今月号のJournalismを読み終えた。特集は、「震災6年、原発と福島」である。一つのテーマであっても、そこには様々な論点があることを教えられる。
座談会での吉岡斉の次の発言は、現在の原発政策を端的に表す。
福島では「人間の被害」の調査が全然なされずに、とにかく形だけでも「正常化」させることを急いでいる。そうした、事故をなかったことにしようという流れと、原発推進政策を元に戻そうという流れの両者が、今の政府の動きだと思います。
毎日新聞の日野行介の文は、官僚の姿を明確に示している。原発事故が引き起こした様々な問題を深く掘り下げて報じる日野だからこそ、官僚の姿を浮き彫りにできる。その文の表題は、「「隠す」「やったふり」、「押しつける」民主主義を破壊する政府の「棄民政策」」である。
日野は重要な事実を何度もスクープしている。その極意は、
取材のノウハウや人脈よりも、疑問を解くまで追い続ける執念と、わずかな幸運なのではないかと感じる。
私の経験から、歴史の調査についても同じことが言える。まさに執念と幸運である。
金子勝は、衰退産業である原発に関わり続けると、経営がどんどん傾く、というのは、今の東芝がそれを証明している。次には、三菱重工が続いていくだろう。
吉原直樹の自治体の「コミュニティ施策」に関する疑問。そこには地域の「自治会」の問題が指摘されている。
自治会は多くの場合、もっぱら行政の末端組織として機能し、被災者のニーズを行政へとくみあげていく日常的媒体組織としてはあまり機能していないようである。たとえば、被災者の生活を回復させるために不可欠な要件をなすと思われる賠償、補償の交渉において、自治会が被災者の前面に立って動くということはほとんどなかった。
地域の自治会は、どこでも行政の末端組織として、あるいはガス抜きとして存在する祭りの主体としてしか存在していない。住民の要求を行政などに突きつけていくことができるようになれば、「自治会」は本来の「自治」の会となる。
もと東電社員の最後の言葉。
いま生じている歪みは、原子力事故が生んだのではない、その後の扱い方が生じた歪みなのである。
しかし私はそうは思わない。事故の前から、原発政策がもっている歪みが、さらに大きな歪みをつくりだしている、と。
TBS「NewS23」の萩原豊の文中にある、
原発事故取材に限らず、市民の側に立ち、政府や社会に、事実を提示して、問題提起をする。これが、記者の重要な役割であり、責務といえる。
「市民の立場」であって、「経営者の立場」、「政府の立場」ではないのだ。
まだ全部を読んでいない。読んだものから、いくつか拾ってみた。
座談会での吉岡斉の次の発言は、現在の原発政策を端的に表す。
福島では「人間の被害」の調査が全然なされずに、とにかく形だけでも「正常化」させることを急いでいる。そうした、事故をなかったことにしようという流れと、原発推進政策を元に戻そうという流れの両者が、今の政府の動きだと思います。
毎日新聞の日野行介の文は、官僚の姿を明確に示している。原発事故が引き起こした様々な問題を深く掘り下げて報じる日野だからこそ、官僚の姿を浮き彫りにできる。その文の表題は、「「隠す」「やったふり」、「押しつける」民主主義を破壊する政府の「棄民政策」」である。
日野は重要な事実を何度もスクープしている。その極意は、
取材のノウハウや人脈よりも、疑問を解くまで追い続ける執念と、わずかな幸運なのではないかと感じる。
私の経験から、歴史の調査についても同じことが言える。まさに執念と幸運である。
金子勝は、衰退産業である原発に関わり続けると、経営がどんどん傾く、というのは、今の東芝がそれを証明している。次には、三菱重工が続いていくだろう。
吉原直樹の自治体の「コミュニティ施策」に関する疑問。そこには地域の「自治会」の問題が指摘されている。
自治会は多くの場合、もっぱら行政の末端組織として機能し、被災者のニーズを行政へとくみあげていく日常的媒体組織としてはあまり機能していないようである。たとえば、被災者の生活を回復させるために不可欠な要件をなすと思われる賠償、補償の交渉において、自治会が被災者の前面に立って動くということはほとんどなかった。
地域の自治会は、どこでも行政の末端組織として、あるいはガス抜きとして存在する祭りの主体としてしか存在していない。住民の要求を行政などに突きつけていくことができるようになれば、「自治会」は本来の「自治」の会となる。
もと東電社員の最後の言葉。
いま生じている歪みは、原子力事故が生んだのではない、その後の扱い方が生じた歪みなのである。
しかし私はそうは思わない。事故の前から、原発政策がもっている歪みが、さらに大きな歪みをつくりだしている、と。
TBS「NewS23」の萩原豊の文中にある、
原発事故取材に限らず、市民の側に立ち、政府や社会に、事実を提示して、問題提起をする。これが、記者の重要な役割であり、責務といえる。
「市民の立場」であって、「経営者の立場」、「政府の立場」ではないのだ。
まだ全部を読んでいない。読んだものから、いくつか拾ってみた。