秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

丹波・柏原の「木の根橋」

2014-01-16 | おでかけ・近畿
すっごい木の根っこつながりで、お蔵入りせずやっと陽の目を見ることができました。



去年秋訪れて記事にできてなった丹波市柏原町の「木の根橋」です。

大阪にも柏原という地名がありますが、大阪は かしわら、
一方、兵庫県丹波市の柏原は かいばら と読みます。

 かしはら 「樫原」「橿原」「加志波良」
 かしわら 「樫原」「橿原」
 かいばら 「貝原」「皆原」「栢原」

漢字が先か、読みが先かわかりませんが、なんか理由あるのかな?



JR柏原駅は、なんと1990年の大阪花博覧会の山の駅が移築されてました。
なつかし~





兵庫県丹波市柏原は、織田信長の子孫が治めた織田家ゆかりの城下町。
今なお街並みにその名残が感じられます。






市役所柏原支所の横に立つ樹齢千年の大ケヤキは、県指定天然記念物。
高さ16.3m、枝の広がりは20m超えるそうです。
何よりも幅6mの奥村川をまたいで自然の橋をつくっているさまは見事。











木の根橋まえにある織田神社は、織田信勝が祭神です。
信勝の母が邸内に建てた霊廟が文政年間に現在地に遷されました。

信勝は8歳で柏原藩三代目藩主となるも、
1650(慶安3)年に28歳の若さで亡くなり嗣子が無かったのでお家断絶。
その後しばらく天領となる。

1695(元禄8)年、織田信長の次男・信雄の子孫が
大和宇陀藩の「宇陀騒動」で転封となり国を移され明治まで10代続いた。

前期柏原藩で3万6千石、後期柏原藩で2万石。
小大名ながらも国主並みの待遇をされた。

織田信長からの系譜で江戸期に大名として残ったのは、
信雄の四男信良(上野小幡藩⇒出羽高畠藩⇒天童藩)と
五男・高長(大和宇陀藩⇒丹波柏原藩)の2家のみ。


ちなみに、徳川三代将軍家光の春日局(かすがのつぼね)の生誕地は丹波市春日町黒井。

柏原の次が石生(いそう)で、その次が黒井です。
駅近くの興禅寺が春日局の出生の地として知られます。

春日局は、明智光秀の家臣・斉藤利三の娘お福です。
後に徳川3代将軍徳川家光の乳母となり大奥で権勢をふるいました。

織田家といい、お福といい、この地はなんかあるのかな…

4 コメント

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りひとさんへ (ulala)
2020-05-22 08:31:36
柏原へいったのは、石生の水分かれの分水界を見にいったついでです。
あの辺りは、丹波篠山からさらに但馬地方へ分岐、かつては明智光秀の領地です。
大阪の箕面や能勢から亀岡、篠山、繋がってます。
そのエリアに家老だったかの斉藤家が春日、黒井で、そこの娘が春日局に。
そして江戸時代になって織田が領地とするって、なんという巡り合わせなんでしょうね。
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Unknown (りひと)
2020-05-21 23:54:02
あれ?丹波市って岐阜かと思っちゃってました。春日局は岐阜じゃないんですね。兵庫かのかな?なんか謎が解けたかも?丹波さんが近江か岐阜と縁があったようだったんで完璧に間違えてインプットしてました。丹波と言えば黒っていうのもキーワードになりそうですね。
そもそも宇陀検索なのに何故か黒ばっかり。
黒さがしているのも別件であるので良しとします。
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Unknown (りひと)
2020-05-21 23:20:40
音はカイバラですね、了解です。
で春日局絡みですね、織田と宇陀も意外ですけど美濃との接点は古代からだろうから納得ですね。

黒も探索中ですけどここでも黒が付く井戸、びっくりですね。
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Unknown (りひと)
2020-05-21 23:16:47
音でカシハラと聞いたら一番すきなのは柏原ですね。
地図であると嬉しく思う字です。
場所としても水運と関係しそうですし、お水がいっぱいあっていい木が育つのもイメージしちゃう字ですね。

岐阜の地図も最近みるようになってますが、すぐ忘れちゃうんで記事に感謝です。何か今後繋がってくる事間違いなしです。
なんせ柏原ですからね。
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