのと原理的にはおんなじことや。関西まで何度か実習にも
 行ったしな」

  僕は感心してしまった。英語やらフランス語やらを学ぶのと同じように「後天的に」
 関西弁を習得する人間がいるなんて、まったくの初耳だった。なるほど東京は広い街だ
 と感心した。
  なんだか『三四郎』みたいだけど。
 「おれは子供の頃から熱狂的な阪神タイガースのファンでな、東京で阪神の試合があっ
 たらよう見に行ってたんやけど、縦縞のユニフォーム着て外野の応援席に行っても、東
 京弁しゃべってたら、みんなぜんぜん相手にしてくれへんねん。そのコミュニティーに
 入れへんわけや。それで、こら関西弁習わなあかんわ思て、それこそ血の溶むような苦
 労をして勉学に励んだわけや」
 「それだけの動機で関西弁を身につけた?」と僕はあきれて尋ねた。
 「そうや。それくらいおれにとっては、阪神タイガースがすべてやったんや。それ以来、
 学校でも家でもいっさい関西弁しかしゃべらんことにしてる。寝言かて関西弁や」と木
 樽は言った。
 「どや、おれの関西弁はほぼ完璧やろ?」
 「たしかに。関西の出身者としか思えない」と僕は言った。「ただそれは阪神間の関西
 弁じゃないよね。大阪市内の、それもかなりディープな地域のしゃべり方だ」
 「おお、ようわかっとるな。高校の夏休みに、大阪の天王寺区にしばらくホームステイ
 しとったんや。おもろいとこやったぞ。動物園にも歩いていけたしな」
 「ホームステイ」と僕は感心して言った。
 「関西弁を身につけるのとおんなじくらい、受験勉強にも熱心に身を入れてたら、ニ浪
 なんかしてへんのやろけどな」と木樽は言った。
  たしかにそのとおりだろうと僕も思った。自分でぽけておいて、自分で突っ込みをい
 れるところもいかにも関西だ。「で、おまえはどこの出身やねん?」
 「神戸の近く」と僕は言った。
 「神戸の近くて、どのへんや?」
 「芦屋」と僕は言った。
 「ええとこやないか。始めからちゃんとそう言うたらええやないか。ややこしい言い方
 すんな」

  僕は説明した。出身地を訊かれて、芦屋の出身だと言うと、どうしても裕福な家庭の
 出身というイメージを持たれてしまう。しかし芦屋といってもピンからキリまである。
  僕はとくに裕福な家の出身じゃない。父親は製薬会社に動めていて、母親は図書館の
 司書をしている。家は小さいし、乗っている車はクリーム色のトヨタ・カローラだ。だ
 から出身地を訊かれると、余計な先入観を持たれないために、いつも「神戸の近く」と
 答えることにしている。
 「なんや、それって、おれの場合とまったくおんなじやないか」と木樽は言った。「う
 ちも住所から言うたら田園調布やけどな、うちがあるのははっきり言うて、田園調布で
 もいちばんうらぶれた地域や。住んでる家かて、そらうらぶれたもんや。一回見に来い
 や。これが田園調布? うそやろ、みたいなことになるから。けどな、そんなことこそ
 こそ気にしてもしょうがないやないか。そんなもん、ただの住所に過ぎへん。そやから
 おれの場合は、逆に頭からがんとぶちかますことにしてるねん。生まれも育ちも田園調
 布やぞ、どや、みたいにな」
  僕は感心した。そして僕らは友だちみたいになった。


             村上春樹 著『イエスタデイ』/『文藝春秋』2014年1月号






疲れもピークに来ているらしい。集中力も欠け堪えている。あのころの運転とくらべてどう
だい? なに~っ、危なっかしぃってか!?  それでも、代わりがないから墓場まで我慢す
るって? 申し訳ない! 


 

 

コメント
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