浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

スルガ銀行

2018-10-10 19:25:31 | 社会
 スルガ銀行浜松支店は、浜松駅南口にある。一等地である。私はスルガ銀行に金を預けたことも一切ない。しかし、某辞典にスルガ銀行の創業者のことを書いたことがある。理念を持った経営者であったということを記した。

 少し前まで代表を務めていた創業者一族の岡野某、代表を辞めたあとも、その前も、会社の代表として謝罪など一切せずに雲隠れである。第三者委員会、金融庁から厳しい報告や処分がでても、知らぬ顔である。現在の経営陣も、決して刷新された人たちではない、責任ある者たちである。

 いろいろな情報によると、スルガ銀行はシェアハウス問題でみずからの非を認めて何らかの解決を図るという積極的な姿勢を見せていない。

 非行を犯した会社としては、一貫して無策を貫いている。最悪の金融会社である。悪事を働いたらきちんと謝罪し、再び間違いを犯しませんという具体的な行動から信用は回復するはずである。しかしそれが全くない。

破産の恐怖、不正に怒り スルガ銀問題

 スルガ銀行の不正な融資がなければ、多額の借金に苦しむことはなかったのだから、シェアハウスのオーナーたちは被害者ではある。しかし、おのれの経済的利益を最大限追求する末期資本主義に於いて、金が儲かる事業はすでに金持ちが入りこんでいて、あぶなっかしい事業だけが一般人に向けて口を開けて待っているということを知っておくべきであった。こうした社会のあり方を知らない騙されたオーナーたちは、もっと社会のことを勉強すべきである。

 フツーの人に向けられる「うまい話」は、決して「うまい話」ではなく、詐欺であること。
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『週刊金曜日』

2018-10-10 07:56:45 | メディア
 『週刊金曜日』の編集委員、佐高信氏が退任した。

 今そのことについて書こうと思って、『週刊金曜日』の最新号をさがしたがすでに捨てていた。

 実は『週刊金曜日』は保存していない。読み終えたら廃棄している。毎週届けられる雑誌を保存するスペースがすでにないということもあるが、保存する必要のないものだと判断しているからだ。

 『週刊金曜日』が発刊される前、初代編集長の和多田進氏に依頼されて、本多勝一、筑紫哲也両氏の講演会を浜松で開催したことがあった。この講演会自体、右翼から狙われているという騒動の中で開催されたといういわくつきのものであったが、今それについては書かない。
 
 したがって私は創刊前の準備号から購読していた。しかし途中で一度購読をやめた。その理由は、資料的価値がない、と判断したからだ。私は他に『世界』や『現代思想』などを購読していた(現在も)が、それらは今も主な特輯号は保存している。

 『週刊金曜日』、資料的価値がないという状況は今も継続している。そしてその記事の中身は、通り一遍の深みのないものが多い。現代社会の政治や社会を批判的に書いているのだが、それは一度読めば、「その通りだね」と納得してそれで終わり、それ以上の知見が得られるわけではない。なかには他で報じられないこともあり、それはそれで貴重なのだが、しかし『週刊金曜日』の記事内容は、ネットのリテラやバザップ、IWJで得られるものも多く、また即日報じられるので、『週刊金曜日』は内容的には二番煎じとなる。またそれらの事件でも、より深く追究していればまだしもそれがない。要するに政治、社会で起きている事件を、新聞とは異なり、かなり批判的に紹介するだけで、それ以上のものがないのだ。

 佐高氏は、正確に引用できないのだが、低水準の記事が検討もされずに長い間連載記事となっている、というようなことも記していた。私もその通りだと思う。なかにはとてもひどい、書き殴っているような連載がある。悪文、事実の誤り、何を焦点に絞って書いているのか不明、という記事がずっと続いている。私が編集担当ならぜったいに掲載しないような内容だ。それが延々と続いている。

 『週刊金曜日』、購読者が減って経営的にたいへんな状況にあるようだ。しかしそうした内容も報じられてこなかった。最近になって次々と社員の退任の弁が記されるようになって、そうなのかと思った。いったい執筆に従事している社員が何人いるかも知らなかった。こんなにやめて大丈夫なのかと思っていたら、発行人も変わった。私が購読している朝日新聞社の『Journalism』は、編集に従事している人の名前が記されている。そのなかに知己の名も最近まであったが、今は他の部署に行ったという。『週刊金曜日』は、そういうことはなかった。直接購読で成りたっているといいながら、購読者との間には距離があった。購読者からの意見を集めるということもなかった。

 いずれ『週刊金曜日』は、消えていくのではないかと思う。よほど真剣に内容の検討をしないと立ち上がれないだろう。私たち購読者は、カネを払って有益な情報を買っているのだ。その場合の「有益な情報」とは何かということを真剣に考えるべきだ。

 私にとって『週刊金曜日』はなくなってもよい。しかし『世界』や『現代思想』はなくなってはいけない。
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