浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「共謀罪」は、テロ対策ではない

2017-03-19 09:40:29 | その他
 今日の『東京新聞』記事。


政府の「治安対策戦略」 テロ対策計画 「共謀罪」触れず


2017年3月19日 06時59分

 政府はテロ対策として「共謀罪」法案が不可欠とするが、これまで策定してきた治安対策に関する行動計画では、テロ対策として「共謀罪」創設が必要との記述がないことが分かった。「共謀罪」はテロ対策とは別の組織犯罪対策でしか触れられていない。政府の行動計画を詳細にチェックすると、「共謀罪」法案がテロ対策とする政府の説明は根拠が弱いことが分かる。(木谷孝洋、村上一樹)

 政府は「共謀罪」について国際組織犯罪を取り締まるために必要と指摘してきたが、二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの招致が決まったあとは、テロ対策に必要と指摘。「共謀罪」の呼称を「テロ等準備罪」に変更した。

 だが、五輪開催決定を受けて一三年十二月に閣議決定した政府の治安対策に関する行動計画「『世界一安全な日本』創造戦略」では、東京五輪を見据えたテロ対策を取り上げた章に「共謀罪」創設の必要性を明確に記した文言はない。

 この戦略で「共謀罪」は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約締結のための法整備」として、国際組織犯罪対策を取り上げた別の章に記されている。例えばマネーロンダリング(資金洗浄)は組織犯罪対策とテロ対策の二つの章に記述があるが、「共謀罪」を示す法整備が登場するのは組織犯罪対策の章だけだ。

 国連では、国際組織犯罪とテロは理論上は区別されている。

 政府は治安対策に関する行動計画を〇三年に策定、〇八年、一三年に改定した。〇三年と〇八年でも「共謀罪」は組織犯罪対策の章で「共謀罪新設の整備を行う」などと記載し、テロ対策の章には出てこない。

 政府は〇五年までに三回提出し廃案となった「共謀罪」と、今国会に提出する予定の「共謀罪」法案は違うと指摘。与党や国会への説明では、国際組織犯罪の取り締まりからテロ対策に強調する点を変更した。それなのに行動計画を見る限り、一貫して国際組織犯罪対策として記述されている。

 日本弁護士連合会共謀罪法案対策本部事務局長の山下幸夫弁護士は「共謀罪をテロ対策と主張する根拠がないことが、これで明らかになった。テロ対策を前面に打ち出したのは今回が初めてで、世論を意識した後付けの目的にすぎない」と指摘している。

 外務省は条約がテロ防止に有効とする国連決議があることから、「『条約締結に必要な法整備』がテロ対策の性格を帯びていることは明らか」と指摘。法務省も「組織犯罪対策にはテロ対策の意味も含まれる」と説明する。

(東京新聞)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一度デザイン

2017-03-19 09:09:47 | その他
 『アイデア』という雑誌に、「ストリートの思想とデザイン」という特集があることを、先日紹介した。SEALDsの国会前集会やデモは、カラフルで街ゆく人々の耳目を集めていた。しかしそれは偶然ではなく、意図的なものであった。

 その意図とは、

「テレビCMや日常的に見る広告のデザインはすんなり受け入れられてるのに、運動のデザインということになると途端に拒絶されてしまう。そのギャップはデザインの力で埋めていけるものだし、社会の流行にうまく乗せていくことでイメージを普及させていきたい。」

「デモをやっていると,年配の参加者の方々が、メディアは自分たちの活動を映してくれないと不満をもらしているのを耳にします。もちろんいろいろな事情はあると思いますけど、その人たちの伝えかたや見せかたにも問題があったりして。そこを整理して、きちんと人に伝わるようなデザインにしていれば、メディアだってきちんと注目してくれる。」

集会の際には、「手前に手持ちのプラカ,その奥に長いプラカを掲げてもらって、後ろにはライトも設置しました。プラカがきちんと映るようにメンバーの前後にライティングをし」た。すると、メディアはそれを映しこもうとしてメディアの撮影の立ち位置が決まり、メディアでの報道は、集会をする側の演出通りになされるようになったという。

「運動から文化が生まれるつつある」というところから、「60年代は芸術に関わっている人が自分たちの目線から社会がいまどうなっているかを把握して、表現として訴えていく気運がありました。そういう政治や社会に対しての自分なりの目線みたいなものが希薄になっている時代だからこそ、そこをもう一度とりもどしていこうって動きが少なからず生まれている」

「運動のデザインがこれまで気にされてこなかったのも、運動をやる側の人間がデザインの価値をきちんと意識していなかった」

「なにかを変えようとする人の行動を可視化していくことが大事」

「民主主義が機能するためにもデザインの力が必要になる」


などというもので、こういう指摘を読みながら、ああ今までの運動は「自己満足的」なものではなかったかと思うに至った。

 デモや集会をする人々の「外」にいる人々にたいして、自らの主張をどうデザインしていくか、という視点はきわめて重要であると新式させられた。   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする