旅の2日目、奥入瀬森のホテルから2時間用し五所川原市へ。
10:44斜陽館
明治40(1907)年、太宰治の父・津島源右衛門が建てた入母屋造家屋。
明治の大地主だったし、当時金木銀行や金木電燈株式会社を経営されてた。
営業中の金融店舗も兼ねて豪邸です。
階下11室、2階8室、蔵や庭園合わせた宅地680坪!
戦後、津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として全国からファンが訪れた。
平成8年旧金木町が買取り、10年記念館に、16年国の重要文化財に指定。
10:47 ガイドさんに説明受ける。
父の源右衛門さんは元貴族院議員の政治家でもありました。
明治42年この邸宅で、太宰治は六男の津島修治として誕生。
母が病身で、叔母のきゐが夜、昼は女中のタケが子守してたそう。
家を継ぐ長男ではないので日々の暮らしに身分差はあり、複雑系に育った。
土間から靴脱いで上に
板間もピッカピカ、お上でステッキ使えないから滑らぬように…
ガラス戸で守られた仏壇、めっちゃ金ピカ 座敷から見る庭園
和洋折衷で洋間も多く、建具も家具も重厚でお金かかってます。
先月訪問した池田市の小林一三記念館を思い出しました。
あおもり紀行パンフより、2階の洋間
蔵もいくつかあって、中の蔵は展示室に
小説『津軽」より
津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、
どこやら都会風にちょっと気取った町である。
善く言えば、底の浅い見栄坊の町ということになっているようである。
『苦悩の年鑑』より
この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。
太宰治が生前もっとも好んで口にしたといわれるヴェルレーヌの一節に
「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」
芦野公園登仙岬の太宰文学碑に刻まれているようです。
廊下に貼ってたポスター
「風は北へ吹く」
2016/3/26北海道新幹線開業
太宰家の菩提寺「雲祥寺」 「何事も成し遂げるまでは
いつも不可能に見える」
N.マンデラ