APEC首脳夫人らが、洋服の上からコシノヒロコデザインの着物風ドレスを身にまとって記念撮影されたものです。
ガウンドレスには、帝人グループが開発した植物由来繊維バイオフロント(Biofront)と伝統的絹織物「丹後ちりめん」を融合させた新開発のエコ素材が使用されているそうです。
このデザインが好きかどうかは別にして、エコ素材というのがちょうど今の時流にあったものであることは間違いなさそう。
第18回 APECも無事終了しましたが、
参加した首脳らが開催国の民族衣装を着て行う恒例の写真撮影、今回は見送られましたね。
いちおう公式見解は、日本の着物はお金がかかるから経費節減ということで、普通のサラリーマンスーツ。
しかし中国に配慮して民族衣装の和服をやめたとの報道ありました。
賛否両論はあるでしょうが、今回のネタ趣旨は、松の舞台背景についてです。
APECレセプションで、中村勘三郎さん、勘太郎さん、七之助さん親子が連獅子を演じられたYOUTUBE
この歌舞伎舞台の背景の松の前で菅首相が話されているニュース画像、
探しても見つけられなかったので、ユーチューブをリンクしておきます。
この松の背景は、お能の舞台とセットで思い出されます。
*能楽入門より
能舞台には後ろに松の絵が描かれている羽目板があります。
一般の方は「松羽目」(まつばめ)とおっしゃいますがこれは歌舞伎の用語で、能では「鏡板」(かがみいた)と呼ばれます。
なぜ松を書くのか?
これには色々な説がありますが、もともと能舞台は野外の大きな木の下に作られていました。
昔から大木には神が宿ると信じられていて、舞台を守っていただくという考え方もありました。
しかし季節で葉が散ったり、毛虫が落ちてくるのでは演技ができませんし、一年中色の変わらない松の木が好んで使われていたようです。
特に江戸時代になってからは、徳川家の本姓が「松平」であったこと、
松と竹は他の植物を松ヤニや根っこで枯らして自分たちだけが群生するということ。
これらが封建時代の武士にとってもっとも理想的な姿であったために、松と竹はめでたい木として扱われ、鏡板と切戸の周りに描かれるようになったと言われています。
中には横浜能楽堂の鏡板のように梅が一緒に描かれている物もあります。
お能の演目の一つ「高砂」の一部部分が、結婚式祝言で謡われる♪高砂や~ です。
徳川幕府は、松平家→松の常盤→徳川の世の永続を願い、「高砂」の松を重用しました。
高砂の浦を出帆し住吉に着くまでのこの海上を行く場面が「高砂や~」で、これより前の部分「四海波」
正月の幕府の謡初めで「四海波静かにて」から謡始めたそうです。
♪四海波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ御代なれや
あひに相生の 松こそめでたかりけれ
げにや仰ぎても 言も愚やかゝる世に
住める民とて豊なる
君の恵ぞありがたき 君の恵ぞありがたき♪
それで庶民は遠慮して、待謡から始めたため「高砂や」が祝言の謡となったとも言われているそうです。
この高砂と住吉大社の関係は次回に続きます。
ガウンドレスには、帝人グループが開発した植物由来繊維バイオフロント(Biofront)と伝統的絹織物「丹後ちりめん」を融合させた新開発のエコ素材が使用されているそうです。
このデザインが好きかどうかは別にして、エコ素材というのがちょうど今の時流にあったものであることは間違いなさそう。
第18回 APECも無事終了しましたが、
参加した首脳らが開催国の民族衣装を着て行う恒例の写真撮影、今回は見送られましたね。
いちおう公式見解は、日本の着物はお金がかかるから経費節減ということで、普通のサラリーマンスーツ。
しかし中国に配慮して民族衣装の和服をやめたとの報道ありました。
賛否両論はあるでしょうが、今回のネタ趣旨は、松の舞台背景についてです。
APECレセプションで、中村勘三郎さん、勘太郎さん、七之助さん親子が連獅子を演じられたYOUTUBE
この歌舞伎舞台の背景の松の前で菅首相が話されているニュース画像、
探しても見つけられなかったので、ユーチューブをリンクしておきます。
この松の背景は、お能の舞台とセットで思い出されます。
*能楽入門より
能舞台には後ろに松の絵が描かれている羽目板があります。
一般の方は「松羽目」(まつばめ)とおっしゃいますがこれは歌舞伎の用語で、能では「鏡板」(かがみいた)と呼ばれます。
なぜ松を書くのか?
これには色々な説がありますが、もともと能舞台は野外の大きな木の下に作られていました。
昔から大木には神が宿ると信じられていて、舞台を守っていただくという考え方もありました。
しかし季節で葉が散ったり、毛虫が落ちてくるのでは演技ができませんし、一年中色の変わらない松の木が好んで使われていたようです。
特に江戸時代になってからは、徳川家の本姓が「松平」であったこと、
松と竹は他の植物を松ヤニや根っこで枯らして自分たちだけが群生するということ。
これらが封建時代の武士にとってもっとも理想的な姿であったために、松と竹はめでたい木として扱われ、鏡板と切戸の周りに描かれるようになったと言われています。
中には横浜能楽堂の鏡板のように梅が一緒に描かれている物もあります。
お能の演目の一つ「高砂」の一部部分が、結婚式祝言で謡われる♪高砂や~ です。
徳川幕府は、松平家→松の常盤→徳川の世の永続を願い、「高砂」の松を重用しました。
高砂の浦を出帆し住吉に着くまでのこの海上を行く場面が「高砂や~」で、これより前の部分「四海波」
正月の幕府の謡初めで「四海波静かにて」から謡始めたそうです。
♪四海波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ御代なれや
あひに相生の 松こそめでたかりけれ
げにや仰ぎても 言も愚やかゝる世に
住める民とて豊なる
君の恵ぞありがたき 君の恵ぞありがたき♪
それで庶民は遠慮して、待謡から始めたため「高砂や」が祝言の謡となったとも言われているそうです。
この高砂と住吉大社の関係は次回に続きます。
あと能の件ですけどかなり意味深い記述ありましたね。大きな木が必要だったんですね!ふふふ、探している大木シリーズに能舞台が関わってくるなんて思ってもいませんでした。松が確かによくみられますけど、梅でこだわる所もありなのですね。鏡と付くのもかなり気になりますね。あと日光では杉戸絵って言ってたような、絵を描いた戸がとても印象あります。ここはモチーフよりも材質でしょうか?結局日光杉ですよね。伊豆と同じ流れです。
そう昨日は日本橋で楠触ってきましたよ。薬祖の神社とみほつ姫いる近くに紛れてましたけど樹齢100年でした。昨日は8で薬師の日。
能の方に話戻しますけど、木を依り代として舞うんですね!古代蹴鞠を追って槻の木探してますけど舞系の民族が関わっている可能性は十分ありますね。飛鳥には、清水舞台のような作りの神社も見かけました。
個人的には、飛騨も含めて槻の木〜杉〜楠〜松〜と代わってきてるかも?と思っています。
そうそうならで鎌足の神社がある近くにお城の鬼門だかちょい北に植?槻神社なんて文字が地図にでてきましたよ。筑もどうも怪しいんですよね、関東も九州も。装飾古墳の赤い関係の方もその木の所には関係していそうです。
家康でいうと松平は個人的に関わりそうなんですけど、徳川ってのが世良田から来ているとかで一度群馬にも行ったんですよね。この前大きな木の神社(けやきだったかな?)に行ったら近くで命落とした名前の中にあったんですよ。松平と世良田もそろそろまた調べようかと、木との繋がりも。
そうそう紀平のが良さそうですよね。松よりも紀の方が根本に近そうに思いますので鳥取の松平さんの関係の神社も杉が神紋だったなあ。
道真さんは梅だけど育てタジヒさんは何の木が好きだったか?も気になりますね。6876