先月、兵庫県立考古学博物館へ行きましたが、朝9時に守口を出たのに渋滞のため2時間ほどかかりました。
そのため滞在時間が短くなり見学時間は賞味30分ほどしかなかった。
じっくり見れなくて、またチャンスがあれば行きたい施設でした。
通常展示なら入場料が大人200円と安いしね。
最初に県職員の学芸員さんが見所をかいつまんで説明してくださった。
その方が、バス駐車場から博物館建物まで案内してくださったとき、いろいろ話をしながら歩いてました。
瀬戸内海に流れる加古川と、日本海に流れる由良川。
丹波の氷上は日本一標高の低い分水界であることが、少し前から私の中で気になることだったので、そのことを話していました。
すると学芸員さんが言われるに、マンモスもこの分水界を歩いていたそうだ。
谷間などでマンモスの化石がたくさん見つかっているそうだ。
そしてその時代は、姶良(あいら)カルデラを造った時の火山灰がたくさん降り積もった後であるといわれてました。
日本列島近辺の地形をデフォルメした画像です。
地球が寒い氷河期には海水面が低くなり、大陸棚の浅いところは陸地となり地続きとなります。
このようなときに大陸からマンモスは歩いてやってきたのでしょう。
「あいら」を検索して姶良という漢字地名がわかりました。
あの鹿児島湾、桜島の上の丸いくぼんだ湾が姶良(あいら)カルデラでした。
阿蘇のカルデラもでかくて驚きでしたが、阿蘇は姶良よりも古いカルデラです。
資料により異なりますが、阿蘇の爆発は7~8万年前で、姶良は2.2~2.5万年ぐらい前の話のようです。
こんなに大きなカルデラを作るほどの火山爆発って、どんなに巨大だったのでしょう。
そしてそのときの噴火で、上空に吹き上がった火山灰が降り積もった地域は以下の地図で確認できます。
地層の検査で火山灰の層が発見され、その成分によりどの火山かがわかる。
そしてその層より、上か下かでどの時代かが判明するのだそうです。