秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

長滝白山神社その3 信長・家康と明治天皇

2017-07-06 | 旅・関東&中部&北陸地方


主祭神 菊理媛神 伊弉諾尊 伊弉冉尊

ずらずらっと並んだ本殿の前には拝殿があります。
蛇にあうの記事で写してる階段上の建物です。







明治天皇御製
天照 神のさつけし 宝・・
動かぬ・の ・・・・・

恥ずかしながら読めません。
草書とかお分かりの方、教えてください。



拝殿の屋根横に梯子が設置されてますが、雪対策でしょうか?



奥州藤原氏最後の当主、四代目泰衡の首桶の中から見つかった種子から、800年の時を越えて再び華を咲かせたという、中尊寺蓮。
中尊寺からこの地に株分されたそうです。

藤原三代秀衡は白山信仰を厚く崇敬し、加賀・越前・美濃の白山三馬場に仏像などを寄進したという記録が残る。



長滝寺

明治維新以前は白山中宮長滝寺と称すも
明治時代の神仏分離により、長滝白山神社と長瀧寺に分離。



信長は長瀧寺に、信長自身が使用している膳椀と軍配を贈っている。
フロイスの『日本史』には、信長が「白山権現、汝に誓う」と言ったとあります。












(上)白山牛王宝印版木
(下)徳川家康起請文

武士間の契約の時に交わす「起請文」に、家康は三河松平の頃から、長滝白山神社発行の「白山瀧宝印」の誓紙を起請文として使用していた。
秀吉の起請文は熊野三山発行。


古くから東海の人々は遠くに白く浮かぶ白山を水神様として深く信仰してきたようです。

水は多すぎても少なすぎても困ります。
ちょうどいい塩梅の量って難しい自然の計らい。
祈りたくもなります。




あの阿弥陀ヶ滝と同じ水のようです。
こちらで賜ったお水はとてもまろやかでした。
家に持ち帰り飲んだら久しぶりにぐっすり眠れました。



長滝白山神社で蛇にあう その2 

2017-07-06 | 旅・関東&中部&北陸地方


拝殿を写した画像、階段を上がりきった左右に狛犬があります。
この画像は帰りに写したものです。
上がるとき、左側の狛犬「吽像」を見上げながら上がり、もう片方の「阿像」も写さなあかんと右へ移動。
 → 


何度撮影しても、光の加減でかどうしても明るくならなくててこずってました。

ふと足元に目をやると、なんとそこに80cmぐらいの少し大きめの蛇。
もうすこしで踏むとこやった。
目にしたとたん、ぎゃぁ~!!!

連れもこの声に驚いたけど、その蛇もです。
するする~っと階段下っていきました。
青みがかったたぶん青大将、さとまわりのような普通の蛇でした。

階段上から下を見ると


蛇が向かった方向に大きなイチョウの木。


帰るとき、また出会ったらどうしようと、そろりそろりと確かめながら下りました。


境内で見たもろもろは、次で