1976年中学2年でロックを聴き始めたときこそキッス、エアロスミスなど『ミュージック・ライフ』や『音楽専科』の表紙を飾るバンドを聴いていたが、77年にパンクにハマるとセックス・ピストルズやクラッシュと言った有名バンドも好きだったが、もっとマニアックなバンドに惹かれるようになった。例えばリチャード・ヘル&ヴォイドイズ、ハートブレイカーズ(ジョニー・サンダース)、ミンク・デヴィルといったニューヨーク・パンク勢、ラジエーターズ・フロム・スペース、レジロス、アドヴァ―ツと言ったロンドン・パンク第二世代のバンドである。そんなバンドの中でも筆者が特に強い思い入れがあるがのグロリア・マンディ Gloria Mundiである。
GLORIA MUNDI fight back !
高校時代(79~81年)にやっていたバンドのヴォーカルが医者の息子で、パンクの日本盤LPが出ると買っては貸してくれた。時々彼がよくなかったよ、と言いいながら貸してくれたレコードもあった。テレヴィジョンやリチャード・ヘルなどNYパンクがダメだったようだが、特に「これはひどい、最悪」と言ったのがグロリア・マンディの『反逆の狼火 I, Individual』だった。テレヴィジョンやR.ヘルなど彼が嫌いなレコードは、逆に筆者のお気に入りになる場合が多かったが、グロリア・マンディは一回聴いただけで生涯のフェイバリット・アルバムになるほどの衝撃を受けた。40年近く経った今でも聴くと鳥肌が立つようなスリルを感じる。当時パンク雑誌『ZOO』に見開きで記事が出ていたし、日本盤の解説はZOO関連ライター3名連記。ZOOライターの友人が英国滞在時にヴォーカルのエディ・マイラヴに英語を習っていたという縁で、日本で大きく(と言ってもZOOだけかも)展開されたのだろう。
●Gloria Mundi / I, Individual(反逆の狼火) (RCA Victor – PL 25157 / 1978)
パンキッシュでありながらもドラマチックな陰影に満ちたサウンドが、エディとキーボードのサンシャインの男女ヴォーカルが綴る私小説を映像化している。映画的な手法ではあるが、芝居がかったメロドラマではなく、モノクロームのフィルム・ノワール。エディの生徒だった件の友人により歌詞が本人の意図通りに翻訳されているので、日本語対訳を読みながら聴くとイメージが膨らむ。日本盤の解説では三者三様にデヴィッド・ボウイの影響を強調している。アルバムの裏ジャケはボウイの『ステーション・トゥ・ステーション』の裏ジャケのパクリだし、白塗りメイクで歌うエディや中性的なサンシャインのルックスは、グラム時代のボウイに似ている。おそらく本国イギリスでもボウイを引き合いにして評価されたのだろう。
実は筆者はデヴィッド・ボウイの意図する世界観やイメージは嫌いじゃないが、ボウイ本人の音楽にはどうしても興味が持てない。あまりに高く評価されているので今更、という気持ちがないわけではないが、最大の問題は声や歌い方が好きじゃないことだと思う。なんか軽く感じるのだ。近い存在ではルー・リードやロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーの歌は好きなのだが。。。これは生理的なものと言うしかない。だから、グロリア・マンディがボウイの影響を受けているかどうかは、筆者にとってはどうでもいい。グロリア・マンディの音楽は彼ら自身の音楽でしかない。アルバム・タイトル・ナンバー「I, Individual」では、”I, Individual, I, It was me(俺、俺自身の俺、それは俺なんだ)”と繰り返される。自分が自分であることを証明することが彼らのロックだった。自分自身の世界の栄光(Gloria Mundi)を手に入れるために。
Gloria Mundi / I, Individual
●Gloria Mundi / The Word Is Out (RCA Victor – PL 25244 / 1979)
1stアルバムはイギリスでセールス的に苦戦したようだが、日本でも売れなかったに違いない。1年後にリリースされた2ndアルバムは日本盤は出なかった。当時輸入盤店でジャケットを見た記憶はあるが、指紋が顔になったグロテスクな1stのジャケットに比べて、電話ボックスの中年男性の写真のジャケットは意味ありげだがありがちな感じがして手が伸びなかった。実際に聴いたのは5年後の84年である。ジャケに感じた不安が的中、70年代末のニューウェイヴ然とした凡庸なサウンドに正直言って失望した。歌詞をよく読むと、存在の不安、人格分裂、自殺、自己欺瞞、虚言癖と言った社会心理的テーマを歌っているのだが、曲調が明るく軽すぎて浮ついて聴こえてしまう。プロデューサーはロキシー・ミュージックやジャパン、そしてドクターズ・オブ・マッドネスなどを手掛けたジョン・パンターなので、聴き直してみると、他のニューウェイヴやゴシックパンクに比べてパラノイア性のあるサウンドで決して悪くないが、大傑作の1stと並べると平凡と言わざるを得ない。とはいえ歌詞の解読を含め深層分析に値する作品といえよう。
Gloria Mundi / The Word Is Out
●Gloria Mundi
Eddie Maelov - vocals
Sunshine Patteson - keyboards, vocals
Beethoven - guitar
c.c. - sax
Mike Nichols - drums
Ice - bass
(after 1st album:)
Nigel Ross-Scott - bass
Kirby - guitar
名前の由来はラテン語で「世界の栄光」という意味。これは "Sic transit gloria mundi (世界の栄光はこうして過ぎ去っていく)"というラテン語の言い回しにちなむ。
75年にエディ・マイラヴとサンシャインを中心に結成。それ以前にエディはUltravoxの前進バンド、Tiger Lilyをバックにパントマイムを演じていたという。ギターのベートーヴェン(本名 Peter Vos)は75年にセックス・ピストルズの2人目のギタリストのオーディションを受けた(そして落ちた)経験の持ち主。ドラムのマイク・ニコルス、サックスのc.c.、ベースのアイス(本名 Roland Oxland)で初期ロンドン・パンク・シーンで活動し、77年にRCAと契約(デヴィッド・ボウイの所属レーベル)。78年にシングル『Fight Back / Do It』とアルバム『I, Individual』をリリース。79年ギターがカーヴィ、ベースがナイジェル・ロス=スコットにメンバーチェンジし、2ndアルバム『The Word Is Out』をリリースするが、同年解散。
解散後、エディとサンシャインはシンセポップデュオ、Eddie and Sunshineとして活動し、アルバム『Perfect World』(83) と数枚のシングルをリリース。サンシャインは後年Sunshine Gary名義でサウンド・インスタレーション作家として活動した。サックスのc.c.はUltravoxの「Hiroshima Mon Amour」にサックス・ソロで参加。ドラムのナイジェル・ロス=スコットはBruce Woolley and The Camera Clubを経て、Re-Flexのメンバーとして成功を収める。
グロリア・マンディのステージ・パフォーマンスは、独創的なビジュアルイメージと、孤独、個性、セクシュアリティ、意味、攻撃性をテーマにしたストーリーの両面で革命的だった。ゴシック・パンクの先駆者としてバウハウスに影響を与えたと言われている。
グロリア・マンディのアルバムはCD再発されていない。動画も一切公開されておらず、革命的とされるライヴ・パフォーマンスを観ることもできない。ポストパンクの再評価が何度も行われている中で、忘れられているとは思えないので、再発を拒む何らかの理由があるのかもしれない。権利関係はいかんともし難いが、このまま忘却の彼方に消え去るには惜しいバンドである。未発表曲でもライヴ演奏でも何でもいいので、彼らが残した爪痕を拝みたいという飽くなき希求心が、数年に一度私を悩ませる”グロリア・マンディ禁断症状”なのである。
栄光は
世界の闇に
消えるのみ