A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

Albedo Fantastica(アルベド・ファンタスティカ)/.es(ドットエス)@大久保ひかりのうま 2016.5.20(fri)

2016年05月22日 03時20分21秒 | 素晴らしき変態音楽


Albedo Fantastica Presents
「さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」
古今和歌集・巻第三 〇一三九 詠み人知らず

出演
Albedo Fantastica (アルベド・ファンタスティカ:ヒグチケイコ piano,voice,vocals / Sachiko violin,voice,electronics)
.es (ドットエス:橋本孝之 & sara)
open 19:00 start 20:00/2000円+D



グンジョーガクレヨンの22年ぶりのニューアルバム『Gunjogacrayon』は日本の前衛ロック/地下音楽の最西端(なぜ西なのかは別の機会に)を提示する一方で、この不撓不屈の脱ロックバンドにとっては、37年目にして初の自己改革の挑戦でもあった。過去3作すべてバンド<グンジョーガクレヨン>のメンバーだけで築き上げてきたレコーディング作品に、史上初めて他者、即ち<異物>を混入する、自己崩壊の危険も辞さない決死の試み。その結果が吉と出たか凶と出たかは、あなた自身の耳で確認していただきたいが、<異物>として劇薬の役割を果たした猛者こそ、大阪の即興ユニット.es(ドットエス)のリード奏者橋本孝之その人であった。人間的には鎮静剤、しかし楽器を持つと覚醒剤へと豹変する"タカ君"こと橋本が本籍を置く.es(ドットエス)の1年ぶりの東京公演。筆者が観たのは2014年9月の四谷茶会記以来だから、20ヶ月ぶりとなる。主催は東京極端音楽を象徴する女性アーティスト二人のによる濃厚なデュオユニット。「女子3人」対「橋本男子一人きり」の構図も興味深い。ひかりのうまは顔見知りの地下音楽家の姿も多く立ち見も出る盛況ぶり。
【DISC REVIEW】"脱ロック37年"グンジョーガクレヨンの新作『Gunjogacrayon』
『音ほぐし』ジョセフ・ハマー/.es(ドットエス)/Reizen(冷泉)@喫茶茶会記 2014.9.27(sat)

●Albedo Fantastica


ソロパフォーマーとして即興音楽シーンで異彩を放つヒグチケイコと、90年代から光束夜やOVERHANG PARTYのベーシストとして活躍し、現在ソロで活動するSachikoによる新生ユニット。どちらもヴォイスパフォーマーとして定評あるが、表現形態は大きく異なる。ヒグチの奔放なピアノプレイに絡み付く生歌唱と、エレクトロニクスによりパルス変換されたSachikoの声。「ヴォイス」×「ヴォイス」×「生ピアノ」×「玩具&ヴィオラ」。連歌を詠むように二人の表現が重なりながら対立し自己主張する色彩感に溢れた遊びの時に幻惑された。

●.es


壁面に投影された現代美術作家・稲垣元則の映像「OBESAS 2014」×saraの「生ピアノ」×橋本の「アルト&改造尺八&ハーモニカ」の三つ巴パフォーマンス。一転してモノクロームに統一された空間は、映像の反射光で顔も判別できないsaraのシルエットと、照明に浮かび上がる橋本の細身のボディと、スクリーンに映る橋本の影法師の三つの貌(かたち)が互いに滲み合う一方で、サックスの甲高い軋声を包み込むピアノの海の生温さに聴き手の意識が滲み出し、その間も絶えずにフィルムの中の生物(静物)が滲み続けるという、「三竦み(さんすくみ)」ならぬ「三滲み(さんにじみ)」状態は、自己の存在を不安に陥れるどころか、逆に観るもの聴くものすべてが曖昧の海に呑み込まれた世界で、それを見つめ耳を澄ます自分の存在の確かさを再確認する至福に似た体験であった。

曖昧は
貌(かたち)が無くなる
訳ではない

.es(ドットエス)& 稲垣元則コラボCD
『曖昧の海 / Ambiguity Sea』
レギュラーエディション    &    スペシャルエディション
 

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