10月はじめ、送られてきた今月号の『図書』、もう一冊『はじめての新書』という冊子が入っていた。高校生の頃から、岩波新書は読むべきものであった。とはいっても、毎月3冊刊行されるので、そのうちの一冊くらい読めればよいほうだった。しかし定期収入があるようになってからは、岩波新書をすべて購入するようになった(ただし退職する頃からそれはやめている)。したがって、私の書庫には、岩波新書がたくさんある。
しかし心の中に深く残っているのは、やはり高校生の頃に読んだものがおおい。
田中優子さんがあげているが、西郷信綱・永積安明・広末保の『日本文学の古典(第二版)』はよかった。私はこれで古典が好きになった。学校の古典の授業は、解釈がほとんどであったが、この本はそれぞれの古典文学が歴史の中で書かれてきたものであることを浮き彫りにしていた。それ以後、岩波新書の古典文学関係を読むようになった。石母田正『平家物語』、清水好子『紫式部』など。さらに西郷や広末の単行本も読むようになった。古典文学への関心のきっかけは、まさにこの本であった。今でも感謝している。なお今も2冊もっている。
丸山真男の『日本の思想』。これも名著である。これは何度も読んでいる。
岩波新書は、私の知的発達の最大の栄養源であった。
ただこの『はじめての新書』のなかに、吉野源三郎の『同時代のこと』を誰も挙げていないのが寂しい。私は本書で人生観を変えた。といっても、私は高校生の頃から『世界』を読んでいたから、この『同時代のこと』に掲載された文は、『世界』で読んでいた。吉野の、知的で情熱を秘めた主張は、私の精神を揺り動かした。
『日本の思想』とともに、『同時代のこと』を読み返す。とくにその最後の文、「一粒の麦」は今も感動をもって読む。
しかし心の中に深く残っているのは、やはり高校生の頃に読んだものがおおい。
田中優子さんがあげているが、西郷信綱・永積安明・広末保の『日本文学の古典(第二版)』はよかった。私はこれで古典が好きになった。学校の古典の授業は、解釈がほとんどであったが、この本はそれぞれの古典文学が歴史の中で書かれてきたものであることを浮き彫りにしていた。それ以後、岩波新書の古典文学関係を読むようになった。石母田正『平家物語』、清水好子『紫式部』など。さらに西郷や広末の単行本も読むようになった。古典文学への関心のきっかけは、まさにこの本であった。今でも感謝している。なお今も2冊もっている。
丸山真男の『日本の思想』。これも名著である。これは何度も読んでいる。
岩波新書は、私の知的発達の最大の栄養源であった。
ただこの『はじめての新書』のなかに、吉野源三郎の『同時代のこと』を誰も挙げていないのが寂しい。私は本書で人生観を変えた。といっても、私は高校生の頃から『世界』を読んでいたから、この『同時代のこと』に掲載された文は、『世界』で読んでいた。吉野の、知的で情熱を秘めた主張は、私の精神を揺り動かした。
『日本の思想』とともに、『同時代のこと』を読み返す。とくにその最後の文、「一粒の麦」は今も感動をもって読む。