今日は、「太田川ダム」を見に行った。周智郡森町の北方の山間部にあるのだが、どんなところにあるのか、一度見てみたかったのだ。太田川は大きな川ではない、1970年代におきた七夕豪雨で被災したことから、ダム建設の動きが出て建設が決まり、竣工は2009年であった。
このダム、いろいろな問題があるのだが、今日はそれに触れない。
帰宅したら、雑誌が三冊届いていた。『世界』3月号、『週刊金曜日』、『Journalism』の三誌である。一度に届くのも珍しい。とりあえず『週刊金曜日』をさらっと読んで、次ぎに『世界』を読みはじめた。両者の違いは、前者が時事問題に特化しているということだ。そして内容に深さが見られない。それぞれの文が短いからだろうが、私は一通り読むと捨ててしまう。『週刊金曜日』は『朝日ジャーナル』を意識して発刊したという気がしているが、『朝日ジャーナル』はそれぞれの文にもっと内容があったような気がする。
しかし『世界』は時事的な問題をとりあげるのだが、その取りあげ方が通り一遍の説明ではなく、歴史的背景や様々な関連性の中に問題を捉えようという姿勢がある。その意味で深くものごとを捉えることが出来る。だから『世界』は捨てない。
早速読んだのが、「編集後記」。そこから「イエメン国民への愚弄をやめよ」である。ときおり新聞報道されるイエメンの状況が記されているのだが、著者の倫理的主張を背景にしてきわめて説得的である。うした内戦が長期間続く背景には、他国の介入がある。介入をやめよ、という国際世論が強くならなければ、イエメンの人々の苦難が増すだけである。
私は自分が何も出来ないので、「国境なき医師団」にささやかな寄付を行っているが、他の方もイエメンに関心を持つべきではないか。
これを書いた佐藤寛氏の最後の文を載せておく。
現在の混迷はイエメン人自身の手から決定権が奪われていることに発しているのであり、外部者が無用な介入をやめるという倫理的行動をとることが出発点でなければならない。そして外部者の倫理的行動を促すのは我々 一人一人の声なのである。無関心によってイエメンを愚弄することは、もうやめるべきではないだろうか。
このダム、いろいろな問題があるのだが、今日はそれに触れない。
帰宅したら、雑誌が三冊届いていた。『世界』3月号、『週刊金曜日』、『Journalism』の三誌である。一度に届くのも珍しい。とりあえず『週刊金曜日』をさらっと読んで、次ぎに『世界』を読みはじめた。両者の違いは、前者が時事問題に特化しているということだ。そして内容に深さが見られない。それぞれの文が短いからだろうが、私は一通り読むと捨ててしまう。『週刊金曜日』は『朝日ジャーナル』を意識して発刊したという気がしているが、『朝日ジャーナル』はそれぞれの文にもっと内容があったような気がする。
しかし『世界』は時事的な問題をとりあげるのだが、その取りあげ方が通り一遍の説明ではなく、歴史的背景や様々な関連性の中に問題を捉えようという姿勢がある。その意味で深くものごとを捉えることが出来る。だから『世界』は捨てない。
早速読んだのが、「編集後記」。そこから「イエメン国民への愚弄をやめよ」である。ときおり新聞報道されるイエメンの状況が記されているのだが、著者の倫理的主張を背景にしてきわめて説得的である。うした内戦が長期間続く背景には、他国の介入がある。介入をやめよ、という国際世論が強くならなければ、イエメンの人々の苦難が増すだけである。
私は自分が何も出来ないので、「国境なき医師団」にささやかな寄付を行っているが、他の方もイエメンに関心を持つべきではないか。
これを書いた佐藤寛氏の最後の文を載せておく。
現在の混迷はイエメン人自身の手から決定権が奪われていることに発しているのであり、外部者が無用な介入をやめるという倫理的行動をとることが出発点でなければならない。そして外部者の倫理的行動を促すのは我々 一人一人の声なのである。無関心によってイエメンを愚弄することは、もうやめるべきではないだろうか。