虻、虫の知らせをどう読み解くか、
その前に山上伽藍をもう少し詳しくご紹介しておきます。
立体曼荼羅というだけあって、仏像所狭しでした。
本堂正面の弥勒菩薩は脇侍に文殊さんと十一面観世音。
裏にまわると奥面に
元三大師、左右に不動明王、弁財天
三体が祀られ、それを挟むようにして、右側に弘法大師
右手に最澄
真言宗と天台宗が同じとこにおられます。
この向かいに、お布団かけて横になられた涅槃釈迦像。
(撮影失念、画像無し)
涅槃像背後に目に留まったのは
閉じられた厨子の左右に、狛犬如き獅子像の風変わりな面妖。
そしてお釈迦さんと観音さん。
戦国時代の焼討、江戸時代の山火事と施福寺も時代の変遷いろいろ。
昭和の戦争で焼けた大阪で、近隣あちこちの社寺から預かった仏像とかあるかもね。
宗派超えて由来記されてないものあるし。
大阪観光局サイトで、施福寺はこう説明されてます。
槇尾山施福寺(まきおさん せふくじ)は仏教公伝まもなく
欽明天皇勅願によって古代海上交通の要衝の地、
加古川の加古の行満によって開かれました。
本尊は前向に生きることを説く丈六の弥勒菩薩、
脇仏の智恵を説く文殊菩薩は行基造立、
左脇は行基の弟子法海が大津の浦に紫雲に乗って現れた慈悲を説く
十一面千手千眼観世音菩薩が札所本尊です。
航海の安全を祈願する処から人生航路の安全健康と
生がいを説く観音霊場となりました。
日本唯一の足の裏を見せている花山法皇足守の馬頭観音は、足腰を守ってくれます。
又、日本唯一の約立メーターの方違大観音は、人生をよき方向に導いてくれます。
おみくじの元祖厄除大師の元三大師、
槇尾七福神槇尾十二支、山上大堂はパワースポットです。
山号の槇尾山は以前は巻向山の神を祀っている山なので巻尾山と書きました
アレ〜
巻を納めるから槙尾というと思ってた。
役行者が葛城の峰々に法華経を納め、最後にこの山に納経したので巻の尾として山号の由来になった。
この伝承で今も西国33箇所巡礼終わった際に写経を納める人多く、
納経の寺として有名です。
現実に納経という行動に移す人、私も含め存在する以上、
伝承は伝承を超えて力を持つと思います。