アパルトヘイトが廃止されたとはいえ、南アフリカでは人種差別がなくなったわけではない。
アパルトヘイトが存在していたとき、国際的なアパルトヘイト反対運動が展開されていた。国内でも、昨日書いた「静岡アフリカに学ぶ会」だけではなく、大阪では「こむらどアフリカ委員会」があったし、全国各地にそうした団体があった。私は、「こむらどアフリカ委員会」の機関誌を購読していたことを思い出した。
ネットで探してみたら、以下のサイトがあった。
http://www.arsvi.com/i/aajp_top.htm
そこから「こむらどアフリカ委員会」の機関誌がpdfで見られるようになっていたのでクリックしたら、なんと見たことのある機関誌であった。さらに私は、「アパルトヘイト否!国際美術展」の絵はがきをもっていて、つい最近もそれを友人に投函したばかりである。
「静岡アフリカに学ぶ会」との接触から、すっかり忘れていたが、私もそれに関心を抱き続けていたのである。
反アパルトヘイト運動については、牧野久美子氏の論文がある。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/2010/pdf/2010_416_08.pdf
南アフリカの現実についてはきちんと追跡していかなければならないと思う。買ってあった『現代思想』臨時増刊号の「ネルソン・マンデラ」をまずきちんと読んでみよう。マンデラは、日本の田中正造のような人物である。
アパルトヘイトが存在していたとき、国際的なアパルトヘイト反対運動が展開されていた。国内でも、昨日書いた「静岡アフリカに学ぶ会」だけではなく、大阪では「こむらどアフリカ委員会」があったし、全国各地にそうした団体があった。私は、「こむらどアフリカ委員会」の機関誌を購読していたことを思い出した。
ネットで探してみたら、以下のサイトがあった。
http://www.arsvi.com/i/aajp_top.htm
そこから「こむらどアフリカ委員会」の機関誌がpdfで見られるようになっていたのでクリックしたら、なんと見たことのある機関誌であった。さらに私は、「アパルトヘイト否!国際美術展」の絵はがきをもっていて、つい最近もそれを友人に投函したばかりである。
「静岡アフリカに学ぶ会」との接触から、すっかり忘れていたが、私もそれに関心を抱き続けていたのである。
反アパルトヘイト運動については、牧野久美子氏の論文がある。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/2010/pdf/2010_416_08.pdf
南アフリカの現実についてはきちんと追跡していかなければならないと思う。買ってあった『現代思想』臨時増刊号の「ネルソン・マンデラ」をまずきちんと読んでみよう。マンデラは、日本の田中正造のような人物である。
歴史家の色川氏の本はたくさん読んできた。ふつうの歴史書にはない、感性の豊かさが感じられ、ときには情念や怨念さえ感じることもある。そうした色川氏の特徴をもった本である。
安倍政権が2018年を「明治150年」として祝おうとしている。その関連文書では「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。」と記されている。
「明治以降の歩み」といい、「明治の精神」といい、それらは、資本主義化を推進し、周辺に植民地をもち、「大国」となり得た「大日本帝国」の賛美につながるものとなるはずだ。
しかし、現支配層が懐旧する「大日本帝国」の表層ではなく、その下で切り捨てられ、虐げられた、底辺に生きた人々を歴史の中に蘇らせることにより、「明治150年」とはいったいなんであったのかを考える契機としていきたい。
今年私は、「明治の精神に抵抗した人びと」として、幸徳秋水と伊藤野枝をとりあげる。いずれも「大日本帝国」に惨殺されているが、この二人は「大日本帝国」により切り捨てられ、虐げられた人びとと、確実につながっている。
色川氏は、本書の中で、自由民権運動に関わった人びと、闘い、挫折し、歴史の闇の中に消されていった人びとを、闇の中から救い出し、かれらの生を蘇らせた。その「まえがき」の一部。
私の歴史学への興味が、いわゆる真理とか法則とかの探求にあるのではなく、主として歴史の中に生きる人間の運命、その限られた世界の中で傷つきながらも全力的に生きる人間の健気さ、そして、それら諸個人の関係の膨大な集積によって形成されている非情な歴史のドラマーの叙述にあった
本書は、その非情なドラマが、まさに記されている。もちろん、そこに描かれた個人が抱いていた感情や怨念はわからないが、その生を描くことによって、どんな思いで生き、どんな挫折を経験し、どんな怨念を抱いてこの世からさっていったのかを、私たちは想像することができる。想像したかれらの思いを背負いながら、私は「明治の精神」とか、「明治」という時代とはいかなる時代であったのかを語りたいと思う。
本書を読むのは2度目である。「明治」を考えるとき、この本に記された人間群像を無視するわけにはいかないからだ。
ここに記された人びとの中で、私がもっとも注視するのは、武相困民党の指導者であった須長漣造である。こういう人を踏みしだいて、「明治」という時代は建設されていったのである。その須長から「明治」はどう見えたのか。
そういう視点から、「明治の精神」を考えていきたい。
安倍政権が2018年を「明治150年」として祝おうとしている。その関連文書では「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。」と記されている。
「明治以降の歩み」といい、「明治の精神」といい、それらは、資本主義化を推進し、周辺に植民地をもち、「大国」となり得た「大日本帝国」の賛美につながるものとなるはずだ。
しかし、現支配層が懐旧する「大日本帝国」の表層ではなく、その下で切り捨てられ、虐げられた、底辺に生きた人々を歴史の中に蘇らせることにより、「明治150年」とはいったいなんであったのかを考える契機としていきたい。
今年私は、「明治の精神に抵抗した人びと」として、幸徳秋水と伊藤野枝をとりあげる。いずれも「大日本帝国」に惨殺されているが、この二人は「大日本帝国」により切り捨てられ、虐げられた人びとと、確実につながっている。
色川氏は、本書の中で、自由民権運動に関わった人びと、闘い、挫折し、歴史の闇の中に消されていった人びとを、闇の中から救い出し、かれらの生を蘇らせた。その「まえがき」の一部。
私の歴史学への興味が、いわゆる真理とか法則とかの探求にあるのではなく、主として歴史の中に生きる人間の運命、その限られた世界の中で傷つきながらも全力的に生きる人間の健気さ、そして、それら諸個人の関係の膨大な集積によって形成されている非情な歴史のドラマーの叙述にあった
本書は、その非情なドラマが、まさに記されている。もちろん、そこに描かれた個人が抱いていた感情や怨念はわからないが、その生を描くことによって、どんな思いで生き、どんな挫折を経験し、どんな怨念を抱いてこの世からさっていったのかを、私たちは想像することができる。想像したかれらの思いを背負いながら、私は「明治の精神」とか、「明治」という時代とはいかなる時代であったのかを語りたいと思う。
本書を読むのは2度目である。「明治」を考えるとき、この本に記された人間群像を無視するわけにはいかないからだ。
ここに記された人びとの中で、私がもっとも注視するのは、武相困民党の指導者であった須長漣造である。こういう人を踏みしだいて、「明治」という時代は建設されていったのである。その須長から「明治」はどう見えたのか。
そういう視点から、「明治の精神」を考えていきたい。
2012年、ロンドンでオリンピックがあった。私はほとんど関心がないので見ていなかったけれども、その開会式は映画監督のダニー・ボイルが仕切ったそうだ。もちろんこれもブレイディみかこの『THE LEFT』という本に書かれていたことであった。
ダニー・ボイルは、ケン・ローチの直系の後継者だという。ということは、まさにLeftである。その彼が、オリンピックの開会式の総監督であったというのである。
だが私が驚くのは、そういう人に総監督をさせるイギリスの度量である。2012年といえば、キャメロン率いる保守党政権であった。もし日本なら、そういう人にはやらせない。日本の政治もスポーツ界も、こちこちの保守や右翼が牛耳っている。彼らは、いくら才能があろうとも、Left的な人には絶対にやらせない。2020年のそれは、おそらくこちこちの保守か右翼的な人物に依頼するだろう。
日本ではそうしたシステムがもうできあがっていて、少しでも反体制的な傾向があれば(たとえば御用組合ではない組合に属しているだけで)、その人物を「出世」させることはありえない。それは見事なものだ。
さすが「大英帝国」である。
私はネットYouTubeでその開会式を見た。なるほど1945年の精神の中からつくりだされた医療の無料化システム=NHS(National Health Service)、まさに保守党政権が民営化を狙っているそれを大々的にとりあげている。全体的に開会式は、これがUKだという、UKの誇るべきものをとりあげているのだが、その最初がNHSだったのだ。同時に英国最古の小児病院であるGOSHをだしている。確かにGOSHという文字が示されているが、UKの人でないとそれが何なのかわからない。
ブレイディみかこは、それがボイルの「NHSこそが英国のスピリットであり、世界に誇るべきものだ」というステイトメントだった、と記す。
「NHSがある限り、英国民はどんなに貧乏になっても、社会の最下層に落ちても、自業自得で死にそうになったとしても、治療してもらえる。死にそうになっている人間を「金がないから」「自業自得だから」というような理由をつけて見捨てる社会は野蛮だからだ。」(144)
となると、アメリカという国はもっとも野蛮な国であるし、日本もそれに近づいているということだ。
ブレイディみかこは、ボイルの映画は「人としてどう生きるか」を命題にしていると書く。私はこの人の映画を見たことがないのでそうなのかと思うだけだが、そのあとにブレイディはこう記している。
左翼。という言葉は「何でもかんでも平等にしたい奴ら」とか「ドリーマーの思想」とか言われがちだ。確かに「Nothing is fair in this world」という英語圏の人々がよく口にする言葉の通り世の中はフェアではないし、リアリスティックに言えば人間は平等にはなり得ない。しかし、なぜにそういう蜃気楼のようなコンセプトを人が追うのかと言えば、それは人が金や飯と言った目に見えるものだけのために生き始めるとろくなことにならないからだ。たとえ無理でもメタフィジカルなものを志向する姿勢だけは取っていかないと、人間は狂う。
開会式でつかわれた音楽も、保守党政権に対する批判と思われるものが多かった、という。しかしボイル自身は、まったく政治的主張ではない、と語る。
オリンピックの翌年、エリザベス女王は(開会式で、007のボンドガールを演じていた)かれに勲章を与えようとした。しかし彼は辞退した。その時彼はこういう声明をだした。
僕は平等な庶民であることに誇りを感じているし、あの開会式はすべてそれについての表現だったのです。
さらりとこういう声明を出すボイルという人物はすてきだ。庶民としての精神を維持し続けながら映画を作り、開会式を企画する。そこに奢りはいっさいない。こういう人物がいるということだけでも、UKはいい国だ。
ダニー・ボイルは、ケン・ローチの直系の後継者だという。ということは、まさにLeftである。その彼が、オリンピックの開会式の総監督であったというのである。
だが私が驚くのは、そういう人に総監督をさせるイギリスの度量である。2012年といえば、キャメロン率いる保守党政権であった。もし日本なら、そういう人にはやらせない。日本の政治もスポーツ界も、こちこちの保守や右翼が牛耳っている。彼らは、いくら才能があろうとも、Left的な人には絶対にやらせない。2020年のそれは、おそらくこちこちの保守か右翼的な人物に依頼するだろう。
日本ではそうしたシステムがもうできあがっていて、少しでも反体制的な傾向があれば(たとえば御用組合ではない組合に属しているだけで)、その人物を「出世」させることはありえない。それは見事なものだ。
さすが「大英帝国」である。
私はネットYouTubeでその開会式を見た。なるほど1945年の精神の中からつくりだされた医療の無料化システム=NHS(National Health Service)、まさに保守党政権が民営化を狙っているそれを大々的にとりあげている。全体的に開会式は、これがUKだという、UKの誇るべきものをとりあげているのだが、その最初がNHSだったのだ。同時に英国最古の小児病院であるGOSHをだしている。確かにGOSHという文字が示されているが、UKの人でないとそれが何なのかわからない。
ブレイディみかこは、それがボイルの「NHSこそが英国のスピリットであり、世界に誇るべきものだ」というステイトメントだった、と記す。
「NHSがある限り、英国民はどんなに貧乏になっても、社会の最下層に落ちても、自業自得で死にそうになったとしても、治療してもらえる。死にそうになっている人間を「金がないから」「自業自得だから」というような理由をつけて見捨てる社会は野蛮だからだ。」(144)
となると、アメリカという国はもっとも野蛮な国であるし、日本もそれに近づいているということだ。
ブレイディみかこは、ボイルの映画は「人としてどう生きるか」を命題にしていると書く。私はこの人の映画を見たことがないのでそうなのかと思うだけだが、そのあとにブレイディはこう記している。
左翼。という言葉は「何でもかんでも平等にしたい奴ら」とか「ドリーマーの思想」とか言われがちだ。確かに「Nothing is fair in this world」という英語圏の人々がよく口にする言葉の通り世の中はフェアではないし、リアリスティックに言えば人間は平等にはなり得ない。しかし、なぜにそういう蜃気楼のようなコンセプトを人が追うのかと言えば、それは人が金や飯と言った目に見えるものだけのために生き始めるとろくなことにならないからだ。たとえ無理でもメタフィジカルなものを志向する姿勢だけは取っていかないと、人間は狂う。
開会式でつかわれた音楽も、保守党政権に対する批判と思われるものが多かった、という。しかしボイル自身は、まったく政治的主張ではない、と語る。
オリンピックの翌年、エリザベス女王は(開会式で、007のボンドガールを演じていた)かれに勲章を与えようとした。しかし彼は辞退した。その時彼はこういう声明をだした。
僕は平等な庶民であることに誇りを感じているし、あの開会式はすべてそれについての表現だったのです。
さらりとこういう声明を出すボイルという人物はすてきだ。庶民としての精神を維持し続けながら映画を作り、開会式を企画する。そこに奢りはいっさいない。こういう人物がいるということだけでも、UKはいい国だ。
受動喫煙、「不快」が8割以上
TBS系(JNN) 3/3(金) 7:44配信
他人のたばこの煙を吸い込む受動喫煙について、8割の人が「不快」と感じていることが分かりました。
九州看護福祉大学などの研究グループが全国およそ1万人に受動喫煙について聞いたところ、「不快」と答えた人は全体の82.2パーセントに上りました。たばこを吸わない人では9割、吸う人でも半数近くが「不快」と答えています。
一方、規制すれば「客足が遠のく」と懸念の声が上がっている飲食店について、全面禁煙になった場合に利用の回数や人数が『減る』と答えた人は13パーセントで、逆に、『増える』と答えた人は42パーセントでした。
九州看護福祉大学の川俣幹雄教授は、「たばこの煙は誰もが嫌だと感じている」「受動喫煙対策の必要性を訴えていきたい」とコメントしています。
TBSの報道の通り、まったく受動喫煙は不快である。先日もF市で小さな食堂に入ったが、注文したものがくるまで一人だけたばこを吸い続け、その煙が店内に漂い、たいへん不快であった。
コンビニや駅の周囲に喫煙所があったりするが、そこを通るときには息を止める。たばこの煙は本当にいやだ。
TBS系(JNN) 3/3(金) 7:44配信
他人のたばこの煙を吸い込む受動喫煙について、8割の人が「不快」と感じていることが分かりました。
九州看護福祉大学などの研究グループが全国およそ1万人に受動喫煙について聞いたところ、「不快」と答えた人は全体の82.2パーセントに上りました。たばこを吸わない人では9割、吸う人でも半数近くが「不快」と答えています。
一方、規制すれば「客足が遠のく」と懸念の声が上がっている飲食店について、全面禁煙になった場合に利用の回数や人数が『減る』と答えた人は13パーセントで、逆に、『増える』と答えた人は42パーセントでした。
九州看護福祉大学の川俣幹雄教授は、「たばこの煙は誰もが嫌だと感じている」「受動喫煙対策の必要性を訴えていきたい」とコメントしています。
TBSの報道の通り、まったく受動喫煙は不快である。先日もF市で小さな食堂に入ったが、注文したものがくるまで一人だけたばこを吸い続け、その煙が店内に漂い、たいへん不快であった。
コンビニや駅の周囲に喫煙所があったりするが、そこを通るときには息を止める。たばこの煙は本当にいやだ。