浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

外国人

2018-10-28 21:38:46 | その他
 ほんとうに外国人が増えた。日本では、高額なものもあるが、安く済ませようと思えばそれが可能な社会でもある。賃金が下がっているから、デフレ状態が続き、またトヨタを始め輸出産業を保護するための経済政策が行われ、円安が続く。

 外国人が観光のために大挙到来する。それにより、様々な問題が起きているという。


「観光公害」市民と摩擦 京都・やむを得ず外国人制限の店も




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引き受ける

2018-10-28 20:04:55 | 社会
 私は幾つかの名刺を持っているが、ひとつの種類の名刺には、1923.9.16と記してある。その日、大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥橘宗一が虐殺された日である。3人の墓は三箇所にある。野枝の出身地・福岡、宗一の父親が建立した名古屋・日泰寺の墓、そして静岡市の沓谷霊園である。

 名古屋と静岡では毎年9月、墓前祭を行っている。墓前祭の際には、大杉についての講演が主になる。しかし私は、野枝にもっと光をあてるべきだと思っていた。だから今年の9月の墓前祭では、「野枝について語ろう」とした。集会の内容については他日を期すこととして、ここでは劇団朋友「残の島(のこのしま)」について記そう。

 今日私は上京して、六本木の俳優座劇場で上演された「残の島」を見た。副題は、「伊藤野枝と代準介、そしてルイズ」である。

 私は伊藤野枝、大杉栄について全集はじめ関連する文献を読み込んでいる。当然私は、野枝や大杉についてのイメージをつくりあげている。

 こうした演劇(あるいは映画)をみるときには、それらが私自身のイメージに対して挑戦してくることを覚悟しなければならない。

 残念ながら、この劇の野枝も、大杉も、私のもつイメージとは大きく異なっていた。野枝について言えば、野枝はみずからを成長させようと本当に必死になって学び、交流し、生き、そして闘った。そういう野枝が、代家の女中さんたちに対して、みずからの思想やあるべき生き方を教えさとすようなことをしただろうか。あるいはみずからの思想をことばに出して(もちろん文筆ではしているのだが)、代準介らに主張しただろうか。私はそれはないのではないかと思う。
 
 野枝が日陰茶屋事件を経て大杉を獲得したことにより、野枝が強引に大杉を獲得したかのようにとらえられているが、私はそうは思わない。野枝は本当に心から大杉を愛し、どうしようもないくらいにみずからの心にわき上がる愛情に素直にしたがったのであって、そこに打算や企みはなかったと思う。野枝は、「恋愛は自発のものであり、何物をも焼き尽くす熱烈さをもっている。従って、何物の力をもつてしてもそれをふせぎとめる事は出来ない。」(「自由意志による結婚の破滅」)と書いているが、それはみずからの体験そのままなのではないか。こうした沸々とわきあがる愛を経験したことがないと、こういう気持ちはわからないかもしれないが・・・

 そして大杉との愛は、「彼はいつでも私を一人の同志として扱う事を忘れません。私は彼と一緒になる時には、常に運動の第一線に立つことを辞せぬ覚悟でした。今もその覚悟は捨てはしませんが、そして必要な場合には飛び出しもするつもりですが、それでも今までの処では引っ込んでいます。が、彼は私に対しても他の少数の同志と変わらぬ厳粛なコンフィデンスをいつも示しています。そしてこれはいつも私共の生活に対する最も真面目な反省を促す一番重大なものです。従って、これが私共の生活維持の基調であることはもちろんです。私は、彼の妻としてよりも友人としても、より深い信頼を示された一同志として、彼の運動に際して、後顧の憂いをなからしめる事につとめなければならないのです。そこにまた私を教育する重大な種々の事実が横たわっております。」(「愛の夫婦生活」、『女性改造』一九二三年四月号)とあるように、同志愛として昇華したのである。

 このように野枝は、みずからの真情に素直にしたがって生き、闘ったのである。そういう自分自身を他者に押しつけるようなことはしていないと私は思う。

 さてこの劇で、大杉役をつとめた男性は、私がイメージする大杉とは異なっていた。大杉は私からみても魅力的な男性である。みずからの生に確信をもち、気負うことなく常に堂々としていた。相手が頭山満であろうと後藤新平であろうと、誰であろうと、平常心のみがあった。そして優しく、家父長的な思想とは無縁であった。大杉栄の役をつとめるのは、とてもたいへんだと思う。

 劇は、辻潤と同棲して以後の野枝の生を切りとっていくのだが、もちろんそこにはフィクションが混じる。そして脚本を書いた詩森ろば(もちろんペンネームだろう)の主観が入る。

 詩森は、野枝を「勝手で獰猛で聡明で、どうしようなく愛らしい」と見ている(パンフレットにそうあった)。私は野枝が「勝手で獰猛」であるとは思えず、そのように見えるかもしれないが、ほんとうはそうではない、という野枝の内面と外面を統一的にとらえて欲しかったと思う。

 細かいことばかり書いてきたが、劇としては、素晴らしいものだ。私は大きな感動を得た。

 この劇は、野枝の生の軌跡だけではなく、その娘ルイズの生と父母に関わる想いが描かれる。ルイズは、松下竜一の名著である『ルイズー父に貰いし名は』、ルイズ自身による『海の歌う日』があり、私自身も会ったことがあるので、この劇のルイズは、まさにルイズそのものであった。ただ付け加えておくと、静岡の墓前祭には、ほかの大杉・野枝の子どもたちも姿を見せていた。しかし彼らは多くを語らなかった。なぜ語らないのか、も大きなテーマであると思う。

 私のように、野枝の人生を知っている者にとっては、ここは違うな、ここはそう描いたか・・・等々数々の批評がでてくるが、劇が終わったとき、私の後ろの観客が「むつかしい・・・」と語っていた。

 野枝は、名前だけが知られ、野枝の生の軌跡や思想が知られていない。それは私が痛感するところである。野枝は誤解されたままになっている。

 私はその誤解を解きたい、と思ってきた。

 この項目を、私は「引き受ける」とした。私は、静岡の墓前祭を引き受けている。大杉や野枝、宗一の墓が静岡市にあるのだ。にもかかわらず、そうした事実が知られず、野枝の生の軌跡や思想も知られていない。

 静岡が、この劇を全県下で上演して、静岡県民が、大杉と野枝を「引き受ける」、そうした動きが起こらないかと私はひそかに思うのだ。



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