信州上田に「無言館」という美術館がある。私はまだ行ったことがない。
そこは、戦没画学生の絵が展示されているところだ。美術を志し、しかし戦争によりそれが中断させられ、戦地で命を落としていった画学生。
戦地に行く前に、彼らは必死で絵を描いた。その絵は、まだまだ完成していないかもしれないが、絵を描きたいから必死に描いた。戦場から、かれらは帰ってこなかった。
遺族たちは、その絵を遺品として遺していた。画家の野見山と信濃デッサン館館長の窪島が、それらを収集し、無言館に集めた。
その経緯を、野見山と窪島が語り合った。対談だから、読みやすいし、そのなかにいろいろ含蓄のある話がちりばめられている。
その一つ。最近、画家を目指す若者から「何を描いたら売れますか」などと問われるそうだが、画学生が描いた絵には、そういうアホな気はまったくなく、描きたいという「絵を描く原初の魂」があるという。「絵が描けて嬉しい、描きたい」という「原初の魂」があるというのだ。これは野見山の絵と通ずるところがある。
そしてもう一つ、絵を描く時、対象としての人物や自然でも、とにかく絵を描いている時には、描く対象を愛しているのだ、という指摘。
そして野見山の後書き。
「生物はすべて戦って生きている。人間は他の生き物とは違う崇高な理想を掲げながら、もっと醜い殺戮を繰り返す。その道具ばかりが、協力に開発されていく。永劫に動かない無言館の死者の眼差しが、他愛なく時代に押し流されていく僕たちを、じっと見つめている」
近日中に、訪問するつもりだ。
そこは、戦没画学生の絵が展示されているところだ。美術を志し、しかし戦争によりそれが中断させられ、戦地で命を落としていった画学生。
戦地に行く前に、彼らは必死で絵を描いた。その絵は、まだまだ完成していないかもしれないが、絵を描きたいから必死に描いた。戦場から、かれらは帰ってこなかった。
遺族たちは、その絵を遺品として遺していた。画家の野見山と信濃デッサン館館長の窪島が、それらを収集し、無言館に集めた。
その経緯を、野見山と窪島が語り合った。対談だから、読みやすいし、そのなかにいろいろ含蓄のある話がちりばめられている。
その一つ。最近、画家を目指す若者から「何を描いたら売れますか」などと問われるそうだが、画学生が描いた絵には、そういうアホな気はまったくなく、描きたいという「絵を描く原初の魂」があるという。「絵が描けて嬉しい、描きたい」という「原初の魂」があるというのだ。これは野見山の絵と通ずるところがある。
そしてもう一つ、絵を描く時、対象としての人物や自然でも、とにかく絵を描いている時には、描く対象を愛しているのだ、という指摘。
そして野見山の後書き。
「生物はすべて戦って生きている。人間は他の生き物とは違う崇高な理想を掲げながら、もっと醜い殺戮を繰り返す。その道具ばかりが、協力に開発されていく。永劫に動かない無言館の死者の眼差しが、他愛なく時代に押し流されていく僕たちを、じっと見つめている」
近日中に、訪問するつもりだ。