秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

那智大社別宮飛瀧神社と光が峯

2018-03-31 | おでかけ・近畿




那智の滝は、高さ133m、銚子口幅13m、滝壺の深さ10m以上。
立派です。
日本一の滝といわれるだけあって、姿も美しい。
この日はそこそこの水量あって、お天気も暑くもなく寒くもなく、大勢の参拝客でにぎわっていました。

もちろん外人さんもたくさん見かけました。
中国語を話す若者二人、イケメンではなかったけど、おみくじ引いてオーバーアクションしながら動画撮影してたのが面白かった。
たぶんユーチューバーだと思います。
那智の滝見てきた!とかで投稿するんでしょう。



飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は、那智大滝を大己貴命の現れたる御神体としてお祀りされています。
300円払うとさらに近くまで行くことができます。



2006-06-12に初めて那智の滝見たときの画像は

オーブいっぱい写ってて、たぶん飛沫なんでしょうけど、記憶に残る画像です。
あれから12年、体重は5㎏以上、健康診断でもいろんな数値増えて…。




光ヶ峯遥拝石


那智の滝と対面するような位置にあります。
遥拝ということはどちらを向いてるんだろうと気になってました。

光ヶ峯は、那智大社・青岸渡寺から見れば真東の方向にあり、春分の日には光ヶ峰から日が昇ると書いてありました。


西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸されました。一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。
その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷しこれが熊野那智大社の始まり




光ヶ峯(標高685.5m)は、那智三峰(大雲取山、烏帽子山、光ヶ峯)のひとつで、那智権現が天下った山とされる。
「紀伊国名所図絵」には「神光を放ちしによりて。光ヶ峯と名づけし」と記されている。

ということで、グーグルのFlood Mapsで確認してみました。



神武天皇の時代ということで、海抜を+9mにしました。

新宮の熊野速玉大社は、神倉神社を元宮とするということで、あのゴトビキ岩に神が降臨したというのも納得です。

詳しくは→熊野三山の主神について で



熊野那智大社の烏石と、熊野夫須美神

2018-03-31 | 古代史のミステリー


本殿瑞垣の第四殿前のしだれざくら
今年はことのほか美しいと神職さんのご案内で言われてました。
後白河法皇お手植えとも伝えられ、室町時代の「那智山宮曼荼羅」にも描かれているそうです。
花弁が小さく上品な姿は上臈(女官)の雰囲気を醸し出していると。


那智原始林に入山する前に、那智大社で正式参拝でお祓い受けた後、神職さんが本殿瑞垣内に案内してくださいました。
ちょうど社殿の創建1700年で拝殿の屋根を修復中で、覆いがあるため写真撮影難しい。




烏石(からすいし)
神武天皇が熊野から大和へ入られたときに道案内した「八咫烏」が、その大任を終えて帰りここに姿を消し石と化したと伝わります。


話聞きながら、ふと下を見ると、ハート形白石が光ってた。



ご祭神の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)
「牟須美」は「結」とも書かれるようです。

今回が3度目の参拝となりますが、今まであまり深く認識することなくお参りしてました。






この度、語り部ガイドさん、神職さんの説明を受けてなるほど、と。
ハートの石まで呼びかけてきたし。

那智の滝は女性で、神倉神社のゴトビキ岩は男性で、
なるほど~
熊野速玉大神・熊野夫須美大神は、熊野版のイザナギ・イザナミということができると→熊野三山の主神について



ず~っと古代から、この地では
熊野速玉大神と熊野夫須美大神は、自分達を生み出した「親神」ということで崇められてきたのでしょう。