秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

四国88箇所霊場第1番 霊山寺

2020-11-18 | 旅・中国&四国地方
四国遍路は一番札所が霊山寺です。
阿波国から88箇所巡りが始まります。

たまたまなのか、徳島の市外局番088 なんですね〜
どおりで観光パンフに神社はスルーでお寺ばっかり。



14:15 霊山寺着



大麻比古神社の長い参道歩くのに10分ほど、大鳥居が14:10。
さらに5分歩いて到着した。

帰りの汽車は、板東駅が14:49なので、この山門前に14:35タクシー依頼してた。

限られた時間は20分、超急いで


まず本堂お参りして、写真なし。
次に大師堂





天井の龍が素晴らしい、これだけ撮影可。

14:49無事帰りの電車乗れた



2003~4年、2年間かけて四国88か所廻りました。
オリエンテーリングみたいなもんで途中でやめれなくなった。
2003年(平成15年)4月、この霊山寺で御朱印帳買い求めた。
その時に甚平さんみたいな簡易白衣も購入。
道中着として使用し、朱印押してもらってたが、母が他界した折に棺に入れた。

4年前の閏年に、初詣代わりに88番からの逆打ちツアーに参加。
行きたいお寺あったからです。
2016-01-09

その時にまた甚平さんみたいな白衣買った。


今回の参詣で一番上に朱印賜った。
ちゃんと空けてくれてること少ないのにと言われた。











阿波国一之宮大麻比古神社

2020-11-18 | 旅・中国&四国地方


立派な千年の巨楠です。



巨木好きなもので。



11:30に徳島着いて、ホテルに荷物預け、まずは昼食。

徳島駅13:05発、電車ならぬ汽車乗って、板東駅13:27着(22分要した)


ココからタクシーで大麻比古神社へ








9月初めに、高校時代の女子バスケ部の皆と会食しました。
徳島で暮らす友人が居て、皆で徳島旅しようと話が出た。
企画詰めてくれて11/16-17でどうとメール来たのが10月下旬。
まだコロナ第三波急増なってなかった時だった。
3人が参加表明し徳島在住者と4人の旅が決まった。

神社好きを知ってくれてるので、大麻比古神社を行程最初に選んでくれてた。




本殿右手から裏へ回れます。




第二次世界大戦後、鳴門にドイツ兵収容所があったそう。
彼らが造った眼鏡橋、想像よりちっちゃかった。
第九を歌うのもこの地が発祥らしい。


山頂への道2km90分はとても無理なので遥拝済ませた。



友達2人は御朱印賜ったけど、私は空気感じただけで参拝終了。

帰りは長い参道歩いて




霊山寺へ向かいました。



大麻比古神社は「おおあさひこじんじゃ」
徳島県の人達は「おおあささん」とか「おおあさはん」と親しみをこめてお呼びしています。よく「たいまひこ」とか「おおまひこ」と読む人がいますが間違いです。

二柱の神さんががお祀りされています。
大麻比古大神
神武天皇の御代に、阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様 
麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開かれた。
その氏族は御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)を徳島市に忌部神社としてまつられ、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきた。

忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を、大麻比古大神と申し上げる。

猿田彦大神
天孫降臨の時その道案内の役をつとめられた神様
昔大麻比古神社の裏に聳えている大麻山(おおあさやま)の峯にお鎮まりになっていたが、いつの時代か大麻比古神社に合わせまつられたと伝わる。
大麻山(おおあさやま)は標高538m。
阿讃山脈の霊峯で頂上には大麻比古神社の奥宮峯神社がまつられ、土地の人々はこのお山を「弥山(みせん)さん」と言って崇拝している。
石段がつづく急な坂道と中腹から上はうっそうと茂る自然林に覆われ、人々の修行の場として、又登山家にはトレーニングの場として毎日多くの人々が参拝に訪れ、若い人なら1時間、初めての人なら約2時間。 

猿田彦の神様は、おまつりの時、神輿の先頭に立って天狗のお姿をして神輿の先導をされている神様で、人々や土地のまわりに立ち塞がり、災難や禍をもたらすものを祓い退けてくださる神様。 

延喜式の神名帳(905年) に記載されている神社3132座の中で
阿波国50座の内の大社として、大麻比古神社、忌部神社、天石門別八倉比賣神社の名が残っている。

大麻比古神社の参道(約800m)の入り口に建つ大鳥居は平成14年に鋼管製で再建されたもの。
両側の石燈篭は平成16年から17年にかけて氏子崇敬者の寄進によって建てられた。