SDLX SUPERSESSIONS!
ブロッツマン-近藤-豊住 + マニ・ノイマイヤー-八木
出演:
ペーター・ブロッツマン + 近藤等則 + 豊住芳三郎 TRIO
マニ・ノイマイヤー + 八木美知依 DUO
共に60年代の欧州前衛ジャズ・シーンを起点としながら、後に大きく異なる道を辿ることになった2人のドイツ人がスーパー・デラックスで遭遇!フリー・ジャズの巨匠として国際的な活躍を続けているペーター・ブロッツマンは「俺のベスト・パートナー」と評す近藤等則、そして日本フリー・ジャズ界の重鎮である豊住芳三郎と組んで登場する。とてつもなく巨大なエナジーを放出しそうなスーパー・トリオである。かつて伝説のジャーマン・サイケデリック・ロック・バンド、グルグルの核として活躍し、現在はジャンルを超えた即興家として知られるマニ・ノイマイヤーは、フリー・ジャズやプログレッシヴ・ロックの要素を取り入れた独自の《ポスト邦楽》を奏でるハイパー箏奏者、八木美知依と初共演。きっと異次元的グルーヴ・ミュージックを聴かせてくれるだろう。
マニ・ノイマイヤー同様にドイツ即興音楽界の重鎮ペーター・ブロッツマンも大の親日家として知られる。筆者が通い始めたのは2008年からだが、おそらく2000年代に入ってからほぼ毎年のように来日し、各地で日本の音楽家とセッションを繰り広げているのだろう。しかもいつも満員御礼。古参の筋金入りフリージャズ/即興ファンもいるが、意外に若い客層が多いことに気付かざるを得ない。ソニック・ユースやジム・オルークなどノイズロック/ポストロック人脈からリスペクトされているとはいえ、具体的なオルタナ/ポストロック/ノイズ等との共演やコラボは殆どない。ある意味フレキシブルなデレク・ベイリーやエヴァン・パーカーに比べ、相当ハードコアな即興戦士である。コア中のコアとも呼べる鉄人の来日公演に毎回新しいファンが訪れることに、即興音楽の底知れぬ魅惑の感染力と中毒性を思い知らされる。
開演前、知人にブロッツマンの昔話をしていて、初めて観たのが法政学館での近藤等則との共演だったことを思い出した。確かもう一人別のミュージシャンが共演した筈。ポール・ローフェンスかポール・ラザフォードだったか??失念してしまい気になったので、スマホで過去ブログを検索したところ、豊住芳三郎の名前を発見。何とこの日出演の三人のトリオだった。1982年5月1日(土)当時19歳の筆者は法政大学学生会館大ホールに於ける『今ゼロを越えてゆく』というイベントに参戦した。しかもテレコを持ち込んで録音した。思いがけず32年ぶりに同じトリオのライヴを観ることになるとは!想定外の事実にひとり興奮醒めやらず。
●マニ・ノイマイヤー + 八木美知依 DUO
(写真の撮影・掲載については主催者の許可を得ています。以下同)
60年代、マニ・ノイマイヤーはドイツ・フリージャズ界に身を置き、1967年発表のアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ名義のアルバム『グローブ・ユニティ』にブロッツマンと共に参加している。70年代にロックとフリーミュージックとそれぞれ別々の道を行くことになった二人の運命が再び交錯した。どちらかが歩み寄った訳ではなく、両者共に音楽人生の山場を迎えてより自由でより開放的な表現へ辿り着いたのである。ハイパー箏の第一人者八木美知依はブロッツマンとは何度も共演しており、今回の日本ツアーでは本田珠也をドラムに加えたトリオ公演もある。しかし、マニはこれまではロック系セッションが中心だったこともあり、八木とは初顔合わせ。確かにジャズ/即興の場面でマニの演奏を体験できるのは新鮮。八木の音響的な箏の音(ね)の隙間に、マニの細かい打撃音が突き刺さる。ロック・セッションでも印象的な抑揚豊かな有機ドラミングは、物音的な撥弦音と好対照だが、両者相俟って絶妙な異空間を形成する。正直言って八木の演奏がこれほど良く聴こえたことはなかった。両者ともに発見の多い初共演だった。
●ペーター・ブロッツマン + 近藤等則 + 豊住芳三郎 TRIO
ブロッツマン73歳、SABU(豊住)71歳、近藤66歳の平均年齢70歳トリオ。注意すべきは「高齢にもかかわらず」とか「老いを感じさせない」といった年齢を基準に鑑賞するべきではないということ。40年前も現在も、高度に鍛えられた技と研ぎ澄まされた感性と強靭な精神力で、演奏表現の高みに屹立する音楽家たちである。そのスタンスは年齢と無関係に彼らの存在の本質を形作っていることを忘れてはならない。
ブロッツマンがヘラクレスならではの豪快なブロウで吹き捲る。直ぐにSABUが硬い音質のパルスビートで追走する。二人は今回のツアーで数回デュオ演奏を行い、コンビネーションが最高潮にある。暫くデュオでストーリーを広げた頃に、近藤のエレクトリックトランペットが斬り込む。田原坂の戦いの西郷軍による抜刀斬り込み攻撃を思わせる切っ先鋭い音の刃は、「地球を吹く」で聴ける大地を包み込む雄大なサウンドとは別次元。70年代にトランペット一本持って単身海外に渡り道場破りのように現地の即興現場に斬り込んだ武闘派インプロヴァイザーの顔が表に浮き出る。巨体から銃撃するマシンガンタンギングと電気操作で歪み木霊するペット炸裂音が獣の咆哮のように反響し合い、野性のジャングルか砲弾飛び交う戦場へ紛れ込んだかのような錯覚に陥る。ひとしきりバトルが収まると、穏やかな対話に立ち帰るが、ほどなくして再び激しい議論の応酬へと発展する。「苦痛なくして、進歩なし(No Pain, No Gain)」ならぬ、「議論なくして、進化なし(No Discussion, No Evolution)」である。無益な意地の張り合いではなく、共に表現の新たな地平を目指しての熱意ある討論が繰り広げられる。文字通り三者三つ巴の創造の渦にSDLX全体が巻き込まれ、満場のオーディエンスは75分に及ぶ熱狂の中に眩い奇蹟の曙光を目撃することとなった。
終演後ブロッツマンと近藤に32年前にこのトリオを観たことを興奮気味に話したが、すっかり忘却の彼方の様子。録音したカセットを見つけたら送ると約束して、熱狂の六本木をあとにした。
勇者には
時代の断絶
有り得ない
近藤が長い竹竿で床を叩いたことだけ覚えていた32年前の三人の演奏は、前夜の六本木の熱い夜と寸分違わず一本の糸で繋がる激烈ハードコア即興だった。