浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

無知が恥を知る

2019-02-10 11:57:10 | 社会
 文芸誌『文学界』(1月号)という雑誌で、落合陽一と、古市憲寿が「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」という対談をし、その中で古市が「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月」と語り、医療費を抑制するためには「カネのかかる終末期医療」をストップさせればよい、ということを語った(「最後の1カ月間の延命治療はやめませんか?」)。

 しかしこの発言の認識が誤りだということが指摘された。後に落合は認識の甘さを語ったが、古市は撤回したのかどうか。

 『朝日新聞』が、「終末期医療、お金かかる論は「素人」 専門家がデマ批判」という記事を載せている。

 この記事で、権丈善一・慶応大商学部教授(社会保障・経済政策)が、古市の主張に根本的な無知を指摘している。

 権丈氏は、こう指摘する。

そもそも、『最後の1カ月』は、後から考えればそうだというだけで、事前には予測がつかない。だから、最後の1カ月の医療費を給付しないなんて、技術的にできません。

 まさにその通り。入院している患者は、今年3月10日に亡くなりますから、今日から治療はしません、なんてことが出来るのか、ということだ。いつ亡くなるかなんてわからない、医療関係者は亡くならないように様々な医療を提供し続けるのが使命なのだ。古市は想像力が欠けている、あるいは思考力が弱いということだ。

 「最後の1カ月間の延命治療はやめませんか?」の前段は、「財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがある」であったが、権丈氏はいったい財務省の誰が言ったかに関心を持つ、という。そんなことも知らない財務官僚がいるのか、ということだ。

 権丈氏は、こう指摘する。

「今、はやっているポピュリズム医療政策は、四つのロジックからなっていて、全部ウソですね(笑)。
①将来の医療費や社会保障費を、名目値で示し、将来の負担はこんなに高くなると大衆を脅す。
②終末期の医療費は、人が一生に使う医療費の半分ほどを使うと、エピソードベースの話をして大衆を驚かす。
③医療費は予防で抑制できる、特に終末期の医療費を大幅に抑制できると大衆にデマを飛ばす。
④終末期で浮いた財源を若い世代に持っていけば、全世代型社会保障も実現できると、大衆ウケのする話で結ぶ。」


 そしてこう指摘する。

 「介護は年金なんかと比べて、今の規模がそんなに大きくないから増える分が大きく見えるね。昨年の試算では社会保障全体で見て2040年にGDP比で1.1倍程度になることが示されただけで、その水準を負担するのは不可能という話ではないと思うよ。高齢化はドンドンと進んでニーズは大きくなる中、その程度の増加にとどまり、水準そのものは、高齢化の程度を考慮すると、国際的にはむしろ少ないくらい。・・・・医療も介護も公定価格だよ。だいたい医療費は所得が決めていて、所得水準を大きく超えて増えることはないというのは医療経済学の常識だし、その上、医療費に占める公的割合が高い国の方が医療費のコントロールはやりやすく、日本はその割合は高いんだよね。

考えたいのは、公費を減らすことが絶対正義かということ。こう考えてほしい。ある国のある時代にケアを必要とする福祉ニーズがあるとする。どう満たすかと言えば、ファミリー(家族)か、ガバメント(政府)か、マーケット(市場)か、ということになる。『ガバメント=公費』を減らしてもニーズの総量は減りはしないんだよね。さて、君は、医療介護はニーズに応じて平等に利用できる政府で対応するのがいいと思うか、支払い能力によって格差が生じる市場でいいのかな、それとも君の家族でやっていく、さてどれがいいと思う? 大切なのは、社会保障を語る上での基礎知識を持つことと、ちょっとした想像力かな。できれば思いやりのある想像力がいいんだけどね」


 正しい知識を持っていれば、ポピュリズム的な大衆受けする謬説にだまされないということである。権丈氏の『ちょっと気になる医療と介護 増補版』(勁草書房)を読まなければ。
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『世界』のすすめ

2019-02-10 10:26:09 | 
 今月号の『世界』を読み進めているが、いつもながらの知的刺戟に満ちた、それもきちんと現実と切り結んだ論考が並ぶ。

 私は市民運動にも関わっているが、そのメンバーのなかでも『世界』を読んでいる人はほとんどいない。運動を進めていくためには、その運動がめざすことに関する知識がどうしても必要となる。私は、したがって、それに関する文献を買い集め、ネットで検索し、政府その他から資料をダウンロードして調べ、考え、話すということをしている。それは、私が歴史に関する研究を行っているのでその方法手段を体得しているからできることだと思っている。多くの人は、他人の話を聞き、簡単な資料を読んですましていることだろう。

 私は高校生の時から『世界』を読んでいるが、その頃『世界』は書店にたくさん積まれていた。そして少し大きな書店に行けば必ずあった。『世界』を読んでいる人が多かったということだ。

 しかし今は、書店に『世界』はあるけれども少なく、それも市内のもっとも大きな書店に行かなければ手に入らない。だから私は直接購読に変えたが、本当は書店で買い求めたかった。

 現在、日本は、安倍の妄想にとりつかれた政治の渦の中にある。その渦の中から脱するためにはみずからの知性を研ぎ澄まし、今起きている世界のあり方を知り、考える必要がある。

 そのための手段として『世界』はある。今月号の『世界』から、私はイエメンのこと、ゴーン事件のこと、沖縄のこと、ロシア革命のこと・・・・・・いろいろなことを学んでいる。

 『週刊金曜日』の記事と比べてみると、『週刊金曜日』には重厚さがない。問題を深部から掘り下げて論じるのではなく、表面的にさらっと書き上げているだけである。専門の学者ではないから、ある意味仕方がないが、記者は『世界』を読んで学んで欲しいと思う。

 今月号の『世界』、「イエメン国民への愚弄をやめよ」を先日紹介したが、新聞や週刊誌などからはわからない事実がここには書かれている。

 私たちは、世界で何が起きているかを知らなければならない。そのために『世界』を読もう。
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