この中央構造線の画像は、
2006/10/24の記事で使いました。
日本の古代史に関心を持つようになったきっかけになるものです。
直感的にひらめいた思いは、2年過ぎてもっとはっきりとした形となってきました。
これから先もネット検索して、今まで知らずに来たことが判明することでまた考え方が変わるかもしれません。
とりあえず2008年もあと2日、年の区切りでもありますので、
一応現時点でのミステリー予測をまとめておきたいと思います。
日本の古代史を考えるとき、食料となる稲作の伝播は大きいのはよく存じていました。
でもどうやらそれだけではない、
いやそれ以上に金属、なかでも鉄のルートが大きな鍵を握るのではないかと思うようになりました。
この記事と次に続く後編記事に使う4つの画像はすべて
「
中央構造線と古代史を考える」
というサイトより無断でもらってきました。
自動車用の生産設備を中心に、型や設備の設計、製造にたずさわってこられた技術屋・直さんの、
歴史学者とは違った視点の古代史の捉えかたが一番納得できました。
とても膨大な論文で、すべてを精読し理解したわけではありません。
「
大胆予測:古代産鉄(鉱山)族の移動」
をそのままコピペし青い字でご紹介させていただきます。
1 長江下流、東南アジアから古代産鉄族移動
☆ 中央構造線をさかのぼり吉野に至った産鉄族(土蜘蛛族、国栖族、長脛彦の祖先など)
☆ 対馬海流にのって出雲に至った産鉄族(オロチ族 ヤマタノオロチ)
☆ 暖流にのって渥美半島に至った産鉄族(アタ族、安曇族、海人族ー尾張氏氏祖先)
この時期は、だいたい紀元前後ぐらいまでかと勝手に推測しています。
陸の道シルクロードよりも、チャイナロードといわれる海の道は、現在の私達が想像する以上に発達していたのかもしれません。
2 朝鮮半島渡来第一陣産鉄族流入移動
☆出雲を占領したスサノオ一族
☆大和に至ったニギハヤヒ一族
・ニギハヤヒは大和入りに際し古代産鉄族:長脛彦一族と婚姻関係を構築した
・オオクニヌシが出雲、大和三輪山に祭られるのは、渡来系出雲族と、渡来系初期ニギハヤヒ族が同属であったことを示していると考えたい
・先住産鉄族は中央構造線等を移動し諏訪、鹿島に移動?
・対馬海流にのって島根や丹後半島にも来た人たちもいた(スクナヒコなど)
「砂鉄七里に炭三里」という言葉があるそうです。
砂鉄から1200貫の鉄を得るのに4000貫の木炭が必要で、
4000貫の木炭はひと山をまる裸にするほど木を切らないといけない量で、それをわずか3昼夜で使ってしまう、
そうした木炭の輸送に伴う困難を物語る輸送限界を示す言葉だとか。
古代、製鉄には大量の炭を必要とし、良質の炭と樹木の復元力のある土地でなければ鉄は出来ない時代が中世まで続きました。
砂鉄の採れる場所を求めて、そして木炭の補給が簡単な場所を求めて移動した?
中近東が砂漠になったのは、レバノン杉の伐採によるところもあると高校の歴史で習ったような。
日本は丸裸になった山もすぐに樹木が育つモンスーン気候でよかったわ。