秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

飛鳥をぶらぶら

2015-01-09 | おでかけ・近畿
飛鳥のゆるキャラは、「あすかひめ」「たいしくん」

大和三山ウォークツアーのお昼は飛鳥歴史公園でお弁当を広げました。
1:10-2:00まで50分もあったので、近くをぶらぶら。

国営飛鳥歴史公園館は、高松塚古墳の近くにあり、駐車場前に中尾山古墳




7世紀末から8世紀初頭築造の八角形墳。
葺石や大きな石材は庭石、建築用、道路石垣などの用材として売却破壊されたらしい。

最初の火葬を選んだのが持統天皇で、こちらも火葬骨を収められていた。
八角形墳ということからもほぼ文武天皇で一致しているようです。




このブログをはじめたのが2005年4月で、この10年の間に2回飛鳥を訪ねて記録残しています。
2006-02-11 ラジオウォーク

2007-05-03 飛鳥でサイクリング
2007-05-04 飛鳥は世界遺産になりえるか 

ぶらぶら逍遥してても、歴史に興味なければ、ただ行った、のどかだったというだけに終わってしまいます。
当時は世界遺産に登録できるの?という程度の関心しかなかったのでした。

今回、はじめて地図をしげしげと眺めた次第。
飛鳥歴史公園は、この地図の左下、飛鳥駅のすぐ近くです。


592年推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位し、
694年持統天皇が藤原宮へ遷都するまでの約100年間、
明日香の地域に各天皇が宮殿を置きました。

・推古天皇-豊浦宮(とゆらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)
・舒明天皇-飛鳥岡本宮
・皇極天皇-飛鳥板蓋宮・飛鳥河辺行宮
・斉明天皇-後飛鳥岡本宮・両槻宮
・天武天皇-飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)

天皇と宮についての詳しいサイトは→こちら

天香山神社の櫛眞知命と天之波波迦と埴土

2015-01-08 | 古代史のミステリー


天之波波迦(あまのははか)
天香山神社境内にある朱桜という古名で知られる「波々架の木」
古代の占い・太占に用いられたと言われています。
ハハカは油分が多くよく燃えるらしいです。

「 いばら科の木で朱桜(にはざくら) 別名うはみずざくら、こんごうざくら、かばざくら等
古事記によれば、この木の皮で香具山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです。
平成二年の大嘗祭関連の諸儀で「斉田点定の儀」の亀占に用いるため、波々迦を宮内庁の御下命により奉納致しました。奈良県橿原市南浦町 天香山神社」

天香具山から香具山神社のほうへ下山




天香山坐櫛真智命 神社
あまのかぐやまにいますくしまちのみこと神社
鎮座地 奈良県橿原市南浦町608
ご祭神 櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)

本来、櫛眞知命とするのが正しいと考えられているようで
元の名は大麻等乃知神で占いの神)卜事占兆をつかさどる神



櫛眞知命って聞きなれないお名前でした。
でも櫛とついた神様なら知ってます。
櫛は奇(クシ)なんでしょう、けど。

櫛玉命(くしたまのみこと)、大物主の別名です。

大神(おおみわ)神社の由緒に
「当神社の神体山三輪山に鎮まり坐す御祭神大物主大神は、世に大国主神(大国様)の御名で広く知られている国土開拓の神様であり、詳しくは倭大物主櫛魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)と申し上げます」


大和の大王であったニギハヤヒノミコトは、
『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記されます。
本名「天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命」の中の「櫛甕玉」より櫛玉命ともよばれます。




天香具山の天香山神社のご祭神は天香山神でいいのではとも思われました。

天香語山で調べていくと、天香山=天香語山命(あめのかぐやまのみこと)
を祀る主な神社は、越の国の 彌彦神社と魚沼神社など。

なんで同じ名前の天香具山で祀られてないのでしょうね。

ほつまつたゑ解読ガイドのサイトでは→カゴヤマ

カゴヤマはタカクラシタの父であるが、神社の祭神に天香語山とあるのは、おおかたは高倉下を指していると思われる。
『書紀』に一書として、天火明命の子で、尾張連らの遠祖とある。
『旧事』天香久山、天香語山、天香山、などと書かれる。 
母は天道日女で、物部氏の祖・宇摩志麻治は異母弟にあたる。異母妹・穂屋姫を妻として、天村雲を生んだとある。


籠神社の古伝にも
「天香語山命」は亦名 手栗彦命 亦名 高志神。彦火明彦命が天上にて生む神也。母天道姫命 亦名 祖母命也。



中大兄皇子が大和三山のことを詠んだ歌があります。
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 
神代より 斯くにあるらし 
古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき


香具山は 畝傍山をいとしいとして 耳成山と相争った。 
神代から こうであるに違いない。 
いにしえも そうだったからこそ 今の世の人も 妻を 取りあって争うらしい。


天香山 赤埴聖地(アカハニノセイチ)



神代から神武天皇の時代になり、やはり香具山はキーポイントです。

神武天皇が大和の国を平定するにあたり、夢に天神が現れ告げられた。
「 天の香具山の社の中の土を取って、天の平瓮(ひらか)八十枚を造り、あわせて厳瓮(いつへ)を造り天神地祇(あまつやしろ くにつやしろ)を敬い祭れ。
また厳呪詛(いつのかしりー潔斎して行う呪言)をせよ。
かくのごとくすれば、敵は自から降伏するだろう 」

天香久山の埴土は、ほとんどが赤土らしいですが、
一部白土が国見台あたりで産出し、適宜混ぜて使うのでしょうか。


画像左端あたりにその「白埴聖地」石碑が立っているらしいけど見落としました。



時間に限りのある団体ツアーウォーク、見落とした部分はまたそのうちに。

調べていて、以下サイトも興味深かったです。
少彦名命の正体を探る、天香久山を巡る空想の旅 

天の香具山はまた登ってみたい不思議なお山

2015-01-06 | おでかけ・近畿




大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 
海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は
舒明天皇の歌です(巻1-2)

その昔、天から降りてきた山ともいわれる大和で最も格式の高い神聖な山ですからゴミはお持ち帰りください、という立て札です。

山頂からは木々が覆い茂りあまり見晴るかすことはできません。
   
← クリックで拡大、以下同様、小さな画像はクリック拡大します



大和三山登頂の記事に、吉田さんがコメントに天香久山は特殊構造の山だと書いてくださってます。
もともとの山の性質が特殊で、天皇の国見と雨乞いの山で普段は禁足地だったと思われると。
私自身も、ど素人ながら何か感じる所が多々ありましたので、ちょっと詳しくレポートしたいと思います。



耳成山から藤原宮発掘地を通り上地図の右下から香具山登山。
奈良文化財研究所の左側になんか気になる場所でしたので歩きながら撮影しました。




家に帰ってから調べてみました。

畝尾都多本(うねおつたもと)神社
祭神は泣沢神、埴安の池の水神でその水源の地に祭られ、涙によって成ったという伝説を有す。
また今度見に行こう~




香具山は高さは知れてますが急坂が続きちょっとしんどい山でした。
生駒の暗がり峠みたいなれど、距離は短いので助かりました。

山頂には国常立神社 

「祭神は国常立命(天地開闢とともに現れた国土形成の神)。俗に雨の竜王と称され、境内社として高靇神(竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壷が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壷の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振して歩いたという」

2つの小さな祠のうちの右側は高靇神が祀られていて、
下前に井戸のような感じで壷が埋められていました。



かつてはここに天香山神社があったそうで、現在は北麓に移転しています。
登り道と違って、その天香山神社側へ下りました。

南麓に天岩戸神社があるも今回は行きませんでした。
天照大神を祀りますが社殿はなく、岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体としているそうです。



国土地理院の地図では「天香久山」と記載されます。
万葉集で「天」という美称がつけられた山は香具山だけ。

大和三山の中で最も神聖視され「天の」を冠するのは天から降り来た山と言われています。
天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)天山(あめやま)となり、1つが大和国天加具山になったと『伊予国風土記』逸文に記されているそうです。

続く

大和三山が見守ったわが国最初の都・藤原京

2015-01-05 | おでかけ・近畿
関西で生まれ育つと学校の遠足は奈良や京都へ出向くことが多い。
しかし当時はあまり興味もなかったので、行った!というだけ。
確か中1の秋の遠足で飛鳥を歩き、石舞台の上に乗った記憶があります。

やがて年を重ね歴史の知識も増えてくると、
藤原京ってどこにあったんだろう、
天の香具山に干した衣ってどんな風に見えたんだろう、
などなどフィールドワークしてみたくなりました。

ちょうどそれらの希望を満たしてくれるウォーキングツアーを昨秋見つけました。
毎年お参りする大神(おおみわ)神社に初詣してから、大和三山の全てに登るというコースです。
お弁当付いて5980円。
自分の車で行ったらもっと安いけど、3つの登山はどう考えても無理なので早速申し込みました。
いつものお連れはお正月松の内で皆出にくいため、初めてのドキドキひとり参加です。

朝7:20梅田集合。
観光バス1台、33名の参加でした。
西名阪の香芝で休憩後、天理で高速を降りて桜井市の大神神社へ。
まだ朝早いのにすでに駐車場満杯でエライ人出です。
1日2日が雪だったので初詣の人がこの4日に集中したらしいです。

自由参拝は一時間の余裕があり ちゃんと狭井神社のお水も賜ることができました。

参詣後またバスに乗車し耳成山のふもとの住宅地で下車。

10:40登山開始し降りてきたのは11:20
約3300歩ぐらい歩きました。

標高139mのお椀のようななだらかな小山をぐるっと周回するコースはなだらかで快適でした。


山頂でスタンプ押しました。
 ←クリックで拡大します
(新しいアウトドアデジカメからWiFiで画像取り込めるようになったもののサイズが小さくできなかったので)

三角点にデンして、少し降りた地点に耳無山山口神社。
下りは階段参道で降りたのであっという間。
登山口の鳥居右下の石柱に天神山と彫られてあり、天神社と呼ばれるみたい、です。




耳成山から住宅地などを約30分歩いて 藤原宮跡へ。


説明立て札の左側に木立が見え、その後ろに耳成山。


地図をお借りしたサイトは→こちら

振り返ると、最後に登る畝傍山が見えます。
 ←クリックで拡大します


そして発掘現場越しにこれから向かう天の香具山
 ←クリックで拡大します




藤原京は、中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城でした。
持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷したのは694年のこと。
新たな都の造営は、亡き夫・天武天皇を意志を受け継いだ中央集権国家の確立には欠かせない一代事業でした。その大きさは、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都です。
藤原京時代には大宝律令が制定され、貨幣も発行されました。初めて「日本」という国号を使用したのも藤原京を発した遣唐使でした。

橿原市のサイトより引用


大和三山登頂 V(^_^)V

2015-01-04 | 日々是好日


畝傍山の山頂から見た金剛山



反対側に奈良の街並みが見えました。

寒くなく暑くなく今日はウォーキング日和でした。
11月の終わりに申し込んでたので、去年暮れからのまさかの大雪には気を揉みました。

今年は春から縁起いいかも~

大和三山
耳成山 標高139m
香具山 152m
畝傍山 199m

大神神社着いた時にウォーカーを起動させました。
三つ登って 23387歩でした(^^)


ゼンゼン関係ないけど、昨日このブログにアクセスしていただいたIP数は 369 ミロク
やっぱりいい日やったんですね。

おせちをよばれられることに感謝して

2015-01-02 | 日々是好日








今年のお正月も妹んちの元旦パーティへ。
オーストラリアから姪Mちゃん一家も帰国してて総勢16名。

今年は敏腕編集長である姪Nちゃんの力作おせちが素晴らしかった。
広告費節約のTV界とじゃらんR社の思惑が重なっていろんな旅番組で見かけました。

親戚だからの身贔屓でなくて、ホンマ
べっぴんさんですよ~
おまけに料理はうまいし、ちびっこの扱い方も要領得てるし。



ノリノリの妖怪ウォッチダンスに目がテンなエソラと