浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

MY HOUSE

2012-08-10 20:59:54 | 日記
 対照的な世界では、ことばはあまりいらない。

 今日、シネマイーラに映画を見に行った。「MY HOUSE」という映画だ。

 名古屋を舞台にした映画。ホームレスは公園に家を建てる。そして男はほぼ一日中自転車に乗り空き缶などを集める。その生活には、ことばはほとんどいらない。空き缶などを「いただく」ために、誰に対しても、姿勢を低くする。自由ではあるが、生きていくためには、廃品を集め続けなければならない。寡黙が続く。
 
 それとはまったく対照的な一家。母親は「清潔」を維持するため、病的なまでに一日中掃除や洗濯をしている。母親はほとんどしゃべらない。子どもは勉強に励み、遅くまで塾に通う。そのような日常生活の世界にもことばはいらない。日常生活のパターンは、毎日ほとんど変わらない。

 この二つの世界が交錯することがあった。子どもによるホームレスへの襲撃である。ことばはなく、そこには暴力しかなかった。

 全体を通して、ことばはほとんどなかった。ことばがないということは、異なった世界間の交流がないということだ。

 見終わって、車で街中を走った。今日は街中にたくさんの人がいた。浜松の中心部にこんなに多くの人が歩いているのは珍しい。明日からの夏休みを前にして、酒を飲みに来た人々なのだろう。この人たちをみて、彼らはどちらの世界の人間なのだろうと思った。翻って、ボクはどちらの世界に近いのか。おそらく「清潔」なあの一家に近いのだろう。

 異なった日常を生きる人々が、あまりに近くに生きているのに、交錯しない。

 「清潔」は、差別を生み出す。「清潔」な日常生活の中からはき出されるゴミ、そのゴミを拾い集めるホームレスは、ホームレスを襲った子どもには「ゴミ」に見えたに違いない。

 異なった生活世界が並立する日本。政治は、その並立をなくそうとするつもりはない。もっと激化させようとしている。

 全編、モノクロの映画であった。




 
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主権者

2012-08-10 11:14:23 | 日記
 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』(現代書館)が先ほど届いた。著者は、日隅一雄さん。弁護士である。といっても、弁護士と言うより、最近はジャーナリストと言った方がよいのかもしれない。

 この日隅さんとは面識はない、しかし私にはとても近しい存在でもあった。日隅さんが編集長を務めるNPJというニュースサイトの立ち上げの頃、なぜか私のところにも案内が来た。それ以降、NPJから多くの貴重な情報を得ることができた。今も毎日何度もそこにアクセスする。

 http://www.news-pj.net/

 日隅さんは、福島原発事故後、東電や保安院の記者会見に出席し、隠蔽体質をさらけだし責任回避を狙うかれらに厳しい質問を繰り返し、マスメディアの凡庸な記者たちの妨害をはねのけて、彼らの犯罪的な姿勢を暴いた。私は、日隅さんの一挙一動に喝采をしていた。

 そのなかで刊行されたのが、『検証 福島原発事故・記者会見ー東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店)である。

 しかし、残念ながら日隅さんは、末期胆嚢癌を指摘され余命半年という診断を下された。しかし日隅さんは、癌の治療を続けながら、また激痛に耐えながら、記者会見に通い、講演活動を続け、また原稿を書き、獅子奮迅の働きを続けた。私は、その動きをNPJで追い続けた。

 だが、今年6月12日、ついに還らぬ人となった。49歳だった。惜しい、まことに惜しい人だった。

 本書は、日隅さんの絶筆である。日隅さんは、国民に「本当の主権者」になることを訴えて亡くなった。

 有益な情報を得るために、日隅さんにはお世話になった。会ったこともない人ではあるが、しかし近親者が亡くなったような寂しさを覚える。

 そういえば、尊敬する無教会派のクリスチャンであり平和運動家であった故溝口正氏も、よく「主権者」ということばを口にしていた。

 国民が、本当に「主権者」となるために、何をしたらよいか。とりあえず、日隅さんの絶筆に接していただきたい。

 私も、今から読み始めよう。日隅さんは、何を私たちに引き継がせようとしたのか、それを知ること、そして動くこと、それが私たちの責任である。
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忍従を断ち切る

2012-08-10 07:32:11 | 日記
 民主党と自民党、そして公明党が野合して、消費税を10%にする。「税と社会保障の一体改革」という名目で、社会保障につかうと言っているが、それは嘘だ。未だ明確になっていない社会保障改革の一端が明らかになっているが、その内容は社会保障の一層の後退策が目白押しだ。

 おそらく今度も国民はだまされるだろう。消費税の増税による財政収入は、おそらく財界と官僚と政治家を潤す「公共事業」に投入される。

 衆議院で増税法案が通過した時、即座に整備新幹線の建設が決定した。そして自民党は「国土強靭化法」なるものを提案し、莫大な金額の公共事業を行おうとしている。

 日本国民はとてもお人好しなので、官僚や財界、政治家などは、国民はだませるものだという確信をもっているのだろう。

 現在の民主党政権は、福島原発事故の処理に見られるように、福島県などの住民に忍従を強いて、抜本的な対策をとるつもりはない。沖縄の基地問題でもそうだ。

 国民に忍従を強いる民主党政権。それは自民党も公明党も同じだ。今度は消費税でさらに忍従を強いるつもりだ。

 良い本が出た。会計学の学者、東大名誉教授の醍醐聡氏による『消費増税の大罪』(柏書房)、1800円である。このまま10%増税案が成立してしまうかもしれないが、それでもこの増税の「大罪」ぶりをしっかりと認識しておく必要がある。

 日本国民が忍従から脱する時が、いずれは来るだろう。すでに反原発の運動では、生活を破壊された福島県民や、これ以上の放射能被ばくを許さないという決意をもった人々が、忍従の鎖を断ち切ろうとしている。

 この動きは、止められないし、また止めてはならない。忍従を強いる者どもへの反撃の準備をしなければならない。
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