今日は、演劇鑑賞の日である。午後、浜松市のUホールへ。
劇団東演の演劇は、「検察官」を昨年みた。「検察官」が“動”とすれば、「月光の夏」は“静”である。「検察官」もよかったが、これもよかった。劇団東演の演劇は、“動”であろうと、“静”であろうと、演劇というものの醍醐味を感じさせる。しばしば書いているが、演劇というのは、鑑賞者の想像力が加わることによってはじめて演劇の空間が成立する。
今日の舞台も、朗読する者が4人、中央にグランドピアノがおかれ、それを演奏するピアニストが1人。たった5人の舞台である。その4人が、いろいろな役を演じるというか、異なった役の台詞を語る。鑑賞者は、それをみずからの頭の中で再構成する。演劇こそ、舞台(役者)だけではなく、鑑賞者の参加を強く求めるのだ。
さて、鳥栖市のある国民学校に、戦時下、グランドピアノを弾かせて欲しいと二人の特攻隊員が訪ねてくる。一人の隊員は、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を奏でる。もう一人は譜をめくっていた。演奏後、特攻隊員に対して学校では子どもたちに「海ゆかば」を唱わそうとした。しかしそれを制してもう一人の特攻隊員が、みずからピアノを弾いた。
戦後も、そのピアノは、ずっとその学校にあった。しかし長い年月の間に朽ち、廃棄することになった。特攻隊員のピアノ演奏の際に立ち会った女性教員が、そのピアノを弾いた特攻隊員の思い出を語った。
それが報じられ、ピアノの保存が決まった。多くの市民が浄財を寄付したのだ。
そしてその特攻隊員のことをメディアが調べたところ、一人が熊本県に生き残っていることがわかった。しかしそのもと特攻隊員は、証言を拒否するのであった。
彼は、沖縄周辺海域に向かう途中エンジントラブルで引き返した。「月光」を弾いた特攻隊員は「特攻」攻撃を行い亡くなった。一緒に死のうと語り合っていたのに、生き残ってしまった。後を追う、と決意していたのに、上官から「死ぬのがイヤで帰還してきたのだろう。臆病者め」などといわれ、任務を遂行できなかった特攻隊員を集めた「振武寮」(『陸軍特攻振武寮―生還した特攻隊員の収容施設』 (光人社NF文庫)を読んで欲しい。軍隊はこういうこともするのか、その非人間的措置に怒りを持つ)に収容され、敗戦を迎えた。死ぬべきであったのに、死ななかった、という負い目。
だが彼は遂に、自らの体験を語る。戦死した者のかわりに、戦争というものの真実を語るのだ。
特攻隊のことについて、私は多くのことを学んでいる。戦局に何の影響をも与えない作戦であったこと、ほとんどの特攻隊員は米艦に突入する前に撃墜されてしまったこと、特攻隊員の搭乗機は練習機やおんぼろのものであったこと、学生などが特攻隊に動員されたが、海軍兵学校の生徒はたくさんいたのに温存されたこと、アジア太平洋戦争の非人間的な本質を特攻隊は体現している。優秀な若者が、たくさん殺されたのだ。
朗読者は、おそらく特攻作戦について多く学んでいるのだろう。台詞の背後に、人間的な怒りがあった。同時に生き残った特攻隊員が国民学校で語った台詞に、死んだあと海ではなく空に行くというようなものがあった。
「海ゆかば」は、「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ」である。屍は海や山には行くが、空には行かない、「海ゆかば」の歌詞に対する抗議なのだろうか。
最後に演奏された「月光」の第三楽章、人間的怒りがこめられていたように思った。
戦争のことを考えるということは、人間としての怒りを持つことであり、同時に亡くなった人々に対する祈りでなければならない。
「月光」の曲が、それを奏でていた。
劇団東演の演劇は、「検察官」を昨年みた。「検察官」が“動”とすれば、「月光の夏」は“静”である。「検察官」もよかったが、これもよかった。劇団東演の演劇は、“動”であろうと、“静”であろうと、演劇というものの醍醐味を感じさせる。しばしば書いているが、演劇というのは、鑑賞者の想像力が加わることによってはじめて演劇の空間が成立する。
今日の舞台も、朗読する者が4人、中央にグランドピアノがおかれ、それを演奏するピアニストが1人。たった5人の舞台である。その4人が、いろいろな役を演じるというか、異なった役の台詞を語る。鑑賞者は、それをみずからの頭の中で再構成する。演劇こそ、舞台(役者)だけではなく、鑑賞者の参加を強く求めるのだ。
さて、鳥栖市のある国民学校に、戦時下、グランドピアノを弾かせて欲しいと二人の特攻隊員が訪ねてくる。一人の隊員は、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を奏でる。もう一人は譜をめくっていた。演奏後、特攻隊員に対して学校では子どもたちに「海ゆかば」を唱わそうとした。しかしそれを制してもう一人の特攻隊員が、みずからピアノを弾いた。
戦後も、そのピアノは、ずっとその学校にあった。しかし長い年月の間に朽ち、廃棄することになった。特攻隊員のピアノ演奏の際に立ち会った女性教員が、そのピアノを弾いた特攻隊員の思い出を語った。
それが報じられ、ピアノの保存が決まった。多くの市民が浄財を寄付したのだ。
そしてその特攻隊員のことをメディアが調べたところ、一人が熊本県に生き残っていることがわかった。しかしそのもと特攻隊員は、証言を拒否するのであった。
彼は、沖縄周辺海域に向かう途中エンジントラブルで引き返した。「月光」を弾いた特攻隊員は「特攻」攻撃を行い亡くなった。一緒に死のうと語り合っていたのに、生き残ってしまった。後を追う、と決意していたのに、上官から「死ぬのがイヤで帰還してきたのだろう。臆病者め」などといわれ、任務を遂行できなかった特攻隊員を集めた「振武寮」(『陸軍特攻振武寮―生還した特攻隊員の収容施設』 (光人社NF文庫)を読んで欲しい。軍隊はこういうこともするのか、その非人間的措置に怒りを持つ)に収容され、敗戦を迎えた。死ぬべきであったのに、死ななかった、という負い目。
だが彼は遂に、自らの体験を語る。戦死した者のかわりに、戦争というものの真実を語るのだ。
特攻隊のことについて、私は多くのことを学んでいる。戦局に何の影響をも与えない作戦であったこと、ほとんどの特攻隊員は米艦に突入する前に撃墜されてしまったこと、特攻隊員の搭乗機は練習機やおんぼろのものであったこと、学生などが特攻隊に動員されたが、海軍兵学校の生徒はたくさんいたのに温存されたこと、アジア太平洋戦争の非人間的な本質を特攻隊は体現している。優秀な若者が、たくさん殺されたのだ。
朗読者は、おそらく特攻作戦について多く学んでいるのだろう。台詞の背後に、人間的な怒りがあった。同時に生き残った特攻隊員が国民学校で語った台詞に、死んだあと海ではなく空に行くというようなものがあった。
「海ゆかば」は、「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見はせじ」である。屍は海や山には行くが、空には行かない、「海ゆかば」の歌詞に対する抗議なのだろうか。
最後に演奏された「月光」の第三楽章、人間的怒りがこめられていたように思った。
戦争のことを考えるということは、人間としての怒りを持つことであり、同時に亡くなった人々に対する祈りでなければならない。
「月光」の曲が、それを奏でていた。