2ヶ月近く前にたまたま四天王寺から谷町筋を北に上がると、ギザギザの白黒塀が目に留まりました。
吉祥寺、赤穂四十七義士ゆかりの寺のようです。
義士の墓は東京の泉岳寺にあると思っていたので、何でかなと思いつつそのままになっていました。
昨日
TMさんのブログで忠臣蔵について書かれていて、この疑問がほったらかしになっていることを思い出した。
ある程度以上の年齢層にとっては、12月14日といえば赤穂浪士の討ち入りです。
ちょっと調べてみました。
大阪の谷町筋は 1945年(昭和20)3月14日の大阪大空襲でほとんどの寺院は全焼しました。
吉祥寺も貴重な品々を納めた蔵が全焼するなど壊滅的打撃を受けたものの、奇跡的に義士の墓だけは焼け残ったそうです。
このときは時間がなかったので、門からのぞくと
大石内蔵助らしき石像が見えました。
さらに中に入っていれば、以下が見れるようで、ネット検索で画像もらってきました。
で、なぜここに義士の墓があるのか。
吉祥寺は大阪における浅野家の菩提寺だった。
1703年(元禄16)大石内蔵助をはじめ46士たちが幕命により切腹。
討ち入りの翌年2月、足軽の寺坂吉右衛門が46の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添え、冥福を祈る碑の建立を当寺に依頼。
義士崇拝は、幕政に対する批判になりかねない。
江戸では幕府の手前かなわなかった法要も、大阪ならできるという考えもあったのでしょう。
寺坂吉右衛門は、討ち入り決行前におじけづいて姿をくらましたという説もあります。
しかしほんとのところは、ゆかりの者に一連の報告させるため、大石内蔵助から密命を帯びて隊を離れたようです。