秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

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生田神社

2009-05-11 | 古代史のミステリー
神戸の繁華街、三宮。
その三宮町の地名由来ともなった三宮神社。

生田神社を囲むように一宮、二宮、三宮、四宮、五宮、六宮、七宮、八宮と神戸には一から八の数字がついた神社があります。
神功皇后が生田神社を建立するにあたり、神のお告げによりこの八社を廻ったという伝承があるそうです。

創建年代は不明ですが、神功皇后が朝鮮出兵した帰りに巡拝した順を社名に冠したんだとか。

天照大神と素盞鳴尊が、剣玉を交換して誓約した時に生まれたという三女神・五男神がそれぞれに祀られています。

神戸八社は港神戸守護神厄除八社とも呼ばれ、数字の順に巡ることを「八宮巡り」といい厄除けになる、と去年年末の新聞記事で知りました。
オリエンテーリング的でおもしろそう、そのうち廻ろうかなと思っていました。

 

昨日はその中心となる生田神社へ、ここもまた30年ぶりぐらいに訪れました。
藤原紀香と陣内智則が結婚式を挙げたことで一段と有名になりましたね。
2007年2月の結婚式後、参拝客も急増しこの神社で挙式するカップルも1.5倍になったそうだ。
離婚してからはどうなんだろう?
訪れたのが夕方だったこともあり人はまばらだった。

 
たまたま二日前の8日夜、「仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)」が営まれていた。
25年ごとに行われる本殿の改修工事に伴い、本殿に納められた「御神体」を境内の蛭子神社まで移され、御神体が本殿に戻る「本殿遷座祭」は9/19の予定。

      

 

ウィキペディアによると
日本書記:201年に神功皇后の三韓外征帰途、神戸港で船が進まなくなったため神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」との神託があった。

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山に祀られていた。
799年4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある「生田の森」に移転したといわれている。

昨日登った山が布引だった。
そのあとこの生田神社へ予定もなくたまたま立寄った形でしたが、お導きがあったのかもね。

  

祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)
「稚く瑞々しい日の女神」を意味し天照大神の幼名とも妹とも和魂であるとも言われています。

「稚日女尊」初めて知った名前です。
ここから検索を重ねていくと、またまた興味深いことを見つけました。
続きはまたそのうちに・・・