10年前の1999年12月9日エジプトを旅した時の写真をデジカメ撮影しました。
場所はルクソール西岸にあるハトシェプスト女王葬祭殿。
1997年11/17 にイスラム原理主義過激派によるテロ事件で、大勢の人が亡くなった場所です。
2年経過してもまだまだ修復中でした。
このとき同じようにテロに遭遇しながら、200名ほどいた観光各のうち58名が死亡、日本人は11名中10人という確率の高さ!
スイス人は柵の下に飛び降り難を逃れ、アメリカ人は柱などの後ろに隠れ全員助かった。
日本人は葬祭殿の真ん中で固まりうずくまっていたので生き延びることができなかったそうです。
日本人はエマージェンシーの鍛錬できてないからね。
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↑この画像はウキペディアからもらってきました。
この事件後渡航禁止でしたが、2年たって観光が再開されたので友人総勢7名でツアー参加しました。
当時は、エジプトといえば、ピラミッド・クレオパトラ・ツタンカーメンとお決まりの程度しか知らなかったし、予習して出かけたわけでもない。
先の記事オリオン3つ星で触れたギザのピラミッドなどを見たあと、ルクソールへ行きました。
まだまだバカチョンのアナログカメラの時代で、こんなピンボケで満足してたんですねぇ。
たぶんこれはカルナック神殿の大列柱前でのショットだと思います。
写ってませんけど、右横にはオベリスクが堂々と建っていました。。
ハトシェプストが花崗岩の一枚岩から造らせたエジプトで一番高いオベリスクです。
ルクソール(当時はテーベという名前)に首都があった新王国時代、
第18王朝のエジプト史上初の女性ファラオがハトシェプストです。
つい先週のTV番組ふしぎ発見で取り上げられ、当時の船を再現していました。
BC1470年ごろ紅海沿岸のブントという国からその海洋船でぜいたく品を輸入していたというお話でした。
治世は穏健で、戦争を好まず平和外交によってエジプトを繁栄させたと言われています。
公的な場では男装し、あごに付け髭をつけた男装の女王です。
ハトシェプストの石棺は100年ほど前に見つかったのですが、中は空でした。
なんと失われたミイラは、王家の谷の比較的下位の死者が安置されるKV60号墓で棺にも入れられず放置されていたことが、2007年になってにやっと、ハトシェプストと特定されるに至りました。
100年ほど前にそのミイラは発見されながらも、誰か特定できずまたもや捨て置かれ、1989年再発見されました。
遺体に防腐処理をしたミイラ職人が、たまたま歯を拾って肝臓と一緒に木の小箱に入れた。
その箱にはハトシェプストのカルトゥーシュが刻まれていた。
お気に入りの乳母のそばに横たわっていたミイラにある歯の抜け後と見事一致した。
というとてもありえないような偶然が重なって特定されたのでした。
旧約聖書「出エジプト記」でモーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女とも言われているそうですよ。