秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

何か不思議な吉野水分神社

2012-04-15 | おでかけ・近畿
奥千本口より坂を下ること10分程度ぐらいで高城山(標高702m)
吉野山随一の展望台で金剛山脈や高見山などが見渡せるので上ってみました。
  
クリックで画像拡大します

さらに10分ほど下ります。



やっと吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)到着!
ここから上が桜の上千本ですが、桜はまだでした。






楼門内に豊臣秀頼寄進の湯釜が飾られてて(埃まみれで撮影しなかった)
その前に柾目をいかした木彫りのフクロウが。。。



社殿も豊臣秀頼が再建したもの。
一間社春日造りの左右に三間社流造りが並ぶ桃山時代の特徴を持つ美しい本殿です。





西の楼門から入り、南に本殿、北に懸造の拝殿、東に幣殿。
本殿と拝殿は向かい合って建ち、中庭のしだれ桜が満開ならさぞかし美しいことでしょう。

廻廊の中心が中庭のような形式で、日本の神社としては珍しい。
境内さほど広くなくて、コンパクトにすべてがきれいに納まっています。
時代の流れが止まったような不思議な空間でした。

吉野山の最奥部、奥千本あたりの山頂青根ヶ峰(標高858m)はいくつもの川を生み出す分水嶺です。
古くから水分(みくまり)の山と称され、
水を司る神の依りつく山として崇められ水分神社が祀られていました。
大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座したのが吉野水分神社です。

水の分配を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)が主祭神

右殿  天萬栲幡千幡姫命 玉依姫命 瓊々杵命
正殿  天之水分大神
左殿  高皇産霊神  少名彦神  御子神


平安時代中期ごろから、「みくまり」が「御子守(みこもり)」となまって、
俗に子守さんと呼ばれ子宝の神ともなりました。

豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれ、
そのお礼として秀頼が社殿などを再建されて今に残ります。

本居宣長の両親も、子守明神への祈願により宣長が授けられたといわれ、本人も何度かお参りされてます。

 吉野山花は見ぬとも水分の 神のみまへをおうがむがよさ


国宝:木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像
ご神体のため非公開ですが、日本第一の美女神像といわれています。

重要文化財:木造天万栲幡千幡姫命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)坐像

見てみたいですねぇ~

また行ってもう一度じっくりみたいと思った神社はそれほど多くない
けど、この吉野水分神社は、その一つです。


黄金鉱脈伝説がある金峯

2012-04-15 | おでかけ・近畿
竹林院を出てすぐのところで道が二股に分かれてます。
バス停があり、ここから奥千本口行きのバスが出ていました。



雨が降ってるし、もともといい天気でも奥千本は無理だろうと思ってた。
ところが
竹林院群芳園の庭園観光300円を節約したコインが手元に残っている。
バス案所の方が言われるのは、
バスで15分かかるが、のぼりを歩けば1時間以上、下りは40分ぐらいだとのこと。

話を聞いているうちにいつの間にかその気になり、このバス代400円になってしまった。


地図を見ると、歩く道は別でバスは町道88号線を走り奥千本口に着きました。

目の前に金峯神社の鳥居があり、ものすごく急な坂が!!


ちょうどハイヤーが列をなして坂を登っていきました。

数年前は→ 画像検索でもらってきました
桜の木が切られたのでしょうか?

わずか数百メートルでしょうが、息を切らしふうふういいながら坂を登りました。

  
金峯神社の右手に本格的な奥駈道が始まっています。
15分ほど歩けば西行庵に行けて、そこまでの谷間が奥千本らしい。

ハイヤーの運転者さんに聞くと、
「あんたらのような靴で行ったら滑ってあぶないし、
桜はまだ咲いてないし
西行庵は小さな祠みたいなもんでたいしたことない」


奥駈道の登山ポストはいかにも修験道って感じです。
すれ違う人達はほとんど山装備トレッキングウェアなのも納得。

引き返すことにしました。

大峯奥駈道の看板



午後2時5分、これより下ります。  
  … 続く



金峯神社(きんぷじんじゃ)
吉野山(858m)の頂上・青根ヶ峯から500mほど下ったところにあります。
金峯神社境内は、国の史跡「大峯奥駈道」の一部で、当社から上を奥千本と呼ぶ。
吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祭る

「金峯」は吉野から天川村へかけての峯々の総称。
地下に黄金の鉱脈があるという伝説があります。
古来地下に黄金の鉱脈があると信ぜられて、宇治拾遺物語その他にも、この山に登って黄金を得たという話があります。
これは仏教説話として、金峯山は黄金浄土であるという観念から生まれたものです。


琵琶湖ほとりの石山寺へお参りしたときの記事
石山寺の如意輪観音と比良明神

東大寺の大仏さんを造るにあたり、聖武天皇から頼まれた良弁僧正はこの吉野で金メッキに使う金をおあたえくださいと祈られた。
すると良弁僧正の見た吉野の金剛蔵王の夢告によれば、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に出現する56億7千万年の後、
この地を黄金で覆うために用いるためにあるから今は使えない。
近江国志賀郡湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地があるから、そこへ行って祈るがよい。

金峯山寺蔵王堂内でお坊さんにこのことをお尋ねすると、
「近くで水晶も産出しますし、水銀もでますし、金はこれらと同じ鉱脈で出ることが多いのでひょっとすると…」