浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『東京新聞』の記事

2018-10-29 21:31:06 | 政治
 この記事は、きちんと読んでおく必要あり。

 米から購入 安倍政権で急増 兵器ローン残高、5兆円突破
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白紙の人

2018-10-29 12:23:54 | その他
 何も考えない人っていますよね。頭の中が白紙状態。しかし何か言わなければならないから、周りの人びとのことばにあわせて何かを話すのです。周りの人がどういう人かによって、表明される意味あることばの中身が変わっていきます。こういう人は、みずからの思考の核がないので、ただ漂うだけなのです。周りの人が健全で批判的な思考をしていると、なぜか白紙であるにもかかわらず、その人がよく見えてしまう、そういう人が有働由美子という人なんじゃないでしょうか。

 私はzeroをみていないので、この記事をもとに感想を書いているだけなので、無責任かも知れませんが、私が生きてくる中であんがいこういう白紙の人っていたんですよ。

『zero』で忖度全開、有働由美子が杉田水脈までフォロー!「生産性を撤回」とコメント、訂正する事態に

 こういう人は、安倍首相がねらうでしょうね。今度選挙に出ない、って。自民党にはいれば、十分自民党議員でやっていけます。自民党にはそういう人が多いから。

 稲田っていう人も、白紙の人だと思いますよ。幼い頃から「生長の家」の教義が家庭に転がっていたからそれに染まってしまったのです。だけど、日頃の言動をみていると、思考力が働いているとはとても思えませんよね。ああいう人です、有働さん。

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演劇

2018-10-29 08:50:58 | その他
 昨日、劇団朋友の「残の島(のこのしま)」を観た。学生時代、東京労演に入っていた私は、都内各地の劇場に足を運び、いろいろな演劇を見て歩いた。演劇は、ある種の創造空間である。映画やテレビのようにあらすじが展開する場が丁寧に再現されるわけでもなく、限られた空間(舞台装置)の中で俳優たちが動き、話し、歌う。観劇をする者は、その空間を前提に、みずからの想像力を働かせて、その空間を演者と共に創造する。

 そういう演劇をみる人が少なくなっているようだ。

 昨日、劇場でたくさんのチラシをいただいた。文化座の「太陽の棘」、民藝の「グレイクリスマス」、ASPイッツフォーリーズの「YOSHIKO」、劇団東演の「屋根裏の仏さま」、劇団昴の「評決」、燐光群の「サイパンの約束」、フォーラム・コイナさんの会の「今、僕らにヒロシマが見えているか。」、貴種流離の「KENJIの妹」、劇団朋友の「東おんなに京おんな」、文学座「ジョー・エッグ」、テアトル・エコー「おかしな二人」。

 私は、翻訳劇は好きではない。いや、ブレヒトやシェイクスピアはよい、しかしその他がダメだ。

 翻訳劇ではないもののチラシを見ると、日本の現実を見据え、それとどう対峙するのかという問題意識に溢れた作品が多い。現実にものすごい違和感や怒りを持つ私としては、それぞれの劇団がどのように現実を見、その中から何を切りとり、どのようにそれを観劇者に示し、考えさせようとしているのかを知ることは、私自身が現実と対面し闘う際の大きな肥やしになる。

 このチラシの劇、翻訳劇を除き、すべて観たいという気がする。

 演劇というのは、映画やテレビドラマと異なり、情報量が少ない。映画やテレビは、あらすじが展開する場が設えられ、何の違和感もなくそのストーリーに身を委ねることができる。しかし演劇はまったくそうではない。あらすじが展開する場は、仮想空間である。そうであるが故に、みるものの主体的参加、それは想像力であったり、創造力であるのだが、それが求められる。

 演劇が求められる時代というのは、人びとがみずからなんらかのものと関わろうという意欲が満ちる時代なのだと思う。今はそうではない。与えられた情景を、それがあまりに具体的であるがために、少しもみずからの想像力を働かせることなく受容する、そう、受け身の時代が今なのだ。

 だが歴史を繙くと、演劇空間は、いつの時代でも流行ったり廃れたりすることはあっても、ずっと存続してきた。人びとが演劇を求める時代は、必ずやってくるだろう。

 だから、演劇の火は燃やし続けなければならないのである。

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森友問題に新たな証言

2018-10-29 07:23:31 | 政治
 自民党全体が、森友問題の火消しに廻っていた!

籠池夫妻が新証言 自民党は森友問題の“火消し”に暗躍した
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「引き受ける」ということ

2018-10-29 06:55:10 | 近現代史
 昨日、「引き受ける」ことについて書いた。1923年9月16日に起きたこと、この事件を引き起こしたのは、甘粕をはじめとした憲兵組織だとされる。つまり国家犯罪である。近代日本国家は、1910年の大逆事件以後、こうした事件を起こしている。

 1923年9月16日のことを「引き受ける」ということは、こうした近代日本国家とはいかなるものであったのかを認識することでもあるはずだ。

 静岡の墓前祭は2023年まで行う。その行事を、近代日本国家とはいかなるものであったのかを考えていくものにしていきたい。それは「明治150年」を“祝福”するのではなく、その負の側面に焦点をあてるものでなければならない。

 このブログでも、今後、1923年9月16日に関わる文献を紹介していく。
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