秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

すだち露地物も終わる頃

2018-10-10 | 日々是好日


8月の終わり頃から露地物すだちがお安くなる。
料理に絞り果汁かけるだけでなく、飲み水にも絞って入れてます。

2年前にハワイ島行った時、レストランで出される水には必ずライム半分輪切りが添えてあった。
オシャレなだけでなく、ビタミンも摂取できてこれはいいと、あれ以来、すだちが出回る季節は真似てます。

250cc程度の小ジョッキにすだち一個絞るのが目安。
もともと柑橘類はどれも好きですが、すだちの清々しい香りと風味は心身ともに浄化してくれそうな気がしてました。

でも今秋は特に利尿作用がハンパない。
他に思い当たる食べ物や薬サプリメントの摂取はない。
すだち水に違いないと、すだちの利尿作用で調べたら、やっぱりクエン酸が利尿と浄血作用に効果あることがわかった。

ついでに知ったことには、すだちは大麻比古神社裏山の原木が発祥らしい。

さらに、すだち固有の成分として、スダチチン、デメトキシスダチチンという二種のフラボンが発見されてるようだ。
果汁だけでいつも捨ててた果皮に含まれるんだって。
どんな作用があるか試してみたくて、輪切り蜂蜜漬けを作ってみた。



明朝食べるの楽しみ(๑・̑◡・̑๑)



金木犀の咲く頃に、香りとともに思い出す

2018-10-08 | 四季折々・色とりどり
今日は秋晴れ、快適に自転車走らせてたら金木犀の香り。





小花ぎっしりで、空って大事だと気づいたので、引いて撮る。



やっぱり「半分、青い。」は含蓄深い。

向かいのお家の門脇に金木犀が植わってて、いつも今頃になるとこの匂いに秋を感じてた。
高齢のご夫婦が暮らされてたけど、もう随分前に2人とも他界され、その後親族だというおっちゃんが一人で暮らすうちに、樹木の手入れなく荒れていき、数年前に庭木全部撤去されてしまった。
そしていつの間にか無人となり荒れ果てて、どうされたかなと思ってた。
10月入ってからその家屋の取り壊しが始まる。
金木犀の香りとともに記憶してたお爺さんお婆さんが、いよいよそのお家から去っていかれる一抹の寂しさを感じてた。


一般的にある年齢以上の人にとって、
金木犀の咲く道、といえば、
君の瞳は一万ボルト🎶
鳶色の瞳の誘惑の翳り〜金木犀の咲く道を〜



そしてその香りはトイレの芳香剤だった。
高度成長時代頃から、悪臭放つトイレの臭い消しに強い香りの金木犀の芳香剤が世間を席巻してたから。
いつの間にか見かけないなと思いませんか。

なぜか調べました(^^)
ニオイが100あるとした場合、それに対し、110のようなより強い香りで打ち負かしてきた。
ところが消臭技術が発達して、100のニオイを20〜30まで抑えた上で、20〜30の香りをかぶせる方向に変わってきたから。
トイレのニオイをやっつける時代から、「香りを楽しめる」時代に変わってたのでした。

グングン育つアボカドとサツマイモの芽

2018-10-08 | アボカド観察記録

発根発芽して土に植えたアボカドは、茎がしっかりとして葉っぱも凛々しくなった。
サイズ比較のためデンマークカクタスと並べましたが、
その横の小さな鉢に植えた君子蘭はまだ変化なし。



先週ジャガイモとサツマイモから芽出てるの発見。
9月のいつ買ったか記憶ないけど、それほど置いてた記憶ないのに、芽が出るの早すぎる。

固くてイケてる部分を素揚げで食べた。
小学生だったころ、お誕生日に晩御飯何食べたいと聞かれて、サツマイモの天ぷらと答えたのを懐かしくおもいだす。

芽が出てる部分は水栽培開始。

並んだ瓶のアボカドは未だ発芽なし。


今朝のサツマイモは

野菜保存してた箱から日の当たる場所で芽はまっすぐ立つようになった。
ついでにニンジンの芽が出てるのもジャム瓶蓋に、とりあえず。
ぴったりの器が見つからなくて、
発芽しないアボカドを処分したら、空瓶出るので待つことにする。


キッチンにある身近な野菜からグリーン栽培の追報告は、当分続く予定です。



初めてのペタンク

2018-10-07 | 日々是好日


一番最初に、小さなボールのビュットを投げて、その的を目がけて、自分のチームの金属ボールを寄せていく競技です。



南フランスのラ・シオタという港町発祥のペタンク。
1910年からすでに100年過ぎて、
東京2020の次のパリでは競技になる可能性あるらしいです。







両足を揃えて、手甲を上に逆手で投げるのがルールらしいです。
今日は新スポーツに慣れ親しむための特別ローカルルールでした。




カーリングとちょっと似てますが、
的を先に投げて、それは近かったり遠かったり時によって動くのが面白いとこらしい。

うまい具合にせっかく的の近くに止まっても、後で投げたボールに当てられたり、的自体が動いたり。




的ビュットから金属ボールまでの距離をきちんと計測して勝敗が決まります。





守口市民スポーツ大会「ジョイスポーツもりぐち」に誘われて、イースト会から3チームがノミネート。
決勝に進めたのはイースト会Aだけで、うちらのチームは惜しくも一点差で予選リーグ2位で終了。

初体験だったので、カーリングを初めて見た時と同じで、面白さがイマイチ。
フランスではワイン飲みながらワイワイガヤガヤ楽しむらしい、
これはよくわかった。

台風25号も心配したけど、難なく過ぎて秋晴れだったし珍しい体験させてもらえてよかったです。

チャーミーが通過した守屋山東側

2018-10-05 | 古代史のミステリー
分杭峠というゼロ磁場で有名なスポットがあります。
ミーハーなもので、いつか行ってみたいと思っておりました。
中央構造線の真上にあり、その地溝帯は諏訪湖付近でフォッサマグナに分断されてるらしい。
たぶん実際に足を運んでも、何も見えないし何も感じないだろうとは思うけど、どんなとこか興味津々。







また茅野市は国宝「土偶」仮面の女神、縄文のビーナスがあるとこです。
いつか生で見たいものだと思ってます。


その茅野市と分杭峠との間にあるのが守屋山。
長野県諏訪市と伊那市との境、伊那山地の最北部にあります。



めねふねさんブログ「チャーミーと守屋山」によれば、
台風24号チャーミーが通ったのは、諏訪大社ではなく物部守屋の側だ。
諏訪大社上社のご神体山として知られるが、じつは諏訪大社の神域は北麓で、守屋山東峰には守屋神社奥宮の石祠がある。
里宮は登山口にある物部守屋神社である。
守屋山は、北側と東側では意味がちがう。



守屋山(もりやさん 標高1,651m)調べてみました。



守屋神社里宮は登山口のすぐ近くにあり、鳥居に「物部守屋神社」と書かれてるようです。
奥宮は、守屋山東峰にある石祠で、なんと鉄柵に囲まれていました。
なんでかなと気になって検索を重ねて、理由をやっと見つけた!


この画像頂戴した、以下ブログ
100山展望の守屋山
説明文も引用させていただきます。

諏訪市、茅野市と伊那市高遠町の境にあり、山頂から北に諏訪湖を見下ろすことができる。
山と諏訪湖の間には諏訪大社が祀られているが本殿がない。
大社の南に聳える守屋山そのものがご神体であり、昔から観天望気や雨乞い祈願の山としても崇められてきた。
雨乞いには東峰にある守屋神社奥宮の石祠を谷へ突き落とし、神の怒りをかって雨を降らせてもらうという乱暴な伝承もある。
現在は落とされないよう鉄の柵で守られている

危険個所もなく登り易く、展望にも優れた山として人気も高い信州百名山。


山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった山々が眺望できて
これ程まで展望のいい山はめったにない、と多くの方が書かれてます。
守屋山周辺の古い神社の末裔の人々は、自分達を古代ユダヤ人の末裔であるとも自称してるらしい。

これも気になって、物部守屋神社で検索したら、
社紋が「丸に三ツ柏」紋

実家と一緒でちょっとうれしくなった。

同じく守屋山を背後にもつも、違う方角の麓にある
洩矢神社の神紋は「丸に一つ柏」



諏訪大社上社の大祝は諏訪氏、神長官は「守矢」氏、No.3禰宜太夫は「守屋」氏。
もりやという漢字もいろいろ。
洩矢神社も もりやで、
洩矢神 モレヤ神、…諏訪の土着神だそうです。

諏訪大明神画詞という14世紀に書かれた諏訪大社の縁起では、
諏訪の地に建御名方神がやって来て、それまでここを統べていた洩矢神と争った。建御名方は藤の枝で、洩矢は鉄の輪で戦うも、藤の枝によって鉄輪が朽ちてしまい洩矢は敗れる。
洩矢神はこの地の祭神の地位を建御名方神に譲りその支配下に入ることに。それによって、諏訪大社のトップである「大祝(おおほうり)」は建御名方神の末裔である「神氏(諏訪氏)」が、二番目の地位にある「神長官(じんちょうかん)」は洩矢神の末裔の「守矢氏」がつとめることになった。


下社の大祝は金刺氏。
神紋は上下社ともに梶紋(諏訪梶・明神梶)
三本梶に太い根が大地に食い込んでいる独特なデザインで、
上社では足が四本、
下社は五本足



学生時代は、夏合宿やスキーで長期滞在した信州。
年を重ねてからも何度か長野県に観光訪れてますが、未だかっていちども諏訪大社をお参りしたことない。
なかなかご縁が結べないようです。

ちらっと読んだぐらいでは?な歴史の重層がありました。
歯が立たないので今はスルーすることにします。


そんなややこしいとこを台風チャーミーは通過してたのでした。

電波ソーラー時計が狂うのは

2018-10-04 | 日々是好日


昨夜20:59撮影の電波ソーラー時計。
数字の8が並びすぎて、28:88 とか
えらいことなってて(*⁰▿⁰*)


夕刻18時からの宴席出る前に、時計見ながら洗濯もの取り入れたりしてた。
宴終えて帰宅後、TVスイッチ入れた。
20:45分からの近畿地方のニュース見ようとしてて、もうすぐやなと認識したから記憶ある。

しばらくして時計のデジタル表記数字が変なのに気づいた。

強制受信ボタン押しても変化ない。
電源をOFFにして再びONに。
日付は1/1 時間は0:00にリセットできたので、電波受信して元に戻った。


今年3/5にも突然この電波ソーラー時計が変になって驚いた。
あの時は留守中にリセットなってしまったのか、1/1の11:00表記に
タイムスリップした電波ソーラー時計

狂うこと2回目、
時計の寿命が近づいてるのか、
それとも磁場が狂ってるのか?

とりあえず記録残しておきます。

チャーミーが上陸したみなべ、思い出した鹿島神社奉納花火

2018-10-03 | 世情雑感


9月30日(日)20時頃、和歌山県田辺市付近に上陸した台風24号チャーミー。
中部関東地方に暴風被害を残し、いまなお停電してる地域ありとのこと、お見舞い申し上げます。



関東地方を通過してたであろう最中、めねふねさんが風がうるさくてとコメントくださってます。
そしてみなべに上陸したと教えてくださった。

南部、今は「みなべ」とひらがな表記してるようです。
南部の南高梅の梅干しは昔から有名ですが、昭和の終わり頃その南部の国民宿舎近くに温泉付きマンションが建ち、知り合いからすすめられ5.6年借りてました。
賃料はおじいちゃんが払ってたので、いつからいつまでか正確にはわからないけど、うちの子たちが幼稚園時代、長女が小学校1、2年ぐらいまでかと。



Yahoo天気図で台風進路が表記される期間は、その進路図をYahoo地図で見ることができます。
左上の地図拡大縮小スケールは、右上のバージョンを変えるボタンをいじってると、時々拡大率上がることがあります。
そのタイミングでズームアップして、台風進路を見るのは実に興味深いものがあります。

あの9/30夕刻、室戸岬東側を通過して紀伊水道に入り、そのま北東に進めば、日高とか有田あたりに上陸かと思われた。
ところが急に台風24号チャーミーは進路調節して、上陸前の助走せんばかりに少し南寄りに進路変えたのです。
そして田辺市付近上陸となったのでした。


めねふねさんブログで、 チャーミーと守屋山 という記事に
>台風チャーミーがもし猿田彦台風なら、…
ただこの台風、「道案内」の意味はたしかにもってたと思う。
>チャーミーが上陸したのは、和歌山県田辺市の南部(みなべ)。
この南部って、南海トラフのことじゃなかろうね。


気になりますでしょ。
でつらつら思い出したところ、30年以上前の夏、みなべで滞在してた時に海岸で奉納花火大会がありました。
マンション3階のベランダからよく見えたのです。
花火一つづつ上げる前に、太鼓音に続いて「〇〇さんより奉納10万円」のように拡声器の声が聞こえて、ど~んと上がるのです。

たしか8月1日の夜でした。
世界に誇るPL花火大会を見て育ったものにとって、田舎のほのぼのとした奉納花火大会はピンとキリ。
しょぼいっちゃぁしょぼいんだけど、神様への奉納花火が村民の思いと相まって記憶に残るものでした。

当時は神社仏閣興味なかったので、その神社に参拝することもなかったし、神社の名前すら確認しなった。

そしてこの度、南部 神社で検索したら、鹿島神社がヒット。
なんとあの南部湾沿岸に立つマンションから目の前に見えた島、鹿島にあった神社が内地に移されてた。


由来を見てびっくり。
当神社の現境内は、明治初年までは南部湾の鹿島に鎮座する元本社の遙拝所としてこの所より常に遙拝したもので、本社の創始は年月不詳であるが、大宝元(707)年以後、太上天皇・文武天皇・持統天皇の紀伊国行幸の際、当地方をうたわれた13首の御製の中に当時、鹿島大明神として鎮座されていたことが明らかで、尚それ以前に創始されていたことは明瞭である。
百数十年の昔関西地方を襲った宝永・嘉永両度の大地震大津浪の際、鹿島のお蔭により南部郷一帯は被害僅少であったことから、鹿島明神の加護厚きことをもって報恩感謝の現れとして、5月3日の明神祭と8月1日の献火の花火祭が毎年益々盛大に挙行され賑わっている。
田辺藩主安藤家の武運の守護神として累代崇敬厚く、元和年間に藩祖直次公が三河の国より田辺に入城の際、海路旅に用いた軍船明神丸及び陸路の行列に用いた諸具の総てを当神社に奉納されて以来、10月第3日曜日の秋祭の渡御に使用し、特に奴行列は紀南でめずらしく見物客の賑わいを添えている。
(当神社宝物)安藤帯刀公の関ヶ原の戦いに着用の黄金造りの太刀と陣羽織が奉納されており、社宝としている。


伝説の神の島 鹿島によれば
江戸のむかし、八代将軍徳川吉宗が紀州藩氏の頃、日本最大級の地震「宝永の大地震」が日本列島を襲いました。続いて太平洋沿岸では引き潮がおこり、大津波で付近の村々は寛大な被害を蒙りました。当時の記録では鹿島から巨大な鬼火が現れ、島が大津波を二つに分け、みなべの郷を守ったことから翌年、神恩感謝の花火を村人が奉納し、毎年8月1日に盛大に行われる鹿島奉納花火祭へと引き継がれています。


みなべ観光協会の説明では
みなべの沖合に浮かぶ「鹿島」に鎮座する鹿島大明神は、奈良時代以前に常陸の国(茨城県)の鹿島神宮から勧請したと伝えられ、宝永と嘉永の大地震の津波からみなべの街を救ったといわれ、島全体が信仰の対象とさせてきました。

ぐるわかのサイト」では
「みなべ沖にある鹿島の南島にあった鹿島神社は明治42年に天照皇大神(おいせさん)、須佐之男命(ごりょうさん)と合祀され、現在の場所に移動しました。
万葉集の中で、大宝元年(701年)に持統上皇、文武天皇の一行が現在の白浜湯崎温泉に行幸を行われた折、13首の歌の中には鹿島大明神として鹿島に鎮座していたことが伝えられています。
毎年8月1日におこなわれる鹿島神社奉納花火祭は、その昔、鹿島から光の玉が現れ、大地震の津波災害から村を救ったことに感謝を捧げる為に宝永5年から始まったとされています。約1,200発の花火がみなべの夜空を彩ります。また10月第3日曜日には秋祭りも開催されます。」



チャーミーは、みなべ上陸後、龍神温泉の上を通過し奈良県へ。
各地のいろんな山々を通過してて、これがまた調べると面白い。



山上ヶ岳(標高1719m)を通過。
奈良県中央部、吉野郡天川村にある大峰山脈北部の主峰。
大峰信仰の根本道場の中心
歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった
対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という


高見山(標高 1248m)南麓を通過
奈良県吉野郡東吉野村と三重県松阪市(旧飯南郡飯高町)との境界にある山
山地の南麓は断層地形を呈し中央構造線が通る
山頂に高角神社
その構造谷を東へ櫛田川,西へ吉野川(紀ノ川)が流れる



能褒野(のぼの)
『日本書紀』では能褒野、ヤマトタケルを「日本武尊」
『古事記』では能煩野、「倭建命」
ヤマトタケルが東征の帰途、伊吹山の荒ぶる神との戦いに敗れ、傷を負って故郷大和国へ帰る途中この地で没したという
古事記、日本書紀のこの記述に基づき、明治時代1879年内務省はこの王塚と呼ばれる古墳 (史跡) を日本武尊の墓と指定し能褒野御陵と名づけた。
95年隣接して武尊をまつる能褒野神社も創設された。
鈴鹿市にある白鳥(しらとり)塚古墳(県史跡)も尊の御陵と伝えられる



本宮山(ほんぐうさん 標高293m)
愛知県犬山市南部に位置し、別名「尾張本宮山」
尾張富士(275m)と相対し、背比べをしたという故事に由来する石上(いしあげ)祭が有名
西側の山麓には大縣神社があり、山頂付近にはその奥宮


この後、長野県に入り、めねふねさんがもっとも気になってんのが「守屋山
>諏訪大社上社のご神体山として知られるが、じつは諏訪大社の神域は北麓で、守屋山東峰には守屋神社奥宮の石祠がある。
里宮は登山口にある物部守屋神社である。
守屋山は、北側と東側では意味がちがう。
台風24号チャーミーが通ったのは、諏訪大社ではなく物部守屋の側だ。



気になる~
長くなるのでここで切って、後半に続きます。

ドラえもんトラム★富山1日乗り放題きっぷ

2018-10-02 | 旅・関東&中部&北陸地方


新高岡に向かうバス車窓から最後に目に留まったトラム車両。
高岡市と射水を結ぶ万葉線を走るドラえもんトラム。
作者の藤子F不二雄氏は高岡出身にちなんだ路面電車車両、運行に出会えるかどうかは運次第。



新高岡駅でパンフレットもらいました。



いつか富山へ旅する時のために記録残しておきます。



観光案内所では富山県観光マップも


一度広げてから畳シワに沿って戻せない。
というのは畳み方がよそとは違うの。

一般的には縦にジャバラに折ってから最後に横二つ折りが多いですね。



富山のは縦三つ折りしてから、横に二つ折り、最終で縦に二つ折り。
これに気づいてやっと畳み直せた。

以前スペインポルトガルの旅で書きましたが、ホテルのタオルの畳み方が違うと。
この感性の違いは、ただ単に使い易さを追求する違いだとしても民族の遺伝子の差なんだろうか。

ハンカチの畳み方の話、どこに書いてたか、
やっと見つけれた!
2007/3/9 これで、バレました

富山湾のシロエビと新湊かまぼこ

2018-10-01 | 旅・関東&中部&北陸地方


富山の新湊日帰り旅の最終回です。
北陸新幹線の新高岡を17:20乗車前に、最後に寄ったのは新湊きっときと市場で1時間のフリータイム。



甘エビは1匹100円
白エビは一盛り500円に加工料として唐揚げが300円で、玉ねぎとのかき揚げが400円追加だったと思う。
どちらも美味しかった。


シロエビは富山湾独特の海底谷「藍瓶」に群泳する体長6㎝程度の小さなエビ。
水揚げ直後、透明感のある淡いピンク色をした姿から「富山湾の宝石」と称されるも、すぐに白く変色しはじめ浜に着くころにはシロエビとなるそうです。
むき身はそのままお刺身として味わえるようですが、夕方で時間経過してたので加工してもらいました。



お土産として買ったのは、新湊かまぼこ


昆布巻と朱赤小巻は、かつて富山から来た親戚が手土産としてよくくださった懐かしいものだったので探した。


今回は土産セットとして白エビすり身も入ってたけど、帰路のサンダーバード車中でビールのあてに。



ぐるぐる巻きが珍しいと思うし、ふつう鱈のみの蒲鉾が新湊のは甘鯛が入ってるらしい。



朝10時に着いて17時にはまた新高岡駅に戻り、7時間の間にずいぶん観光できたものだ。
せわしなかったけど、お天気に恵まれた観光日和で充実した日帰り旅だった。

8月には大垣、今回はさらに遠距離の富山まで。
朝早く出て列車利用したら結構遠くまで行けて日帰りできる。
泊まるとなるといろいろ大層になるから、また日帰り旅どっか行こうと思う。