中之島イルミネーションを見た夜、喉に何らかのウイルスが貼り付いてしまったようで、喉が痛くてかなりしんどい。
多くの人ごみでひょっとしたら新型インフルエンザもらったかも。
発症までにどれぐらいの日数がかかるんでしょう?
お医者さん行こうと思いつつも、年末の超多忙な時で、年内最終生ゴミ収集日が今朝だったので昨日も掃除に終われてました。
そんなわけで、23日に探訪した2箇所の記事が遅くなってしまった。
先だって終了したドラマ「JIN 仁」で緒方洪庵が登場していましたが、大阪の洪庵がいつ江戸に行ったんだろうと気になってました。
川の駅「八軒家浜」は大川沿いの天満橋あたりにあります。
平安時代には熊野街道の出発点で、京都から淀川を下ってきた天皇や貴族達はここで上陸し徒歩で南紀熊野へ向かったのです。
江戸時代には伏見から下ってくる三十石船の発着地でもありました。
この八軒家から歩いてそう遠くないところ、現在の淀屋橋駅東口上がってすぐ前に、緒方洪庵の適塾があります。
20代の頃近くの広告代理店大広でバイトをしていたことがありましたが、当時は興味なくて、それからも一度も訪れたことはありませんでした。
入場料250円、中に入ると結構たくさんの人が見学していました。
2階の大部屋で塾生たちが寝起きしていたようです。
有名どころでは、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内など、600名を超える適塾入門者。
分布図をみると日本全国に渡っていることも驚きだった。
入口でもらったパンフレットによると、
洪庵は岡山で生まれ、備中足守藩大阪屋敷留守居役に転勤となった父に伴われ大阪へ。
1838年(天保9)長崎の勉学を終え大坂瓦町にて「適塾」を開く
1845年(弘化2)現在の地の町家を購入し移転・拡張
1862年(文久2)江戸幕府奥医師に召され、西洋医学所頭取を兼任
1863年(文久3)突然の喀血により急死(54歳)
幕末に西洋医学という未知の学問を体系化した功績は極めて大きいとも書かれていました。
天然痘の蔓延を防いだだけでなく、1858年(安政5)夏のコレラ流行時にも予防策に尽力したそうだ。